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6章【虎から逃げて、鰐に会う】
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しおりを挟む女性職員の案内を受けて通された男たち──監査士を見て、桃枝はすぐに表情を険しいものに変える。
「すみません、出迎えが遅れてしまいました。……案内、ご苦労。飲み物の用意を頼む」
「は、はいっ。急いでっ」
監査士に挨拶をしつつ、桃枝はすぐさま女性職員に指示を出す。叱られているわけでもないのに、女性職員は委縮しながら返事をした。可哀想に、涙目だ。
女性職員が去った後、監査士の内の一人が桃枝に向けて名刺を差し出した。
「桃枝管理課長ですか? 先ほど、管理係長から二階の会議室にいると聴きまして」
「はい、そうです。挨拶まで遅れてしまい、すみません」
流れるように、名刺交換をしている。意味もなく一歩だけ、山吹は桃枝たちから身を引いた。
案内を受けて連れられた監査士は、三人。一人は五十代頃の壮年男性で、おそらくこの中で最も偉い人物なのだろう。もう二人は、三十代頃の青年なのだから。
その内の、片方。ニコニコと笑みを浮かべている青年に、なぜか山吹は意識を引っ張られてしまう。
完璧な、営業スマイル。若しくは、愛想笑いだろうか。どちらにせよ、どことなく親近感のようなものが湧いてくる出で立ちだ。
黒い髪は長く、後ろで緩く一本に結ばれている。桃枝の部下になった場合、最初の面談で『その頭はなんだ』と言われるのは必至だろう。
「それにしても、早いですね。到着予定時刻は確か九時だったと思うのですが」
壮年男性と名刺交換を終えた桃枝は、不思議そうに壁掛け時計を見た。朝礼は八時半で、今は朝礼から十分しか経っていない。桃枝の指摘通り、確かに早い到着だ。
桃枝の名刺を受け取った壮年男性は、投げられた疑問に対して苦笑を浮かべた。
「面目ないです。実は、うちの黒法師が……」
黒法師、と。壮年男性の口から出た名前に、山吹はピクリと指先を跳ねさせてしまう。
いったい、どちらが黒法師だろうか。山吹は黙ったまま、事の成り行きを見守る。
そしてその答えは、すぐに分かった。
「僕が『早く行きましょう』って打診して、無理矢理早く着くようスケジューリングしたんよ」
黒髪で、長髪の男。山吹が親近感のようなものを抱いた男こそが、黒法師だった。
にこやかに手を挙げて、言葉だけは申し訳なさそうに。しかし欠片も悪びれた様子も見せずに答えた男は、すぐに桃枝へと近付いた。
「思えばまだ、君の名刺は貰ったことがあらへんね。ってことは、僕の名刺も渡してないってことか。ほな、交換しよか」
「おい、黒法師。いくら知り合いでも、もう少し礼節と言うかマナーと言うか、もっとそれらしい対応をだな」
「なんや、嫉妬? 仕事はちゃんとするんやから、ちょっとくらいええやん」
「しっ、嫉妬っ? 気味の悪い冗談はよしてくれ……!」
もう一人の監査士に叱られても、どこ吹く風。黒法師と呼ばれた麗人は、すぐに桃枝を振り返る。
すると、なぜだろう。黒法師は桃枝との挨拶もそこそこに、話題から離れていた山吹までをも振り返った。
「君にも、はい。僕の名刺、一応渡しとこうかな」
まさか、自分にも名刺を渡されるとは。突然のことに驚きつつ、山吹は慌てて四人に近付く。
「えっ、あっ。す、すみません。ボク、名刺は持ち歩いていなくて……」
「そうなん? けど、ええよ。今、名前と顔を覚えるから。君、名前は?」
「えっと、山吹緋花です。管理課の職員で……あっ、名刺。頂戴いたします」
こうした社交的な挨拶は、あまり経験がない。そばに桃枝がいることもあり、おかしな真似はできないというプレッシャーもあった。
それでもなんとか名刺を受け取り、山吹は桃枝の隣に立つ。この空気感に耐性がないからか、思わず『このまま桃枝の背後に隠れたい』と咄嗟に思ってしまった山吹は、緩く首を横に振った。
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