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【第二部】東の国アル・ハダール
83 宰相さんとダルガート
ようやく辺りが静かになった頃、宰相さんが振り向いて僕に言った。
「神子殿、お怪我などはございますまいか」
「え、あ、大丈夫です」
その時、ダルガートがいつの間にか僕の前に立ちふさがるようにして立っていたのに気づく。そして無意識のうちに彼の袖を掴んでいたことに驚いて慌てて手を離した。
「うわ、ごめん」
「お気になさらず」
そう答えたダルガートの声がいつもより冷たい……というか、初めて会った頃に戻ったような気がして思わず顔を上げる。いやいや、今ダルガートは仕事中なわけだし、それに宰相さんだっているわけだし、と思ったところでハッと気が付いた。
……い、いつの間にか宰相さんとダルガートと僕だけになってる……!?
思わず僕の背中に冷や汗が流れた。
実はこの二人、どうやらとことん仲が悪いらしいのだ。
この帝都に来たばかりの時に開いて貰った歓迎の宴で、僕はサイードさんやダルガートと一緒にカハル皇帝から『一体三人はどういう仲なのか』と揶揄い交じりにあれこれ根掘り葉掘り聞かれて参ってしまったことがあった。
特に何度も聞かれたのは『三人だと誰か一人が仲間外れになったりしないのか』という、まるで学校の女子グループの交友トラブルを案じるような内容で、思わず首を傾げてしまったのだが。
でもその時はサイードさんが『このような異世界に突然呼び出されてしまった神子を身命を賭してお守りする覚悟でございます』とか『ダルガートは私にはない視点を持ち、私では及ばぬところを手助けしてくれる大層心強い同志でありますれば』などと微妙にずれた答えをド真面目に主張してくれたので、カハル皇帝も毒気を抜かれたように『そ、そうか、それは良かった! 末永く互いを補い、励まし合うのだぞ!』と、サイードさんに友達ができたのを喜ぶ親みたいな返事をしていた。
そして宴の後にばったり宰相さんと出くわして僕たちがカハル皇帝と何を話していたのかと聞かれたのだが……その時の宰相さんとダルガートのマイナス500度くらいのものすごい会話は……とにかく凄かった。途中でサイードさんが割って入ってくれなかったら一体どうなっていただろうか。
そして二人は今も恐ろしく冷ややかな目をしてお互いを見ていて、その絶対零度の空気に巻き込まれた僕は死ぬほどいたたまれない気分を味わっていた。
「常に陛下のお傍にあらねばならぬ主騎たるそなたが、このような場所をうろついていったい何を?」
うっすらと微笑みながら宰相さんが言う。う……っ、宰相さんみたいな年齢不詳の美形の冷たい微笑みって本当に怖い。それに負けず劣らず冷めた目をしてダルガートが答えた。
「こちらへ参ったのは偶然ですが、思わぬ騒動に出くわし、つい気が逸り申した」
ダルガートのまったく抑揚のない口調が他人事ながらめちゃくちゃ恐ろしい。すると宰相さんがまた口を開く。
「あのような輩をみすみす政堂へ入れるとは、衛士の質が落ちているのではないか?」
衛士、衛士って宮城の警備を預かる人だよね。確かダルガートたち近衛騎士団の所属……。いやでもダルガートってカハル皇帝の主騎だから、政堂の警備はさすがに範囲外じゃ……。
「いかにも。私の方から近衛長へ進言申し上げまする」
……めちゃくちゃあっさり流した。すると宰相さんの笑みがますます深くなる。
「くれぐれも手抜かりなきよう」
「畏まりまして」
……なんというか、言ってる内容自体は全然普通なんだよ。なんだけど、顔と口調があまりにも殺伐としすぎてて周りで聞いている方の肝が冷える、みたいな。
今もダルガートの後ろで必死に俯いて聞こえない振りをして縮こまっていたら、今度はダルガートの方が宰相さんに向かって言った。
「とはいえ、憂患の元を立たねばまたあのように押しかけてくる者が出ましょうな」
え、それって宰相さんへの当てつけだよね!? すごく嫌味っぽいよ、まずくない!?
だって『なぜ神子を外に出さないか』云々の問いに宰相さんがあの人たちに返した言葉は『それを言う手順が悪い』って内容で、完全に論点のすり替えだったもんな。つまり宰相さんにとってそこは突っ込まれたくないところだったということで……。
果たして宰相さんはどう返してくるか、と戦々恐々としていると――――
「……で、あろうな」
………………え? それだけ?
そこから続いた沈黙に「ん? 終わった?」と思わず顔を上げると、宰相さんとダルガートが二人して僕を見下ろしていた。え、な、なに? 僕がどうかしたのか? と思ってふと我に返った。
そうだ、あの人たち神子がどうとか言ってたじゃないか。なのに僕が関係ないわけないよね?
僕がギクシャクと宰相さんの方を見ると、宰相さんはものすごく整った涼し気な美貌のまま、ふと口を開いた。
「……今は時が悪い」
そしてダルガートを見る。するとダルガートも宰相さんが何を言いたいのかわかっているのか、同じ顔で「左様にございますな」と答えた。
え? あれ? なんかすごく普通? 例の宴の後に出くわした時はサイードさんが間に入るまで延々嫌味の応酬みたいな会話を続けていたのに……。
思わずポカンとしていると、宰相さんがふと向き直って僕に言った。
「神子殿。鍛錬の後でお疲れとは思いますが、後でお時間を頂けますか」
「え? あ、はい。大丈夫です」
「では昼餐の後に。アドリーを迎えに行かせます」
そう言って目礼すると、どうやら宰相さんをせかしに来たらしい文官たちを引き連れて足早に去って行った。多分、めちゃくちゃ忙しいんだろうな。
さっきの騒動には驚いたけど、宰相さんとダルガートがたまたまここに来てくれて本当に運が良かったと思う。
やっと静かになって、僕はため息をついてようやく肩の力を抜いた。
「大事ござらぬか」
「うん、ありがとう」
宰相さんがいないからか、さっきよりほんの少し柔らかいように聞こえなくもない声でダルガートが言う。それに頷くと、ダルガートは槍を持ち直して「部屋までお送り致す」と言ってくれた。
鍛錬後の恰好なのでコソコソ裏の通路を通って部屋に戻ると、ウルドが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、神子様。湯浴みの支度ができております」
「ありがとう」
そこでダルガートが立ち去ろうとしたのに、つい袖を掴んでしまう。
「あ、ごめん。まだ仕事中だもんね」
慌てて手を離して謝った。だって、そう、仕事中だし、ウルドや他の傍仕えの人たちがいるのにそうベタベタできないしね。
でもこんな風に日中にばったり会って話したりできるのって本当にめったにないことだから、つい名残惜しくなってしまった。
「ええと、送ってくれてありがとう」
そう言うと、ダルガートが「お気になさらず」と答える。そしてドアを閉めようとして、僕の不意を突くように突然手をとって口づけた。
「では」
あの黒い目をほんの一瞬、悪戯っぽく光らせて、ダルガートが去って行った。あまりにも突然、かつウルドたちの視線が気になって固まっている僕を放り出して。
い、いや、だって今のってどうなの!? この世界的にはギリギリセーフって感じなの!?
そりゃあウルドは僕とダルガートとサイードさんがどういう関係なのかって知らないはずがない。だって事の最中、いつも寝台の傍に控えてるらしいし。
僕は恥ずかしくてできるだけ意識しないようにしてるけど、真っ最中にサイードさんやダルガートがベールの外に声をかけて飲み物を持ってこさせたり、前なんて香油の追加を頼んだりしてたもんな……。
かと言って、例えウルドの前でもこんな白昼堂々目の前でいちゃつくつもりはないし、外で少しでも関係を匂わせるようなことをするつもりもない。ないんだってば。
でも今の手の甲へのキスはどうなんだろう。昔のヨーロッパとかじゃ偉い人への挨拶みたいなもんだったような気もするし、本当にギリ大丈夫な感じなのかな……? 怖くて聞けない。
すると僕のそんな煩悶に気づいているのかいないのか、ウルドが例の『頼れるお兄さん』みたいな笑顔で「湯浴みをお手伝いいたします」と言った。
「…………うん、お願い…………」
そう、このままスルーだ。それしかない。
そして僕は今度は宰相さんの話がなんなのか、またぐるぐるしつつ汗を流して昼ごはんを食べた。
「神子殿、お怪我などはございますまいか」
「え、あ、大丈夫です」
その時、ダルガートがいつの間にか僕の前に立ちふさがるようにして立っていたのに気づく。そして無意識のうちに彼の袖を掴んでいたことに驚いて慌てて手を離した。
「うわ、ごめん」
「お気になさらず」
そう答えたダルガートの声がいつもより冷たい……というか、初めて会った頃に戻ったような気がして思わず顔を上げる。いやいや、今ダルガートは仕事中なわけだし、それに宰相さんだっているわけだし、と思ったところでハッと気が付いた。
……い、いつの間にか宰相さんとダルガートと僕だけになってる……!?
思わず僕の背中に冷や汗が流れた。
実はこの二人、どうやらとことん仲が悪いらしいのだ。
この帝都に来たばかりの時に開いて貰った歓迎の宴で、僕はサイードさんやダルガートと一緒にカハル皇帝から『一体三人はどういう仲なのか』と揶揄い交じりにあれこれ根掘り葉掘り聞かれて参ってしまったことがあった。
特に何度も聞かれたのは『三人だと誰か一人が仲間外れになったりしないのか』という、まるで学校の女子グループの交友トラブルを案じるような内容で、思わず首を傾げてしまったのだが。
でもその時はサイードさんが『このような異世界に突然呼び出されてしまった神子を身命を賭してお守りする覚悟でございます』とか『ダルガートは私にはない視点を持ち、私では及ばぬところを手助けしてくれる大層心強い同志でありますれば』などと微妙にずれた答えをド真面目に主張してくれたので、カハル皇帝も毒気を抜かれたように『そ、そうか、それは良かった! 末永く互いを補い、励まし合うのだぞ!』と、サイードさんに友達ができたのを喜ぶ親みたいな返事をしていた。
そして宴の後にばったり宰相さんと出くわして僕たちがカハル皇帝と何を話していたのかと聞かれたのだが……その時の宰相さんとダルガートのマイナス500度くらいのものすごい会話は……とにかく凄かった。途中でサイードさんが割って入ってくれなかったら一体どうなっていただろうか。
そして二人は今も恐ろしく冷ややかな目をしてお互いを見ていて、その絶対零度の空気に巻き込まれた僕は死ぬほどいたたまれない気分を味わっていた。
「常に陛下のお傍にあらねばならぬ主騎たるそなたが、このような場所をうろついていったい何を?」
うっすらと微笑みながら宰相さんが言う。う……っ、宰相さんみたいな年齢不詳の美形の冷たい微笑みって本当に怖い。それに負けず劣らず冷めた目をしてダルガートが答えた。
「こちらへ参ったのは偶然ですが、思わぬ騒動に出くわし、つい気が逸り申した」
ダルガートのまったく抑揚のない口調が他人事ながらめちゃくちゃ恐ろしい。すると宰相さんがまた口を開く。
「あのような輩をみすみす政堂へ入れるとは、衛士の質が落ちているのではないか?」
衛士、衛士って宮城の警備を預かる人だよね。確かダルガートたち近衛騎士団の所属……。いやでもダルガートってカハル皇帝の主騎だから、政堂の警備はさすがに範囲外じゃ……。
「いかにも。私の方から近衛長へ進言申し上げまする」
……めちゃくちゃあっさり流した。すると宰相さんの笑みがますます深くなる。
「くれぐれも手抜かりなきよう」
「畏まりまして」
……なんというか、言ってる内容自体は全然普通なんだよ。なんだけど、顔と口調があまりにも殺伐としすぎてて周りで聞いている方の肝が冷える、みたいな。
今もダルガートの後ろで必死に俯いて聞こえない振りをして縮こまっていたら、今度はダルガートの方が宰相さんに向かって言った。
「とはいえ、憂患の元を立たねばまたあのように押しかけてくる者が出ましょうな」
え、それって宰相さんへの当てつけだよね!? すごく嫌味っぽいよ、まずくない!?
だって『なぜ神子を外に出さないか』云々の問いに宰相さんがあの人たちに返した言葉は『それを言う手順が悪い』って内容で、完全に論点のすり替えだったもんな。つまり宰相さんにとってそこは突っ込まれたくないところだったということで……。
果たして宰相さんはどう返してくるか、と戦々恐々としていると――――
「……で、あろうな」
………………え? それだけ?
そこから続いた沈黙に「ん? 終わった?」と思わず顔を上げると、宰相さんとダルガートが二人して僕を見下ろしていた。え、な、なに? 僕がどうかしたのか? と思ってふと我に返った。
そうだ、あの人たち神子がどうとか言ってたじゃないか。なのに僕が関係ないわけないよね?
僕がギクシャクと宰相さんの方を見ると、宰相さんはものすごく整った涼し気な美貌のまま、ふと口を開いた。
「……今は時が悪い」
そしてダルガートを見る。するとダルガートも宰相さんが何を言いたいのかわかっているのか、同じ顔で「左様にございますな」と答えた。
え? あれ? なんかすごく普通? 例の宴の後に出くわした時はサイードさんが間に入るまで延々嫌味の応酬みたいな会話を続けていたのに……。
思わずポカンとしていると、宰相さんがふと向き直って僕に言った。
「神子殿。鍛錬の後でお疲れとは思いますが、後でお時間を頂けますか」
「え? あ、はい。大丈夫です」
「では昼餐の後に。アドリーを迎えに行かせます」
そう言って目礼すると、どうやら宰相さんをせかしに来たらしい文官たちを引き連れて足早に去って行った。多分、めちゃくちゃ忙しいんだろうな。
さっきの騒動には驚いたけど、宰相さんとダルガートがたまたまここに来てくれて本当に運が良かったと思う。
やっと静かになって、僕はため息をついてようやく肩の力を抜いた。
「大事ござらぬか」
「うん、ありがとう」
宰相さんがいないからか、さっきよりほんの少し柔らかいように聞こえなくもない声でダルガートが言う。それに頷くと、ダルガートは槍を持ち直して「部屋までお送り致す」と言ってくれた。
鍛錬後の恰好なのでコソコソ裏の通路を通って部屋に戻ると、ウルドが出迎えてくれた。
「お帰りなさいませ、神子様。湯浴みの支度ができております」
「ありがとう」
そこでダルガートが立ち去ろうとしたのに、つい袖を掴んでしまう。
「あ、ごめん。まだ仕事中だもんね」
慌てて手を離して謝った。だって、そう、仕事中だし、ウルドや他の傍仕えの人たちがいるのにそうベタベタできないしね。
でもこんな風に日中にばったり会って話したりできるのって本当にめったにないことだから、つい名残惜しくなってしまった。
「ええと、送ってくれてありがとう」
そう言うと、ダルガートが「お気になさらず」と答える。そしてドアを閉めようとして、僕の不意を突くように突然手をとって口づけた。
「では」
あの黒い目をほんの一瞬、悪戯っぽく光らせて、ダルガートが去って行った。あまりにも突然、かつウルドたちの視線が気になって固まっている僕を放り出して。
い、いや、だって今のってどうなの!? この世界的にはギリギリセーフって感じなの!?
そりゃあウルドは僕とダルガートとサイードさんがどういう関係なのかって知らないはずがない。だって事の最中、いつも寝台の傍に控えてるらしいし。
僕は恥ずかしくてできるだけ意識しないようにしてるけど、真っ最中にサイードさんやダルガートがベールの外に声をかけて飲み物を持ってこさせたり、前なんて香油の追加を頼んだりしてたもんな……。
かと言って、例えウルドの前でもこんな白昼堂々目の前でいちゃつくつもりはないし、外で少しでも関係を匂わせるようなことをするつもりもない。ないんだってば。
でも今の手の甲へのキスはどうなんだろう。昔のヨーロッパとかじゃ偉い人への挨拶みたいなもんだったような気もするし、本当にギリ大丈夫な感じなのかな……? 怖くて聞けない。
すると僕のそんな煩悶に気づいているのかいないのか、ウルドが例の『頼れるお兄さん』みたいな笑顔で「湯浴みをお手伝いいたします」と言った。
「…………うん、お願い…………」
そう、このままスルーだ。それしかない。
そして僕は今度は宰相さんの話がなんなのか、またぐるぐるしつつ汗を流して昼ごはんを食べた。
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