妹と歩く、異世界探訪記

東郷 珠

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変わりゆく日常

269 ラーメンを届けよう

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 スープの仕込みを始める冬也。
 ペスカは、そんな冬也に後ろから近づくと、背中を軽く叩いた。
 首を傾げる様に、振り向く冬也。しかし、ペスカの表情は曇ったまま。
 そっと覗き込む様に、見つめる冬也に、ペスカは言い放つ。

「女の子の純情を弄ぶ男は、最低なんだよ。お兄ちゃん」

 その言葉で、ペスカが何を言わんとしているのか、冬也は理解した。
 定期的に連絡すると、空とした約束が果たされていない。
 確かに、空が日本に帰った後は、怒涛の毎日で連絡どころの騒ぎではなかった。事態は、世界の崩壊までに至ったのだから。
 しかし平穏が訪れた今、定期連絡が出来ないはずが無い。
 
 今の冬也は、女神フィアーナをも凌ぐ神気を持っている。
 誰に頼らなくても、次元を超え地球との間を行き来する事すら、不可能ではない。
 だが、冬也は躊躇っていた。
 何故なら、自分に対する空の想いを理解していたから。そして、その想いには応えられない事も。
 ロイスマリアは人と神、共に歩む世界を歩み始めた。しかし、それは良き隣人として。
 
 いずれ人間の体が朽ちれば、冬也は神として永遠の時を過ごす事になる。
 一人の男として、空の気持ちは嬉しい。
 しかし不老不死が、幸せなのか? いや、それは苦痛でしかない。
 だからこそ、冬也は人である事に拘った。
 だからこそ、冬也は数十年足らずの生涯に拘った。

 永遠の時を過ごす退屈と言う名の苦痛は、誰しもが耐えがたいものである。
 神が機械的に、世界の一部として機能するだけの存在になるのも、仕方ない事であろう。
 
 生物でありながらも、死と遠くかけ離れたエンシェントドラゴンと、人間とは違う。スールやミューモであれば、生物であろうが神であろうが、存在定義が異なるだけで、成すべき事は変わりがない。
 また、転生前の時点で神に近い存在となっていたペスカ、冬也の神気を吸収し神格が生まれ始めていたブルも、異質な存在だと言わざるを得ない。
 
 しかし、空は違う。
 如何に、邪神ロメリアを倒した英雄の一人に数えられようと、彼女はまだ人間なのだ。輪廻の中で、新たな生を繰り返す権利が有る。
 だから、冬也は戸惑っていた。
 空が自分を慕ってくれている事は、子供の頃から知っていた。成長するごとに、想いが強くなっていく事も。
 流行り病の様な一過性の感情であれば、数日もあれば消え去るだろう。
 恐らく、空の想いは変わらない。数年の間、連絡が無い位では。

「なんか、お兄ちゃんらしくないよ」
「わかってる」
「なら何でさ? 連絡くらいしてあげれば良いのに」
「そんな簡単なもんじゃねぇんだよ。結論は出す、あの子の為にもな」
「何か面倒くさいね、男心ってさ」
「うるせぇよ、女心よりは単純だ」

 迷いを棚上げする様に、冬也はスープ作りに励む。
 最適解など存在しない。
 出来ない決断、掛けられない一言、迷いながら、それでも冬也は答えを探そうと足掻く。
 
 恐らく、まだ時間が必要なのだろう。
 ペスカは溜息をつきながらも、冬也の作業を手伝い始めた。

「かっこいい所、見せてよね」
「俺はかっこよくねぇよ。いつだってさ。てめぇの事で精一杯のガキだ。だから、せめて家族だけでも守りてぇ」
「お兄ちゃん・・・」
「あの子が自らの足で踏みだす道を、俺が否定なんか出来ねぇ。だけど、俺があの子の道しるべになっちゃいけねぇんだ」
「まぁ、お兄ちゃんの微妙な男心は置いといて。私にも同じ位、優しくして欲しいんだけどなぁ~」

 ペスカは、冬也を下から覗き込む。蠱惑的な上目遣いは、冬也をして赤面させた。
 
 ☆ ☆ ☆

 一方、アンドロケイン大陸のとある採掘場には、ドワーフを始め様々な亜人が集まっていた。
 かつて多くの亜人が溢れていた大陸一の採掘場は、いつしか打ち捨てられ廃墟と化した。
 しかし現在、既に朽ちていた建物が新たに立て直され、再び多くの亜人達が集まる。
 その傍らには、少年の姿をした一柱の神が佇む。
 やや扱けた頬でも、柔らかな表情で亜人達を見つめる姿は、久方振りに訪れた喧騒を楽しんでいる様にも見えた。
 
 採掘場周辺には、少し前に見たマナで動く鉄の箱にも似た乗り物が、多く置かれていた。
 大きな荷台が備え付けられた乗り物は、鉄鉱石等を大量に積み走り去っていく。
 荷馬車では到底考えられない量の荷物を運ぶ姿に、少年の姿をした神は時代の変化を痛感していた。

「まぁ、元気なのは良いんじゃが、こんなに鉄が必要なのかのぅ? にしても、ありゃぁ何じゃ?」
「あれは、トラックって言うらしいわよ。ウィルラス」
「おぉ、ラアルフィーネ様。また来て下さったか」
「それと、鉄はあの乗り物や建物に使うらしいわ。ペスカちゃんの発明らしいの」
「やはり、奴らの仕業じゃったか。おかげで、儂はいつまで経っても小さいままじゃ」

 力の弱い氏神であるウィルラスは、アルキエルとの戦いで奇跡的に生き延びた。
 ただその戦いで、ウィルラスは大きく神気を失い、暫くの間は身動き一つ取れずにいた。
 その後、平和が戻った世界でウィルラスを待ち受けていたのは、鉱石を求める亜人達の姿であった。
 亜人が集まると共に、ウィルラスの神気は少しずつ蘇っていく。
 次々と鉱石が掘り返される度に、ウィルラスは鉱山に神気を注ぐ。その為、神気が蘇っても、ウィルラスの姿は小さいままだった。
 それどころか、ウィルラスは以前よりも小さくなっている。
 その様子を危惧した女神ラアルフィーネは、時折ウィルラスの下を訪ねて、神気を分け与えていた。

「いつも、すみませんな。ラアルフィーネ様」
「良いのよ。いっその事、私の子になっちゃう? 神気が枯渇する心配が無くなるわよ」
「有難い申し出じゃが、お断りじゃな」
「なんでよ。ベオログはミューモの眷属になってるのに?」
「儂が奴の分霊であったとしても、奴と儂は違う。儂はこの地に愛着が有る。それに儂の様な力の弱い者には、この大陸は大きすぎじゃ。分相応ってもんが有るじゃろ?」
「相変わらず頑固ね。まぁいいわ」

 フウと、頬に手を当て溜息をつく女神ラアルフィーネ。
 それでも、包み込む様な女神ラアルフィーネの優しい雰囲気に、少しウィルラスの本音が零れる。

「ただなぁ」
「どうしたの?」
「供物が旨くない! だから力が沸かんのじゃ!」
「それは問題ね。ただねぇ・・・」

 女神ラアルフィーネは、大地母神であると共に愛を司る神である。
 文化には疎く、亜人の食事には何の関心も持っていない。
 流石の女神ラアルフィーネも眉根を寄せ、言葉を失った。
 
 神にとって信仰は、自身の存在を維持する為に必要なものである。
 例えば、ラフィスフィア大陸の各地で行われる奉納祭は、大地の維持に使った女神フィアーナの神気を大きく回復させる。贅を尽くせば良いわけではない。信仰の強さが重要になる。
 おざなりに奉納された供物では、ウィルラスの神気は然程の回復を見せない。
 実の所、ウィルラスにとってこれは、大きな問題であった。とは言え、女神ラアルフィーネに解決出来る問題ではない。
 女神ラアルフィーネが頭を抱えているその時であった、空間が揺らぎ騒がしい声が届いた。

「ようウィル! 元気にしてたか? って前より小さくなってねぇか? 今何歳児になったんだ?」
「きゃ~、ウィル君が可愛くなってる! おね~さんが、抱っこしてあげよっか?」

 聞き覚えの有る声であったが、小馬鹿にする様な言葉に、ウィルラスから懐かしさなど消し飛ぶ。

「馬鹿者! 相変わらずじゃなお前達は! 儂はお前達の先輩じゃぞ、敬意を払わんか!」
「いいじゃねぇか、ウィル」
「そうだよウィル君。拗ねた顔は、可愛くないよ」
「五月蠅いぞ、小娘!」
「あ~、そんな風に言って良いのかな? せっかくお土産持ってきたのにな~」

 ペスカと冬也が現れてから、周囲には不思議な香りが立ち込めている。
 その香りが気になったのは、当のウィルラスだけではない。

「ねぇ冬也君。それって食べ物? 良い匂いね」
「おぅ、ラアルフィーネさんか。沢山あるぜ、あんたも食うか?」
「いいの? 嬉しい冬也君」
「ラアルフィーネ様! そう言いつつ、お兄ちゃんに抱き着こうとしないで!」

 ペスカ達の到来で、ウィルラスの周囲は急に騒がしくなる。
 溜息をつくウィルラスであったが、不思議とその表情には笑みが浮かんでいた。

「坊主。前とは違う香りじゃな」
「ウィル。これ食って腰を抜かすなよ!」
「ほぅ、自信が有るようだな。なら、早う食わせろ」

 タールカールの住民達へ提供した様に、冬也は特製のラーメンを丁寧に仕上げる。
 二柱の神は、眼前の前に出された未知の料理に、やや目を見開いた。
 器用に箸を使い麺を啜る、そして器に口をつけスープを飲む。

「言うだけはあるのう。確かに旨い」
「ほんと、美味しいわ冬也君。なんて料理なの?」
「ラーメンだ」
「ほぅラーメンか。前は獣の味だけであったろう? これは更に味わいが深いのぅ」
「ちょっと待ってウィルラス。あなた、冬也君の手料理を食べた事があるの?」
「あぁ。前にこ奴らが立ち寄った時にじゃ」
「なによ、ずるいじゃない! なんで私も呼んでくれなかったのよ、冬也君!」
「うるせぇラアルフィーネさん。いいじゃねぇかよ、いま食ってんだから」

 ガヤガヤとした騒がしさと共に、ラーメンの香りが周囲に広がっていく。
 労働で腹を減らした亜人達の、注目を集めるのは必然であったろう。
 気が付いた時には、周囲に亜人達が集まっていた。
 そして、冬也はここでもラーメンを提供し続ける事になる。

 口々に零れる感嘆の声。
 寸胴で仕込んでスープが無くなるのは、さほど時間がかからなかった。
 
「また持ってきてくれんか。坊主の料理は、いつも儂の神気を高めてくれる」
「いいぜ。しょっちゅうとは、いかねぇけどな」
「私も食べたいわ!」
「いいけどよ。ラアルフィーネさんはウィルと違って、自由に大陸を渡れるだろ? 食いたきゃ勝手に来いよ! タールカールに来れば、いつでも食えるぜ」
「ほんと? 必ず行くわ、冬也君」

 大地母神が認めた料理として、ラーメンは亜人達の口から大陸中に噂が広がっていく。しかし作り方を知らない亜人達は、こぞってラーメンを求め、タールカール大陸を訪れる様になる。
 これは、やがて世界中を巻き込むラーメンブーム、そのきっかけとなった物語。
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