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駆引
百四十九.困惑の勝家
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天正十一年四月十九日 申の刻
二日前の豪雨の中、秀吉・秀勝父子は長浜を経ち、大垣城に入った。しかし長良川・揖斐川の増水により岐阜城周辺に泥が流れ込んだせいで城に攻め込むなどできない状況になり、父子は水が引くのを手を拱いて待つしかなかった。この報せが勝家の陣営に届くと、佐久間玄蕃允盛政は主だった諸将に軍議を開く旨を伝え、柳ヶ瀬山の勝家の元に集結させる。文机代わりの陣盾の上には、周辺の絵地図が拡げられており、敵味方の隊を模した石が並べ置かれている。盛政と勝政は既に着席しており、いつものように二人の間には勝家が座す床几が置かれている。いつもと異なるのは盛政の背後に山路将監正国が跪いて控えていることである。そして陣中に前田利家・利長父子、不破直光、金森長近、原彦次郎等々の将たちが入幕し、絵地図の周りの床几を次々と埋めていく。一同は各々の陣の様子を報告し合いながら、大将の勝家を待つ。
「親父が来られたぞぃっ・・・。」
勝家が陣幕を潜ると、一同は起立して迎える。勝家がいつもの床几に着座すると、一同も着座する。
「何じゃぁっ、この騒々しさはぁ・・・。何故絵図を開いとるぅっ・・・。」
盛政が告げる。
「親父も訊いておろうが、筑前殿の本隊二万が岐阜の信孝様を攻めんと大垣に入っておる。ところがここ数日の大雨で身動きが取れんらしい。つまりわれらの眼の前の敵を蹴散らしても援軍は来んということじゃぁ。ここは攻め刻かと・・・。」
逸る盛政を勝家が制する。
「玄蕃允っ・・・。先の評定の折に申したではないかぁ。われらはここで毛利が動くまで二月待つと・・・。あれからまだ一月しか経っておらんぞぉ。」
今度は勝政が吠える。
「親父ぃっ、信孝様が兵を挙げられたのですぞぉっ。味方は少のうございましょうが、雨が筑前を遮ったということは、天はわれらに味方しているということっ・・・、この機に筑前を討てとの報せでございまするっ・・・。」
勝家は小声で愚痴をこぼす。
「あれほど三七殿には毛利が動くまで待てと申しておったのにぃ・・・、何故じゃぁ。」
その言葉が耳に入った利長は飛び起きたように眼を丸くし、ゆっくりと利家の方を視る。しかし利家は知らぬ存ぜぬの顔である。
(そりゃぁわしが父上の命で親父様の密書を摺り替えたからじゃぁ。中身は見とらんがぁ、『信孝様が動けば敵は方々に散る』とでも書いて挙兵を唆したんじゃろぉ。それにしても父上は何故兵を動かしたいんじゃ。玄蕃允殿の兵ならともかく、わしら前田の兵はしばらく戦をせんでえぇと安堵しきっとるというにぃ・・・。)
利長が頭の中で父を詮索している間にも、盛政が勝家を説く。
「勝政殿の仰る通りですぞっ。天が味方してくださる今が好機ぃっ。」
「ぅぬぬうぅっ・・・。」
戦を煽る盛政・勝政に対し、直光は慎重である。
「されど玄蕃允殿ぉっ、筑前殿がおらんというても、これで兵の数が並んだに過ぎんではないかぁ。攻め刻と仰るが、何処を攻めると申されるのかぁ。」
すると盛政は後ろを振り返る。
「これに控えるは山路将監正国殿っ。皆も存じておるように、かつて勝豊殿の家老であった御人じゃぁ。此度、筑前殿を見限り、親父に忠を尽くすと仰ってくださったぁ。」
正国は頭を深々と下げたままでいる。
「この将監殿が敵方の急所を教えてくれたぁ・・・。」
一同がどよめく中、盛政は正国に発言を促す。
「然れば敵方の砦にございますが・・・、皆さまもご承知の通り、堂木山、神明山の砦は極めて堅牢に築かれておりまする。これらは木村隼人正殿が築かせたものですが、隼人正殿の徹底ぶりはいささか過剰でございましてぇ、他の砦の分まで回さねばならぬほどの多くの材木が使われておりまする。よってその背後の砦、すなわち岩崎山、大岩山、賤ヶ岳の砦は今もまだ脆く、土塁さえ儘ならぬ有様にございまする。」
一同が一斉に絵地図を睨む。盛政が付け加える。
「その上、堂木山の砦は見かけだけに過ぎず、さほど兵を匿うことはでけん。先の親父が東野山を攻めた折にも、堂木山の連中は一歩も動けなんだ。そこで神明山に又左が、東野山に親父が攻め込み、小競り合いをしとる間にわしと勝政殿が堂木山を通り過ごし、岩崎山・大岩山を攻めとってしまうは如何かぁ。」
勝家が懸念する。
「中央を突くというのかぁ。仮にそこの砦を獲ったとしても、羽柴隊一万が田上山に控えておるぞぉ・・・。」
「然すれば退けば良いっ。とにかく此度はこれらの砦を焼くことにござる。そして再び砦を築こうとすれば、また焼けば良いっ・・・。」
勝家を押し切ろうとする盛政の言葉に、利長は引っ掛かる。
(うぅぅんっ、一万の兵なら何とかなるかもしれんが、筑前殿の本隊二万が加わって襲ってこられたら容易く逃げられんぞぃ。何せあの『大返し』の筑前殿じゃぁ。大いにあり得るぅっ。こりゃぁもしかすると・・・罠・・・。あの山路とか申す者っ、わしらを岩崎山に誘い込もうとしとるのかもぉ・・・。)
一方、勝家は黙り込む。盛政の云うことにも一理ある。勢いよく越前を出立したものの、二月待てという自らの命令は、盛政ら武闘派の鬱憤を溜めさせている。毛利が動くまで、こうした憂さ晴らしを時折させることも必要かと、勝家の心は動く。ところがここで利家が思いもかけぬ発言をする。
「玄蕃允殿にしてはいささか弱気でございますなぁ・・・。それではわれらはよぉござるがぁ、信孝様は救えませんぞぉっ。敵の砦を焼くだけで、結局われらの行軍がもたもたしておれば、岐阜の城はその間に落ちてしまいまする。そして今度こそ信孝様は首を刎ねられることになりますぞぉ・・・。」
「なっ、何をぉっ・・・、又左ぁっ。ではお主は動くなと云いたいのかぁ・・・。」
「いやっ、動かねば信孝様の命が危のぉござるしぃっ、・・・とはいえ砦を焼くだけでは効果はござらんっ。もっと良い手があると申しておりまするぅっ。」
利長の疑念は最高潮である。
(父上は一体何をお考えなのじゃぁ・・・。)
二日前の豪雨の中、秀吉・秀勝父子は長浜を経ち、大垣城に入った。しかし長良川・揖斐川の増水により岐阜城周辺に泥が流れ込んだせいで城に攻め込むなどできない状況になり、父子は水が引くのを手を拱いて待つしかなかった。この報せが勝家の陣営に届くと、佐久間玄蕃允盛政は主だった諸将に軍議を開く旨を伝え、柳ヶ瀬山の勝家の元に集結させる。文机代わりの陣盾の上には、周辺の絵地図が拡げられており、敵味方の隊を模した石が並べ置かれている。盛政と勝政は既に着席しており、いつものように二人の間には勝家が座す床几が置かれている。いつもと異なるのは盛政の背後に山路将監正国が跪いて控えていることである。そして陣中に前田利家・利長父子、不破直光、金森長近、原彦次郎等々の将たちが入幕し、絵地図の周りの床几を次々と埋めていく。一同は各々の陣の様子を報告し合いながら、大将の勝家を待つ。
「親父が来られたぞぃっ・・・。」
勝家が陣幕を潜ると、一同は起立して迎える。勝家がいつもの床几に着座すると、一同も着座する。
「何じゃぁっ、この騒々しさはぁ・・・。何故絵図を開いとるぅっ・・・。」
盛政が告げる。
「親父も訊いておろうが、筑前殿の本隊二万が岐阜の信孝様を攻めんと大垣に入っておる。ところがここ数日の大雨で身動きが取れんらしい。つまりわれらの眼の前の敵を蹴散らしても援軍は来んということじゃぁ。ここは攻め刻かと・・・。」
逸る盛政を勝家が制する。
「玄蕃允っ・・・。先の評定の折に申したではないかぁ。われらはここで毛利が動くまで二月待つと・・・。あれからまだ一月しか経っておらんぞぉ。」
今度は勝政が吠える。
「親父ぃっ、信孝様が兵を挙げられたのですぞぉっ。味方は少のうございましょうが、雨が筑前を遮ったということは、天はわれらに味方しているということっ・・・、この機に筑前を討てとの報せでございまするっ・・・。」
勝家は小声で愚痴をこぼす。
「あれほど三七殿には毛利が動くまで待てと申しておったのにぃ・・・、何故じゃぁ。」
その言葉が耳に入った利長は飛び起きたように眼を丸くし、ゆっくりと利家の方を視る。しかし利家は知らぬ存ぜぬの顔である。
(そりゃぁわしが父上の命で親父様の密書を摺り替えたからじゃぁ。中身は見とらんがぁ、『信孝様が動けば敵は方々に散る』とでも書いて挙兵を唆したんじゃろぉ。それにしても父上は何故兵を動かしたいんじゃ。玄蕃允殿の兵ならともかく、わしら前田の兵はしばらく戦をせんでえぇと安堵しきっとるというにぃ・・・。)
利長が頭の中で父を詮索している間にも、盛政が勝家を説く。
「勝政殿の仰る通りですぞっ。天が味方してくださる今が好機ぃっ。」
「ぅぬぬうぅっ・・・。」
戦を煽る盛政・勝政に対し、直光は慎重である。
「されど玄蕃允殿ぉっ、筑前殿がおらんというても、これで兵の数が並んだに過ぎんではないかぁ。攻め刻と仰るが、何処を攻めると申されるのかぁ。」
すると盛政は後ろを振り返る。
「これに控えるは山路将監正国殿っ。皆も存じておるように、かつて勝豊殿の家老であった御人じゃぁ。此度、筑前殿を見限り、親父に忠を尽くすと仰ってくださったぁ。」
正国は頭を深々と下げたままでいる。
「この将監殿が敵方の急所を教えてくれたぁ・・・。」
一同がどよめく中、盛政は正国に発言を促す。
「然れば敵方の砦にございますが・・・、皆さまもご承知の通り、堂木山、神明山の砦は極めて堅牢に築かれておりまする。これらは木村隼人正殿が築かせたものですが、隼人正殿の徹底ぶりはいささか過剰でございましてぇ、他の砦の分まで回さねばならぬほどの多くの材木が使われておりまする。よってその背後の砦、すなわち岩崎山、大岩山、賤ヶ岳の砦は今もまだ脆く、土塁さえ儘ならぬ有様にございまする。」
一同が一斉に絵地図を睨む。盛政が付け加える。
「その上、堂木山の砦は見かけだけに過ぎず、さほど兵を匿うことはでけん。先の親父が東野山を攻めた折にも、堂木山の連中は一歩も動けなんだ。そこで神明山に又左が、東野山に親父が攻め込み、小競り合いをしとる間にわしと勝政殿が堂木山を通り過ごし、岩崎山・大岩山を攻めとってしまうは如何かぁ。」
勝家が懸念する。
「中央を突くというのかぁ。仮にそこの砦を獲ったとしても、羽柴隊一万が田上山に控えておるぞぉ・・・。」
「然すれば退けば良いっ。とにかく此度はこれらの砦を焼くことにござる。そして再び砦を築こうとすれば、また焼けば良いっ・・・。」
勝家を押し切ろうとする盛政の言葉に、利長は引っ掛かる。
(うぅぅんっ、一万の兵なら何とかなるかもしれんが、筑前殿の本隊二万が加わって襲ってこられたら容易く逃げられんぞぃ。何せあの『大返し』の筑前殿じゃぁ。大いにあり得るぅっ。こりゃぁもしかすると・・・罠・・・。あの山路とか申す者っ、わしらを岩崎山に誘い込もうとしとるのかもぉ・・・。)
一方、勝家は黙り込む。盛政の云うことにも一理ある。勢いよく越前を出立したものの、二月待てという自らの命令は、盛政ら武闘派の鬱憤を溜めさせている。毛利が動くまで、こうした憂さ晴らしを時折させることも必要かと、勝家の心は動く。ところがここで利家が思いもかけぬ発言をする。
「玄蕃允殿にしてはいささか弱気でございますなぁ・・・。それではわれらはよぉござるがぁ、信孝様は救えませんぞぉっ。敵の砦を焼くだけで、結局われらの行軍がもたもたしておれば、岐阜の城はその間に落ちてしまいまする。そして今度こそ信孝様は首を刎ねられることになりますぞぉ・・・。」
「なっ、何をぉっ・・・、又左ぁっ。ではお主は動くなと云いたいのかぁ・・・。」
「いやっ、動かねば信孝様の命が危のぉござるしぃっ、・・・とはいえ砦を焼くだけでは効果はござらんっ。もっと良い手があると申しておりまするぅっ。」
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