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第二章 社畜と新しい彼女と親子仲のかたち
6.前の彼女と新しい彼女
しおりを挟む一人で社有車に乗り、取引先との打ち合わせを終えた帰り道。
俺はコンビニに車を止め、コーヒーを買い、車の中で少し飲んでからスマホを取り出した。
ここなら誰にも聞かれない。大人気ミュージシャンのYAKUOJIと通話しているなんて、誰も想像できないだろう。
そう考えながら、俺は照子に電話をかけた。LINE通話でもよかったが、俺と照子が付き合い始めた十年ほど前はまだLINEが(というかスマホが)なく、こちらの方がしっくりくる。
六コールくらいして、出ないかな、と思い始めた頃にやっと音声が切り替わった。
『……もし?』
もし、という短い返答。俺と照子が喧嘩をした時、仲直りしようと思って俺から電話すると、いつも照子はそんなふうに、おそるおそる俺の言葉を待つのだった。
「俺だけど」
『……うん』
「……」
『……どしたん?』
喧嘩したあとの会話は、何度やっても、なかなか言葉が出ない。
照子はそんな俺の癖を知っていて、辛抱強く待っている。
「……この前は、悪かった」
『……なにが?』
久しぶりの、照子への謝罪。俺は腹の底にひゅっ、と何かが走り抜けていくような感覚を覚えた。
そう簡単には許してくれない。なんか怒らせちゃってごめん、で済ませてくれる相手ではない。俺が悪かった部分を明確にして、俺のほうが悪い、と言わなければ、照子は認めない。
「急に、もう二度と合わない、みたいな事を言ったりして」
『……彼女できたんやろ? 仕方ないでえ』
「それはそうなんだが……作曲のことも、悪くいいすぎた」
『剛の言うことはほんまだったよ』
そう。篠田と付き合うからもう会えない、照子の作曲が間違っているという指摘は、すべて正しい。正しいことをストレートに言ったからこそ、照子を深く傷つけた。
『うちなんかと、もう会いたくないんだろ?』
「いや、二度と会いたくない訳じゃなくて……結婚式くらいには呼ぶよ」
『いやいや、普通結婚式に元カノや呼ばんけん』
照子が苦笑している。確かに、元カノを結婚式に呼ぶなんてただのあてつけだ。
「……ニュース、見たんだよ。お前がどっかの歌手とデートしてたって」
『ああ、あれなあ』
「本当なのか?」
『ほんまじゃ。一緒にお酒飲んで、ホテルまで誘われたわ』
「なっ……?」
『流石にそこまでは行かんかったけどな』
「そ、そうか……」
『ほんまはうちがあの人に曲を書く予定だったんやけど、剛にああいうこと言われた後、うち、何も書けんようになってしもて、正直にそのことを話したら、飲みに誘われたんよ。最初は真面目に聞いてくれよったけど、そのうちほんまはうちのこと慰めてエッチしたいだけやって、なんとなく気付いたけん、その日の夜だけで終わりよ』
「そんなこと……わかるのか?」
『ほなってあの人、うちの胸ばっかり見よるんやもん。剛みたいやったわ』
「お前の胸のことは今でも好きだぜ」
『あほ』
照子が笑う。
長い仲なのだ。俺がどういう目的で電話してきたのか、やっと察してくれたらしい。
『……なあ、剛』
「どうした?」
『あの後いろいろ考えたんやけど……うち、剛が歌いよるイメージでなかったら、やっぱり作曲できんわ』
「俺はもう歌わない。ずっと前に決めたことだぞ」
『知っとる。ほれはもうあきらめとるよ。ほなけど……剛が歌いよるイメージだけは、そのままにさせてくれん?』
「歌ってくれる人に申し訳ないだろう」
『いいや。うちの曲なんやけん、うちの好きなように書く。歌うんがいやだったら、やめたらいい。うちのイメージの中に剛がおっても、歌う人には関係ないわ……ほなけん、剛、もう会って曲作りとかはせんでええけん、イメージだけは残させて』
「……わかったよ。そうしないと、お前が路頭に迷うからなあ」
『なんなほれ! うち、スランプ入った時のために、けっこう真面目に貯金しとんでよ!』
「学生の頃、生活費とバイト代全部合わせてピアノ買って、しばらく電気代すら払えなくなって俺の家に住み着いてたお前に言われてもなあ」
『むー』
「……まあ、それはいいけど、俺からはしばらく電話するつもりはない。そこははっきりさせてくれ。もう決めたことなんだ」
『ええよ。剛は一回決めたら二度と変えんもんなあ。そういうところ好きやったんよ』
「……」
『なあ、うち、剛からさんざん意地悪言われたけん、いっこだけうちから意地悪させて?』
「なんだよ?」
『剛、いま好きな人おらんだろ?』
俺は答えられない。
照子の言う『好きな人』とは、心から愛している、というか惚れている相手のことだ。
そういう人は、今の俺にはいないのだと。
照子も含めて、今の俺は、誰も心から愛していないと。
電話しかしていない照子は、まるで全てを知っているかのように、そう言った。
* * *
照子に電話をしたその日の夜は、篠田の寝付きが悪かった。
こう言うとまるで篠田が子供みたいだが、篠田はほんとうに子供のように寝付きがよかった。ベッドで横になる、イコール寝ることだと体が覚えているらしい。起きているときは必ず居間のソファで、俺みたいにベッドでだらだらスマホをいじるようなことは一度もなかった。
子供の頃、親にそう教わったらしい。良い親だな、と俺は思った。
そんな篠田の寝付きが、今日に限ってとても悪い。
嫌な予感がした。照子と最後に新宿で会った日の夜は、理瀬に会ってきた女が同僚ではなく昔の彼女だと気づかれた。女の勘は鋭い。俺が表に出さないようにしていても、篠田は俺に何かあったと感づいているかもしれない。
篠田はスマホをいじる俺を、横になってじっと見ていた。
「宮本さん……」
「どうした? 怖い夢でも見たのか?」
「子供扱いしないでくださいよう」
「言いたいことがあるなら遠慮なく言いな」
「……その、この前の女子会でみんなに言われたんですけど」
女子会、と聞いた俺は半分安心、半分不安というところだった。照子のことは感づかれていないようだが、女子会でのダメ出しなど男には面倒なことでしかない。
「付き合って何週間も経ってるのに、その、な、何もしてないのはおかしいって……」
そっちの悩み、か。
俺が篠田と『ごく一般的な家庭を築くための結婚』を目指している以上、篠田といつか身体を交えなければならないのは、明らかだった。
しかし、これまで一人も彼氏がいなかったという篠田を怖がらせてはいけないと思い、俺からはそういう話をしなかった。一緒のベッドで寝ていて、篠田の身体の美しさや自然と湧いているいい香りを感じ、ふとそういう気分になることはあった。でも篠田はすぐ寝るので、わざわざ起こしてまでそういうことをする気にはなれなかった。
そんなわけで、俺は篠田と、身体の関係を進めるのは先送りにしていた。いつまでも先送りできる問題ではない、と知っていながら。
「したいのか? 篠田はエッチだなあ」
「そ、そういう訳じゃないですけど! 私、男の人と、その、そういうこと、したことないので、どうしたらいいかわからなくて」
「私とエッチしてくださいお願いしますって言えばいいんだよ」
「ふ、普通は男の人がリードしてくれるってみんな言ってましたよ~!」
篠田が俺の胸をぼかぽか叩く。
俺自身の初体験はそうでもなかったが、会社の同僚からそう教えられてしまった以上、篠田にとってはそういう常識になっているらしい。
「宮本さん、私の身体には興味ないんですか?」
「あるぞ。そこそこエロい身体だからなあ」
「ひっ」
俺がいやらしい声で言うと、篠田が両胸を手で押さえる。ガチで引いた顔だ。いやそんなに引かれたらこっちがショックだ。
「なあ、篠田」
「なんですか」
「お前が今したいんなら、俺はしてもいいけど。せっかくだから、もうちょっとロマンチックな時にしたいんだよな。ただでさえ、いつも会社で一緒なんだから、いつもとは違う感じの時がいいだろ?」
「それって、例えばどんな時ですか?」
「旅行してる時とか……そういえば、今度沖縄に行くんだったな」
「沖縄……」
どうやら篠田は納得してくれたようだ。
俺が篠田を気遣っている。そう伝われば、いまセックスしていないことは大きな問題じゃない。篠田は、完全なおじさんと化した俺と違ってまだ夢見る少女的なものが残っている。その夢を雑に壊したくない、というのが正直な気持ちだった。
「ってか、準備整えてからじゃないとムダ毛とか見えちゃうぞ? あとけっこう臭うぞ? 俺はそれでもいいけどな」
「っ! 宮本さんのバカ、変態、匂いフェチ!」
篠田はつん、と向こうをむいてしまった。
こうして俺と篠田の間に、逃げられない一つのカウントダウンが始まってしまった。
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