in Cells ~花眠病~

もりえつりんご

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Clarification -Extra Story-

研究編 -1

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※ここから先のお話は、専門的な要素・用語を増やして書いています。
 現代の知識や研究と矛盾したり、似ていたり、結果が出ていないものを出ているように表現することがありますが、現存するすべての研究・国・団体・研究者の方々とは無関係のフィクションです。











 検査結果良好、体調・精神状態異常なし。
 AIの告げるステータス情報を聞き流している間に、全身の消毒は終わる。のりの効いた白衣に腕を通し、紙マスクの紐を耳に引っ掛ける。これに青手袋があれば、外科医よろしくテレビドラマに出ても違和感のない格好になるけれど、あいにく、医師免許を持っていないので気分だけを味わう。
 目の前の扉を、白手袋で押し開ける。
 白い扉、白い部屋、そして並ぶのは、手術台ではなく実験台。
「Good morning」
 古い英語に返答は二つ。現実逃避も断念するくらいの気の無い「Hi」に、水野瑤子ようこは肩を竦めて気分を変えた。
 小窓しかないこの研究室は、独房やスパイ工作用の隠れ家ではない。
 山梨県甲府市西端に位置する、ここ、第二国立感染症研究所は、知る人ぞ知る最先端の研究所だ。
 空気は澄み渡り、フロアに出れば大窓から富士山を臨めることもあるこの場所で、瑤子が花眠病研究者として働くことになって一週間が経つ。
 季節は、梅雨を間近にした五月も終わる頃。
 青々とした景色が壁の向こうに透けて見えるほどで、実際、この研究所はマジックミラーを応用した白壁に覆われている。入った当初は驚き嬉しがっていたものの、今ではその感動も薄まり、貴重な緑から実験台へ惜しみなく視線を移す。専用の実験台が充てがわれているので、各自の動線は必然的に決まっていた。
「エミ、モニタ見てもいい?」
「問題ないよ」
 挨拶ついでに同僚のエミ・ニコラスの許可を取り、専用端末のスリープモードを解除した。
 高価な機械やシステムは各部屋に一つないし二つまでしか用意されない。共同で用いることになるため、各々使用する時間帯を決めて、ローテーションしていた。
 iPS細胞を用いるエミと成体幹細胞を扱う瑶子は、使用頻度が同じくらいになる。付け加えて、もう一人の同僚が使わないのをいいことに、現在、二人の独占状態だ。
 アプリに表示されたのは、ナンバリングされた、シャーレの内部で育つ細胞の映像と、いくつかのタブ。そのうち瑶子のイニシャルが振られた方を選択すれば、同じ配置で異なる映像が映し出された。
 ボタンを一つクリックするだけで、細胞比率とスケジュールが右上にグラフ表示される。
 これぞ、自動細胞培養装置。便利が過ぎて、ついついガラス越しに機械の動作を眺めてしまう。
 インキュベーターから取り出されたシャーレの中身が、丁寧かつ素早く剥離され、遠心分離機へ移される。数十年前なら、この動作の習得訓練を受けるところから研究が始まっていたかもしれないのだから、ぞっとしない。
「コンタミなし、密度は四○……そろそろか」
 瑶子の扱う細胞は、マウスから作られたJCMES36細胞だ。
 ヒト細胞と同じ感受性を持つ細胞で、日本研究開発法人JCMで販売されている中でも扱いやすく、かつ、植物寄生に最も近い条件だということで研究試料に採用した。というより、瑤子の扱える細胞の範囲が狭く、比較的次に繋げやすい細胞を、となるとこれしかなかったともいう。
 医師免許、もといそれに類する資格はこういう場面で違いを発揮する。最初から再生医学の研究を始めているエミは、とうにヒト細胞を扱えるのだから。
 話は戻り。幹細胞とは、分化を誘導することで臓器や骨になっていく。これはマウスでもヒトでも変わらない性質で、制御の仕方も大凡同じだ。そういう意味での違いはないけれど、マウスかヒトかの違いは避けられない。
 だから、瑤子の目下の目標は、エミと同じ場所に──ヒト細胞への応用が許されるところまで研究成果の信頼性を高めることになっていた。
「今動いているのは、エミのやつ、と」
「何か言った?」
「んー、独り言」
 あえて、日本語と響きの似ている単語で返す。ネタの分かる同僚たちは、下手な真似でも笑ってくれるから有難い。
 各シャーレの保存された画像と細胞比率を確認して、自動培養継続のチェックを外した。これで、午後にはちょうど良いところで取り出せる。ピ、と鳴る機械音に、もう一人の同僚──周アンリが反応する。
「独り言もいいけど、取り出し時は気をつけて。またやらかされると困るんだ」
「ご忠告どーも」
 細胞培養で必要なことは、指数関数的に増える細胞の密度を適切なパーセンテージで管理することと、雑菌混入コンタミネーション、あるいは試料間混入クロスコンタミネーションを防ぐこと、この二つに尽きる。他にも重要なことはあるけれど、瑶子は既にこの二つをやらかしてしまった反省も含めて、特に意識していた。
 会話でも、複数の話題を詰め込めば、互いに混乱することがあると思う。それと似たようなことを実験で起こすと、結果として出てきた状態が正しいかどうか、証明できなくなってしまうのだ。
 細胞というものは、それはもう完璧主義者にでもなったつもりで向き合わないと、とんでもない結果を出してくる。ブラックボックスに振り回される時間を悔やむなら、手前の手順を完璧に、等しく、不純物を許さずきちんと行った方が時間に無駄がない。
「ありがと。予定通り、午後に使うわ」
「わかった」
 メインタブに表示されている瑶子とエミのスケジュールは、作業のコンタミを防ぐために作ってある。
 画面端をタップして、端末をスリープモードに落とした。
 次の作業は情報収拾と植物管理、つまり試薬の準備だ。実験室をでて、斜向かいの部屋へ向かう。同じく殺菌を行なって、入室する。
 土の香りが瑤子の鼻を襲う。
 この部屋は、片側一直線に花壇が設けられ、その手前に水路が用意されていた。植物は全四種類あって、二株ずつ並んで植えられ、すくすく育っている。
 反対側には収納された剪定道具や土壌に肥料と、いつでも植物の観察や毒素の取り出しができるように実験台が置いてあり、ここは白いカーテンで覆われていた。
 水遣り装置がちろちろと水を流し出す音に耳を傾けながら、ようやく、自分の端末をポケットから取り出して画面を開く。
 どうしても、実験を始める前にチェックをしたい記事があった。
「不正研究、ドクター・バーナビーとFDAを巡る研究詐称の行方はいかに」
 同期している点灯システムが、時計の針に合わせて光の強さを変える。そう、今は朝で、東日本の高山帯に日が差し込み始める時間帯だ。壁の向こうの緑にも、影が減っていく。
 ブルーライトカットの入った眼鏡が、室内と端末の眩しさを和らげる。それでも堪えきれなくて、瑤子は瞼を閉ざした。








→続きます
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