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第1章~生きる~
第3界 神のいたずら
しおりを挟む「九条泉です!よろしくお願いします!」
この世界で生きることを決めた私は、この世界で、いつも通りの変わらない生活、とは言えない生活をしていました。
「奥様!」
この呼ばれ方にはこの世界に来て2週間経つ今でもなれない。
「なんて格好をなさっているのですか!」
この声は……アナリア女官長だ…
私は、息を吸ってから振り返った。目の前には、アナリアが鬼のような形相で私をみていた。
「あ、アナリア?ど、どうかした?」
「どうかしたじゃございません!何故女官用のドレスを身につけていらっしゃるのです!奥様用の華やかで煌びやかなドレスはもうたくさんお持ちでしょう?もう飽きられてしまったのですか?新しいドレスが必要なのであれば言ってくだされば旦那様はすぐ用意してくださりますのに…」
確かに私の来ているドレスは、スヴァリの城で働く女官のドレスだ。でも、華やかで煌びやかなドレスに飽きたからこのドレスを着ているんじゃない。女官用のドレスは、一番地上の服に似ていたからだ。最初はドレスが珍しくて、すごくワクワクしたけどやっぱり動きにくくて、このくらい丈は長いけど、膨らんでないドレスの方が好きなだけなのだ。
「今日は大切な方とお会いするのですよ!そのようなお姿では」
「大切な方?」
そんな人と会うなんて予定あったっけ?
2週間経って慣れて来たのは、アナリア女官長のお説教くらいかな。
アナリア女官長は、悪魔界の住人で身分の高い女官だ。地上界であろうと、悪魔界であろうと、暮らしているのは人間に変わりはない。神官や特別な力を持つものを除いては。悪魔界には、昔のヨーロッパのような階級制度があってドレスを着る習慣がある。それ以外は日本の元の生活と食べ物もさほど変わらない。でも、悪魔界の人間は、地上界の人間に比べて生きる年数が長いのだ。アナリア女官長でさえも、見た目は29歳くらいなのに、本当は352歳だ。綺麗な顔立ちをしているアナリア女官長は、怒ると綺麗な顔に似合うほどの迫力がある。この世界に来て何度怒られたことか…。でも、悪い人でないことはよくわかる。怒ってないときはすごく気を使ってくれる優しい人だ。この世界に来て2週間あまり。慣れないことはたくさんだけど、やっと、アナリア女官長には慣れて来た。
「奥様!聞いているのですか!」
びくっ!私は体の芯をきっちり伸ばしてお説教を聞いている。これはいつもの光景。廊下や自室で怒られることなんて慣れっこだ。そして、お説教を聞いている午後、廊下かのざわつきが聞こえてくるのもいつもの光景だ。
「奥様!」
「は、はい!」
体をもう一度伸び直した瞬間、彼の腕が後ろから私の肩に巻きついて抱き締められた。
「まぁまぁ、アナリア。」
「スヴァリ!おかえりなさい。」
「おかえりなさいませ。旦那様。」
アナリアは小さくお辞儀をする。
スヴァリは、マントを脱いで私に渡しながら話を続けた。
「ドレスのことはいつものことだ。動きやすいと言うのならそういうことで好きにさせてやれ。」
「ですが、今日はルサファ様が城におかえりになられる日にございます。」
「ああ。確かにそうだな。」
「ルサファ様に、素敵な奥様をもらったんですね。と思ってもらえるようにしたくはないのですか?」
「確かに、泉に煌びやかなドレスを着てもらいたいとは思うが、泉は女官用のドレスでも十分良い女だ。」
そういいながらマントをたたんでいる私の頬に軽くキスをした。私は頬を触りながら、顔の温度が上がっていることを感じていた。そんな私を見てスヴァリは意地悪な笑いを浮かべてまた話を続けた。
「ですが、やはりドレスに着替えなくては…」
アナリアは諦めずにいう。
「それならもう遅いな」
「え?」
「もう来ちまってる。」
スヴァリは入って来た扉の方を向いて指をさした。
ルサファ…誰なんだろう。そんなに偉い神官の人なのだろうか。
扉の奥から靴の音が聞こえる。こちらへ向かって歩いて来ている音だ。刀の揺れる音も聞こえる。
その数秒後、扉は大きく開けられた。
バラのような優しい香りが部屋に広がる。スヴァリとは違う、優しい髪の色、優しい瞳をして、優しい笑みを浮かべて男性が入って来た。
「ルサファ。」
スヴァリに名前を呼ばれ、優しく微笑んだ彼は、頭を下げながら口を開けた。
「お久しぶりです。兄上。地上界からの道中ご無事で何よりです。」
…兄上?ってことは、スヴァリの弟さん…?
私の隣にいるアナリアも深くお辞儀をした。
「して、兄上。連れて帰って来たと言う姫君はどちらに?ご一緒ではないのですか?」
「「「え」」」
私も、スヴァリもアナリアも同時に反応した。
スヴァリは、笑いながら彼に話しかける。
笑い事じゃないわよ。
「ルサファ。ふっ。こちらがその姫君。九条泉だ。間違えるな。」
「え?!!」
ルサファさんは、私の顔を見てありえないくらい驚いていた。そんなに私ってブサイクかなぁ…。私が思った以上に、スヴァリと似合わないんだな…。私が俯いているとルサファさんが慌てて私に駆け寄った。
「あ、えっと泉さ、ん。まさか、姫君だとはおもわず…」
頭を下げながら、私の顔色を伺うルサファさんは優しそうで、なんだかスヴァリとは違う優しさを持っていた。
「ルサファさん。気にしないでください。」
「ルサファ。そうだ。女官のドレスを着ている泉にも落ち度はあるさ。」
そんなスヴァリの言葉を聞いて、おとなしくクスッと笑いながら私に頭を下げた。
私が驚きながら後ずさりをすると、ルサファさんは私の腕を引っ張って左手の甲にキスをした。
「改めまして、ルサファ・ルダー・ツェールと申します。ルサファと、気軽に敬語は無しで呼んでください。」
スヴァリにはない甘い優しさの笑みで私を見つめたその瞳は、私までも笑顔にしてしまった。
「はい。では、私も泉と気軽に敬語を無しで呼んでください。よろしくね。ルサファ。」
こうして、私とスヴァリの間にルサファが加わった新しい生活が始まった。
ルサファは、スヴァリが地上界に来る前から神官の仕事を代わりにしていたそうだ。神官は人の命を天や地獄に送る大切な役目なのにルサファに代わりにやってもらうなんて…。そんなことするなんてよっぽどその仕事が大変だったのだろうか。そこらへんも教えてはくれないのだ。
「…様。泉様。」
名前を呼ばれて振り返ると、ルルーがいた。
ルルーは、見た目の年齢が私と変わらないくらいの女の子の小間使いだ。この世界に来て、私はこの子を友達だと思って接している。ルルーは、素朴な容姿だけど、優しくて、その優しさに合うふわふわした髪の毛を持つなんだか一緒にいてホッとする、そんな空気を持つ子だ。私を唯一、奥様ではなく、泉様と名前で呼ぶのだった。
「どうしたの?ルルー。」
「ヴォント様を見ませんでしたか?」
「ヴォント様?あ、ルサファの専属の内官ね。ちょっと目つきの悪い、」
「目つきが悪くて悪かったですね。」
「きゃ!」
「ヴォント様っ」
私の真後ろから突然現れたヴォントは、大人っぽい顔つきをしている。優しい容姿のルサファとは正反対の容姿だ。
ヴォントは、私の顔をジロリと見た後、頭を下げた。
「奥様でしたか。ご無礼をいたしました。女官のドレスを着てました故気づきませんでした。」
あれ、なんだ。目つきが悪いからもっと口の悪い嫌な人かと思ったけど…よくわからない人だ。
「それで?ルルー。何の用だ。」
ルルーは、ヴォントの前にやってきた。
「ルサファ様がお呼びでいらっしゃいました。」
「…ルサファ様か。わかった。すぐ向かう。では、奥様失礼いたします。」
ヴォントは、不思議な空気を持っている人だ。
ルサファという優しい主人を持ちながらも、本人は冷淡な瞳を持っている。スヴァリの護衛として専属についているレリッシュという内官も不思議な空気を持っている。でも、優しそうな人だ。レリッシュは。
この世界の人は、本当にそんな人ばかり。
元いた世界に比べて、みんな…みんな不思議で…
「……変な人。」
「お呼びですか。」
私に呼び出されたヴォントは、頭を下げながら部屋に入ってきた。この男は信用できるが、長年仕えてきてもらったというのに、ヴォントは私にだって本当の心を見せてくれない。
「ルサファ様?」
「あ、すまない。ヴォントに聞きたいことがあってね。」
「私に、でございますか?」
「ああ。」
ヴォントは、私がそういうと、膝をついて立ち膝をして私にお辞儀をしながら なんなりと と言った。
「兄上が帰ってきた。」
当然のことをさらっと言った私にヴォントは驚き一つ見せずに私の顔をじっと見ている。幼い頃から、ヴォントはこういう人なのだ。私は、ヴォントの生い立ちについて全く知らされないまま、物心ついた頃からそばにはヴォントがいつも仕えていた。同い年だったヴォントとまるで親友のように育って来た。兄上が優秀な方だったから、私に対しての期待はそれほど大きくもなく、のんびり、ゆっくりと彼とともに育って来た。私がまだ幼かった頃、ワガママを言って母上を困らせたことがある。だが、ヴォントは同い年であったというのに、ワガママ一つ言わず、感情を見せたがらなかった。長い間そばにいた私にさえも、今彼がどんなことを思って何をしたいのか、それさえもわからないのだ。感情が読み取れないだけなのか、感情を見せたがらないのか、今でもわからない。色恋についても語ろうとはしない。冷血漢、と言うのだろうか、どんなやつかと聞かれたら、私は、信用のできる男だ。それしか答えることはできないだろう。
「兄上が帰って来たからには、神官の位を兄上に返さなくては。」
「…ルサファ様?」
「…?どうしたのだ。兄上は迷われていた道から帰って来たのだ。泉とともに。これからは、きっと昔の兄上に戻ってくださるはず。神官の位は兄上のような方にふさわしい。そうは思わないか?ヴォント。」
「はい。…そうでございますね。」
その時のヴォントの声は小鳥の鳴き声のような寂しく悲しい声だった。
「泉様っ」
ルルーは弾むような声で廊下を歩いている私の名前を呼んだ。
「アナリア様から預かりものをお渡しします。」
「アナリアから?また飾り物とかじゃないでしょうね…」
私がそう言うと、ルルーは「…あははは…」と苦笑いをしながらたくさんの宝石が付いている華やかな髪飾りを渡した。…やっぱり…
「…はぁ。」
我ながら頂き物を見た瞬間、ため息をついて嫌な顔をするのはどうかと思う。だけど…地上の生活とは違いすぎる…。私はこんなにお金持ちじゃなかった。髪飾り一個にどれだけのお金をかけてるんだろう…。悪魔界にだって、働く人がいる。平民がいるんだ。スヴァリがものすごいえらい神官だと言うことはわかっているけど、やだ。こんなのやだ。
「……泉様?泉様が、華やかなものに興味がないのは承知しておりますが。このような贈り物は、アナリア様からのお心だとお思いくださいませ。泉様がもともと地上にいたことは、城の者みな存じております。このような生活に慣れてないのもよくわかります。特に、スヴァリ様は泉様のためであればお金に糸目をつけない方ですから。スヴァリ様が泉様を愛おしく思う心も、アナリア様が泉様を立派になさりたい心も受け取って差し上げるためにも贈り物はいただいておいた方が良いかと思われます。」
「ルルー。私は、華やかなものに興味がないわけではないわ。」
「え?」
「女の子だもの。綺麗なものは大好きよ。華やかなものは気分がとっても上がるし。」
「ではなぜ…?」
ルルーは思いつめたような表情でわたしに聞く。
そんなルルーに向かって私は大きく笑った。
「なんでだろうね。」
私は歩き出した。
「泉様?」
ルルーは、慌ててついてくる。
「なんで、こんな風に何かにこだわるのかは私もわからない。でも、お金って、スヴァリや、アナリアたちが思うよりも大事で、難しいもの。贈り物だって、あげた方は喜んでくれるかなって思って満足するけど相手側からしたら心からありがとうって思ってくれるかどうかは別じゃない?そうやってお金で受け取るような愛なら私はいらないわ。純粋な愛が欲しいだけ。愛があれば煌びやかで華やかなものなんて一切いらないって私は思うもの。愛は魔法だからどんなに貧しい心も豊かにしちゃう魔法があるのよ。」
「その魔法は私にもかけることはできるのだろうか。」
私の後ろから聞こえてきたその声の主は、ルサファだった。ルサファは、静かに私の元へと歩いてくる。話を聞いていたのだろうか。
「ルサファ。どうしたの?」
「廊下を歩いていたら、泉の声が聞こえたから。こんにちは。」
ルサファを見て深く頭を下げるルルーを見てルサファはそう言った。私はこの光景に対して不思議に思ったが、すぐに納得できる。ルサファは優しい心の広い方だって答えがあればどんな問いにも答えられた。身分関係なく、優しく一人一人を大切にするところは、スヴァリとよく似ていた。もっともスヴァリは裏切り者を見つけてしまったら、どんなに側近のものであろうと厳罰に処すだろう。
「ルサファ?さっきの言葉どういうこと?」
「いや、」
「もしかして、恋しい方でも?」
「ああ。いるさ。結ばれることのない相手だが。」
結ばれることのない相手?もう結婚してたとか?それとも、身分の違う平民とかかな。だとしても、たとえ結ばれなくても、
「…ルサファ。」
「ん?」
「その気持ちは大事にしたほうがいいよ。人を想って、愛する心は残しておかなきゃダメよ。いつかまた、新しくできた愛する人と愛し合うために。」
伝えろとは言わない。おばあちゃんの言っていた通り、伝えたほうがいいとはわかってるけれど、伝えてはいけない。相手の幸せをかき乱してはいけない。そんな時があるんだ。
私の顔をじっと見ているルサファは私と目が合うとクスッと笑って廊下を歩き出した。私はその背中を見ている。
「わかってますよ。義姉上。」
ルサファは私の顔を見ずにそう言った。
「義姉上って…」
まだ、祝言は上げてないのにその響きがなんだかむず痒かった。
「ただ、私は、心から愛する人はこの世に一人しかいないと思いますけど。」
そう言って突然立ち止まったルサファは引き返してくる。
どういうこと?
「え?どうしたの?」
「大事な話を伝え忘れてたよ。」
「大事な話?」
「兄上は神官に戻ると思うよ。」
「え?」
「兄上、泉にカッコ悪い姿見せそうにないから。」
「え?え?」
結局さっきの意味も、スヴァリのこともよくわからないままルサファは廊下を歩いて行った。
私は一人、首を傾げながら廊下を歩いている。
「泉?」
名前を呼ばれて私は振り返った。
目の前には、見覚えのある人影が立っていた。
「スヴァリ。」
スヴァリは、真っ黒の服を着て静かに私の前に回ってきた。
「どうした。廊下で首を傾げて。」
「ううん。何でもない。」
私は、スヴァリに向かって笑った。
「そうか。…その髪飾りは」
私の持っている髪飾りを見たスヴァリは不思議そうに首を傾げた。「あ、これはね」私は、スヴァリに見えるように髪飾りを持ち替えた。
「アナリアからもらったものなんだけど……」
「ふぅん。高価そうなものだな。」
「ほんとだよ。こんな高価なもの…もらえない。」
「……」
スヴァリは、私の顔をじっと見るだけで何も答えない。
愛の他には何もいらない。そんなのありえないとは思う。でも、ありえて欲しい。例えそれが夢物語だとしても、私はそれを夢物語で終わらせたくない。現実を見なければ生きていけない。現実を見て苦しくてもそうやって生きて行くしかできない。そんな地上界ではない場所に来れたのに。ここでも、それは通用しないのだろうか。愛を重んじることはどこの世界でもありえないことなのだろうか。
この世界でも前の世界でも、住んでるのは人間で、外見ばかりしか変わらないこの世界で私は何をしようとしたのだろう。
そんなことを考えている瞬間、唇に温かいものが触れた。
私はそれが、スヴァリの唇だと気づくのに数秒を使ってしまった。
「…え?…す、スヴァリ?」
「息してないような顔してたから。人工呼吸。」
「してるよ!」
「泉。」
数秒前のおかしな行動をとったスヴァリとは180度違うスヴァリが私の瞳を埋め尽くした。
「…どうしたの?」
「何を思ってる?」
「え?」
「この髪飾りを作るのにどれだけのお金がかかるとか、そんなこと考えてるのか?」
「…」
「金のことなら俺に任せればいい。だが、」
いきなり言葉を止めたスヴァリは、私の腕を引っ張ってドレスが揃えられている部屋に入って行く。私はなすがままだった。
「スヴァリ?」
「だが、泉。もし、泉が好きなものを好きなように縛られたくないのなら、好きにしろ。どんな服であろうと、愛することには変わりない。」
「…スヴァリ…」
私が、スヴァリについていけたのは、こういう人柄だったからだ。好きなようにさせてくれそうな、表に出さない優しさを感じれる人だったからだ。吹雪の中、風を吹かせるけれどその風はあったかくて、決して寒くない。そんな人だったからだ。
ドレスがどのようなものであっても愛してくれる。見た目を気にしないでいてくれる。そんな、人だった。だから、私も、素直に愛して、生きていけるような気がするんだ。
それならば、私も、神官の妻としてふさわしいような、そんな人にならなくてはならない。スヴァリが私の人生論を認めてくれた分も私も其れ相応のお返しをして差し上げなくては。
「お、お、奥様?!」
アナリアは廊下を私らしくない静かな足取りでいる私を見た瞬間驚きのあまり、ポットを落としてしまった。
「…アナリア。私、少しずつだけれど、変わっていこうと思うの。」
「…だから、ドレスを?」
私は、今、スヴァリからいただいた煌びやかで華やかなドレスを身につけている。
「ええ。まずは外見から、変えていこうと思う。」
「ご立派ですわ!奥様!」
本当に喜んでくれるアナリアの瞳には涙がにじみ出ていた。どれだけ、喜んでるのか。ふふ。
少しずつでいいから、変わっていこう。やれるだけ、少しずつでいいから変わろう。
「義姉上?」
もうすっかり聞きなれたその声の主の方へと私は振り向く。
「ルサファ。」
「美しいドレスを身につけてるね。見違えたよ。なぁ。ヴォント。」
「はい。本当にお美しくなられて。」
ヴォントも、ルサファと同じように言った。表情を変えずに、ただ何処か一点を見つめながら。
「奥様。」
レリッシュに呼ばれて、ルサファとヴォントに断ってから私は振り返った。
「レリッシュ。どうしたの?」
「旦那様が部屋に来て欲しいとのことにございます。」
スヴァリが?そんなこと直接言いにこればいいのに…
わざわざレリッシュを使って言いにくるなんて私に会いたくないとかそういうことじゃないよね…?
「わかったわ、すぐ向かうわね。」
書斎室。スヴァリのよくいる部屋だ。
本がいっぱい並べてあるテレビとかでよく見る書斎だ。
私は大きく息を吸い込んでから戸をノックした。「どうぞ」という返事が聞こえて、私はゆっくり扉を開けた。
スヴァリは、静かに本を読みながらコーヒーを飲んでいた。
「泉。」
本を閉じて、本棚にしまいながらスヴァリは私に話しかけた。
「…ん?」
「俺は神官の仕事に戻る。」
「え?」
「そこで、泉には俺の補佐を頼みたい。命を送る仕事を手伝って欲しい。」
真剣な表情で言われたのは仕事についてだった。
命を送る仕事…死神。
「…もちろんいいよ。何すればいい?」
そんな、仕事、本当だったら絶対いやだ。私やスヴァリが人の、地上界の人間に関わらなければならない。地上界が嫌だなんて思わない。ただ…地上界が…地上界が、恋しく思ってしまうのでは…
「俺のそばにいろ。」
「え?」
「俺のそばで俺を支えてくれるだけでいい。この世界に来たならば、俺のそばにいろ。」
スヴァリの前に引き寄せられた私は、気がついたら彼の腕の中だった。私は、いつもだったら恥ずかしいことも、今は心地よかった。
地上界を恋しくなんて思わない。この世界で、居場所を見つけたんだ。お母さんにビクビクしながら暮らさなくていい、愛のある場所を。私は見つけることができたんだ。逃げない。絶対に逃げない。今あるこの場所は私が守る。私が絶対に守ってみせる。スヴァリの愛も、私からのスヴァリに対する愛も、私自身が守ってみせるんだ。
私は背伸びをしてほんの一瞬、数えることもできないその一瞬、彼の唇に私の唇を当てた。私は初めて自分からした口づけで焦ってスヴァリから離れようとすると、スヴァリは私の肩を持ったまま、唇を当てて来た。離れようにも、体はしっかり固定されている。でも、不思議と嫌じゃなかった。不思議と彼と離れたくなかった。心地よかった。
ようやく唇が離されると、スヴァリはニヤッと笑って
「エネルギーチャージ完了。」
そう言いながらマントをバサッと取り出して、肩で結んだ。
「スヴァリ。どこにいくの?」
私はまだ顔が赤く熱を放つ頬に冷たい手を当てながら聞いた。
「ルサファに溜まっている仕事の引き継ぎの資料をもらいにいく。神に提出しなければならない資料だからな。」
「あ、ルサファが神官の代わりをしてたから…」
「ああ。これまで行ってもらった仕事の量の確認もある。」
「そう。大変だね…。」
私の顔色を見て、スヴァリは私の方へ駆け寄って、目の前に立て膝で座った。
「心配せず、城で待ってろ。すぐ提出してくるから。」
私の頬を両手で包み込みながら優しく笑った。
そんな優しい笑みに安心した私は明るく笑っていってらっしゃいと告げた。
私がスヴァリが行った後部屋から出ると、若い女官が部屋の前にいた。スヴァリの近くによくいる女官だ…。私と目が合うと女官は静かにお辞儀をして口を開けた。
「お初にお目にかかります。奥様。セルフィと申します。旦那様の世話をしております。」
「どうも…」
私はさっきの一部始終を見ていたのではないかと、恥ずかしさからそれしか言えなかった。
「あ、あの…もしかして、み、見てました?」
「ご無礼かと思いましたが、仲睦まじく宜しゅうございました。」
仲睦まじく…他人から見てもそう見えてるのね。それが、嬉しくてたまらなかった。よかった。嬉しい。
「…スヴァリ様に、」
「え?」
「スヴァリ様に、忠実に、揺るぎない愛をお注ぎくださいませ。奥様。失礼致します。」
彼女は、セルフィは、真の曲がらない強い瞳で私を見つめながらそういった。
スヴァリ様…。彼女はそう言った。スヴァリのことをスヴァリ様…と呼んだ。
スヴァリの近くにいたことで彼女のことは見たことがある。その時、スヴァリに対しては旦那様と呼び、私の前ではスヴァリ様と呼ぶ…この城の女官はみんな、「旦那様」なのに、セルフィは、「スヴァリ様」と呼んだ。なんで……どうして…あえて、彼女は私の前でスヴァリ様と呼んだの。なぜ……
「義姉上?」
その場から動けなく、直立不動になっている私を見つけたルサファは呼んだ。
静かに、ゆっくり私は振り返る。
「義姉上?どうした?」
「……」
ルサファは廊下の遠くを見つめて、セルフィの後ろ姿を見つけると、背中を丸めて私と目線を合わせた。
「セルフィになんか言われた?」
「…え…?」
「気に止めることはないよ。彼女は変わってるんだ。」
「…変わってる?」
私がゆっくり口を開けて聞くと、ルサファは優しく、いや、切なく笑って、私の頬を触った。
「…ルサファ?」
「そんな悲しい顔をしないで。義姉上。部屋で話すから。歩こう。」
ルサファは、優しく私の肩を持ちながら部屋に向かって歩き出した。ルサファ…あなたは優しいね。本当だったらそんな優しさに、そんな温かい心に私の心を委ねたい。でも、優しいだけじゃダメなんだ。甘えて、温かい心の中に生きるだけじゃダメなんだ。私は、甘えてはいけない。ここで、自分の居場所は自分で守ると決めたのだから。
私は、一生懸命笑顔を作ってから、ルサファを呼んだ。
「どうした?義姉上?」
「ごめんね。ちょっと焦ってしまっただけなのよ。だから、大丈夫。こんなに元気なんだもの。頼ってばっかりじゃいられないわ。」
私は、自分の中で一番明るい笑顔をルサファに見せた。
「ごめん!部屋に戻るわ。一人で平気だから。」
私は、ルサファの温かい手を離して、走り出した。
こんな煌びやかで華やかなドレスに似合わない急ぎ足で、私は部屋へと向かった。後ろから聞こえてくるルサファの義姉上!という声も無視して、走った。…振り返ってしまったら、私はルサファに飛び込んで泣いてしまいそうだったから…
「スヴァリ。やっと戻ってきたか。」
現神であるバルメディ様は変わらずご健在だった。
第65代神であるバルメディ様は、誰にでも平等な分厳しく気持ちを曲げない方であった。それは、今も昔も変わらずある心だ。
俺が、久しぶりに神殿に現れると、驚いたのか数分も経たずに現れた。
「長らく姿を見せることがなく、申し訳ございませんでした。バルメディ様。」
「弟のルサファがようやっておったそうだな。いい時に入れ替わるものだ。ルサファのこれまでの仕事に対しての姿勢を見ると、其れ相応の官職に付かせることも考えておるのだが、そなたの働き次第では取り消すことも可能だ。そなたが事件以来、神殿内で仕事をしていないのは平民にも知れ渡っているほどだ。他の神官が何を言うかわからぬ。」
「存じております。」
バルメディ様は、俺を見て、ふっと笑った。
「そんなところはかわらぬのだな。何があっても動揺しない。神官にしておくのはもったいないほどだ。」
「勿体無いお言葉。」
そんな話はどうでもいい。
早く仕事の話に戻れ。早く仕事をもらって城に帰らねば、泉が待っているのだ。
「では、仕事を、お前がきちんと誰よりもできることを次の仕事で証明してみせろ。お前ならできるだろ。」
「して、その仕事とは…?」
バルメディ様はゆっくり、ニヤッと笑って、俺を見た。
「もうすぐ死ぬ人間なのだが、未練があるため天界に運ぶことができぬ。未練を断ち切らせて、天界へ運べ。」
わざとバルメディ様は、めんどくさい仕事を渡してきた。
地上界の命は、未練のないものしか運べない。未練があると、誰も彼も魔界へと送られてしまう。天界に入るべき生涯を歩んできたものは、天界に入るのが道理。天界に入らせるためには未練を断ち切りまっさらな心にしなければならないのだ。そして、それは、ベテランである神官でも難しい。それを成功させることができれば、どんなやつであっても認めざるを得ないだろう。…やってみようか。成功すれば、俺は泉の目にどう写ることができるだろうか。…やってみよう。必ず成功させる。
「…その人間の名はなんといいますか?」
俺は、顔を上げて聞いた。
「坂本功。」
「え?」
「聞こえなかったか。坂本功だ。」
坂本功……これは、神のいたずらか。
バルメディ様がわざと……
復帰始めての命は、坂本功であることを私はまだ知らなかった。神のいたずらに私は、まだ気づいていなかったのだ。
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誰も寄りつかぬ彼らに、ヨシノは微笑み、こう言った。
「部屋が汚すぎて眠れませんでした。私を雇ってください」
※本作はAIとの共同制作作品です。
※史実・実在団体・宗教などとは一切関係ありません。戦闘シーンがあります。
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