【完結】年収三百万円台のアラサー社畜と総資産三億円以上の仮想通貨「億り人」JKが湾岸タワーマンションで同棲したら

瀬々良木 清

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第四章 社畜と女子高生と青春ラブコメディ

23.社畜と中途半端な気持ち

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 年明けの仕事は、営業職にありがちな年始の挨拶に始まり、かなりバタバタする。挨拶のためにいつも外へ出ているから、残った仕事は夕方以降にこなす。こうして残業が増え、その残業代がお賃金となり、そして俺の血となり、肉となってゆく。

 仕事が忙しければ、余計なことを考える必要はない。だから、一人で暇になるより楽だ。

 そんな信念を持っている俺だが、この頃、仕事をしていてもとある雑念が離れなくなっていた。


『彼女はおらんけど、好きな人はおるんとちゃう?』

『ほなって兄ちゃん、今、照子先輩と付き合い始めた時みたいな顔しとる』


 大晦日の夜、寝ぼけていた妹の真由に言われた、あの言葉だった。

 真由は勘が鋭い。理瀬や和枝さんほどではないが、家族として一緒にいる時間が長かった俺のことは、よく知っている。

 寝ぼけてはいたが、そういう時こそ本音を隠さず口にしてしまうものだ。

 考えてしまうということは、心当たりがある、ということ。

 あの時、俺が思い描いたのは、理瀬の顔だった。

 理瀬と最初に会った時から、それについては警戒していた。

 それなりに美人で、とても頭のいい理瀬は、魅力的な女性だ。もし同じくらいの年齢だったら、間違いなく惚れていただろう。もちろん、同い歳であれば圧倒的な能力差ゆえに俺なんかと交流する機会すらなかっただろうが。

 女子高生であり、子供に見えるとはいえ、俺が理瀬のことを異性として認識してしまうリスクはあった。

 思えば、俺は極力そうならないように、篠田と付き合ったり、照子のところへ行ったりしたのかもしれない。理瀬という女がもつ強烈な魅力へ、自分が引きずりこまれないように。

 大人として生き方を教える。今までしてきたことは間違っていない。しかし、赤の他人が親子のような関係をいきなり築くなんて、無理だ。俺にはできない。せめて兄くらいの立場でいたかったが、それにしては歳が離れすぎている。

 ……そういうことを、勤務時間中でも考えてしまうほど、真由に言われたその言葉を気にしていた。

 しかし、いや、だからこそ、理瀬とはこれ以上接近できなかった。徳島から帰りの飛行機に無事乗れたという報告のLINEを最後に、理瀬とは連絡を取っていない。

 理瀬は将来有望な女だ。高校生の時、俺みたいなアラサーのおっさんと付き合っていた、なんて過去があれば、それだけで将来の評判に傷がつく。

 篠田も、照子も、この時期は全く俺に連絡してこなかった。それぞれの人生があるから、俺なんかのことを気にしてないのは当たり前なのだが。一人で考えるしかない、という環境は俺をさらに焦らせた。

 長くなったが……俺が言いたいのは、こうだ。

 俺が、理瀬に惚れている、なんてことは、万が一にもあってはならないのだ。


** *


 二月に入ったころ、篠田とペアで客のところへ行く機会があった。

 別れてから、二人の業務ペアはほぼ解消されていたが、その客は二人合わせて対応していたので、どうしても二人一緒に行かなければ仕事にならなかった。

 行きの車中は仕事の話に終始し、他のことはほとんど話さなかった。

 帰りの車中。お客さんの事務所を出たところで、篠田がおもむろに話しはじめた。


「私、先週、理瀬ちゃんのところへ行ってきたんです」

「ほう。何しに?」

「バレンタインデーの手作りチョコレートを作りたいから、教えてくださいって」

「ふうん。あいつもう料理できるから、そんなこと教わらなくても良さそうだが」

「チョコレートは作ったことがないから不安、って言ってました。まあ溶かして冷やすだけでしたし、多分一人でもできると思いますけど」

「話し相手がほしかったのかな」

「そんなところですね。チョコ、誰に渡すんでしょうね? 教えてくれなかったんですけど」

「普通に学校の友達とか、バイト先とかだろ」

「それもあると思いますけど、どうも本命チョコみたいですよ」

「……なんでわかったんだ?」

「量産するのと丁寧に作るの、二パターン試しましたから」


 理瀬にとって初の手作りチョコレートとはいえ、そこまで念入りにするか。社会人なみに準備がいい。


「本命、誰でしょうねー?」

「……俺達にはわからんだろ。あいつの学校やバイト先での友達なんて、知らないから」


 篠田は大きなため息をついた。俺は運転に集中していてよく見なかったが、助手席のシートを一気に後ろへ倒し、足を投げ出していた。お行儀の悪い格好だった。


「宮本さん、本当にそれでいいんですか?」

「どういう意味だ」

「理瀬ちゃんが誰に本命チョコを渡すか、わかってるんでしょう?」

「いや……」

「あ、もういいです。ぐだぐだするの嫌いなんで言っちゃいます。バレンタインデーの日、宮本さんの仕事が何時くらいに終わるか、私聞かれました」


 二人ともしばらく無言で、ロードノイズだけが車中に響いていた。


「宮本さん、やっぱりこうなるの狙ってたんですか? 自分から告白せず女の子に言わせるなんて、すごい女たらしですよね」

「狙ってなんかねえよ」


 この時、俺の口調が怒り気味だったので、篠田はすぐふざけた態度を改めた。だが引かなかった。さすが、一度付き合った女は違う。一言や二言では引いてくれない。


「理瀬ちゃんに告白されたらどうするんですか?」

「……断る。決まってるだろ」

「それで理瀬ちゃんはすごく傷つくと思いますけど、いいんですか?」

「失恋くらい、女子高生ならあるだろ」

「はああ? 失恋ってそんな簡単によく言いますよね。一年くらい自分に優しくしてくれた男が、付き合おうってなったらやっぱり嫌です、なんて事になったら、もう立ち直れませんよ。長い時間をかけて騙していたようなものじゃないですか」

「違う! 俺は、あいつが心配だっただけだ!」

「いいえ違いません。理瀬ちゃんの家というプライベートにまで踏み込んだ時点で、宮本さんは理瀬ちゃんのことを特別に扱ってます。宮本さんがそう思ってなくても、第三者から見れば絶対にそうです。無条件で助けてあげるただのお人好しじゃなくて、理瀬ちゃんに惹かれてたんです」

「そんなことは……」

「私、宮本さんが無条件で誰でも助けてあげるお人好しだってこと、よく知ってっ、ますから」


 言葉の最後がつまり、驚いて篠田を見ると、目に涙を浮かべていた。


「だからこそ、自分にそんな気がなくても、いつの間にか人を傷つけることも……あるんですよ、まあ、勝手に勘違いして傷ついたバカの方が悪いんで、宮本さんに罪はないです、けど」


 篠田が言っているのは、間違いなく、俺と篠田の過去のことだ。

 はじめて篠田と会った時、俺は理瀬と初めて会った時ほどのインパクトを感じていなかった。元気がいい女だったから、営業に向いてるな、と思っただけだ。俺は昔から後輩を大事にするのは当たり前だと思っていて、どんな後輩でも面倒は見てやっている(このあたりは、親方だったじいちゃんの影響もある)。高校の後輩の佐田が今でも俺のことを信頼しているように、それは確かで、間違ってはいない。

 篠田は、俺と一緒に行動し始めた時から、それを見抜いていたのだ。

 優しくしているが、それは好意ではない。仮に後輩が男であっても、同じようなことをするのだから。

 

「私、本当にバカでした。宮本さんがそういう人だってわかってたのに、付き合ったりなんかして。宮本さんが告白してきた時点でなんかおかしいって気づくべきでした。いや、実際には気づいてましたけど。ちょっとでもいいから付き合えれば嬉しいなって思ってたから、受け入れちゃいましたけど。って、ああ。私こんな話したいんじゃないんです、もう、宮本さんのバカ、女たらし、社有車で物損事故起こして評定めっちゃ下がっちゃえ」


 俺は何も言えなかった。篠田を傷つけたのは事実だし、女に「私、あなたのせいで傷ついたんですけど」なんて言われたら。返せる言葉がない。たとえ照子に言われたとしてもだ。俺はこういう中途半端な男だから、結果的にみんなを傷つける。


「私が言いたいのは、宮本さんてすごく中途半端な人だ、ってことなんです」


 俺が考えたことと篠田の言葉が一致して、少し驚く。


「照子さんに聞いたんですけど、宮本さん、プロの歌手になれるチャンスを捨ててこの会社に来たんですよね? 要するにリスクの高い生き方より安定を選んだってことですよね。でもそのせいで、照子さんとの関係はもとに戻らなくなった。今の状況、全く同じだと思いませんか」


 全く同じだ、と俺は思った。返事はできなかった。


「理瀬ちゃんへの気持ちを、年の差があるからって理由で隠して理瀬ちゃんを傷つけるか、思い切って理瀬ちゃんと一緒になってみるか。よく考えてみてください。案外、思いきった方が楽かもしれませんよ。周囲の目とかどうでもいいです。だいたい、私と付き合ってから別れた時点で宮本さんの社内での信用ゼロですから、今更失うものないです」

「……マジで?」

「少なくとも、女性社員からは信用ゼロですね」

「マジか……」

「だから、もういいでしょ。私、理瀬ちゃんには、宮本さんの予定くらい自分で聞きなさい、って言ってあります。そろそろ連絡が来ると思います。ここからどうするかは宮本さんの自由です。私にできるのはここまでです」

「……すまん。なんかおごるわ」

「……そういうとこですよ」


 この後、篠田は泣きそうになって崩れたメイクを修復するのに必死だった。「宮本さんのせいですから」と、ずっとグチグチ言っていた。俺は何も言い返せなかった。

 会社に帰ってから退社するまで、俺は自分の携帯を見れなかった。もしかしたら、理瀬からメッセージが届いているかもしれない。それに既読をつけたら、次のステップに進まなければならない。それが嫌だった。いや、嫌というのは不適切かもしれない。それはとてつもなく難しい試練のように思えて、超えられる気がしなかった。
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