優しい鎮魂

天汐香弓

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お腹の空いた女の子

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「はー」
駅の改札を降りて今日から住むことになる街の景色を見て俺、不破新は大きく息を吐いた。
優秀な兄、数が家族の期待を背負い地元の国立大学へと進んだ影で、塾など行ったことのない俺は平凡に高校時代を過ごし、両親から逃げるため平凡な地方の大学を受けて合格した。
兄に比べランクが低い大学だったこともあり親から罵声を食らったが、それも聞くのは最後だと思って地方の大学を受けたのだから。

部屋は流行り病のこともあり、リモートで案内され決めたアパートに向かう。キャリーバックを引いてスマホのマップを見ながらアパートへと向かった。

「ここか……」
駅前の不動産屋で鍵を受け取り、そこから十五分ほど歩くとアパートに到着した。
「えっと、13号室っと」
鍵を開けるとキャリーバックを置いて部屋を見回す。
「電気も冷蔵庫もついてるし、後は3時に荷物が届くから……」
ブレーカーを上げて電化製品をチェックすると、スマートフォンで近所の店を調べてウエットティッシュと鍋とラーメンを買ってきて床を拭き、布団と荷物を受け取るまでの間に高校時代の友達に電話をした。
「礼二?今いい?」
『新か。引っ越し終わった?』
「今、荷物待ち」
『13号室、何かあった?』
俺の新居が13号室だと知ってからかってきたひとりだ。
俺が見える体質なのも知っていて、幽霊に遭遇したら教えろよなと言って見送ってくれた。
「特にないかな?床に血の痕もないし」
『押し入れは?』
「開いてるけど特に何もないかな?」
『なんだよつまんないなー』
「あはは。そういうことだから。また電話する」
笑いながら電話を切ると窓を開けた。
日差しが気持ちいいほど降り注いでいて、いいところに引っ越してきたと思う。
チャイムの音に慌ててドアを開けると業者で布団とローテーブルを運んでもらい、礼を言うと布団を敷いて大の字になってスマートフォンを開いた。

夕方になりラーメンを食べてシャワーを浴びると電気を消してスマートフォンを開いた。
『あの……』
不意に聞こえてきた声に視線を声のした方に向けると、中学生ぐらいの可愛い女の子が立っていた。
「え……あ、ご、ごめん!」
アングル的に下着が見えそうで、慌てて飛び退くと女の子がにっこりと笑った。
『お兄ちゃんは生きてる人なんだね』
「生きてるって……」
そう言われれば女の子の輪郭はなんだか薄いような気がした。
『あのね、ここは私のようなのが通る道なの』
「えっ?」
幽霊の出る部屋なのか?そう身構えた俺に女の子がさみしげな笑顔を向けた。
『この部屋の前は高い塔の展望台にいたわ。そこから歩き出したらお兄ちゃんの部屋に来たの』
「それってもしかしたら霊道、かもしれない」
咄嗟にそう口をついて出た言葉に俺自身がびっくりしていた。
『レイドウ?』
首を傾けた女の子にスマートフォンに文字を打って見せた。
「君たちのように天国に行く前の霊が通るんだよ」
安心させようと、いや俺がこの子は悪い霊じゃないからと安心したくてそう言うと、女の子の表情が曇った。
『私、いい子じゃないから、また朝になって動けなくなるのかもしれない』
さめざめと泣き出した女の子に俺は途方に暮れるしかなかった。
「泣くなよ俺が話を聞いてやるよ」
あぐらをかき座りなおすと女の子を見上げた。
「俺は新。名前は?」
『ウメ』
「ウメ?珍しい名前だな」
『そう?ありふれた名前よ』
ウメはそう言ってクスッと笑った。
「それで?ウメはなんで死んだんだ?」
『んーー、私ね、皇紀2598年に14歳でお嫁に来たの』
「こうき?」
『やだ皇紀を言えないなんて非国民よ』
その言葉でウメが戦前の子なのだと気がついた。
「じゅ、14歳で結婚なんてすごいね」
『すごくないわ。食い扶持を減らすために後妻にやられたの』
肩を竦めるような仕草に本当に嫌々だったんだろうなと思う。
「好きじゃない人と結婚したんだね」
『お見合いもなかったのよ。酷いと思わない?』
腰に手を当てため息をついたウメが首を振った。
『しかもね、子どもを身ごもるまでよもぎ汁以外の食事は与えないってお義母様に言われて、毎日毎日葉っぱが1枚入ったお湯を飲みながら畑に出てたの』
「よもぎ汁って……道に生えてる草だろ?栄養ないじゃん」
『うん。本当はもっとふくよかだったのに、ね』
モデルのように細い手足を見ている女の子がなんだか可哀想に思えてきた。
『前のお嫁さんも子どもが産めなくて、弱って亡くなったって聞いてたからさ、早く産まなきゃって思うのに、旦那様に赤紙が来たの』
「えっ、じゃあ戦争に?」
俺の問いにウメが頷いた。
「それじゃ、ご飯は?」
首を振ったウメに俺は息を吐いた。
『食べさせてもらえなかったの。でもね、旦那様が出征して一週間ぐらい経った日にね、お義父様が布団に入ってきたの』
「え?」
ブルブルと震えているウメに手を伸ばしたがすり抜けていき慰めることが出来ない。
「怖かったな……」
『大根飯も芋も食わせてやるぞって言われて……気持ち悪かったけど耐えたの。そしたらね。その日から朝だけ大根飯が食べれるようになったのよ』
食事をさせてもらったことが嬉しかったらしい。ウメの喉が動いた。
『しばらくしてお腹に赤ちゃんがいることが分かったの。でも今度は食べ物の匂いで吐いちゃうんです。吐く私を見てお義母様が食べなくていいから寝てなさいって納屋に閉じ込められたんです……』
「え……」
『喉は渇くのにお水ももらえない。喉が渇いて、干からびて、私はお腹の子をこの世に出せないまま死んだんです。赤ちゃんを殺した……だから天国にはいけません』
お腹を撫ではらはらと泣くウメに俺は身を乗り出した。
「悪いのは食わせなかった奴らだよ。ウメのせいじゃない!お腹空いて、喉乾いて、辛かったな……」
『私の気持ち、わかる?』
「うん、俺もさ、兄がいて、兄はなんでももらえたけど、俺は食事も満足にもらえなくてさ……」
『そうなのね。同じね』
ふふっとウメが笑った。
「うん、笑った方が可愛い」
『え……?』
「ウメ、俺の時代に生きてたらきっとモテてたと思うよ。可愛いし」
『そうかしら』
「うん」
ウメの表情がゆっくりと晴れていく。
「それにしても、すごく若く結婚するんだね」
『私は六番目の子だったの。それに貧しかったから、嫁に出すと言って売られたのよ』
「売るなんて酷いな……」
親に酷い扱いは受けていたけれど、どこかに売りに出されるとかそう言うのはなかった。時代なのかもしれないけど、もしもウメと同じ時代に生きていたら俺もどこかに売られていたのだろう。
『あの頃はみんなそうだったの。運のいい子はいい家にもらわれて、子を産んで、家の嫁に認められて幸せに暮らすの。でも貧乏人は貧乏人として生きるしかないのよ』
「ほんの少し前なのに、そんな時代があったんだなって思うと、ウメにはもっといい時代に生まれて欲しいって思っちゃった」
思わずそう言うと、ウメがポロポロと泣きながらゆっくりと姿を消していく。
『生まれ変わったら、幸せになるわ』
そう言い残して
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