籠中の鳥と陽の差す国〜訳アリ王子の受難〜

むらくも

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王宮

19.離宮

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 中央宮から少し離れた場所、人気の少ない庭園の中にぽつんと離宮がある。
 ラズリウの第二性別がΩだと分かってからアルブレアへ発つまで、四年の間を過ごした場所。目覚ましい功績を残した戦士への報酬として、武勲を挙げた者達の種を身に受け入れてきた場所。
 はやく記憶の彼方に消し去ってしまいたい場所。

 ……だと、いうのに。

「ここが離宮……綺麗な所だな」

 何の因果か、明日行われる婚約披露の宴席まで離宮で過ごす事になってしまった。無邪気な顔で建物を見ている婚約者の後ろから、テネスが真っ青な顔で視線を向けてくる。
 大変、誠に、実に申し訳ございません――そんな叫び声が聞こえてきそうな表情だ。
 元々別の部屋を王が用意していたのだけれど、それをグラキエ王子が断ったのである。ラズリウの居た離宮で過ごしたいと我儘を言って。
 ネヴァルスト王に願い事をした瞬間のテネスの顔は、きっと一生忘れられないだろう。泡を吹いて倒れそうだと目に見えて分かる人間なんて初めて見た。
 
 グラキエ王子と二人で踏み入れた寝室の真ん中にあるのは、巨大な寝台。
 咬合の訓練を受けてお役目を務めていた場所。時には王族への鬱憤を晴らすように乱暴され、虐げられた空間。
 すくむ足を無理矢理進めるけれど足取りは重い。そんなラズリウを置いて、グラキエ王子は部屋の中央へ歩いていく。
「き、きーえ……っ!」
 過去の記憶と、人攫いに遭った婚約者を見つけた時の光景が一気によみがえってきた。
 あの場所に近付けたくない。まるで彼を汚してしまうような気がして、先に行くグラキエ王子に手を伸ばす。
 けれど振り返った彼は寝台に腰掛け、おいでと優しい声音でラズリウを呼ぶ。
 恐る恐る近づくと、腕を引かれて寝台に引き込まれた。嫌な記憶に固まる体をグラキエ王子の腕と香りが包み込んでいく。そこでようやく、早くなっていた呼吸がゆっくりと落ち着き始めた。

「すまない、嫌な思いをさせてしまって」
 ラズリウの頭を撫でながら、そう呟いたグラキエ王子の唇が額に触れる。ちらりと見上げた先では、眉をハの字に下げた顔がじっとこちらを見つめていた。
「……どうして、離宮になんか……」
「ここは君が俺以外の人間を受け入れた場所だろう?」
 そう改めて言われると、胸が痛い。
 王室のお役目はどう足掻いても避けられなかったのだ。叶うなら唯一の番と――グラキエ王子だけと交わりたかったけれど。 
「そんなものは関係ないと、あの時は言ったものの……やっぱりダメだった。どうしてもモヤモヤして」
 ぎゅうっとラズリウを包む腕に力がこもる。
 
 ……嫉妬だ。
 人に興味が薄いグラキエ王子が。ラズリウの過去を相手にハッキリと対抗心を燃やしている。申し訳ないと思いつつも、やはり嬉しさがじわじわと湧いて止まらない。
 番の胸に頬を擦り寄せると、つむじに柔らかい感触が触れた。
「過ぎた過去は変えられない。だからせめて、この場所で君を抱く最後の人間になりたいと思ったんだ」
「だく……? えっ、いや、でも」
 何の冗談かと慌てて見上げるけれど、その顔は大真面目だった。
 ラズリウの悪夢を消そうとしてくれている気持ちは嬉しい。けれど他国の王宮で事に及ぶなんて前代未聞である。
 
 そんな懸念を汲み上げたのか、グラキエ王子はふわりと笑みを浮かべた。
「国王陛下の許可は得てある」
「……いつの間に」
 この国に来て以来、グラキエ王子は人攫いに遭った時意外は誰かしらが目を光らせていた。ラズリウとて殆どそばに居たから、他の人物が近付けば分かるはずなのに。
「土下座をしたテネスに皆が気を取られた時にな。わざわざ離宮を望む理由を尋ねられて、ありのままを答えたんだが」
 つまり婚約者の父親に、お前の子を抱きたいから離宮に泊めてくれと伝えた……ということか。猛者だ。もしもテネスに聞こえていたら、本当に泡を吹いて卒倒したかもしれない。
「どうせ抱くのなら、いっそ忘れさせろと言われた。だから」
 グラキエ王子がラズリウの右手を取り、そっと指先に彼の唇が触れた。
「どうかこの場での一夜を、俺に貰えないだろうか」
 じ、と金色の瞳がラズリウを見つめる。
 熱に浮かされている訳でも、からかうでもなく。真剣な表情で、大真面目に。

 ……なんでもいい。
 大切な番の望み。何でも叶えてあげたい。

 まるで発作のように湧き起こってくる衝動に、ラズリウは頭を縦に振る。けれど。 
「もしかしたら、最中にお役目の事を思い出してしまうかもしれない。嫌がっても、やめないでくれる?」
 頭の隅に浮かぶのはあの日々の出来事。もう覚えていないはずだったのに、いざ離宮へ戻ればぼやけていた輪郭を取り戻してよみがえってくる。厄介なことこの上ない。
 記憶が薄れていたのはアルブレアに居たからなのだ。グラキエ王子とあの国が、本当に嫌な記憶を忘れさせてくれていた。
「……それは、その……」
 口ごもる婚約者の手を握り、じっと顔を覗き込む。
 
 悪気はないとはいえ、何も言わずに離宮への滞在を決めたのは彼だ。その責任は取ってもらわなければ。
「嫌がったら、ゆっくり宥めて。泣いてしまったら、君の声で名前を呼んで。ここで僕と居るのはキーエなんだって、ちゃんと教えて」
 抱きたいんだと一夜まで乞うておいて、逃げるなんてゆるさない。
「…………分かった」
「途中で投げ出したり、しないでね」
「もちろんだ」
 観念したとばかりに苦笑するグラキエ王子に抱きつくと、すぐに彼の腕が応えてくれる。
 見つめあって触れた頬は少し赤い。そっと口付けて抱き合うと、そのままシーツの中へ倒れ込んだ。
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