僕らの沙汰は何次第?

堀口光

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3 桐島園加と肝試し

第9話

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「どうした? なんかすっげー疲れてんな、お前」 

 朝っぱらから机に突っ伏している僕の頭上から、辻矢の呑気な声が聞こえる。しかし、今の僕には、顔を上げる元気さえ残されてはいない。 

「ああ、そうだね……ふふふ……」 
「……そ、そうか」 

 自分でも驚くほど低い声で答えた僕に、辻矢は少し引き気味な様子で頷いた。多分、僕を取り囲んでいる負のオーラに気がついたのだろう。前方から、椅子を前に引く音がするのがわかる。 

 昨日の夜は、結局一晩中姉さんの映画鑑賞に付き合わされた。既に二回も味わった恐怖を、なぜか家で、ましてや真夜中に見らされるという拷問。姉さんは姉さんで、僕が顔を背けようとすると、がっちりと抑え込んで無理やりにでも見させるし、あのDVD、映像特典とかで、まさかの映画よりもう一時間長かったし、そっちの方が本編より数倍怖かったしと、昨晩は悪夢と呼ぶに相応しい夜だった。さらに、恐怖を少しでも和らげようと食べ続けていたハヤシライスのせいで、今朝起きた時のお腹の状態まで最悪という追い打ち。今もまだ腹痛が残っている。 

「何朝からくたばってんの、あんた?」 

 もうしばらく映画は見ないと固く心に誓っていると、そんな村雨の声が横から聞こえてきた。言葉の調子から、腕を組みながら眉を潜めてこちらを見ている彼女の姿が容易に想像できる。

「辻矢君、こいつ、どうしたの?」 
「まあ、そっとしといてやりなよ。そうとう病んでるみたいだから」 
「へえ、この馬鹿が病むこともあるんだ。珍しいわね」 

 周囲から聞こえてくる勝手な世間話に耐えられずに、僕はがばっと起きて、すぐ横の村雨に目を向ける。彼女は僕の想像通りの体勢でそこに立っていた。 

「お前らな、本人を目の前にして何を言うか」 
「本人の目の前だからこそじゃない。ちゃんと自分は馬鹿だって認識させないと駄目なの」  
「誰が馬鹿だ」 
「だからあんたよ、あんた」 

 憎らしい笑みを浮かべて僕の方を指差す彼女。その姿は、どこか楽しそうにさえ見える。僕はなんとなく反論するのが馬鹿らしくなってきて前を見ると、辻矢がにやにやした表情でこちらを眺めていた。村雨のとはまた違った憎らしさが滲んでいる。 

「相変わらずだねえ、お前らも」 

 そう言って席を立ち、短く「トイレ」とだけ残して彼は教室から出て行った。 

 辻矢の意味深な言葉に首を捻りながら、頬杖をついて視線を横に戻すと、先ほどの体勢のまま村雨が僕の方をじっと見つめている。何かを考えているような表情だ。 

「どうした? なんか顔についてる?」 
「……べ、別に何でもないわよ。いつものアホ面だから気にしないで」 

 慌てて取り繕う村雨であるが、全然フォローになっていないことに気づいているのだろうか。いや、こいつの場合は、気づいててわざとやっている可能性の方が圧倒的に高い。そういう奴だ。

 ごほんと咳を一回して、ところで、と彼女は切り出した。 

「あんた、何でそんなに疲れてんの?」 
「ああ、それが聞いてくれよ。実は昨日の夜さ……」 
「あ、やっぱりそんなに興味ないから別にいいわ」 
「……お前な……」  

 僕の苦労話は、出だしさえ話せずに一蹴された。もはや、村雨の僕に対するあしらい方が達人級である。自分から訊いてきたくせに、という真っ当な突っ込みをいれたくらいでは、彼女はびくともしないだろう。長年の経験からある程度それがわかっている僕は少し手工を変えて、逆に質問で返すことにしてみた。 

「そういえば、そっちこそ、何で昨日はあんなに怒ってたんだ?」 

 その言葉に、今まで勝ち誇っていたような彼女の表情が一瞬で固まった。みるみる内に変化していく。その顔には、明らかに怒りが籠っているのが目に見えた。 

「それは、あんたのせいで……」 
「悪い、やっぱ別に興味ないや」 

  渾身のしてやったり顔でそう言い放ってやる僕。うん、実に爽快だ。なんせ、今まで一方的にやられっぱなしだったのだから、このくらいのささやかな仕返しも時々してやらないと、こちらとしても割に合わない。
 
 一方の村雨は、いつの間にか表情が、ものすごく不気味な笑顔に変わっていた。といっても、その笑みからは楽しいという感情は一切読み取れず、どちらかと言うと何かの怨念のような雰囲気が漂っている気がする。きっと、子供が見たら泣き出すくらいの迫力はあると思う。 

「へえ、零も偉くなったもんじゃない。私に向かって、そんなことが出来るとはね……」 

 今にも暴走しだすのではないかとさえ思えるほど、その怒りは溢れ出していた。ゴゴゴ、みたいな効果音が似合いそうだな、などと呑気なことを考えている場合ではないくらいに、村雨の周りを取り巻く空気は重苦しい。どうやら僕は、彼女の逆鱗に触れてしまったらしい。

 反射的に謝ろうとする僕だったが、よく考えると、今僕が村雨に対してやったことは、いつも僕が彼女から日常的にやられていることではないかと気づく。だとしたら、彼女が僕に対してキレるのは、相当な理不尽ではないか。そうだ、僕だって、いつまでも村雨の尻に敷かれているわけにはいかない。ここらで僕も反撃をするべきではないか――。 

「十秒以内に土下座。十、九」 
「すいませんでした」 

 なんて僕の密かな野望は、およそ二秒で脆くも崩れ去った。結局、僕はいつまでたっても村雨には勝てないようだ。ふんと腕組みをしながらこちらを見下ろす彼女と、完璧なまでの土下座で対応する僕の関係は、傍から見るとどう見えているのだろうか。少なくとも、友達と呼ぶには無理があるような気がする。

「あ、あの……」 

 突如、村雨とは違う女子の声が頭の上から聞こえてきた。はっとして顔を上げると、このクラスの委員長である坂倉凛子が、引きつった笑顔で僕を見ている。なぜか、今にも泣きだすのではと思えるくらいに悲しそうな目つきだ。今この状況からすれば、一番泣きたいのは僕の方だろう。
 
 とりあえず僕はそのままの姿勢で、無理に笑顔を作ってみた。現状に対する、精一杯の抵抗である。 

「……いつからそこに?」 
「えっと、辻矢君が席を立った時くらい、です」 
「あ、そう……」 

 ということは、僕の土下座までの一部始終はばっちり見られていたということか。なら、話は早い。僕が理不尽に土下座を強いられているということを、坂倉もしっかりわかってくれていることだろう。 

「ま。まさか、城山君と雫が、そんな関係だったなんて……」 
「はいそこ、ちょっと待った」 

 自分でも驚くほどの素早さで立ち上がった。一体、どこをどう見れば、そんな解釈が生まれるのだろうか。そもそも、今、彼女の頭の中では僕と村雨の関係はどのようになっているんだ。 

 そんな心配を抱きながら坂倉を見ると、彼女はぎこちない笑顔のまま、数秒僕の目を見つめて、突然はっとしたように顔を伏せた。 

「え、えっと、冗談、です。ち、ちょっと、からかってみました」 

 そう言って、坂倉は恐る恐る顔を上げて、ぺろっと舌を一瞬出してみせた。よくある、悪戯を謝るときのジェスチャーであるが、まさか実際にやる人間がいるとは思わなかった。彼女もやはり恥ずかしいのか、頬が少し赤いように見える

 状況がよく飲み込めない僕だったが、とりあえず誤解はされていないようだったので、僕も笑顔で返しておいた。坂倉の、この手のよくわからない冗談は、既に幾度か体験済みなので、いまさら咎めるほどのことでもない。 

 坂倉凛子は、肩にかからないくらいに短い髪、僕より頭一つ分低い身長で、十分に幼顔なのだが、見た目的には村雨より多少大人びている。それでも、背伸びをしている中学生くらいの印象ではあるが。 

 前にも話したように、彼女は極度の恥ずかしがり屋である。しかし、恥ずかしくて何もできない、というわけではなく、彼女は自分から何かをやった後に、自分で恥ずかしがるのだ。意外と行動は大胆なものが多く、見ているこっちが赤面したくなるようなことまでやりだすことが多々あるから、本人の恥ずかしさは相当なものだろう。ちなみに、彼女が委員長になったのも自らの意思だ。 

 その幼い性格や小動物のようにおどおどとした雰囲気から、是非とも自分が守ってやりたいと坂倉を狙う輩は中々多い。その半面、彼女に何かアクションを起こす者はあまりいないようだ。恋愛対象と言うより、クラスのアイドルのような扱われ方をされている気がする。 

「……で、何の用なの、凛子?」 

 その声に視線を向けると、村雨が不機嫌そうに僕たち二人を睨んでいた。どうやら今度の怒りは坂倉に向いているようである。 

 坂倉はきょとんとした顔で村雨を数秒見つめて、首を傾げた。 

「雫……いつから、そこに?」 
「そうかそうか、そんなに怒られたいか、凛子ちゃんは」 

 拳を振り上げる村雨の様子を、坂倉は笑いながら眺めている。村雨も、坂倉の言葉が冗談だと分かっているのか、すぐに腕を下ろして笑った。僕が冗談を言ってみた時との対応とは大違いだ。しかし、もはや今更すぎる悩みなので考えないことにする。

 坂倉と僕たちは、去年から同じクラスだった。村雨とはすぐに仲良くなったようで、入学して間もなく僕の前に村雨が彼女を引き連れてきたことを覚えている。第一印象は今とほとんど同じで、おとなしい子だな、と思った程度だ。それから、村雨の仲介の下、なんとなく会話する機会が多くなり、現在のような関係に至っているというわけである。 

「で、結局、用は何なの?」 

 冗談ばかり言っている坂倉に僕が話を促すと、彼女は思い出したように手をぽんと叩いて、近くの席に置いてあったプリントを手に取った。僕と村雨に一枚ずつ配る。 

 パソコンで書かれた文字。一番上の行には、大きなフォントで『肝試しツアーの要項』とあった。 
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