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第1章 鵠沼梢と十月桜

第8話 十月桜を見守る精霊

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(今日は私服姿だから、すぐには分からなかったけど……)

 花要はなかなめ中央公園で植物の世話をする峰橋みねはしの姿を、こずえは何度か見かけていたのだ。

 もちろん、梢が一方的に顔を覚えていたというだけである。仕事中だった峰橋は梢を覚えてはいないだろう。

(峰橋さんっていうんだ……ていうか、能代のしろさんの知り合いだったの? それに今、公園のことで相談があるって……)

 深刻そうな顔の峰橋を見て、梢はふと不安を覚えた。

「相談……なるほど! わたしに話してみてください!」

 優希ゆうきうながされた峰橋は、少し困った様子で視線を泳がせた。

「でも……いいのかな」

 それから、チラリと梢の方を見た。
 峰橋が躊躇ためらっていることに気がつき、優希は安心させるように言った。

「あっ、大丈夫ですよ! 彼女は鵠沼くげぬま梢さん。訳あって紅鶸べにひわの見学中なんですけど、梢さんは精霊のこと知ってますから! 気にせず話してください。わたしのところに来てくれたってことは……たぶん、相談の内容には精霊が関わっているんですよね?」

「! おお、さすが能代さん。よくわかったね、その通りだよ」

 峰橋は安堵し、それから改めて梢の方に顔を向けた。

「鵠沼さん……ですね。申し遅れましたが、僕は峰橋といいます」

「あ、えっと、初めまして。鵠沼です。あの……お話をするなら、わたし、席を外しましょうか?」

 梢は峰橋と優希を交互に見ながら、そう尋ねた。

「いや、いいんですよ。気を遣わせてしまって申し訳ない」

 峰橋の言葉に甘え、梢はその場に残らせてもらうことにした。

(精霊が関わってるって……峰橋さん、精霊のことを知ってるんだ。どうしてなんだろう。あ、もしかして……精霊がこの世界に存在しているっていうこと、知ってる人は普通に知ってるのかな? わたしがたまたま知らなかっただけ!?)

 気になるが、今は質問するタイミングでもない。
 あとで優希にいてみよう、そう決意する梢であった。

「それじゃあ改めて、何があったんですか? 峰橋さん」

 優希は、表情をキリッと引き締めた。

「相談したいのは……花要中央公園の、十月桜じゅうがつざくらのことなんだ」

「じゅうがつざくら?」

「ああ。そういう名前の、桜の木だよ。十月桜は秋から冬にかけて花を咲かせ、それから春になると、また花を咲かせるんだ」


 花要中央公園の十月桜は、梢も見たことがある。


 秋から冬──つまり今の時期に、全体のつぼみの約3分の1が花開くらしい。そして残りの3分の2が、春に咲くというわけだ。
 秋に咲く分の花は、春に咲く分と比べてやや小ぶりだと言われている。花の数も多くはない。
 だが、ぽつぽつと花を咲かせていく様子には、穏やかなおもむきがあった。

(……この時期の十月桜は控えめっていうか、なんか静かで気取らない感じがして、すごく綺麗なんだよね。そっか、今年はまだ見に行ってなかったな……)

 梢はぼんやりと、桜の木に思いをせた。


「へえ、そういう桜があるんですね。秋から冬にかけてってことは、今がちょうど咲く頃ですか? もう十月の下旬になりますもんね」

 優希にそう言われると、峰橋は表情を暗くした。

「……例年ならもう開花する時期なんだけど、今年はまだ咲いていないんだよ。つぼみは出来たのに、その蕾が全く成長しないんだ」

「えっ!?」

 驚きの声を上げたのは梢だった。
 優希と峰橋の視線が梢に集まる。

 梢は慌てて説明した。

「あ、ちょっと驚いちゃいました、すみません。実はわたし、花要中央公園によく行くんです。去年の秋と、それから今年の春にも、十月桜の綺麗な花を見たので……」

 すると峰橋は表情を和らげ、嬉しそうな顔を見せた。

「おおっ、そうなんですか。実は僕、花要中央公園で公園管理の仕事をしているんです。いやあ、公園によく来てくれているとは、なんだか嬉しいですね」

「あはは……えっと、いつもお疲れ様です」

 今更『何度か見かけたことがあるので、知っていました』とは言いづらかったので、梢は曖昧に笑って誤魔化した。
 とにかく今気になるのは、十月桜のことだ。

「あの……確か、十月桜の木って四本ありましたよね。四本とも咲かないんですか?」

「ええ。四本とも……花芽が育って蕾が出てきましたが、そこからは成長が止まっています。もちろん木や土壌の状態など、いろいろ調査をしたのですが、原因は不明のままで……ただちょっと、思い当たることが──……」

 峰橋はそこで、優希の方に向き直った。

「思い当たることがね、僕にはあるんだよ。同僚には言ってないんだけれど」

 優希はきらりと瞳を光らせた。

「ふ~む、なるほど! それが精霊に関わることなんですね」

 峰橋は頷き、それからゆっくりと語った。

「十月桜のそばにいた精霊が、姿を消してしまったんだよ。一ヶ月ほど前に、突然ね。それ以来姿を見ていない。ひょっとして桜が咲かないことと関係があるんじゃないか……そう思って、能代さんに相談をしに来たんだ」

 梢はハッとした。峰橋は精霊が存在することを知っているだけではなく、精霊の姿を見ることができるようだ。

「桜のそばにいた精霊……その精霊は、ずっとそこにいたんですか?」

「ああ、少なくとも六年前……僕が花要中央公園に赴任してきた時にはもう、その精霊は十月桜を見守っていたよ。女性の姿をした精霊だった。一日中いるわけではないけれど、一日のうちに一回は必ず、精霊が十月桜のそばに立っているのを見かけた。でも、一ヶ月前の朝に……」

 峰橋はその時のことを思い出すように、ふっと目を閉じた。

「──あれは、僕が出勤して、園内の様子を見回っている時だった。十月桜の前に、いつもの精霊が立っていたんだ。精霊は涙を流していた。泣いていたんだよ、ひどく悲しそうに。そんな姿は初めて見た。精霊に声をかけたことはなかったけれど、一瞬話しかけようか迷ったよ。でも、その精霊はすぐにいなくなってしまった。涙を流したまま、消えてしまったんだ」

 峰橋はガシガシと頭を掻き、溜息をついた。

「次の日になっても、次の週になっても、精霊は姿を現さなかった。気になって何度も十月桜を見に行ったけど……精霊はいなかった」

「なるほど……ずっといたはずの場所に、戻ってこないんですね」

 優希は神妙な面持ちで相槌を打った。

「それで、能代さんが以前教えてくれたことを、ふと思い出したんだよ。『精霊は不思議な力を使って、自分が宿っているものを守護する』っていう話。もしかしたら、あの精霊は十月桜を守ってくれていたんじゃないかな」

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