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王宮
26.安堵
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空気が重い。
気持ちが重い。
ずっとずっと、恐れてきた。
アルブレアでの時間が過ぎるほど、グラキエ王子との思い出が増えるほど、知られる事がどんどん怖くなっていった。
あまりにも数多くの人間に身を許すのは、他国はおろかネヴァルストでも良い顔はされない。一対で添い遂げるアルブレアならば、なおのこと。
知られてしまったら最後。だから婚約者まで共犯にして隠してきたのに。
見て見ぬふりはできなくなってしまった。しかも祖国への送還がいつでも可能な状況で露呈してしまったのは、隠し続けてきた己への罰なのだろうか。
グラキエ王子の教育係は、じっとラズリウを見つめている。騒ぐ幼馴染に対応する余裕などない。ただただ、婚約者を大切に見守ってきた老紳士の視線に怯え、喉の奥へ戻ろうとする声をどうにか引きずり戻すので精一杯だ。
「ど、うしても……どうしても、言えなくて……」
体の震えが止まらない。
罵倒も非難も覚悟はしている。けれどもし、グラキエ王子の番に相応しくないと言われてしまったら。共に帰る事は許さないと告げられてしまったら。
一人この国に取り残されるのだろうか。
ようやく見つけた番から引き離されてしまうのだろうか。
万が一そうなったら――彼は他の誰かのものになってしまう。
「だ……っ……騙していて申し訳ございませんでした……!」
離れたくない。
ただその一心だった。溢れそうになる涙を何とか押し留め、深く頭を下げる。
何を言われるかと息を潜めていると、顔をお上げくださいと優しい声が促してくれた。恐る恐る頭を上げた先には、いつも通りのテネスの顔が見える。
「グラキエ殿下はご存知のようでしたけれども」
ドキリとした。
巻き込んでしまったグラキエ王子までお咎めを受けるのだろうかと。彼は何も悪くない。怯えるラズリウのために黙っていてくれただけなのに。
「……番になった時に……話し、ました……」
悪いのは一人だけ。
婚約をしてやっと過去を話した己が。引き返せないところまで黙っていた愚か者だけが、大嘘つきの誹りを受けるべきなのだ。
苦しくなる呼吸に立つのがやっとになりながら、テネスの瞳を見つめ返す。向こうもじいっとラズリウを観察した後に目を細めた。
「左様でございますか。ならば問題ありますまい」
言われた言葉が、頭に入ってこない。
何とか回らない頭を回して、何度も思い返したけれど。
「え……?」
やはりその意味が理解できなかった。
混乱するラズリウに、テネスははっきりと微笑みを浮かべる。
「お役目の仔細は存じております。私めも、王家の皆様も」
「えっ」
ついに頭の許容限界を超え、思考が停止する。上手く状況が読み込めない。何も言葉が出ない。
「婚約者候補にとお話があった際、ネヴァルスト王よりお役目についての説明がございました。男性王族ながらΩであるが故に嫁を取れず、番に相応しいαも見つからず、その辺の戦士と交わるよう苦労を強いていると」
「父上、が……?」
ネヴァルストには、アルブレアのようなΩのフェロモンを抑える技術がない。
どうしても働けない期間が出てくるΩは、たとえ男であっても己の家庭は持てない。番となるαの庇護がなければ奴隷のように生きるしかない。
そんな事情を他国の王室に伝えていたというのか。
「国王陛下は当初難色を示されましたが、王妃陛下が貴重な機会を潰すべきではないと。まぁ、当時は体裁だけでも整えばと考えておりましたゆえ」
とんだ傷物でも構わないと思うほど、あの時は切羽詰まっていたらしい。
地方都市の令嬢にまでグラキエ王子の粗雑な対応についての悪評が届いていたというし、よほど焦っていたのだろう。過酷な自然環境に直面するアルブレアでは、人々からの信頼が王室の命綱だから。
思わず呆けるラズリウを抱き寄せながら、グラキエ王子が少し苛立った声を漏らす。
「我が親ながら中々失礼だな」
「当時最も失礼でいらしたのは、他ならぬグラキエ殿下ではありませぬか」
「うっ」
それもそうだ。
初めての顔合わせには遅刻した挙句、兵士に捕縛されて運び込まれてきていた。普段は関わらずに子作りだけしようと悪びれもせずに宣ったし。
過去のやらかしを蒸し返されて唸っているグラキエ王子をよそに、テネスは膝をついてラズリウに視線を合わせてくる。
「ラズリウ殿下に逃げられてしまっては、グラキエ殿下どころか王室の皆様も気落ちしてしまわれます。どうか些細な事はお気になさらず、いつもどおりに」
優しい声音。
ざわざわと波打つ心を、その音は静かに落ち着けていく。
――皆と共に、アルブレアに帰れる。
ようやく頭の理解が追いついて肩から力が抜けた。
「……ありがとうございます……」
深く微笑む老紳士の表情に、とくとくと心臓が少し早く脈打つ。ぼんやりとした頭で微笑み返すと、向こうの方でアスルヤに押さえ込まれていたスルトフェンが大股で近寄ってくるのが見えた。
「ちっとも些細じゃないじゃないだろ師匠! お前もお前だ、何で黙って従っイッテぇぇぇぇ!!」
「ええい、やかましい!」
脛に食らった蹴りがよっぽど綺麗に決まったらしい。いつもならすぐ復活するのに、床でのたうち回るスルトフェンは一向に立ち上がる気配を見せない。
ふんとひとつ鼻を鳴らしたテネスは、新しい教え子の側にしゃがみ込んだ。
「反抗が出来れば苦労せぬわ。王侯貴族に課される義務は軽い物ではない」
諭すような物言いと共に、使い込まれた手がゆっくりとスルトフェンの頭を撫でる。それに対する彼の返事はないけれど、テネスはそれ以上何も言わなかった。
気持ちが重い。
ずっとずっと、恐れてきた。
アルブレアでの時間が過ぎるほど、グラキエ王子との思い出が増えるほど、知られる事がどんどん怖くなっていった。
あまりにも数多くの人間に身を許すのは、他国はおろかネヴァルストでも良い顔はされない。一対で添い遂げるアルブレアならば、なおのこと。
知られてしまったら最後。だから婚約者まで共犯にして隠してきたのに。
見て見ぬふりはできなくなってしまった。しかも祖国への送還がいつでも可能な状況で露呈してしまったのは、隠し続けてきた己への罰なのだろうか。
グラキエ王子の教育係は、じっとラズリウを見つめている。騒ぐ幼馴染に対応する余裕などない。ただただ、婚約者を大切に見守ってきた老紳士の視線に怯え、喉の奥へ戻ろうとする声をどうにか引きずり戻すので精一杯だ。
「ど、うしても……どうしても、言えなくて……」
体の震えが止まらない。
罵倒も非難も覚悟はしている。けれどもし、グラキエ王子の番に相応しくないと言われてしまったら。共に帰る事は許さないと告げられてしまったら。
一人この国に取り残されるのだろうか。
ようやく見つけた番から引き離されてしまうのだろうか。
万が一そうなったら――彼は他の誰かのものになってしまう。
「だ……っ……騙していて申し訳ございませんでした……!」
離れたくない。
ただその一心だった。溢れそうになる涙を何とか押し留め、深く頭を下げる。
何を言われるかと息を潜めていると、顔をお上げくださいと優しい声が促してくれた。恐る恐る頭を上げた先には、いつも通りのテネスの顔が見える。
「グラキエ殿下はご存知のようでしたけれども」
ドキリとした。
巻き込んでしまったグラキエ王子までお咎めを受けるのだろうかと。彼は何も悪くない。怯えるラズリウのために黙っていてくれただけなのに。
「……番になった時に……話し、ました……」
悪いのは一人だけ。
婚約をしてやっと過去を話した己が。引き返せないところまで黙っていた愚か者だけが、大嘘つきの誹りを受けるべきなのだ。
苦しくなる呼吸に立つのがやっとになりながら、テネスの瞳を見つめ返す。向こうもじいっとラズリウを観察した後に目を細めた。
「左様でございますか。ならば問題ありますまい」
言われた言葉が、頭に入ってこない。
何とか回らない頭を回して、何度も思い返したけれど。
「え……?」
やはりその意味が理解できなかった。
混乱するラズリウに、テネスははっきりと微笑みを浮かべる。
「お役目の仔細は存じております。私めも、王家の皆様も」
「えっ」
ついに頭の許容限界を超え、思考が停止する。上手く状況が読み込めない。何も言葉が出ない。
「婚約者候補にとお話があった際、ネヴァルスト王よりお役目についての説明がございました。男性王族ながらΩであるが故に嫁を取れず、番に相応しいαも見つからず、その辺の戦士と交わるよう苦労を強いていると」
「父上、が……?」
ネヴァルストには、アルブレアのようなΩのフェロモンを抑える技術がない。
どうしても働けない期間が出てくるΩは、たとえ男であっても己の家庭は持てない。番となるαの庇護がなければ奴隷のように生きるしかない。
そんな事情を他国の王室に伝えていたというのか。
「国王陛下は当初難色を示されましたが、王妃陛下が貴重な機会を潰すべきではないと。まぁ、当時は体裁だけでも整えばと考えておりましたゆえ」
とんだ傷物でも構わないと思うほど、あの時は切羽詰まっていたらしい。
地方都市の令嬢にまでグラキエ王子の粗雑な対応についての悪評が届いていたというし、よほど焦っていたのだろう。過酷な自然環境に直面するアルブレアでは、人々からの信頼が王室の命綱だから。
思わず呆けるラズリウを抱き寄せながら、グラキエ王子が少し苛立った声を漏らす。
「我が親ながら中々失礼だな」
「当時最も失礼でいらしたのは、他ならぬグラキエ殿下ではありませぬか」
「うっ」
それもそうだ。
初めての顔合わせには遅刻した挙句、兵士に捕縛されて運び込まれてきていた。普段は関わらずに子作りだけしようと悪びれもせずに宣ったし。
過去のやらかしを蒸し返されて唸っているグラキエ王子をよそに、テネスは膝をついてラズリウに視線を合わせてくる。
「ラズリウ殿下に逃げられてしまっては、グラキエ殿下どころか王室の皆様も気落ちしてしまわれます。どうか些細な事はお気になさらず、いつもどおりに」
優しい声音。
ざわざわと波打つ心を、その音は静かに落ち着けていく。
――皆と共に、アルブレアに帰れる。
ようやく頭の理解が追いついて肩から力が抜けた。
「……ありがとうございます……」
深く微笑む老紳士の表情に、とくとくと心臓が少し早く脈打つ。ぼんやりとした頭で微笑み返すと、向こうの方でアスルヤに押さえ込まれていたスルトフェンが大股で近寄ってくるのが見えた。
「ちっとも些細じゃないじゃないだろ師匠! お前もお前だ、何で黙って従っイッテぇぇぇぇ!!」
「ええい、やかましい!」
脛に食らった蹴りがよっぽど綺麗に決まったらしい。いつもならすぐ復活するのに、床でのたうち回るスルトフェンは一向に立ち上がる気配を見せない。
ふんとひとつ鼻を鳴らしたテネスは、新しい教え子の側にしゃがみ込んだ。
「反抗が出来れば苦労せぬわ。王侯貴族に課される義務は軽い物ではない」
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