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第六章
第六十七夜 【花に嵐】
しおりを挟む「朱理ちゃーん! この前の道中、めちゃくちゃ良かったよぉー!」
「嗚呼、見てくれた? 楽しめたンなら何より」
14時。揚屋にて、神々廻は開口一番、そう言って褒めそやした。普段より一層ご機嫌なのは、今日、朱理を昼見世丸ごと買い上げる事が出来たからだ。
総道中後から朱理は勿論、陸奥や他の娼妓らも、予約は二割り増しで多忙を極めている。
「当然、見たに決まってるじゃない! 御職の太夫二人が居並ぶ様は圧巻だったよー。それにしても、まさか黒ずくめで顔隠してるとは思わなかったけどねぇ。吃驚したよ」
「ふふ……眩しいのが厭でねぇ。でもその分、しっかり華は添えたろ?」
「それどころか、逆に超エロかったね! あのベールの下が見たいと思った男が何十人、いや、何百人居た事か。んで、俺ら馴染みはもう知ってる優越感が持てるって寸法よ。いやぁー、流石は大関の手練手管!」
「アンタじゃあるまいし、そこまで考えてねぇよ。相変わらず大袈裟なんだからァ」
朱理は呆れながら煙草を吹かした。
「で、今日はどうすンの? 座敷上がる?」
「んーん、せっかく二時間買えたから、デートしたいと思ってさ。一緒に行きたいとこあんだよねー」
「はぁ……別に良いけど。あー、でも、この格好じゃ行けないなぁ」
派手な座敷衣装を示しながら言うと、神々廻は事も無げにへらへらと笑って見せた。
「大丈夫、大丈夫! まず呉服屋呼ぼう! 着物くらい、何枚でも買ってあげるからさ」
「まじ? んじゃ、そゆ事で」
そうして二人は朱理の着物を買い付け、着替えを済ませて仲之町通りへと繰り出した。
「手繋ぐのと腕組むの、どっち派?」
「腕組む派」
「じゃ、こっちおいで」
神々廻の左腕に身体を寄せ、腕を組むと嬉しそうな声が上がる。
「まじでカップルみたい! テンション上がるわぁー!」
「良い歳のオッサンがこんな事くらいで? 変なの」
「だって今、この吉原で一番アツイ子を引き連れてんのよ? そりゃもう、この上ない優越感だね!」
「ハイハイ。本当に見栄っ張りだなぁ、アンタって人は」
呆れ返る朱理とは正反対に、神々廻は終始、にやにやしながらすれ違う人々の反応に満足そうだ。
二人が通りすがる度に、彼処此方から羨望の眼差しと囁き声が付いて回る。
「おい、ありゃ朱理太夫じゃねぇのか?」
「万華郷の? おお、本当だ」
「こないだの総道中も凄かったなぁ」
「まさか顔が見えねぇ道中とは、流石に格が違うわなぁ」
「隣のは確か、稲本の若旦那だぜ」
「ほぉ……あの爺さん、ようやっと隠居したのかい」
「ああ、今年のアタマに代替わりしたらしい」
「へぇー。高級大見世の主人ともなると、昼間っから太夫を揚げて遊んでられるってワケか」
「あーあ、いっぺんで良いから、俺もお願いしてみてぇもんだなぁ」
「馬鹿、お前じゃ馴染みになる前に破産しちまわぁ」
「ハハ、まったくだ。おお、羨ましい」
「やっぱり、いつ見てもゾクっとする色気だぜ」
「見てるだけでイけるわ、俺」
至る所から聞こえる野次に、朱理はうんざりしていた。太夫になってからと言うもの、こうして客の自尊心を満たす為に連れ回される事が、格段に増えたのだ。
やれやれ、と嘆息していると組んでいた腕が離れ、するりと腰に回された。ぐい、と引き寄せられて、更に身体が密着する。
「ちょっと、歩き難いンだけど」
「えー、良いじゃん、慣れる慣れる。つーかやっぱ細いねぇ。こうして抱くとよく分かる」
「全部見てるクセに、何を今更。そんなに必死にならなくても、充分、注目されてるっての」
「全然足りないね。いっそ、此処で犯したいくらい」
「あー……アンタ、誰かに似てる気がしてたけど、今分かったわ。サイコ具合がそっくり」
「えー、誰? 誰? 有名人?」
朱理はじとりと神々廻を横目で見ながら嘆息した。どうしてこう、自分の周りにはネジが幾つも吹き飛んだ様な人間が集まるのか、と頭を抱えたくなる。
不毛な遣り取りを交わしつつ歩いていると、徐に神々廻が前方を見て、にやりと口角を上げた。視線を辿った朱理は、その存在を見とめると瞬時にげっそりする。
神々廻は大袈裟な程の声量で、前から歩いてくる人物に声を掛けた。
「おやぁ、これはこれは! 角海老さんじゃありませんかぁ? 奇遇ですなぁ!」
「あ? ……なんだ、稲本か」
此方を一瞥し、鼻であしらおうとした蘆名だったが、神々廻に腰を抱かれる人物が朱理と気付くと、さっと顔色を変えた。
「っ、朱理!? お前……何してんだ、こんな所で……」
「いやぁ……そのー……」
苦笑する朱理を更に引き寄せ、その頬や唇を指で撫でながら、神々廻はいやらしく嗤う。
「何って、デートですよ。今、この子は俺に買われてるんでね。なぁ? 朱理ちゃん」
「うん、まぁ……」
「チッ……。そーかよ」
あからさまな手付きで朱理を撫で回す神々廻から視線を逸らせ、蘆名は顔を顰めて苦々しく舌打ちする。
その反応に気分を良くした神々廻は、更に口角を吊り上げ、追い打ちをかける様に続けた。
「しかし本当に良いですなぁ、この子は。旦那方が贔屓にするのも納得ですよ。見た目も話術も良いが、なんと言っても床が最高に巧い。私は男を抱くのはこの子が初めてでしたが、すっかり虜ですよ」
下卑た声音で捲し立てる神々廻に、蘆名は冷ややかな視線を寄越して紫煙を吐いた。
「……そりゃ結構な事だが、そんな話を太夫連れの往来でするなんてのは、野暮天の骨頂だって事を学んどけよ。男の恥だぜ、みっともねぇ」
「…………」
蘆名の嘲る様な言葉に、やおら神々廻も雰囲気を険悪にして押し黙る。
そんな二人を眺めつつ、触らぬ神に祟り無しとばかりに朱理は一歩下がって日傘を差した。
貶む様な蘆名の目付きに、負けじと神々廻も歪に口角を歪ませ、食い下がった。
「……ハハ、言ってくれますねぇ。しかし、貴方も良い大人だ。色事の前に、一般常識を学んだ方が良かったのでは? 歳上への言葉遣いが、まるでなっちゃいない」
「外がどうだか知らねぇが、吉原じゃそんなもん関係ねぇんだよ。粋の何たるかも知らずに、歳だけ食ってる下衆に払う敬意なんぞ無いわ」
「ッのガキ……こっちが下手に出てりゃ調子に乗りやがって……!」
ばっさり切り捨てられた神々廻は、悔しそうに奥歯を噛み締める。馬鹿にしきった蘆名の様子に、神々廻はついに恥も外聞もかなぐり捨てて喚き始めた。
「……っ、大体、お前がデカいツラしてられんのは、単なる七光りだろうが! 粋だの何だのを言い訳に道楽してたお子様に、とやかく言われる筋合いはねぇんだよ!」
「フン、その道楽でメシ食ってんだ。真髄を学ぶのは当然の事だろうが。てめぇの色惚けと一緒にすんじゃねぇ。そもそも、七光りってンならてめぇの方がよっぽどだろうがよ。生粋の吉原人でもねぇくせに」
「誰が色惚けだ! のぼせ上がってるお前も、そう変わらねぇだろうが! なーにが吉原人だ! たまたま大見世に生まれついたからって、偉そうに講釈たれてんじゃねぇぞ!」
「運も身にすんのが男だろうが。折角、吉原一の太夫が馴染みにしてくれてるってのにな。見栄の為だけに引っ張り回されてちゃあ、朱理が可哀想でしかたねぇわ」
「へーえ、可哀想? もしかして、本当は羨ましいだけだったりしてなぁ。あからさまに嫉妬しちゃって、みっともないのはそっちなんじゃねぇのぉ?」
「何だとてめぇ……!」
「ハッ! 図星かよ。ザマぁねぇなぁ!」
「いい加減にしやがれ、この──」
と、白熱した神々廻らが一触即発になった、その時。三人の直ぐ傍に、滑る様にして黒光りするセダンが横付けされた。
「あ」
「げっ……」
「チッ……」
三人同時に短い声が上がる。
顔を顰めて煙草を咥え、後部座席から降りて来たのは篁だ。今にも掴みかかりかけていた蘆名と神々廻にゆっくり近付くと、不機嫌そうに紫煙を吐いた。
「何の騒ぎだ」
「…………」
「こ、これはどうもぉ、篁さん……っ! いやぁ、なんでも無いんですよぉー! お騒がせしてすみませんねぇ、ハハハ……!」
押し黙る蘆名とは対照的に、神々廻は冷や汗と引き攣った笑みを貼り付けて釈明している。
それを冷ややかに見ていた篁は、二人の後ろに控える朱理を見とめると、未だ何やら弁明している神々廻を無視して歩み寄ってきた。
「やぁ、朱理。久し振りだな」
「ご無沙汰だね、篁さん」
「先日の道中も見させてもらった。お前は太夫になってさえ、ちょっかいをかけられるんだな。思わず笑ってしまったぞ」
「アハハ、ホントにねぇ。自分でも不思議ー」
「しかし、今回もまた違った趣があって美しかった。流石、俺が惚れ込んだ男だな」
「ふふ、ありがとー」
「ところで、一体どうしたんだ、この状況は。厄介事に巻き込まれているのなら、手を貸すが」
篁の視線に射抜かれた神々廻は分かり易くぎくりと硬直し、蘆名はあからさまに面倒臭いと顔に書いてある。
そんな二人を見遣って、朱理はひらひらと手を振りながら笑った。
「何でもないよ、ただの痴話喧嘩。ほら、楼主もメンツとか意地とか、なんか色々、大変じゃん? 別に怪我人も壊れた物も無いし、此処は俺の顔に免じて、見なかった事にして欲しいんだけどねぇ」
「まぁ、お前がそう言うなら構わんさ。下らん小競り合いに、口を出すつもりは無いからな」
心底、安堵している小心者丸出しの神々廻を横目に、朱理は懐から懐中時計を取り出して時間を確認すると、再び篁へと顔を向けた。
「篁さん、もし良かったら見世まで送ってくれないかな。ちょうど昼見世、終わる所なんだ」
「そうか。勿論、良いとも」
「ええっ!? もうそんな時間!? うわぁー! 勿体ない事したぁー!!」
朱理の言葉に、慌てて自身も腕時計を見て絶叫する神々廻を鼻で笑う。
「馬鹿だねぇ、妙な見栄を張るからサ。あと、神々廻さんは守秘義務違反で1ヶ月、登楼禁止だから」
「えっ!? なにそれ!?」
「さっき大聖に俺の事、得意げに話してたろ。万華郷は瑣末な情報も口外するべからず、って誓約書に書いてあるの、忘れた? 見世に報告するから、そのつもりでねぇ」
「そ……そんなぁー……」
「フン、自業自得だな」
情けない声を上げながら地面にへたり込む神々廻を残し、朱理を乗せた車は無情にも走り去って行ったのだった。
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