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赤の章

赤十五話

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「お帰りなさいませ、デンファーレ王、アキレス女王」
 スウェルトの城の入口でルークのアフェランドラとスクアローサがメリルから帰還したデンファーレ王とアキレスを出迎えた。アキレスは迎えの挨拶に答え、デンファーレ王は留守を預かった者達を労った。
「長く城を空けたな。ありがとう」
「城の守りご苦労であった」
 アフェランドラが報告した。
「王と女王の無事のご帰還は何よりだ。城の方は変わっていない。安心されよ」
「メリルはいかがでしたか?」
 スクアローサは王に問うた。
「カトレアに会ってきた」
「ルーク並みの魔力をお持ちの方ですね、カトレア王は。チェスの話はされましたか?」
「いいや。カトレアは自分でチェスに参加せず、バラ族のチェスの時に暗躍するつもりであろう」
「アキレス女王は初めてのメリルはいかがでした?」
「私は楽しかった。また王と行ってみたいと思った。今度はバラ族でチェスをする時かな」

「ふふ、魔法ですね」
 王と女王が私室に下がった後、王の間でスクアローサが姉のアフェランドラに言った。
「アキレス女王は旅から帰られて、よりお綺麗になられましたよね」
「スクアローサも感じたのだな。我は王との仲が近付いたように見える。良いことだ」

「王はお変わりないのですね」
 ブラックベリはふっと笑った。デンファーレ王が旅から帰ってきた夜、王はブラックベリを廊下で待っていた。仕事の話は溜まっていた。ブラックベリは王と中庭へ行き、話をしていた。王はいつもの鋭い眼でブラックベリを見た。ブラックベリは謝った。
「これは失礼。城の者達の話を聞き及んでいましたので」
 ブラックベリは王のプライベートな話は聞かない。それはけじめであり、暗黙の了解だった。
 ブラックベリは王は真面目だと思った。旅の疲れもあるだろうし、久しぶりの慣れた城ではアキレスと過ごしたいだろう。しかし、王は仕事の事務的な連絡を優先した。この王は仕事にかける時間が長い。朝は早く起き、夜も普通の王より終えるのが遅い。仕事中毒のきらいがある。それはブラックベリも同じで、共感のできることだったが。
 王は言った。独り言のように呟くものだった。
「私は変わらない」
「さようでございますね」
 その方がブラックベリは仕事がしやすい。しかし、王は旅で美しさが増したとは思った。アキレスとの旅で変わったのだろう。その活力がそのまま仕事に向くのが、この王らしい。
「私は他の町を見ているだけの者ではない。私は王だ。職務をこなし町を栄えさせたい。そのための時間はいくらでも削ろう」
「ごもっともで」
 そのために夜の時間も削る、と王は言葉に出さずに言った。
「ブラックベリの助けはありがたい。お陰で城を長く空けることもできた」
「王にお役に立てて至極光栄でごさいます」
「また私が変わるという噂が流れても、気にすることはない。ブラックベリも逆風が吹く時もそのままでいて欲しい」
「王よ、私のことはお気になさいますな」
 王の気遣いをブラックベリは受け止めた。デンファーレ王はふっと笑った。
「それでいい」
「そろそろ夜も更けて参りました。今日はこれくらいでいかがでしょうか」
「そうしよう」
 王は立ち上がり、ブラックベリは影のように後に続いた。城の中で王との別れ際、ブラックベリは一言告げた。
「あまり無理をなさいますな」
 王のたまった仕事は時間魔法を使って寝ずに働くというわけにはいかない。この王は陰で努力する。王は答えた。
「分かった。今日は休もう」
 素直な言葉にブラックベリはアキレスの影を見た。そして安堵して見送った。

「起きていたか、アキレス」
 デンファーレ王がブラックベリとの話を終えて私室に戻ると、アキレスが待っていた。遅い時間であった。
「眠れなかったか?」
 王は労るようにアキレスに聞いた。部屋を出る前に、アキレスには先に私室に戻って寝てていいと伝えてあった。アキレスは爽やかに笑った。
「いいや。私も月を眺めていた」
「そうか」
 デンファーレ王はコップに残っていたぬるいコーヒーを手に取り飲み干した。アキレスは言った。
「今日は王の顔を見てから寝たかった。それでは私は下がろう。王も早く休むといい」
 デンファーレ王は退室するアキレスを止めた。
「今夜はここで休めばいい、アキレス」
 アキレスは振り返り、聞いた。
「私の気持ちは重くはないか?」
「何を言ってる」
 デンファーレ王は寝る支度をした。旅の間、デンファーレ王とアキレスはいつも一緒に寝ていた。デンファーレ王はアキレスの気持ちを想った。
「私はアキレスを避けない。アキレスの気持ちは全部受け取る」
 アキレスはふっと心が酩酊した。酔いは心地よく、それは言葉について出た。
「一つ本音を言うと、私は旅の間、王を独り占めできて楽しかった。その心が今夜も残っていたらしい」
「分かっている」
 デンファーレ王は一言応えた。
「さあ、早く眠ろうぞ。続きは夢の中で語るとしよう」

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