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第3章 赤髪のルーチェ、襲来

ラグナルとルーチェ

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 目の前で、真紅のワイバーンが唸り声をあげている。
 腰を抜かしたショコラは、それをあわあわと見上げていた。
 そばにいたルーチェが、高笑いしながらワイバーンに命令する。
 食べておしまい! と。
 ショコラは悲鳴を上げた。
 大きな口が、ショコラに襲い掛かった。

 ◆

「う、うーん、ワイバーンが……」

 ショコラはベッドの上で叫んだ。

「ワイバーン!!!」

 広い部屋に、ショコラの声が響く。
 ショコラはその声で目が覚めて、飛び起きた。

「……?」

 息を荒くして、周りを見る。
 しばらく状況が理解できなくて、心臓がばくばくしていた。
 けれどベッドに腕をついて、ショコラを見つめるラグナルの姿を目にして、ショコラはきょとんとしてしまった。

「ワイバーンが、何?」

 こてん、とラグナルが首をかしげた。

「ご、ご主人様……?」

 ショコラは一体これはどういう状況なのか、と混乱してしまった。

 ◆

「それで、僕がおすわりって言ったら、素直にしたよ」

「え、え~? 本当ですか?」

「本当だよ」

 ショコラは疑心暗鬼にラグナルを見た。
 ラグナルの説明は、さっきからなんだか嘘っぽい。

(だって、あんなに暴れていたワイバーンが、そんな一言で、しかもこんなゆるゆるなご主人様に従うかなぁ?)

 ラグナルは先ほどリリィが用意したクッキーをもしゃもしゃと食べていた。クッキーの食べすかすを頬につけているその姿からは、想像もできない。

「まあ、助かったから別になんでもいいんだけどさ」

「そ、そうですね……」

 ショコラはそっと、包帯の巻かれた頭に指を触れた。
 どうやら、大きなたんこぶができているらしく、またエルフ印の湿布のようなものを張っているのだ。

「そういえば、気を失う前に指輪が暖かくなった気がしたんですけど……」

「ああ、うん。その指輪。君の居場所がわかるやつだから」

「ええっ? そうなんですか?」

「うん。その指輪があるなら、僕はそこに一瞬で移動できる」

「えええ!」

(す、すごい!)

 そんなことができるのか、とショコラは感心してしまった。

(さ、さすが魔王様!)

 ショコラが感心していると、ラグナルはぽつりと言った。

「ごめんね」

「……え?」

「僕があの子を放っておいたから、こんなことになっちゃった」

「あ、ルーチェさんのことですか?」

「うん」

 ラグナルはショコラに、自分がルーチェとどんな関係なのかを説明した。
 ルーチェはこの大陸で一番歴史がある公爵家の長女なこと。そして彼女が幼い頃は、自分とルーチェが結婚するという噂があったことなど。

 ルーチェはラグナルの近くにいる女を、目の敵のようにして必ず嫌がらせをするらしい。あの手紙もマフィンも、全部彼女の嫌がらせだったのだ。
 ショコラはちょっと悲しかった。
 手紙もマフィンも、全部嫌がらせで、おまけにマフィンには超強力な下剤が入っていたなんて。

(ショコラのお腹、強すぎます)

 がっくりとショコラは首を垂らしたのだった。

「僕とルーチェは結婚しないから。そもそも別に約束もしてないし、周りがそうすすめてきただけ」

「へ、へえ、そうなんですか」

(やっぱり、偉い人は大変なんだなぁ)

「ルーチェはあんな性格だから……」

 そう言ってラグナルは言葉を濁した。何か大変な思い出でもあったらしい。
 ショコラはなんとなく、ラグナルの苦労を悟った。

(あの強烈な性格だと、確かにのほほんとしたご主人様には合わないかも……)

 そう思って苦笑する。

「それで、あの子のことなんだけど」

「はい?」

「君に決めてもらおうと思って……」

 何を、という前に、庭から壮絶なルーチェの悲鳴が聞こえてきた。

 ◆

「やめなさいよぉーっっ! このひとでなし!!!」

「ひとでなしはどっちだテメェ! ぶっころすぞ!」

「いやぁーっ!!!」

 ショコラがラグナルと連れ立って庭に降りると、そこでヤマトとルーチェがもめていた。その後ろの木には、チビが鎖で繋がれていた。
 ヤマトはなぜか、鉈のようなものを持っている。

「こっちは死にかけたんだ。ぜってェ鍋にしてやるからな!」

「人の大切なペットに、どうしてそんな非常なことができるのよ!」

「だったら人を襲わないようにちゃんと躾けておけよアホ女!」

「アホ女じゃないわよ!!」

 ぎゃんぎゃん吠えあっている二人を見て、ショコラは眉を寄せる。

「あの二人、何やってるんですか?」

「……明日の晩御飯の論争」

 ショコラはいぶかしげな顔になった。

「晩ごはんって……」

「ワイバーンの寄せ鍋にしようと思うんだけど」

「!?」

 ショコラはぎょっとしてしまった。

「それをエルフの里で振る舞おうと思って」

「ちょ、ご主人様、それは……」

「君はどうしたい?」

 そう話を振られたところで、ルーチェがこっちに気づいた。

「あ、ちょっとラグ! お願い、こんなことやめさせてよ! 動物愛護団体にちくるわよ!」

「……僕が骨まで食べて証拠隠滅してあげるから大丈夫だよ」

「だいじょばないわよー!!!」

 ついにルーチェはわんわんと泣き出した。

「うっ……ち、チビは、あたしがっ! あたしが腕に抱けるくらいのおチビのときから……この子って決めて……うぅっ……ぶひっ……ひきとった、子なの……ぷぎゅっ……」

 号泣しながら訴えてくるルーチェを見て、ショコラは憐れに思ってしまった。
 チビはおとなしく、木のそばで寝そべって寝ている。

「チビは……おチビでどんくさかったからチビなの……っ! 食べないでェ……うわぁん……っ!」

 ルーチェはチビにとりすがって泣いていた。

「どうする、ショコラ。こういってるけど」

「えっ?」

「僕は罰として、寄せ鍋にするのがいいと思うんだけど」

「俺もだぜ」

「まあ、二対一で、いまのところ寄せ鍋なんだけど、君の票次第かな」

 ショコラは慌てて首を振った。

「かわいそうです、ショコラは嫌です……」

 涙でべしょべしょになった顔のルーチェを見ながら、ショコラは言った。

「もうひどいことしないなら、いいです。それにそんな食べにくいお鍋なんて嫌です……」

 ルーチェはぱちりと瞬きをした。

「……そう」

 ラグナルは反対も賛成もせず、頷くと、ルーチェに近づいて言った。

「ショコラがああ言ってるけど、僕はまだ許してない」

「っそ、そんな」

「ちゃんと謝って」

「っ」

「ヤマトとショコラに、ちゃんと謝って」

 そういうと、ルーチェはしばらく黙っていたが、涙を拭いて言った。

「うっ……わ、わるかったわよぉ」

「もう二度としない?」

「う、うん……」

「ちゃんとワイバーンのしつけ教室にもいく?」

「いくわっ!」

「……そう」

 ラグナルは頷くと、ヤマトとショコラを見た。

「こういってるけど。これで許してくれる?」

 ヤマトは盛大に舌打ちして、何も言わなかった。
 ショコラはこくんと頷いて、ルーチェの謝罪を受け入れた。

「だって。よかったね、ルーチェ」

「ふぐ……うぇえんっ」

 ルーチェは鼻水を垂らしながら、泣いていたのだった。

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