もふもふメイドは魔王の溺愛に気づかない

美雨音ハル

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第1章 魔王ラグナル(脱力中)

新しい生活

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 ショコラの新しい生活が始まった。
 最初は慣れないことも多くて戸惑うこともあったが、二、三日経つと、だんだん慣れてきた。
 
 朝、目が醒めると、まず顔を洗って、歯を磨いて、お仕着せを着る。
 そしてキッチンへ向かうと、朝食を作っているリリィを手伝うのだ。
 リリィは何もしなくていいというが、そういうわけにはいかない。
 実のところ、ショコラは孤児院で一度も料理をしたことがなかった。
 人間たちが、獣人が調理するのを嫌がったためだ。
 だからキッチンでも、とても清潔に気を配って、食器洗いなどを手伝った。

「ショコラさんはなんていい子なんでしょう」

 リリィにそう言われるたび、ショコラはしっぽを振って喜んだ。
 リリィもショコラが「いい子」と呼ばれて頭を撫でられるとかなり喜ぶことに気づいて、できるだけそう褒めるようにしていた。

 朝食はリリィとシュロの三人でとる。
 ラグナルは昼まで寝ているからだ。
 誰かと食事をとるなんてことは久しぶりで少し緊張したものの、朝食時間はごく穏やかに過ぎていき、ショコラはこの時間が大好きになっていた。

 朝は『テレビ』というものをつける。これも魔道具らしく、ショコラは薄い画面に人が映っているを見て仰天していたが、驚きよりも面白さが強くなってきて、テレビがつくとついついそちらに視線を向けてしまう。

 魔界ニュースや朝の連続テレビドラマなど、文字が読めないショコラにとって、音声と動画で事情を説明してくれるのは、革命的だった。ショコラは人間界でずっと暮らしていて、魔界のことを本当に何も知らなかった。だからまるで未来に来てしまったみたいだと思っている。

「あらあら、こぼれていますよ」

「はっ」

 テレビを見ていると、注意がそれて、ショコラはよくごはんをこぼしてしまうのだった。

 朝食を食べて、後片付けをして、館の掃除を手伝ったあとは、いよいよショコラの仕事が始まる。
 ラグナルの寝室へ入ると、閉じられていたカーテンをシャアっと開くのである。そしてベッドですうすうと眠るラグナルを、心を鬼にして起こす。
 ショコラの仕事の中で一、二を争う大変な作業である。

「ご主人様、おはようございます。もうすぐお昼です。お寝坊さんはダメですよ」

「……」

「今日はお昼からお仕事があるってシュロさんに聞きました。チェックしないといけない書類がたまってるって」

「うう……」

「ご主人様、起きてください!」

 そう言いながら、毛布をラグナルから引っぺがそうとする。
 リリィに教わった方法だ。
 寒くなると自然に目が覚めるらしい。

「やだ……」

「ダメですー!」

 毛布の引っ張り合いになる。

「ショコラ……?」

 しばらく格闘したあと、ようやくラグナルは目を覚ますのだ。
 ラグナルは『低血圧』という朝起きにくい体質らしい。
 子供のようにぐずるのが本当に大変なのだと、リリィが文句を言っていた。

「寒い……」

「じゃあお着替えしましょう。今日の朝ごはん……兼昼ごはんのデザートは、なんとリリィさんが焼いた美味しいカップケーキもあります」

「カップケーキ」

「カップケーキですご主人様」

 ラグナルは甘いものが好きらしい。
 毛布を引っぺがして甘いもので釣る。
 これがラグナルを起こす最善の方法だ。

(図書室にいたときは、もうちょっと大人っぽかったのに……やっぱりご主人様は変な人かも……)

 髪をぴょこぴょこ跳ねさせたラグナルは、ようやくもぞもぞと起き上がったのだった。

 ◆
 
「スプーンもフォークも持てない」

「ま、またですかご主人様!?」

 ワゴンに朝食兼昼食を用意し、テーブルに並べていたショコラは、ぎょっとしてしまった。
 ラグナルは子どものようにショコラのエプロンを引っ張る。

「ねえ、昨日みたいにして」

「え、ええっと……」

(エプロンを引っ張る力はあるのに!)

 ショコラは眉を寄せて、仕方がないので椅子をラグナルの隣に持ってくる。
 ラグナルはときどきおかしな病気を発病してしまうのだ。
 病名はズバリ「スプーンもフォークも持てない病」である。

「はい、あーんしてください、ご主人様」

 ショコラはタコさんウィンナーをフォークに突き刺して、ラグナルの口へと運ぶ。それでようやくラグナルは食事を開始するのだった。

「おいしいです?」

「うん」

 側から見れば恋人っぽくみえるのだが、ショコラは雛鳥にエサをやる親鳥の気分だった。
 それでもこれがショコラの仕事なので、一生懸命給餌する。
 ラグナルがとても幸せそうな顔をしていることに、ショコラはまだ気づいていない。

 ◆

「ラグナル様、今日はサインしていただかなければいけない書類がたまっておりますので、そちらの処理を」

 ショコラはこの館に来て初めて、ラグナルが仕事らしい仕事をしているのを見た。
 シュロがそばについて、ラグナルにあれこれと説明している。その間、ショコラはやることもないだろうとせっせと部屋の掃除をしようとするのだが、シュロにそばにいてほしいと頼まれたので、なぜかラグナルのそばにいる。

 シュロによるとラグナルは油断すると溶けてしまうので、仕事中はずっと見張っておかなければならないらしい。
 昨日までは特に仕事もなく、一緒に庭で花を植えたりしていたので、こうして仕事机に向き合っているラグナルを見るのは新鮮だった。

「うーん……」

「がんばってください、ラグナル様。このじいが応援しておりますぞ」

 ラグナルはなかなか仕事を始めなかった。

「ショコラさん、応援を」

「えっ?」

(お、応援って何!?)

 ぎょっとするショコラに、シュロが説明してくれる。

「ラグナル様は応援しないと、仕事ができないのです」

「ええーっ!?」

 スプーンもフォークも持てない病に続き、応援してくれないと働けない病を発病してしまったようだ。
 ショコラは戸惑いながらも、小さな声で言ってみた。

「えーっと、がんばって……ください?」

 ぴく、とラグナルの手がペンに伸びた。
 それを見たショコラはハッとして、声を大きくする。

「が、がんばってください、ご主人様!」

 ショコラが力んでそう言うと、ようやくラグナルはノロノロとペンを動かし始めた。
 視線を動かして、内容を確認したあと、ゆっくりとサインする。
 サインが終わると、腕が止まる。
 溶けそうになる。

「ささ、ショコラさん、応援を!」

「は、はいっ!」

 ショコラはシュロと一緒に、応援を始めた。
 なんとかラグナルも書類を確認しては、サインをしていく。
 シュロと一緒に応援し続けて、最後の方はショコラは自分が何をやっているのかわからなくなってきていた。

「フレッフレッご主人様! 頑張れ頑張れご主人様!」

「これが終わればお昼寝できますぞ~!」

 元魔王になんてことをしているのかと、ショコラは一瞬真顔になりそうになったが、冷静になったら負けな気がして、必死に応援を続けた。その甲斐あってか、ラグナルは全ての書類にサインを終えたようだった。

「これはダメ。返しといて」

「はい」

 一つだけ許可できない案件があったようで、ふるふると首を振っていた。

(ちゃんと見てるんだ……)

 ショコラは妙に感心してしまった。
 当たり前だが、一つ一つ内容は確認しているようだった。

「お疲れさまです、ご主人様」

 一時間以上応援し続けて、ショコラも息が上がっていた。
 だがそれ以上にラグナルは机の上で溶けきっていた。

「僕、死んじゃう……」

「ほっほっほ、カップケーキのあまりがありますぞ。お庭でお茶でもするのはどうでしょう?」

 シュロが楽しそうな提案をすると、なぜかラグナルはみるみる元気になる。

「お茶する」

 心なしか、目がキラキラしているような気がする。

「はいはい。じゃあ準備をしましょうか」

 ショコラはシュロの服をそっとつまんだ。

「シュロさん、私がやります。シュロさんは休んでいてください」

 あのきつい応援はきっと老体にこたえただろう。
 こんな大変な思いを今までしていたのかと思うと、ショコラはシュロを気遣わずにはいられなかった。

「おや、そうですか?」

「はい。シュロさんはゆっくりしていてください。応援は大変疲れましたから」

「おお、それはありがたい。本当にショコラさんはよくできた嫁……うぉっほん間違えた……ではあとは若いお二人で」

 シュロはありがとうございます、と深々とお辞儀をすると、書類を持って部屋を出て行った。

「?」

(今よめとかなんとか言わなかった?)

 何か変な言葉を言いかけていたような気もするのだが、気のせいだったのかもしれない。
 ショコラもラグナルのために、お茶の準備を始めることにした。
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