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8章【先ずは想いを聴かせてくれ】

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 先輩のトラウマを知っていながら、その領域を荒らしまくったあの日から。
 気付けば平日を通り抜け、土日を過ぎて、月曜日になっていた。

 結局あの日は一睡もできず、太陽が昇り始めると意味もなく、部屋の掃除を始めたりしたっけ。
 それが終わると同時に、俺は職場に出勤していたのだ。

 特に、個人的な急ぎの仕事があったわけじゃない。だけど、資料を封筒に詰める作業が気になって出勤したのだ。

 事務所に顔を出すと、俺たちに仕事を頼んだ係長が、既に事務所にはいた。


『おぉ! おはよう、子日! 昨日は牛丸と作業をしてくれてありがとうな! おかげで間に合ったぞ!』


 そう言う係長のデスクのそばには、資料を詰め終わった千部の封筒が入っているコンテナが置いてある。
 先輩があの後、終わっていなかった分も入れてくれたのだ。そしてそれを、係長の席に置いてくれたのだろう。


『いえ。……俺は、なにも』


 そんな曖昧な返事をして、俺は自分のデスクに向かった。……先輩がシャットダウンしてくれたのか、パソコンの電源は切れていたっけ。


『どうした? 急ぎの仕事でもあるのか?』


 こんな早朝に出勤する商品係は珍しく、係長はコンテナを運び出しながら俺に声をかけた。


『ちょっと、気になったことがあったので』


 そう返事をすると、係長は笑った。


『あんまり無理はするなよ!』


 そう言って、係長が事務所を出て行く。

 そんな早朝を過ぎて、職員が出勤してくる時間になって……。
 ……あの日から結局、俺は先輩と挨拶以上の会話ができなかった。

 そして俺は、土曜日を迎えたのだ。

 急ぎの仕事があるわけでも、気になったことがあったわけでもないのに。俺は気晴らしのように、日付が変わるまでデータの整理をした。

 日曜日を会社で迎え、一時間も経たない仮眠を取って、ぼんやりとパソコンを眺めて……。そうしていると、不意に。
 事務所の中に、一人の青年が入ってきたと気付いた。


『……チッ。なんでいるんだよ』


 不機嫌そうな顔と、低い声。下にはよれたズボンと、己の肉体美を惜しげもなく晒す上裸の男。
 それは、兎田主任だ。

 兎田主任は資料の入ったクリアファイルを何枚も持っていて、それを置くために商品係の事務所に来たように見える。

 実は企画課が考案した商品のデータは、いつだって知らない間に課長のデスクに置いてあった。そして資料を確認した課長が、入力作業を各職員に割り振るのだ。
 誰が持ってきているのかを俺は知らなかったのだが、どうやら兎田主任が持ってきてくれていたらしい。……以前、兎田主任は俺に『勤勉』と言ったけれど、兎田主任も相当だと思うぞ。

 日曜日の夜中、本来なら商品係の職員は誰もいない時間。そんな時間に俺がいたから、先輩から『人嫌い』と評価されている兎田主任は不快に思ったのだろう。
 露骨に機嫌を悪くした兎田主任を見て、俺は立ち上がった。
 そして、兎田主任が持っているクリアファイルに手を伸ばす。


『それ、俺が打ってもいいですか?』
『は?』


 近寄ると、兎田主任は眉間に深いシワを刻んだ。


『随分と熱心だな。金にでも困ってんのか?』
『休日出勤手当を貰うつもりはありません』


 俺の言動が理解できなくて気味が悪いのか、純粋に俺が嫌いなのか。兎田主任が一瞬、足を上げようとする。
 それに気付いた俺はクリアファイルを持ちながら、俺より断然背の高い兎田主任を見上げた。


『蹴りたかったら蹴ってもいいですよ』


 なんだかいっそ、誰かに蹴られたいくらいだ。
 それくらいのことを、俺は先輩にしてしまったのだから。




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