月の砂漠に銀の雨《二人の騎士と異世界の神子》

伊藤クロエ

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【第二部】東の国アル・ハダール

79 オアシスの聖廟

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 ただ水を浴びるだけでやたらと疲れて、もう一度敷物の上に連れ戻されても何かする気も起きなかった。
 サイードさんが掛けてくれた毛布にくるまって僕がぐったりと寝転がってる間、二人は時々何か話しながら熾火を掻き起こして火を燃やし、お湯を沸かして朝ごはんを作ってくれる。
 やっぱりこっちの人はこういう野営というかキャンプみたいなのにすごく慣れてるんだなあ。なんでもかんでも見ててすごく手際がいい。

 そして他にももう一つ気づいたことがある。二人ともすごく身体が大きいのに、動いていてもすごく静かだ。足音とか衣擦れとか、あと物が何かに当たる音とかがあんまりしない。
 あ、サイードさんがダルガートに何か言って笑った。ダルガートの大きな背中もちょっと揺れて、一緒に笑ったんだってわかる。いいなあ。どんな話をしてるんだろう。僕も二人を笑わせられるような話ができたらいいのに。

 そんなことを考えてたら、サイードさんがお茶と朝ごはんを持ってきてくれた。そして相変わらずぼけっとしてる僕を膝の上に乗せてお茶の器を僕の口まで運んでくれる。
 昨日と同じ、スッと鼻を抜けるようなさわやかな香りとさっぱりした後口がいい。綺麗な黄色のお茶を飲んでお腹が温まると、ようやく一息つけたような気分になった。

 それから種なしパンに昨日の残りの肉を挟んだものを一口齧る。わざわざ火で焙ってくれたみたいで温かい。そう思った途端、相当お腹が空いていることに気づいてがつがつと一気に食べてしまった。

 結局僕は何もしないで、淹れて貰ったお茶を飲んで朝ごはんを食べて、それからまたうとうとしてからようやく起き上がる気になった。
 心配していたほどは身体の怠さも残ってない。すごいな、僕。

 ウルドが持たせてくれた荷物の中には着替えや新しい被り布シュマグや櫛まで入っていて、サイードさんとダルガートが身支度を整えてくれた。
 それを見て以前、エルミラン山脈の神子の聖廟で同じように二人が僕に服を着せてくれた時のことを思い出した。
 あの時はあれこれ世話をされることが気恥ずかしくてたまらなかったけど、その時の二人の様子が何かとても儀式めいた静謐さに満ちていて、何も言えなかったのをよく覚えている。

「ありがとう」

 靴を履かせ、綺麗に衣服を整えてくれた二人にそう言うと、二人はほんの少し口角を上げて頷いてくれた。

「……さて」

 僕には一つ、懸案が残っている。そう、この湖の水量のことだ。
 一番いいのは満水まで水量を増やすことだけど……できるかな。
 水際に近づいてなんとなくしゃがんでみる。
 単純に水を増やすならここにだけ超局地的に大雨を降らせることができたらものすごく簡単そうだけど………………いや、どうにもできる気がしないな。

 他の神子がどうだったのかは分からないけど、僕の場合自分の意志で『神子の力』を使うには『僕は絶対にそれができる』と確信できるかどうかが鍵になる。
 そのためには地形や気候的な条件を揃えて、どんな屁理屈でもいいから自分ができると納得できるだけの根拠が必要なんだ。
 そこからいくと、このオアシスだけ・・に雨を降らせるっていうのはあまりに荒唐無稽というか都合が良すぎて、どうしても出来るというビジョンが見えてこない。
 我ながらめんどくさい性格だな。

 しばらくうんうん唸っていたけどいいアイデアも浮かばず、じっとしゃがんでいるのもしんどくて僕はなんとなくそこらを歩いてみた。
 
 海と山と川が狭い国土にぎゅっと詰まった、実に自然豊かで変化に富んだ日本に生まれ育った僕からすると『見渡す限り砂と岩と石の転がる礫砂漠のど真ん中にいきなりぽつんと現れるオアシス』っていう絵面は、本当に冗談じみてるというか、まさに奇跡みたいに見える。

 向こうの世界で実際のオアシス都市ってどこがあっただろう。パッと思い浮かぶのはラスベガスだな。ネバダ州の広大な砂漠地帯の窪地にあったオアシスがゴールドラッシュを機にロサンジェルスへの一大中継都市になって、でも砂漠に囲まれて他になんにも産業がないからって賭博を合法化して法人税をなしにして大企業を誘致したとかなんとか……。
 あとは敦煌とか、ペルーにもなんか有名なリゾートがあったよな……なんていう名前だったっけ……なんて考えながら歩いていると、ふと白い石造りの小さな建物を見つけた。

「なんだ? これ」

 大きさはかなり小さくて、下町の片隅にお地蔵様が祀ってあるようなお堂ぐらいのサイズだ。でも見た目にすごく既視感がある。

「これ、ダーヒルの中央神殿に似てるなぁ」

 それも僕が初めて落っこちてきた、あの選定の儀式が行われた場所だ。
 その小さな聖廟の中を覗くと、奥に丸い水晶みたいなのが置かれている。
 そうだ、あの神殿もやっぱりすごく大きな丸いのが置いてあって、その正面のバルコニーは確か太陽神ラハルを拝むために南を向いてるんだ、って神殿長さんが言ってたなぁ。それに今思えばエルミランの聖廟もやっぱり南を向いて建てられていた。

 そう思い出したところで「あれ?」と気が付いた。
 今ってまだ朝だよね。なのにこの聖廟が向いてる方向と太陽の位置がなんかおかしい気がする。

 この世界は地球と同じで太陽は東から登って西に沈むことは神殿からの旅の間にすでに確認している。今太陽は地平線と天頂の中間くらいの高さだから、ものすごくざっくり考えて午前九時くらいだよな。
 もしこの聖廟が神殿と同じ真南を向いて建てられているなら、聖廟の中から見て正面より斜め左側に太陽があるはずだ。なのに……あれ? これじゃ太陽が見えない?

「……ええと、つまりこの聖廟は真南じゃなくてもっと……西を向いてるってこと……?」

 …………なんでだろう。全然わからん。

「どうした、カイ」

 心配したのか、サイードさんが追いかけてきて名前を呼んだ。

「サイードさん、こっちの世界じゃ神殿とか聖廟って真南を向いて建てられてるんですよね?」
「…………え?」
「えっ?」

 思わず僕まで声を上げてしまった。
 僕の問いを耳にした途端、いつでも明朗快活ではっきりと受け答えしてくれるサイードさんの顔から一切の表情が抜け落ちた。サイードさんのそんな顔を見るのは初めてで、僕は怖くなって慌てて名前を呼んでみる。

「サ、サイードさん……?」
「…………ああ、神殿の向き……だったか?」

 そう答えてくれるのに、その先の言葉はない。
 黙り込んだまま、ただ感情のない虚ろのような黒い目が僕を見ている。

「サイード、さ……」

 ぞくっ、と得体の知れない寒気が背筋を這い上がった。

 これは、この人は、誰だ。
 そう思った自分を慌てて否定する。
 これはサイードさんだ、当たり前だ、間違えるはずがない、でも。

「カイ?」

 サイードさんが僕に向かって手を差し伸べる。

「行こう」

 ごっそりと感情が抜け落ちたその顔と声に足がすくむ。
 僕は散々迷ってから、恐る恐るその手を取った。すると少しずつサイードさんの目に光が戻っていく。

「どうかしたか?」

 微かに微笑んで僕を見下ろすサイードさんを見て、僕は泣きたくなるくらい安心した。
 良かった。いつものサイードさんだ。
 僕はサイードさんに手を引かれて、まるで逃げ出すように歩き出した。後ろの聖廟は怖くてもう見れなかった。もし足を止めて振り返ったら、またサイードさんがさっきみたいになるんじゃないか、と思えて。
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