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齟齬
百九十.歓談の主従 其の二
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秀吉は背筋を伸ばし、顎を上げて、声を張る。
「然れば四つぅ。本願寺、毛利、長宗我部、そして紀州の輩にございまする。」
「ほほぉぉっ・・・、はっきり申すのぉ。」
秀吉は構わず続ける。
「まず本願寺にございますが、長年織田が彼らに苦しめられたことを皆様が忘れられぬことは承知しております。然れど、本願寺法主・光佐殿はそもそも戦を好まず、祭祀に専念したがる御人でありましてぇ、光佐殿から戦を煽るような輩を遠ざけさえすれば、われらと対峙することはございませぬ。この半年、わたくしめは本願寺と朝廷の間をうまく取り持ち、光佐殿が兵に号令を掛けられぬよう務めてまいりましたぁ。もはや現在となっては、本願寺が兵を上げることはないと確信しておりまするっ。」
雄利が感心する。
「それは素晴らしい。戦をすることなく、本願寺を大人しくさせるとはぁ・・・。」
秀吉は畏まって雄利に軽く会釈する。そして続ける。
「次に毛利ですが、彼らとの間の国分についてはほぼ決着がつきそうなところまで来ておりまする。しかし毛利は公方様をお抱えしているので、いつぞ心変わりするやも知れませぬ。そこで毛利が公方様を鬱陶しがっている現在のうちに、毛利の姫君と秀勝殿の縁組を結び、毛利を織田に取り込みたいと存じます。」
広間にいる秀吉以外の一同は皆、動揺する。信雄が問い質す。
「おいおいっ、勝手に然様な話を進めておったのかぁ・・・。」
「申し訳ございませぬ。秀勝殿は羽柴の養子ですので、この縁組は羽柴の話として進めてまいりました。しかし秀勝殿が大殿の御曹司であることは皆も承知のことっ。そこで御成婚の暁に秀勝殿を織田姓に戻せば、毛利も皆々様も悦ばれると察しまするがぁ・・・。」
「なるほどぉっ・・・、そういうことならばぁ・・・。」
一同は半分納得し、半分納得できていない。まるで狐につままれた感覚に陥り、唖然とするしかない。
「わたくしめはこの縁組を長らく密かに進めてまいりまして、皆様の耳にお入れするのは今日が初めてでございまする。何故ならばこの話は互いに慎重に進めなければならず、目処が経つまではお報せできぬと、これに関わりある者には口止めしておりましたぁ。」
信雄と雄利に目配せしながら重孝が愚痴を云う。
「そっ、それにしても大胆すぎますぞぉ・・・。」
「重ねてぇっ、申し訳ございませぬ。本来ならば秀勝殿が官位をいただいた時点で申すべきだったと悔いますが、その頃は信孝様もご存命でぇ・・・、信孝様のお耳に入って悪評を立てられることを恐れてしまいましたぁ。」
一同は驚くばかりであるが、俯瞰して見ると、皆が秀吉の口車に乗っている。
「確かに信孝様なら激怒しておっただろうなぁ・・・。」
「毛利と誼を結ぶことができれば、長宗我部を牽制することができ、やがて四国に攻め入るも叶いましょう。となると、残るは紀州の根来・雑賀の輩どもぉっ・・・。彼らは欲に塗れた連中故、まともな駆け引きなぞできず、力でねじ伏せるしかございませぬ・・・。信雄様っ、どうか紀州攻めをお許しいただきたく存じます。これが叶えば、信雄様に摂津と紀州を貰っていただき、大坂入城とともに、織田家督継承を宣誓していただきたく存じまする。もちろん朝廷には話をつけておきまする。そして直ちに毛利・秀勝殿の御成婚をお認めいただければ、織田は西国から尾張まで盤石な領を得ることが出来まするぅっ。」
信雄はもはや肩が震えている。
「わっ、わしに黙って然様な大事を画策しておったのかぁ・・・。」
「何度お詫びしても足りませぬ。ただこれだけの大事を書状にて御報せするわけにもいかずぅ・・・、早う直にお伝えせねばと思ぉておりましたがぁ・・・、ここ最近は信雄様と行き違いになるのが重なりぃ、ついぞ今頃になってしまいましてぇ・・・。本当にぃっ、本当にぃっ、申し訳ございませぬぅっ・・・。」
秀吉は額を床に密着させるほど平伏す。考えてみれば、近頃の秀吉と信雄のすれ違いは、信雄の方が秀吉を避けていた節が多い。そのことに気付き、後ろめたさを覚える信雄であるが、素直に秀吉を誉めることも叱ることもできない。雄利は信雄の表情をちらと見て、敢えて秀吉を質す。
「これまで斯様な御勝手をし続けておいて、今更然様な言い訳を信じることはできませぬ。何か証のようなものをお見せできませぬかぁっ。」
すると秀吉は恒興の方に顔を向ける。すると恒興は頷き、懐から書状と二つに折り畳まれた紙切れを取り出す。秀吉が返す。
「仰せのこと、御尤もにございまする。然れば今わたくしめが申したことを誓紙に認めてございまする。その内容に御異存なければ、今すぐこれに血判を押し、信雄様誼の寺社に御奉納させていただきたく存じます。また御所望であれば、これと同じものを内大臣様に御送りさせていただきまする。」
秀吉がそう云うと、恒興が腰低く雄利の元へ近寄り、誓紙と紙切れを渡す。雄利は先に誓紙の中身をじっくり確かめ、信雄に渡す。信雄が誓紙を確かめ始めると、雄利は紙切れを拡げながら尋ねようとする。
「この紙はぁ・・・、はっ、こっ、これはぁっ・・・。」
眼をかぁと開ききる雄利を、信雄も重孝も注視する。
「どうしたっ、何が書かれてあるっ・・・。」
「こっ、これにはぁ、北畠具親の居所が書かれてございまするぅ。」
「何ぃっ、筑前っ、これはどういうことだぁ・・・。」
「信雄様がわたくしめが北畠を匿っておると疑われておられると、一益殿より聞き及んでおりまする。実のところ、匿うなぞは誓って致しておりませぬが、居所を存じておることには違いありませぬ。いつの日か公方様と対峙するときに備えてと思っておりましたが、わたくしめにとっては信雄様に疑いを持たれることの方が心苦しゅうございまする。北畠はそこに書かれている処に隠れておりまする。信雄様の御領内の近くでございますので、煮るも焼くも信雄様のお好きにしてくださいませっ。」
秀吉はゆっくり深々と頭を下げる。秀吉を見下ろす信雄の震えは止まらず、眼が潤い始める。しばらくして信雄が雄利の方を向くと、雄利は穏やかな表情で一つ頷き返す。信雄の頭に先ほどの雄利の『蟠り』という言葉が響くと、信雄は秀吉に告げる。
「どうやらわしは筑前を大いに誤解していたようであったぁ。わしにも非があったことは認めよう。今ここに互いの『蟠り』は失せたぁ。筑前っ、これからもわしを、そして織田家をよろしく頼むぞぃ・・・。」
「然れば四つぅ。本願寺、毛利、長宗我部、そして紀州の輩にございまする。」
「ほほぉぉっ・・・、はっきり申すのぉ。」
秀吉は構わず続ける。
「まず本願寺にございますが、長年織田が彼らに苦しめられたことを皆様が忘れられぬことは承知しております。然れど、本願寺法主・光佐殿はそもそも戦を好まず、祭祀に専念したがる御人でありましてぇ、光佐殿から戦を煽るような輩を遠ざけさえすれば、われらと対峙することはございませぬ。この半年、わたくしめは本願寺と朝廷の間をうまく取り持ち、光佐殿が兵に号令を掛けられぬよう務めてまいりましたぁ。もはや現在となっては、本願寺が兵を上げることはないと確信しておりまするっ。」
雄利が感心する。
「それは素晴らしい。戦をすることなく、本願寺を大人しくさせるとはぁ・・・。」
秀吉は畏まって雄利に軽く会釈する。そして続ける。
「次に毛利ですが、彼らとの間の国分についてはほぼ決着がつきそうなところまで来ておりまする。しかし毛利は公方様をお抱えしているので、いつぞ心変わりするやも知れませぬ。そこで毛利が公方様を鬱陶しがっている現在のうちに、毛利の姫君と秀勝殿の縁組を結び、毛利を織田に取り込みたいと存じます。」
広間にいる秀吉以外の一同は皆、動揺する。信雄が問い質す。
「おいおいっ、勝手に然様な話を進めておったのかぁ・・・。」
「申し訳ございませぬ。秀勝殿は羽柴の養子ですので、この縁組は羽柴の話として進めてまいりました。しかし秀勝殿が大殿の御曹司であることは皆も承知のことっ。そこで御成婚の暁に秀勝殿を織田姓に戻せば、毛利も皆々様も悦ばれると察しまするがぁ・・・。」
「なるほどぉっ・・・、そういうことならばぁ・・・。」
一同は半分納得し、半分納得できていない。まるで狐につままれた感覚に陥り、唖然とするしかない。
「わたくしめはこの縁組を長らく密かに進めてまいりまして、皆様の耳にお入れするのは今日が初めてでございまする。何故ならばこの話は互いに慎重に進めなければならず、目処が経つまではお報せできぬと、これに関わりある者には口止めしておりましたぁ。」
信雄と雄利に目配せしながら重孝が愚痴を云う。
「そっ、それにしても大胆すぎますぞぉ・・・。」
「重ねてぇっ、申し訳ございませぬ。本来ならば秀勝殿が官位をいただいた時点で申すべきだったと悔いますが、その頃は信孝様もご存命でぇ・・・、信孝様のお耳に入って悪評を立てられることを恐れてしまいましたぁ。」
一同は驚くばかりであるが、俯瞰して見ると、皆が秀吉の口車に乗っている。
「確かに信孝様なら激怒しておっただろうなぁ・・・。」
「毛利と誼を結ぶことができれば、長宗我部を牽制することができ、やがて四国に攻め入るも叶いましょう。となると、残るは紀州の根来・雑賀の輩どもぉっ・・・。彼らは欲に塗れた連中故、まともな駆け引きなぞできず、力でねじ伏せるしかございませぬ・・・。信雄様っ、どうか紀州攻めをお許しいただきたく存じます。これが叶えば、信雄様に摂津と紀州を貰っていただき、大坂入城とともに、織田家督継承を宣誓していただきたく存じまする。もちろん朝廷には話をつけておきまする。そして直ちに毛利・秀勝殿の御成婚をお認めいただければ、織田は西国から尾張まで盤石な領を得ることが出来まするぅっ。」
信雄はもはや肩が震えている。
「わっ、わしに黙って然様な大事を画策しておったのかぁ・・・。」
「何度お詫びしても足りませぬ。ただこれだけの大事を書状にて御報せするわけにもいかずぅ・・・、早う直にお伝えせねばと思ぉておりましたがぁ・・・、ここ最近は信雄様と行き違いになるのが重なりぃ、ついぞ今頃になってしまいましてぇ・・・。本当にぃっ、本当にぃっ、申し訳ございませぬぅっ・・・。」
秀吉は額を床に密着させるほど平伏す。考えてみれば、近頃の秀吉と信雄のすれ違いは、信雄の方が秀吉を避けていた節が多い。そのことに気付き、後ろめたさを覚える信雄であるが、素直に秀吉を誉めることも叱ることもできない。雄利は信雄の表情をちらと見て、敢えて秀吉を質す。
「これまで斯様な御勝手をし続けておいて、今更然様な言い訳を信じることはできませぬ。何か証のようなものをお見せできませぬかぁっ。」
すると秀吉は恒興の方に顔を向ける。すると恒興は頷き、懐から書状と二つに折り畳まれた紙切れを取り出す。秀吉が返す。
「仰せのこと、御尤もにございまする。然れば今わたくしめが申したことを誓紙に認めてございまする。その内容に御異存なければ、今すぐこれに血判を押し、信雄様誼の寺社に御奉納させていただきたく存じます。また御所望であれば、これと同じものを内大臣様に御送りさせていただきまする。」
秀吉がそう云うと、恒興が腰低く雄利の元へ近寄り、誓紙と紙切れを渡す。雄利は先に誓紙の中身をじっくり確かめ、信雄に渡す。信雄が誓紙を確かめ始めると、雄利は紙切れを拡げながら尋ねようとする。
「この紙はぁ・・・、はっ、こっ、これはぁっ・・・。」
眼をかぁと開ききる雄利を、信雄も重孝も注視する。
「どうしたっ、何が書かれてあるっ・・・。」
「こっ、これにはぁ、北畠具親の居所が書かれてございまするぅ。」
「何ぃっ、筑前っ、これはどういうことだぁ・・・。」
「信雄様がわたくしめが北畠を匿っておると疑われておられると、一益殿より聞き及んでおりまする。実のところ、匿うなぞは誓って致しておりませぬが、居所を存じておることには違いありませぬ。いつの日か公方様と対峙するときに備えてと思っておりましたが、わたくしめにとっては信雄様に疑いを持たれることの方が心苦しゅうございまする。北畠はそこに書かれている処に隠れておりまする。信雄様の御領内の近くでございますので、煮るも焼くも信雄様のお好きにしてくださいませっ。」
秀吉はゆっくり深々と頭を下げる。秀吉を見下ろす信雄の震えは止まらず、眼が潤い始める。しばらくして信雄が雄利の方を向くと、雄利は穏やかな表情で一つ頷き返す。信雄の頭に先ほどの雄利の『蟠り』という言葉が響くと、信雄は秀吉に告げる。
「どうやらわしは筑前を大いに誤解していたようであったぁ。わしにも非があったことは認めよう。今ここに互いの『蟠り』は失せたぁ。筑前っ、これからもわしを、そして織田家をよろしく頼むぞぃ・・・。」
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