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第一部
1ー7 影の襲撃
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館の一階西翼──奥の扉を開けると、古びた食堂のような空間が現れた。
高い天井と、壁沿いに並ぶ装飾棚。白布をかぶった長い食卓には、誰も座る者のいない椅子が十脚以上も並んでいる。
かつては饗応の場だったのだろう。今はただ、打ち捨てられたまま時間が止まっている。
「......まるで、宴が終わったまま、時間が止まってるみたいだな」
思わず漏れた声が、がらんとした空間に吸い込まれていく。
ただの廃屋のようだが、すぐにそれとは違う“気配”を感じ取った。
空気が湿っている。息を吸うたびに鼻を突くのは、何かが腐ったような、生臭さと金属の錆の混ざったような匂い。
窓からの光は届かず、午前だというのに、部屋の奥は闇に沈んでいる。
「……さっきより、変な感じ、強いかも」
セイラが額に手を当て、そう呟いた。
肩にかけた外套のあたりに、淡く、光が集まっているのが見える。
壁には、古びた鏡と肖像画が、対になるように掛けられていた。
片方には、若い女性の微笑を描いた絵。もう片方の鏡は曇っていたが、うっすらと俺たちの姿を映していた。
「......あれ?」
リュクスが、ぴたりと鏡の前で立ち止まり、じっと自分の姿を見つめる。
「俺の顔、こんなだったっけ……?」
呟きながら、一歩、鏡に近づこうとした。引き寄せられるように。
「リュクス?」
セイラが呼びかける。その声に、リュクスはハッとしたように振り返った。
その瞬間──
カーテンが、風もないのにふわりと揺れた。
窓辺から、微かな羽音が聞こえる。何かが舞い降りるような気配。
セイラの淡いプラチナの髪に、白銀の羽がひとひら、音もなく舞い落ちた。
「アルファレア……?」
セイラがそっと呟く。
肩に止まっていた霊鳥は、いつのまにか姿を消していた。だが、どこか“上”の方から、俺たちを見守っているような気配がある。
──気をつけて、見られている。
そんな警告のようなものが、鳥の羽音とともに伝わってきた。
「……ここに、座って」
頭の奥で、ふいに“声”が響いた。ーー低く、高い、二重にくぐもった奇妙な響き。
何処からかも分からない、不思議な音韻。
「今の……聞こえたか?」
俺は思わず辺りを見回す。
食卓の端にあった椅子が、ぎぃ……と軋んだ音を立てて揺れた。誰も触れていないのに、ゆっくり動いていた。
……ゾクリとした。
背中を、冷たいものが這い上がる。
「......誰......だ?」
思わず問いかけたが、返答はない。
ふと見れば、壁の肖像画に描かれた少女の口元が──微かに、笑っているように見えた。
「……気のせい、ですよね?」
リュクスが呟く。だが、その手は腰の短剣に添えられている。
俺も剣に触れた。剣を抜くにはまだ早い......。
だが、"なまもの”とは違った、もっと霊的な……何か種類の違う異変が起きているのは確かだった。
「......一周して、もう一回、かな。何か、変な仕掛けがあってもおかしくないわ」
セイラの声にも、緊張が滲んでいた。
――ぴちょん。
天井から、水滴が落ちたような音。
だが床に水の跡はない。
代わりに、そこには黒い染みのような“何か”が、じわじわと広がっていた。
(……出たな)
すぐに思い出した。先ほど応接室で出くわした“生き物のような影”。
斬ってもすり抜け、煙のようにまとわりついてきた、あの不気味な存在。
「……さっきのと似てるけど、なんか違う気が」
リュクスの声が、静かな部屋に落ちた。
ーー目を凝らすと、床を這う黒い染みから、腕のような“もの”が、ぬるりと這い出してきた。
「……あれ、魔物か?」
その問いに、セイラが首を横に振る。
「……違う。魔物じゃない。“想念に巣食う、残りかす”」
眉をひそめる俺に、彼女は言葉を続けた。
「誰かが残した、強い記憶や感情――そういうのに引き寄せられて、魔力が形を取るの。
魔女の世界だと、そう珍しくないわ」
「つまり……誰かが残した、強い想いが寄り集まって、具現化したってことか?」
「そう。でも、これは......それだけじゃないわ。
この部屋……下から、"なにか"が迫ってきてるの」
「“下”って……地下か?」
「霊圧っていうのかな......。
階層の深いところから、別の何かが迫って来てる感覚があるわ。
今の影は……その“先触れ”」
言葉の余韻が残る中、天井の梁が"ざわり”と鳴った。
直後、アルファレアが甲高く鳴く。
白銀の羽がふわりと広がり、天井近くの影に光が射しこむ。
光に触れた瞬間、影がわずかに引いた。
(――来る!)
影は一瞬にして二手に分かれ、まるで意思を持つかのように襲いかかってきた。
一体は床の染みから這い出し、もう一体は――鏡だ。壁の鏡の中から“這い出すように”して現れた。
「リュクス、下がれ!」
俺は叫んだ。だが、リュクスは動かない。
いや、動けなかった。
リュクスは虚空を見据えたまま、棒のように立ち尽くしていた。
「……やめ……ろ……やめてくれ……」
リュクスの胸元――黒い“手”が大きく拡がり、心臓を探るように這い回っていた。
「リュクス……!」
セイラの叫びが響いた。
「くそっ――!」
俺は斬りかかった。が、斬撃は空を切る。まるで幻だ。
俺を嘲笑うように、すり抜けていく。
そのとき――
アルファレアが鋭く飛び立った。
一際高く鳴き、白銀の羽ばたきが宙を裂く。
閃光のような一撃。
それがリュクスの周囲を瞬時に照らし出す。
影が苦しげに揺れ、悲鳴を上げるようにのたうち――次の瞬間、霧のように散っていった。
……が。
壁の鏡の中から、声が響いた。
『忘れたふりは、もうやめなさい」
女の声だった。だが、それが現実かどうかも分からない。
リュクスの顔が強張ったまま、ぴくりとも動かない。
セイラは鋭い目をして、低く呟いた。
「魔女......」
(……やっぱりか)
今の影――あれは、霊でも魔物でもない。精神に、直接仕掛けてくる攻撃だ。
「そういう......魔女たちもいるのよ。
隠れて、心を侵すような、嫌らしいタイプね」
セイラの声には確信があった。
影は、ただの“端末”――魔術的な媒介に過ぎない。
敵の本体は、もっと遠く。あるいは、この館の何処で、内部に干渉している。
「あれは......心の奥から、恐怖や後悔を引きずり出して、飲み込もうとするの。
……でも、まだこれは前触れ。本体じゃない」
俺は息を吐き、剣を収めた。
リュクスが肩で息をしていた。顔は青ざめている。
「……何か、見たのか?」
「……いいや、思い出したくない……いや、違う。見せられた気がする。知らないはずの記憶を、無理やり……」
言葉に詰まりながらそう言った彼の目は、やはりどこか怯えていた。
「……行こう。先へ」
セイラが言う。
その足元で、何かが“沈んだ”ような感触が伝わった。
(床の反応……?)
思わず視線を落としたが、そこに階段らしきものは見当たらない。
「地下か……いや、違うな。まだこの階だ。ここから、文書室と倉庫に繋がってる」
懐から地図を取り出し、あらためて、目的の文書室と倉庫の場所を確かめる。
「ええ。その奥に、“まだ見てない場所”があるはず」
俺たちは、もう一度息を整えて、歩き出した。
――次の目的地は、一階北翼。かつての保管庫跡。
その先に、“本物の気配”がある。
高い天井と、壁沿いに並ぶ装飾棚。白布をかぶった長い食卓には、誰も座る者のいない椅子が十脚以上も並んでいる。
かつては饗応の場だったのだろう。今はただ、打ち捨てられたまま時間が止まっている。
「......まるで、宴が終わったまま、時間が止まってるみたいだな」
思わず漏れた声が、がらんとした空間に吸い込まれていく。
ただの廃屋のようだが、すぐにそれとは違う“気配”を感じ取った。
空気が湿っている。息を吸うたびに鼻を突くのは、何かが腐ったような、生臭さと金属の錆の混ざったような匂い。
窓からの光は届かず、午前だというのに、部屋の奥は闇に沈んでいる。
「……さっきより、変な感じ、強いかも」
セイラが額に手を当て、そう呟いた。
肩にかけた外套のあたりに、淡く、光が集まっているのが見える。
壁には、古びた鏡と肖像画が、対になるように掛けられていた。
片方には、若い女性の微笑を描いた絵。もう片方の鏡は曇っていたが、うっすらと俺たちの姿を映していた。
「......あれ?」
リュクスが、ぴたりと鏡の前で立ち止まり、じっと自分の姿を見つめる。
「俺の顔、こんなだったっけ……?」
呟きながら、一歩、鏡に近づこうとした。引き寄せられるように。
「リュクス?」
セイラが呼びかける。その声に、リュクスはハッとしたように振り返った。
その瞬間──
カーテンが、風もないのにふわりと揺れた。
窓辺から、微かな羽音が聞こえる。何かが舞い降りるような気配。
セイラの淡いプラチナの髪に、白銀の羽がひとひら、音もなく舞い落ちた。
「アルファレア……?」
セイラがそっと呟く。
肩に止まっていた霊鳥は、いつのまにか姿を消していた。だが、どこか“上”の方から、俺たちを見守っているような気配がある。
──気をつけて、見られている。
そんな警告のようなものが、鳥の羽音とともに伝わってきた。
「……ここに、座って」
頭の奥で、ふいに“声”が響いた。ーー低く、高い、二重にくぐもった奇妙な響き。
何処からかも分からない、不思議な音韻。
「今の……聞こえたか?」
俺は思わず辺りを見回す。
食卓の端にあった椅子が、ぎぃ……と軋んだ音を立てて揺れた。誰も触れていないのに、ゆっくり動いていた。
……ゾクリとした。
背中を、冷たいものが這い上がる。
「......誰......だ?」
思わず問いかけたが、返答はない。
ふと見れば、壁の肖像画に描かれた少女の口元が──微かに、笑っているように見えた。
「……気のせい、ですよね?」
リュクスが呟く。だが、その手は腰の短剣に添えられている。
俺も剣に触れた。剣を抜くにはまだ早い......。
だが、"なまもの”とは違った、もっと霊的な……何か種類の違う異変が起きているのは確かだった。
「......一周して、もう一回、かな。何か、変な仕掛けがあってもおかしくないわ」
セイラの声にも、緊張が滲んでいた。
――ぴちょん。
天井から、水滴が落ちたような音。
だが床に水の跡はない。
代わりに、そこには黒い染みのような“何か”が、じわじわと広がっていた。
(……出たな)
すぐに思い出した。先ほど応接室で出くわした“生き物のような影”。
斬ってもすり抜け、煙のようにまとわりついてきた、あの不気味な存在。
「……さっきのと似てるけど、なんか違う気が」
リュクスの声が、静かな部屋に落ちた。
ーー目を凝らすと、床を這う黒い染みから、腕のような“もの”が、ぬるりと這い出してきた。
「……あれ、魔物か?」
その問いに、セイラが首を横に振る。
「……違う。魔物じゃない。“想念に巣食う、残りかす”」
眉をひそめる俺に、彼女は言葉を続けた。
「誰かが残した、強い記憶や感情――そういうのに引き寄せられて、魔力が形を取るの。
魔女の世界だと、そう珍しくないわ」
「つまり……誰かが残した、強い想いが寄り集まって、具現化したってことか?」
「そう。でも、これは......それだけじゃないわ。
この部屋……下から、"なにか"が迫ってきてるの」
「“下”って……地下か?」
「霊圧っていうのかな......。
階層の深いところから、別の何かが迫って来てる感覚があるわ。
今の影は……その“先触れ”」
言葉の余韻が残る中、天井の梁が"ざわり”と鳴った。
直後、アルファレアが甲高く鳴く。
白銀の羽がふわりと広がり、天井近くの影に光が射しこむ。
光に触れた瞬間、影がわずかに引いた。
(――来る!)
影は一瞬にして二手に分かれ、まるで意思を持つかのように襲いかかってきた。
一体は床の染みから這い出し、もう一体は――鏡だ。壁の鏡の中から“這い出すように”して現れた。
「リュクス、下がれ!」
俺は叫んだ。だが、リュクスは動かない。
いや、動けなかった。
リュクスは虚空を見据えたまま、棒のように立ち尽くしていた。
「……やめ……ろ……やめてくれ……」
リュクスの胸元――黒い“手”が大きく拡がり、心臓を探るように這い回っていた。
「リュクス……!」
セイラの叫びが響いた。
「くそっ――!」
俺は斬りかかった。が、斬撃は空を切る。まるで幻だ。
俺を嘲笑うように、すり抜けていく。
そのとき――
アルファレアが鋭く飛び立った。
一際高く鳴き、白銀の羽ばたきが宙を裂く。
閃光のような一撃。
それがリュクスの周囲を瞬時に照らし出す。
影が苦しげに揺れ、悲鳴を上げるようにのたうち――次の瞬間、霧のように散っていった。
……が。
壁の鏡の中から、声が響いた。
『忘れたふりは、もうやめなさい」
女の声だった。だが、それが現実かどうかも分からない。
リュクスの顔が強張ったまま、ぴくりとも動かない。
セイラは鋭い目をして、低く呟いた。
「魔女......」
(……やっぱりか)
今の影――あれは、霊でも魔物でもない。精神に、直接仕掛けてくる攻撃だ。
「そういう......魔女たちもいるのよ。
隠れて、心を侵すような、嫌らしいタイプね」
セイラの声には確信があった。
影は、ただの“端末”――魔術的な媒介に過ぎない。
敵の本体は、もっと遠く。あるいは、この館の何処で、内部に干渉している。
「あれは......心の奥から、恐怖や後悔を引きずり出して、飲み込もうとするの。
……でも、まだこれは前触れ。本体じゃない」
俺は息を吐き、剣を収めた。
リュクスが肩で息をしていた。顔は青ざめている。
「……何か、見たのか?」
「……いいや、思い出したくない……いや、違う。見せられた気がする。知らないはずの記憶を、無理やり……」
言葉に詰まりながらそう言った彼の目は、やはりどこか怯えていた。
「……行こう。先へ」
セイラが言う。
その足元で、何かが“沈んだ”ような感触が伝わった。
(床の反応……?)
思わず視線を落としたが、そこに階段らしきものは見当たらない。
「地下か……いや、違うな。まだこの階だ。ここから、文書室と倉庫に繋がってる」
懐から地図を取り出し、あらためて、目的の文書室と倉庫の場所を確かめる。
「ええ。その奥に、“まだ見てない場所”があるはず」
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