【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清

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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち

5.社畜と相談相手

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「宮本さん、なんか最近元気ないですね」


 とある出張の帰り、俺は車の運転を篠田に任せ、助手席でぼうっとスマホをいじっていた。

 最近スマホで調べるのは、YAKUOJIこと薬王寺照子のスキャンダル関連のニュースばかり。

 そもそもミュージシャンとしてのYAKUOJIは作曲家に徹していて、表にはあまり出ない。顔出しはしていてそこそこ人気だが、アイドル歌手ではないのだ。だからなのか、それともレコード会社の見えない力のおかげなのか、スキャンダル関連のニュースは一度出たっきりで、続報はなかった。

 検索結果に引っかかるのは、カスみたいな文章力しかない個人ブログに書かれる憶測ばかりだ。しかし俺は、それが一般人の憶測だとわかっていても、一つずつチェックせずにはいられなかった。根拠はないが、一つの可能性ではあるからだ。


「そんなにYAKUOJIちゃんのことがショックだったんですか?」

「俺の推しだったからなあ」


 篠田には、俺が薬王寺照子と付き合っていたことは話していない。

 高校から大学まで彼女がいた、というのはこれまで一緒に仕事をしていた中でなんとなく伝えてある。だが細かい事は話していない。過去の思い出を秘密にしたいという気持ちもあるが、一番の理由は、俺自身がバンド活動をやっていたと会社の連中に知られたくないからだ。

 俺はもう何年もギターを触っていない。たまに照子のリクエストで新曲を歌っていたが、その時の歌声はバンド活動を本気でやっていた大学時代と比べたら全く勢いがない。高校時代野球部のエースだったやつが、おっさんになって草野球でヘロヘロの球を投げているのと同じだ。

 バンド活動をしていたこと自体は、知られてもいいかもしれない。ネットをくまなく探せば俺が歌っている写真くらい出てくるかもしれない。だが、あの頃の演奏力を、俺はもう再現できない。何の配慮もない会社の連中が『ちょっと歌ってみてよ』なんて居酒屋のカラオケ装置を起動したら……なんて、考えるだけでもすごく嫌になる。

 そういうわけで、俺は篠田に照子との過去を話せない。密かにYAKUOJIを推していた、ということにしてある(そこは事実だが)。

 

「……宮本さんには、わ、私がいるじゃないですか?」


 少したどたどしい口調で篠田が言った。運転席を見ると、篠田の顔が真っ赤だった。

 正面を見ると、信号も真っ赤だった。


「おい赤! 赤!」

「ひゃあああっ!?」


 ピーという警告音が車から鳴るほどの急ブレーキで、なんとか停止線より前で停止した。


「ご、ごめんなさい、ぼーっとしてて」


 俺は返す言葉がなかった。

 ぼーっとしていた理由は、明らかに俺への言葉を口にするためだ。

 篠田は明るく元気な女の子で、同僚の男子からも人気があった。だが一方で、表向き女の色気というものを感じさせない雰囲気でもあった。決して篠田に女性的な魅力がない、と言いたいわけじゃない。でも彼女というよりはノリのいいお友達、と言ったほうがまだしっくりくる。

 豊洲のタワーマンションで同棲している今も、この前テレビを見ていたときにソファで体をくっつけたのが最接近記録で、それ以降は何も進んでいない。

 おそらく、篠田も自覚はあるのだろう。

 せっかく付き合い始めたんだから、お友達関係以上に距離を縮めたい、と思っているに違いない。

 こういう時、リードするべきは男の方なんだろうな、と俺は思う。

 だが――

 いま付き合っている彼女の横で、俺は昔の彼女のことを考えていた。

 本当に、これでいいのだろうか?


「そうだなあ。俺には篠田がいるから、帰ったらとことん甘やかしてもらおうか」

「えっ? ええっ!? 甘やかすってどうすればいいんですか!」

「はは」

「い、意地悪しないでください!」

「ほら、信号青になったぞ」


 俺はまだ半分照子のことを考えながら、篠田が適度に喜ぶであろう言葉を選んだ。実際、篠田はちょっと不満げながらも、顔がにやけていた。

 篠田は嬉しいのか、車を急発進させた。こいつ運転あぶねえな……


* * *


 照子のことで篠田に後ろめたさを感じているのは、ただ篠田に対して秘密にしている、ということだけが理由ではなかった。

 照子との記憶を理瀬には話して、篠田には話していない。

 本当なら、逆であるはずだ。ただシェアハウスしているだけの理瀬と、付き合っている篠田のどちらと親密にしなければならないか。

 篠田に決まっている。

 だが、照子の件に寄り添ってくれるのは、理瀬のほうに違いない。

 とある平日の夜、俺は一人でソファに座り、テレビを見ていた。篠田は定例の女子会で遅くなる、と聞いている。今頃同僚の女の子たちに、最近付き合い始めた俺についてあることないこと全て話しているのだろう。篠田がどう思っていても、女たちが俺の篠田に対する扱いを悪く思えば、俺は社内で最低男認定される。女とはいくつになってもそういう生き物で、止めようがない。

 

「YAKUOJIさんのこと、そんなにショックなんですか」


 理瀬が部屋から出てきて、俺の隣に座った。理瀬から話しかけてくることはめったにない。こと篠田と付き合い始めてからは、二人でこうやって話す機会はほとんどなかった。

 理瀬に心配されるほど、落ち込んでいるように見えるらしい。


「俺の元彼女、YAKUOJIだって気付いてたのな」


 素直に返事をする気になれない俺は、はぐらかすような返事をした。


「薬王寺って特徴的な名前を宮本さんのスマホ画面で見ていたのと、この前篠田さんがニュース記事を見せた時に宮本さんが情けない顔してたので確信しました」

「情けない顔……」

「ああいうのが趣味なんですね。ちょっと意外でしたよ」


 照子はモデルのような鋭い美しさはないが、愛らしい、独特の癒やされる可愛らしさを持っている。作る曲も癒やし系のバラードが多い。普段の淡々と仕事をこなす俺からは、YAKUOJIと関連があるなんて想像できないだろう。


「趣味かあ。ああいうのが趣味だなんて考えたこともなかったよ」

「趣味じゃないんですか? だったらどうして付き合ってたんですか?」

「告白してきたのは向こうからだったんだよ。俺は、自分に彼女ができるなんて思ってなかったから、舞い上がってそのまま付き合い始めた」

「そういうものなんですか? YAKUOJIさんのこと、好きじゃなかったんですか?」

「恋愛が必ず両思いから始まるだなんて、理瀬ちゃんは夢見る少女でいいですねー」


 ふざけて言うと、理瀬はむすっとふくれていた。

 こいつ、子供扱いするとすごく怒るんだよな。


「……最初はあんまり好きとか嫌いとか考えてなかった。ただモテない俺が女の子と手をつないで歩いたり、キスしたり、あんなことやこんなことをしても許されるんだと思うと、そんなことはどうでもよかったな」

「最低ですよ。不潔ですよ」

「十代の男子なんてみんなそんなもんだぞ。まあ、付き合ってみたら相性良かったし、俺も照子のことはちゃんと好きだったさ。初めから両思いなんてありえないんだ」

「篠田さんが、宮本さんに片思いしてるみたいに、ですか?」


 理瀬がぐさっと刺さることを言ってきた。まるでさっき子供扱いしたことへの報復のようだ。

 俺が篠田と付き合い始めたのは、社畜という敷かれたレールに固定された俺の人生をより安定させるため、最も手近にいる同僚の女性社員に手を出した、というだけ。

 理瀬はいま、俺の周囲でただ一人、そのことに気付いている。

 それを嫌味っぽく言っている。

 宮本さんは篠田さんのこと、ほんとは好きじゃないんでしょ、と。


「そうだなあ」

「いつ両思いになるんですか」

「そのうちにな」

「そのうちって、いつですか」

「セックスしたら好きになれるかも」

「最低ですよ。不潔ですよ。次に私と二人でいるときにそういうことを言ったら、お母さんに言いますよ」

「それだけはマジでやめてくださいお願いします」


 俺はソファ上で土下座。理瀬はため息をつく。


「……YAKUOJIさんのこと、まだ好きなんですか?」

「ん? それはないよ。現に今まで、付き合ってなかっただろ」

「前に付き合っていた子に彼氏ができてショック受けるのって、未練があるとしか思えませんよ」

「そういうのじゃない……そういうのじゃないんだ」

「じゃあ何なんですか?」

「この前、ひどい振り方をしたんだ。お前の新曲ぜんぜん良くないな、俺のアドバイスなんて聞かない方がいいだろ、みたいな事を電話で、一方的に言った」

「……それはそれで、さっきとは別次元の最低さがありますよ」

「俺も同意する。篠田と付き合うことを焦ったからだが、正直後悔してる」

「だったら、もう一回電話して、ちゃんと謝ってくださいよ」

「それじゃ未練がましいだろ?」

「今の宮本さんはじゅうぶん未練がましいですし、それがなくなるならいいことです。私が許可するので謝っておいてくださいよ」

「許可って、お前は俺の何なんだ……」

「もう一回謝って、それで宮本さんがまだ今みたいに情けない顔をしていたら、本当に未練があるということですよ」


 理瀬はそう言い残して、自分の部屋に戻った。

 何から何まで、理瀬の言う通りだ、と俺は思った。一度謝罪して納得できれば俺は照子と縁を切れるし、そうでなければ照子に未練がある、ということになる。

 こうして俺は、彼女である篠田に照子のことを言い出せないまま、どうすればよいかを理瀬に決めてもらったのだった。
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