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雌(おんな)No.1
しおりを挟む「雌(おんな)」
目次
第一部「行商」
第二部「屋台」
第三部「料亭」
第四部「そして死刑」
第一部「行商」
1、
嵐の夜、海から吹きつける風に乗り、汐飛沫が雨に混じり、寂れた漁村に襲い掛かる。その村外れ、一帯に群生し、風にしなる松の枝葉のその下に数基程の墓柱がある。
魔物の雄叫びのように風が不気味に唸りを上げ、苔蒸した墓石に雨粒が打ち付ける、その墓地に接して、みすぼらしい小屋が一軒、屋根に葺いたトタン板が風に煽られて、今にも引き千切られそうにめくれ上がる。
女、藤子は、一回りも若い、元特捜警官並木の体に敷かれて、剥き出しの屋根裏を見上げていた。一本の蝋燭、風に煽られて炎が揺れ、影が揺れる、その蝋燭灯りに照らされて、天井に張り付いた蜘蛛の巣を何気に見ていた藤子、その蜘蛛の巣に一匹の蜘蛛を見つけて藤子は、溢れる欲情丸出しに、熟れた藤子の乳房に赤子のようにしがみつく並木の髪の毛を揉みながら、その蜘蛛を凝っと見ていた。蜘蛛の腹が、揺れる蝋燭灯りの加減で時に虹色に煌めき藤子の気を惹いた。
女郎蜘蛛?そのすぐ前にもう一匹、体は半分程しかない小さな蜘蛛を藤子は見つけた。良く見ればその蜘蛛も同じ腹の模様、これも女郎蜘蛛か。大きな方の蜘蛛が、前に居る蜘蛛との距離を詰めているのが判った。二匹は睨み合う形で動かなくなった。
が、風に巣の網が煽られた瞬間、小さな方が大きな蜘蛛の後ろに素早く回り込んで藤子を驚かせた。意外な展開に藤子は、はっと息を飲んだ。同時に並木の体が痙攣した、藤子は並木の頭を両手で包み、痙攣が治まるのを待った。
小さな蜘蛛、大きな方を数本の足でその腹を絡めると交尾を始めた。小さな方が雄、だったのか。
しかしそれはほんの一瞬、だった。雄蜘蛛に雁字搦めに抱え込まれていた雌蜘蛛が急に暴れて小さな雄蜘蛛を跳ね返した。小さな蜘蛛は仰向けになって糸に縺れた。
雌蜘蛛は素早く雄の腹を糸で絡め、雄蜘蛛は仰向いて暫くもがいていたが、その腹に雌が喰らいついた。むしゃむしゃと雄蜘蛛の腹を噛み砕く音が藤子にも聞こえてきた。
雄は足を丸めてもがいていたが、やがて動かなくなった。その時、だった、顔を藤子の乳房の間に埋めて喘いでいた並木、最後に大きく痙攣して果てた。
ふと、風の所為ではない、物音がした。物音は破れ障子の向こうから、だと判った。どうせ、また、亭主の耕三が寝床から這うように起き上がり、藤子と並木の濡れ場を覗いているのだろう。
藤子は十五、六の頃、同じ村の庄屋の屋敷で住み込み女中として働いていた。その屋敷で下男として働く、二回りも年上の耕三と所帯を持った。それはもう二十年も前、二人は廃て家となっていたこの家に住んで、所帯をもった。
一年もせず耕三は病に罹った、一日中咳込み、屋敷から疎まれて遂に仕事を失い、薬など買える筈もなく、病は進んで一日中寝て生きていた。
藤子は、金を稼ぐため、漁港で水揚げされた魚を捌き、トロ箱に氷を詰める早朝の仕事を終えると、そのまま庄屋の屋敷に戻って夕方まで働き、夜は骨ごと擂り潰した魚の身を油で揚げる仕事を終え、売れ残りを貰って家に帰る、そんな一日を、繰り返した。
亭主の耕三は、一日を敷きっ放した布団の上で過ごし、藤子が買い与えた焼酎を浴びるように飲み、二、三年も経つと狂乱するようになった。
藤子の襟首掴んで頬を平手で打ち、倒れた藤子の服を引き剥がして、しかし不能となった耕三は仁王立ちに藤子の体を跨いで焼酎の瓶を口に付けて流し呑みし、溢れた焼酎が藤子の体を濡らし布団をびしょ濡れにした。
しかしそれも長続きせず、遂には起き上がれぬ体になり、藤子の介添えで口に飯を入れて貰って漸くに食み、一日を糞と小便を垂れ流して生きるだけになっていた。
藤子は、巣に張り付いて動かない女郎蜘蛛を眺めていた、その女郎蜘蛛、巣から糸を垂らして、下り始め、そして途中で止まって宙ぶらりんに動かなくなった、風に煽られて蜘蛛の体は回転し左右に大きく揺れた、それでも蜘蛛は動かない、
ふと、突然に、藤子の脳裏に遠い記憶が蘇った。何故、そんな古い昔のこと、突然に思い出したのか藤子には判らない、
藤子の記憶は、耕三が病に体が動かなくなり始めた、或る日のことまで遡る…
昼も夜も働き詰め、それでも愚痴一つ零さず、一日一時も休まない藤子に同情したか、それとも港で、魚を捌く藤子の、何かの拍子に胸元から覗き見える、白い、放漫な胸の膨らみに毒されたか、魚行商人徳田から、女房のトメが寝込んだ、代わりに仕事を手伝ってくれと誘われて徳田のトラックに乗った。
生まれて初めて村を離れた藤子は、見る物全てに子供のように喜び、はしゃいでいた、トラックは或る大きな集落で止まった、藤子は売り子として徳田の仕事を手伝った、意外なことに藤子の声かけは大いに客受けし、売り上げが大きく伸びて徳田を驚かせた。
トラックに乗せて貰うことが初めてなら、村から離れて知らない所へ来たのも藤子には初めてであり、まして客と対面して物を売るなど経験したこともなく、徳田が褒めてくれた以上に藤子自身、自分の意外な才に驚き、そして自信が持てたのだった。藤子が生まれて初めて味わう「自信」であった。
藤子の記憶は更に幼い頃に迄遡った、それは、村の外れ、海沿いの岸壁に建つ、その時既に潮風に朽ち廃れて、中は蜘蛛の巣だらけになった祠の中で、父と母、そして長女の藤子、藤子の下に二人か三人の妹、弟が一緒に住んで、小さな卓袱台に子等が、空いた所に順番に座って、ぼこぼこに潰れた鍋の底を搔き雑ぜて、僅かに麦飯粒の泳ぐ芋粥を、割れた椀ですする景色だった、、
卓袱台の真ん中に蝋燭が一本、その灯りが揺れて、一升瓶の底に、とぐろを巻いたマムシ一匹丸々漬け込んだ焼酎を飲んで、顔を真っ赤にした父の顔が、藤子の幼い記憶に現れた…
今も藤子は時に思う、自分には妹、弟が居た、ような、はっきり思い出せないが、そんな記憶がある、だが、いつ頃からか居なくなった妹や弟、その二つか三つの顔は、いやその名前さえ思い出せなかった、藤子の記憶に映ったことは一度もなかった、
妹たちが病気で死んだのか、飢えて死んだのか、も判らない、死んで悲しくて泣いた記憶もなかったし、死んだら誰でも墓は有るだろうに、その墓を見た記憶もない、そして何故、自分一人だけ、あの家に残っていたのか、それさえも判らない。
学校へ、村の役人らしい大人に手を繋がれて、何所へ行くのかさえ分からなかったが、桜が咲き満ちる中を歩いて、子らの喚声、賑やかな教室に連れられて入った、その途端、教室は一瞬の間、凍り付いたように静まり返った、教室の男の子らが、一斉に、
「ヘンロや、ヘンロや、ヘンロの子や」 」
と叫ぶ、怖ろしくなって立ち竦む藤子を男の子らは、手にした箒や棒で藤子の頭や、腕を、足を叩かれた。恐ろしくなって逃げ出した藤子の背中に男の子らの声が追っかけた。
「ヘンロや、ヘンロや、ヘンロノコや」
「お前も、ヘンロニツレラレテドッカイケ」
「お前も、ヘンロニカワレテドッカイケ」
以来藤子は二度と学校へ行かなかった。学校だけではない。磯の岸壁に貼りつくように建つ祠からも、時折り磯に遊びに来る男の子らの姿を見ると、あの記憶が蘇り、怯えて外に出なかった、
それでも親に云われてたばこや酒を買いに村に出ると、待ち構えていたように男の子らが現れて、棒で思いっきり叩かれた、余りの痛さに道路で何度か蹲った記憶だけは、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
藤子には男の子らの囃す、「ヘンロノコ」の意味も、「ツレラレテ」「カワレテ」の意味が解らなかった。褒め言葉ではないことは棒で叩かれる痛さで判ったが「ヘンロノコ」「ツレラレテ」「カワレテ」の意味を理解するのは遥か後のことになる、
徳田と再々訪れる他所の村や町で、氷詰めにしたトロ箱を前に、チギに載せて魚の切り身やアラを売る藤子の前に多くの客が集まり、持ってきて並べた魚は忽ちに売り切れた。
徳田は大喜びした、今晩は、もう遅いので村に戻らず、褒美に旅館に泊まってうまいもの食わせてやると云われ、生まれて初めて綺麗な家に入った。
藤子は、着くとすぐ、徳田に勧められて風呂に入り、日頃の、いや十何年も溜まった汗や垢を、体に染み込んだ夫・耕三の垂れ流す糞尿の匂いを熱い湯で流し、浴衣姿に着替えた、
藤子が部屋の障子を開けて中に入ると、寿司を山のように積んだ膳を前に、酒で鼻の頭を赤くした徳田が、藤子の浴衣姿を、頭のてっぺんから足先まで見惚れるように何度も見直した。
「お前、別嬪や、こんな別嬪拝んだことない。今の今まで気が付かなんだ。ま、早よここへ来て寿司腹いっぱい食え、酒も飲みたいだけ飲め、そんでワシの横に座って、ワシにも酌してくれ」
藤子は自分の容姿など気に掛けたことなどなかった、美醜の区別さえ知らなかった。しかし「別嬪」の意味は、子供の頃、偶々見掛けた、村に一軒だけ在った飲み屋で女中する女の、人形のように綺麗に着飾り、化粧した顔を思い出し、その女が村一番の「別嬪」と云われていたことを思い出し、自分もあの女中のように「別嬪」と云われて、湯で温まった体が更に火照って来た、
小さな盃で飲んだ酒が、舌に蕩け、まろやかに喉に流れて、藤子の体は更に熱くなった。徳田がいきなり藤子の手を握った、
「藤子、お前、ワシの女になってくれ、二人で商売しょう、二人で大儲けして、いやお前と一緒なら客はなんぼでも買いよる、ワシも何年もこの商売して来とるが、こんなに売れたのは初めてじゃ、お前と二人でこの商売続けりゃ、いつまでも、行商して廻らんでも、町で大きな店、あっと云う間に持てる、そうなりゃ、ワシが店主で、お前が女将や、お前が店に出てくれたら何んぼでも売れる」
藤子は、まるで、今の今まで夢にさえ見たことの無い贅沢な生活を、酔って心地良い頭の中で想像した、
だが、一瞬の後、その夢想は忽ちに消えた、不意に気落ちした様子の藤子の顔を覗き込みながら、徳田は歯の数本抜けた口から酒の匂いを撒き散らして云った、
「ど、どないしたんや、え?何ぞ気に入らんのか?」
藤子は俯いて押し黙る。徳田がにじり寄る。そして徳田は藤子の手を引き寄せて強く握った。
「うちのひと、どうしたらええね」
「あの、糞たれの耕三か、何や、そないなこと心配してんのかいや、ええやんもう、あないな男、放っときゃええねや、勝手に死ぬまで放っときゃええね」
「そんなん、可哀想や、うちが面倒見たらなあかんのや」
「今まで大概面倒見てきて、下の世話までしてやってる、て云うやないか、ええか藤子、良う聞ききや、お前のこの器量、尋常の物んやないんや、そんじょそこらにおる別嬪やない、魔性の物んや、この器量をあんな糞垂れ流しの男のとこに置いておくのは勿体ない、
それにお前は気い付いてないのかも知れんが、お前には商売の才がある。そやええか、良う聞け、ワシは今、決めた、ワシはうちのトメ離縁してお前と所帯を持つ、決めた、ワシは明日戻ったら、あのクソ婆、家から放り出してやる、その後、お前がワシの家に来たらエエ、何も要らん、何も持って来んでええ、その体一つで来てくれたらええ、そや、そないしよ、な、藤子、ワシの女になれ、いや、なってくれ、この通りや、ワシ、生まれて初めて女に惚れた、うちのトメ、あれは女やない、猪か豚や、な、ええやろ、藤子、ま、今日は返事せんでええ、今は一杯飲め、な」
藤子の体は徳田に舐め尽されて、その唾の匂いと飲んだ酒の匂いが入り混じった臭いに包まれた。
ふと藤子は天井の隅に蜘蛛の巣を見つけた。何んとは無しに見ていると、巣の端に、一匹、女郎蜘蛛がいた。蜘蛛は、行灯の仄かな灯りを受けて、その体は虹色に煌めいている。そして頭に、点のように一列に並ぶ黒い目が藤子の裸体を見下ろしている、
藤子はふと、呟いた、
「綺麗や、なあ」
徳田は藤子の両の足を広げて顔を埋め、そして腹を藤子の腹に乗せ、そして果てた。その時、天井の女郎蜘蛛、何かに驚いたように足をいっぱいに広げ、天井の隙間から屋根裏へと消えた。
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