優しい鎮魂

天汐香弓

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神雷になれなかった男

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眩しさに目を覚ますと、ウメのことをはっきりと思い出した。
「リアルな夢だったな」
ボリボリと頭を掻き欠伸をするとうんと腕を伸ばす。エイプリルフール、今日は入学式だ。
クロゼットに掛けた衣紋掛けからワイシャツを羽織り、祖父のおさがりのスーツを着ると顔を洗って寝癖を直した。
「行くか」
13号室のドアを開け鍵を締めるとスマートフォンのマップを開き、学校への道を歩いていく。
十分ほどで大学に到着し、長い話を右から左へ流しながら椅子に置かれていた書類に目を通していく。
単位の登録方法、必要な本、健康診断の予定、諸々を頭に叩き込んでリュックに入れる頃には入学式も終わりかけで合唱部らしい男の人たちの歌を聞いて終わりになった。
兄の時は両親がウキウキとでかけて行って写真を居間に飾ってたな、なんて思いながら、まあ俺には関係ないかと思い直した。
それでも最初は物入りだろうからと小遣いをくれた祖父母には写真ぐらいと思い、会場の講堂を出て写真に収めると、祖父のラインに送った。
「さて、今日はラーメンに入れるモヤシ買って帰るかな」
マップを開き、スーパーを検索すると買い物へと向かった。
茹でたもやしを入れたラーメンで夕食を済ませ、明かりを消して友人とメッセージのやり取りをしていた時だった。
『あの……』
と頭上で男の声がして俺は飛び起きた。
「あんたも彷徨ってる人?」
昨日のウメのことは夢じゃなかったんだ。ようやくそう気づいて眼の前の男を見ると、カーキ色の服の腹と襟元が黒くなっていて、何より男が思い詰めた顔をしているのが心配になった。
「なあ、あんたのこと話して行かないか?」
『なんであなたに……』
「うーん、なんかすごく苦しそうな顔してるし、生きてたら友達に話せるだろうけど、死んだら話せないだろ?」
俺の言葉に男はキョトンとした顔になった。
『そう、ですね……聞いてもらおうかな……』
そう言うと男があぐらをかいて布団の向こうに腰を下ろした。
『俺は両親のお陰で大学に行かせてもらって政治の勉強をしてたんだ。戦争が始まって何年も経ってて、でも大学生は招集されなかったこともあって、勉学に勤しめた』
「大学、俺も今日入学したんです。楽しいですか?」
『集まって言論をかわすと取り締まられるからな。お互いの思想を仲間と語ることはなかったが、好きな本を読めて、好きなだけ勉強が出来て楽しかったよ』
「遊んだり、しないんですか?」
『遊ぶ?親が汗水流して入れてくれたのに遊ぶわけないだろう?』
「そうなんだ」
学費は出してもらったけど、後は祖父母頼りだった俺にはなんだか痛い話だった。
『だけど、とうとう大学生も出征が決まってな。俺は飛行機に乗ることになったんだ』
「あ、学校で習った!神風特攻隊!」
知っている話題だと気づいて前のめりになると男の顔が曇った。
『そうか、ちゃんと任務を果たした友はそう呼ばれているんだな……』
「お兄さんは違うの?」
『ああ、途中で不時着した。みんなお国のために散ったのに……』
「そうなんだ……」
なんて声をかけたらいいのか分からない。お国のためとかまるで生きているのが悪いような言い様に胸がざわついた。
『俺たちは操縦の仕方と突撃の仕方を習ったら、神雷になりて鬼畜米英の船へお国のために突撃し、靖国に行くんだ』
「靖国って靖国神社?」
『ああ。戦友たちは皆そこにいる。一死報国が俺たちのつとめなんだ』
「いっしほうこく?」
『もうそんな言葉、使わないんだな……』
苦く笑って男が天井を見上げた。
『靖国に行くことのない俺はずっとこの国の変化を見てきた。今、こんなに豊かなのは友の命のおかげだろう。だけど、俺は……』
「お兄さんが日本のことを思っていたことは俺には伝わるよ。死んだお友達と気持ちは一緒なんだよ。それに友達が生きていたら嬉しい……」
この人を肯定してあげたい。なんだか胸に不思議な使命感が湧いて膝の上で拳を握りしめた。
『ありがとう。そう言ってくれて。君が俺の上官だったら良かったのに』
「えっ、俺なんか」
『不時着して戻った俺に上官は切腹しろって言ったんだ』
「え……」
別に飛行機が飛ばなかったのはこの人のせいじゃないのに、なんでそんなことをさせるのかとあ然とした。
『生き恥を晒すな、今ここで切腹して仲間に詫びろって』
「恥って……そんな酷い!俺ならひとりでも生きてたらきっと嬉しいのに」
『本当に君はいい人だ。俺はその場で教官たちに夜まで蹴られて……、生きていることも、この蹴られてる状況も苦しくてもう死んでいいや、って切腹させてくださいって言って……ふらふらの状態で腹を切らされたけど痛いだけで死ねなくて』
腹の黒い染みは血なのか、と気づいて襟の黒い染みに目がいった。
『腹だけじゃ苦しくて、首を切ったけどそれでも死ねなくて息がヒューヒュー言うだけで……』
「それは苦しいですね……」
『はい。そんな俺を上官たちは死ぬまで蹴り続けたんですよ……』
「どうしてその上官は飛行機に乗らなかったんだろ?乗って、不時着してたらそいつ切腹したのかな?」
俺の言葉にポカンとしてた男の人がぷっと笑い出した。
『確かにそうですね。陸軍大臣もかの東条閣下も突撃しませんでしたしね』
「そうそう。偉い人って今の時代もそうだけどさ、上から文句言うだけなんだよね。だったらお前がやってみろって思うもん」
『分かります。軍隊はまさしくそれでした。飛行訓練の時にも偉そうな口ばかりで後は体罰でしたし』
「そういうところが変わらないのってなんでだろうね」
『きっと偉くなると、自分は特別だと思うのでしょうね。特別だから命を軽んじられる。そんな気がします』
さみしそうにそう言う男の人に俺は頷いた。
「お兄さん政治の勉強してたんだよね。きっとお兄さんが生きてたら、偉ぶる政治家も減っていたかもしれないね」
『そう言ってくれると嬉しいな。俺の頃は政治がまだ未熟で、民主主義に遠かったけれど、今の時代はなかなかに良さそうだからな』
「うん……俺は大学が楽しみ。友達作って、就職して、お金貯めて、それで自分の好きなことして過ごしたい。だからお兄さんには早く天国に行ってもらって、新しい世界で自由に生きて欲しいな」
『嬉しいことを言ってくれるな……』
「本当だよ。お兄さん、次はいっぱい勉強出来るといいね」
ゆっくりと男の人の輪郭が薄れていく。
「お兄さん、天国のお友達のところに行ってあげて。きっとみんなお兄さん待ってるよ」
『ああ、遅れてごめんって謝るよ』
にっこりと笑った男がすっと消えていった。
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