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13章【雨垂れ石を穿つ】
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しおりを挟む酷い顔色だ、と。桃枝は思わず、そう感じてしまう。
「明日──と言うか、今日も仕事です。ホント、ムリを言っているのは分かっているんです。でも、だけど……今すぐ、抱いてください」
恋人同士の触れ合いを求めているような顔には、とても見えない。
「お願いします、白菊さん……」
顔面蒼白で、依然として両目からポロポロと涙を零して……。言葉だけはどこか気丈さを彩ってみせても、声にはそんな色が乗っていない。
今の山吹は、見ているだけで悲痛に胸が痛む。桃枝は普段とは違う意味で、眉を寄せてしまった。
桃枝は一度、口を開く。だがすぐに、返事を考え直して……。
「それが、お前の素直な欲求なら応じる。……だけど、違うだろ」
もしかすると、以前までの桃枝なら動揺し、なし崩し的に応じてしまっていたのだろうか。
だが、今の桃枝は以前よりも【山吹緋花】という男のことを理解しているつもりだ。
だから、分かったのかもしれない。
「セックスを逃避に使うな。もっと、自分の体を大切にしろ」
「……っ」
山吹は今、性欲が理由で桃枝に迫っているわけではなかった。山吹はただ、なにかから逃げるように【快楽】という感覚に飛び込もうとしているだけなのだ、と。
俯いた山吹の頭を撫でて、再度、抱き締める。
「お前が落ち着くまで、こうして抱き締めてやる。だから、自分を傷つけるようなことは考えないでくれ」
山吹の体が、震えた。……否。山吹の体は、ずっと震えている。
それでも、呼吸は落ち着いたように見えた。桃枝はそっと、山吹を抱き締めたまま頭を撫でる。
「説教じみている、とか……そう思うか?」
フルフルと、腕の中の山吹は首を振った。
「……いいえ。正論だと、思います。だから、イヤじゃないです」
「そうか。それは、なによりだ」
すんっと、山吹が鼻を鳴らす。今もまだ泣いているのかと、桃枝は山吹の顔を覗き込んだ。
だが、どうやら桃枝の気持ちが山吹に伝わったらしい。
「白菊さん。ギュッて、していてください」
「あぁ。お前が望んでくれるなら、いくらでも」
「白菊さん……」
瞳は潤んでいるが、涙は零れていない。山吹は泣き止み、ようやく桃枝をしっかりと見つめてくれたのだ。
今度は山吹が、桃枝に強く抱き着く。どこか【縋っている】ように感じるその手つきにすら、桃枝の胸は静かに締め付けられた。
「好きです、白菊さん」
「あぁ、俺もだ。好きだぞ、緋花」
山吹はそれ以上、なにも言わない。
しばらくそうしていると、腕の中の山吹がするりと力を失った。どうやら、眠ったらしい。
桃枝は山吹を起こさないよう細心の注意を払いつつ、眠った体をゆっくりと抱き上げる。それからベッドの上に下ろし、眠った山吹に毛布をかけた。
静かに眠る山吹の額を撫でた後、桃枝は忌々し気に呟いてしまう。
「──根深いんだな、お前のトラウマは……」
以前、山吹は『優しさは有限だ』と言っていた。ソースは、山吹の父親だ。
最近は少し落ち着いていたと思ったが、やはり根本的な部分は解決していない。山吹は今も、桃枝からの愛情がいつか尽きる可能性に怯えているのだ。
きっと、山吹はそういった種類の夢を見たのだろう。まさかそんな夢を見たタイミングでベッドから離れてしまったとは、不慮の事故とは言え罪悪感が募る。
音を出さずに自らを叱責した後、桃枝は山吹の頬を撫でた。
「愛してるぞ、緋花」
そのまま、山吹の目元にキスをする。そうすると、眠っているはずの山吹がほんの少し表情を和らげた気がした。
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