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イケナイことをしていたい

イケナイことをしていたい 第三話

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 俺の目の前に座った瞬ちゃんが、ビールの缶を開けた瞬間に、一気にそれを飲み干してみせる。
 瞬ちゃんの細くて白い喉が動いて、ビールを飲み干す。
 それから軽くなった缶をテーブルに叩き付けた。
 今の瞬ちゃんが呑まなきゃやってられない位、正直俺が一番よく理解をしてる。
 だって原因を作ったのは俺のパパ活である。
 俺の事を睨み付ける様に見て、ゆっくりと口を開く。
 
「………俺が解るように、全部説明して」
 
 何処からどう見ても解る位に、瞬ちゃんが怒りまくっている。
 正直俺に対して、瞬ちゃんがこんなに怒りを露わにするなんて初めてだ。
 中性的な瞬ちゃんの綺麗な顔面から、とてつもない威圧を感じる。
 俺はどうしていいか解らずに、瞬ちゃんの部屋の中で蹲っていた。
 
「………ごめんなさい」
 
 どうにもならずにそう答えれば、冷たい眼差しの瞬ちゃんが軽く舌打ちをする。
 
「質問の答えになってねぇ」
 
 その通りである。まさにぐうの音も出ない正論だ。言い返す言葉も何もない。
 瞬ちゃんは殴られた俺を引き取り、職場をわざわざ早退してきてくれた。
 此処まで人に迷惑をかけてしまっておきながら、話を誤魔化し続けているのも良くない。
 けれど本当に洗いざらい吐き出しても、絶対に状況は良くならないだろう。
 
「………女装して、パパ活まがいな真似をしていました…………」
「あ??」
 
 常に無表情の瞬ちゃんが、明らかに威嚇の表情をしている。滅茶苦茶怒り狂っているではないか。
 瞬ちゃんが周りに目茶苦茶怖いと思われてる理由がよくわかる。
 いざ目の前で怒る瞬ちゃん目の当たりにすれば、流石に迫力が凄い。
 そんな瞬ちゃんの前で俺は、完全に場違いな女装スタイルである。
 でも本来なら絶対に、俺だと気付く筈さえないのだ。
 これだけキッチリメイクをして化けたのに、なんですぐにバレたか解らない。
 
「………てか瞬ちゃん、よく俺だって気付いたね」
 
 思わずそう漏らしてみれば、瞬ちゃんが真っ白に染まった髪を掻き上げる。
 そして少し溜め息を吐いてから、空になった缶を持ってフラフラと立ち上がった。
 
「こんだけお前と長い間一緒にいるんだから、解る。それよりなんでこんな真似してたのか、いい加減に話せよ」
 
 新しいビールの缶を手にして、瞬ちゃんがまた俺の前に座る。
 そしてイライラしながらも俺に保冷剤を手渡した。
 
「顔の怪我冷やしとけ。少し腫れてる」
 
 瞬ちゃんは怒っているけれど、相変わらず俺には優しい。
 何だか切ない気持ちになり、顔に保冷剤を当てた。
 冷たい感覚と痛い感覚が一緒に来て、何だかとても惨めになる。
 そして俺は腹を括り、瞬ちゃんに全てを話す覚悟を決めた。
 
「………好きな人がいるんだ。だから始めた。女の子になりたくて。
寂しかったから………こんな風に出歩いてた」
 
 そう言った瞬間に瞬ちゃんの表情が、さっきより優しい表情に戻る。
 俺も瞬ちゃんも言葉を発することが出来ず、ただただ気まずい沈黙が流れてゆく。
 すると瞬ちゃんが何かを察したように、俺こう囁いた。
 
「お前の好きなヤツって…………お前とよく一緒にいるヤツ?
俺名前良く解ってねぇけど……」
 
 瞬ちゃんは鋭い。俺の事をやっぱりよく見ている。
 俺が瞬ちゃんに頷いたら、瞬ちゃんはまた黙ってしまった。
 もうこれ以上隠そうとしたところで、正直どうにもならない。
 
「……秀人女の子大好きだし、俺どうやっても女の子になんてなれないし。
通常の俺の事なんて好きになる筈ないしさ」
 
 今まで自分の中に溜め込んできた感情を口から出せば、どんどんどんどん溢れ出す。
 自分自身が馬鹿だって理解していたけれど、どうしたって自分が止められなかった。
 
「………で、その恰好で遊び回ってたの?」
 
 瞬ちゃんがそう囁いて、俺の顔に手を伸ばす。
 殴られてほんの少しだけ腫れた頬に、指を這わせて悲しそうな表情を浮かべる。
 正直瞬ちゃんがこんなに、感情を表に出してくるのは初めてだ。
 今の瞬ちゃんからは怒りは消えていたけれど、物凄く悲しそうにしている。
 正直今俺は、滅茶苦茶心が痛い。
 
「うん……ごめんね、迷惑沢山かけて……」
 
 この時に俺は心から反省をしていた。
 瞬ちゃんと仲直りが出来たなら、俺の携帯に入っているナンパで会った人は全て削除をしよう。
 今度こそ完全にこういう悪い事はやめよう。
 瞬ちゃんが俺の顔の怪我の様子を見る為か、俺に顔を近付けてくる。
 改めて近くで瞬ちゃんの顔を見てしまえば、その顔立ちが際立って美しい事を理解した。
 さっき無理矢理アキラさんにキスをされたけれど、これだけ綺麗な顔ならきっと、世の中の女の子は不快感なんて抱かないんだなぁと思う。
 そう思った瞬間に、瞬ちゃんが驚くべきことを言い出した。
 
「なぁ、そんなに遊び相手が必要だったら、俺がお前を抱いてやるけど、どうする?」
 
 ん?今なんていった?待って?聞き間違いだよね?
 俺の記憶の中の瞬ちゃんなら絶対に、こんな事言い出さない筈だと思う。
 これは聞き間違いだ。絶対に何かの間違いだろう。
 
「………今瞬ちゃんなんて言ったの?」
 
 俺がそういう風に聞き返せば、瞬ちゃんは表情一つ全く変えずに首を傾げる。
 流し目に鼻筋の通った美しい顔立ちに、真っ白に染め上げられたド派手な髪型。
 誰が見たって振り返ってもう一回この顔を、拝みたくなる位のいい男。
 そんな彼の口からまた、同じ言葉が飛び出した。
 
「だから、お前が遊ぶ男欲しくてこんな事してんなら、俺が相手になるって言ってんだけど」
 
 全く冷静になれない思考回路のままで、ただただ完全に固まっている。
 ただ今解っている事と言えば、瞬ちゃんの顔は滅茶苦茶に男前だという事しか解らない。
 多分今瞬ちゃんは、何か思い違いをしている。
 間違いなく俺は今、売春をしていたと思われているに違いない。
 でも今このタイミングで、俺の身体はまだ清いままだというのもどうかと思う。
 瞬ちゃんが俺の身体を引き寄せて、きつく抱き寄せる。
 あの瞬ちゃんが今、俺の事抱きしめてる。
 思わず身体を強張らせてしまえば、瞬ちゃんが俺の顔を覗き込む。
 そして俺の頬に手を当てて、静かに自分の顔を近付けてきた。
 
「………お前さ、あの男にキスされたのがお前だってわかった時、俺がどんな気持ちだったか解ってる?」
 
 そう言われた辺りでやっと、瞬ちゃんが俺に異様に距離が近かったことだけを思い返す。
 一緒に眠る時の事も、スケジュールの詰め方も、よく考えたら恋人みたいだ。
 けれど俺は正直瞬ちゃんが、俺に好意を抱いているとはまだ思えない。
 こんな綺麗な顔面の人が、女装をする前の俺なんかに、恋をしているとは信じがたい。
 
「瞬ちゃん………距離近い……唇ぶつかる……」
 
 瞬ちゃんの滅茶苦茶綺麗な顔が、俺の顔に近付いてきている。ヤバイ、滅茶苦茶顔が綺麗だ。
 すると瞬ちゃんは、今まで聞いたことのないような甘い声を出した。
 
「………ダメか?」
 
 何時も一緒にいるはずの瞬ちゃんに、正直物凄くドキドキしてる。
 今までの関係性を考えたら、完全にダメでしかない。
 けれど瞬ちゃんがどんな風にキスをするのかという、悪い好奇心が湧いてくる。
 そして俺はこの時、瞬ちゃんの醸し出す空気に完全に飲み込まれていた。
 
「………っダメでは……ないけど………」
 
 そう囁いた瞬間に、瞬ちゃんの唇が俺の唇に重なる。さっきされたキスとは全然違う、優しいキスの感覚。
 瞬ちゃんにされたキスは正直、不快感なんてものはない。
 唇の角度をお互いに変えながら、何度も唇を重ね合わせる。
 暫く時間が過ぎた瞬間に、瞬ちゃんが俺の頭に腕を回した。
 俺の身体をゆっくりと寝かすように倒して、瞬ちゃんが俺の口内に舌を入れてくる。
 身体がゾクリとした瞬間に、瞬ちゃんが俺の目の前で囁いた。
 
「………遊んでたくせに、あんまりキス慣れてないんだな」
 
 今だ。今しかない。今このタイミングを逃してしまえば、俺は瞬ちゃんに言えない。
 身体だけは純潔だと、今言わなければどうにもならない。
 
「瞬ちゃん俺………」
 
 其処まで言いかけた瞬間に、瞬ちゃんが俺の唇を塞ぐ。
 そして瞬ちゃんが俺に、キスの合間に囁いた。
 
「優しくしてあげられる様に、善処する。
………お前のこと、全部塗り替えなきゃ気ぃすまねぇ………」
 
 塗り替えるも何もまだ誰かに染まってもいない……!!
 結局俺はこの時、瞬ちゃんに自分がまだ清いままだとは、伝える事が出来なかったのだ。
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