万華の咲く郷【完結】

四葩

文字の大きさ
87 / 105
第八章

第八十三夜 【奸譎流し】

しおりを挟む

 座敷へ通されたたかむらは案の定、屋城やしろへ静かな口調で詫びを述べた。
 そもそも、このようなことで会長ともあろう者が足を運ぶなど、有り得ない話である。にも関わらず篁が顔を出したのは、やはり朱理しゅりの旧友が被害者であるためだった。

「幾ら言葉を尽くした所で、そちらの気が収まるとは思っていない。何か要望があれば、できる限りの協力はすると、約束しよう」

 屋城は篁を睨み据え、唇を噛み締めて黙っている。膝の上に置かれたこぶしは、関節が白くなるほど握りしめられ、細かく震えているのが分かった。朱理は屋城の様子に気を配りつつ、静かに隣へ座っていた。
 しばしの沈黙の後、絞り出すように屋城が答える。

「……あの客は、今どこに?」
「私が預かっている」
「……それを私に頂けませんか。見世とは無関係の、私個人のお願いです」

 朱理は咄嗟に身を乗り出し、屋城の顔を覗き込んだ。

「屋城さん、それは……」
「分かっています。でも……どうしても許すことはできない。あの子のためだなんて言い訳はしません。すべては自分のためなんです」

 朱理はそのきっぱりとした口調に、返す言葉を失った。
 屋城の言っている意味は、篁はもちろん、朱理も理解している。正道を逸れて欲しくはないが、止めることなどできないということも解っていた。
 篁もしばし黙っていたが、小さく息を吐いて目を伏せた。

「それだけの覚悟があるのなら、こちらは構わない。好きにすると良い」
「……有難うございます」
「他になにかあるか」
「いいえ。二度と同じことが起きないよう、目を配って下されば結構です」
「分かった。落ち着いたらここへ連絡してくれ。やつの身柄を引き渡す。では、失礼」

 篁は名刺を畳へ置くと、振り返ることなく座敷を出て行った。
 うつむいて微動だにしない屋城が気になりつつ、朱理は矢も盾も堪らず、篁の後を追いかけた。

「篁さん!」
「……朱理」

 篁は朱理を振り返ると、先ほどまでの毅然きぜんとした表情を崩し、沈痛な面持おももちで眉を寄せる。

「……久し振りだな」
「うん……。少し聞きたいことがあるんだけど、良いかな」
「ああ。では、俺の車で聞こう」

 2人は駐車場へおもむき、後部座席へ並んで腰掛けた。煙草に火を点けた朱理に、篁が体を向ける。

「すまなかった。りに選って、お前の友人をこんな目に合わせてしまった。面目ない」
「……起きてしまったことは仕方ないよ。1番腹が立つのは、気付いてやれなかった自分自身だから」

 自嘲しながら紫煙を吐く。篁が小さくうめきを漏らすのが聴こえて、この男は本当に情が深いな、と思った。

「それで、聞きたいこととはなんだ?」
「事情を聞いてから、ずっと疑問だったんだ。貴方ほどの人がまとめる組織で、どうしてこんなことが起きたのか。晋和会しんわかいは、麻薬の取り扱いはしないんでしょ? 少なくとも、吉原内では」
「ああ。今回の件については、俺の監督不行き届きとしか、言いようが無い」

 朱理はふっと息を吐いた。そんな陳腐なひと言に尽きるとは、命のなんと軽いことか。吉原では、人が当然のように売買されている。自分とて、法的に言えば体は見世の物だ。
 今まで知らなかった惨憺さんたんたる現実を、この数ヶ月で、まざまざと見せ付けられている気がした。

「……瑠璃るりと言うのは、最後にお前と会った時、飛び入りで押し掛けて来た太夫だろう」
「そうだよ」
「あの日、俺が話した人のことを覚えているか?」
「親父さん?」
「ああ。言い訳にもならないが、ここの所、俺は親父の使いで出突でづりだったんだ。俺の不在を良いことに、このシマを狙う阿呆どもに、付け入る隙を与えてしまった。いかに己の統治が甘かったか、思い知らされたよ」
「……それは……」

 朱理は、胃の辺りにぞわり、と厭な物がり上がるのを感じた。

──それは要するに、自分が招いたことじゃないのか。
 自分が篁に興味を持たれ、更に上層部がそれに興味を持ち、篁の注意が削がれたせいで起きたことだと言うのなら、それは間接的に、自分が殺したも同然じゃないのか……──

 煙草を持つ手が激しく震える。手足から血の気が引いて、冷たくなっていくのが分かった。篁は、青ざめて震える朱理の手から煙草を取り上げ、肩を掴んで目線を合わせてきた。

「おい、大丈夫か? どうしたんだ」
「……だって、それ……それじゃ……俺が、あいつを……。俺のせいで……」

 震える声で言葉を紡ぐと、篁は肩を掴む手に力を込めて否定した。

「なにを言ってる、そんなわけないだろう。不運が重なってしまっただけだ。お前はなにも悪くない」
「だって……ッ! 俺が貴方と関わらなければ、こんなことにはなってなかったかもしれないだろ……!」
「それを言うなら俺のほうだ。もっと下を厳しく見ていれば、未然に防げたかもしれない。すべては結果論に過ぎん。責めるのなら自分じゃなく、俺を責めろ」

 強く、雄々しい双眸そうぼうに見据えられ、朱理は心臓が痛いと感じるほどの切なさを覚えた。掴まれた肩から、篁の体温がみ入って来る。

──本当にこの男は、なんてお人好しで、強くて、たくましくて、広量なのだろう。
 そうして憎まれ役を買って出て、こんな所にまで自ら赴き、敵意に晒されてもなお、しっかり地に足がついている。
 卑屈な思考で無意味に卑下する自分の、なんと稚拙なことか──

 抱きしめられる腕の温もりに、ますます胸が締め付けられた。

「お前は悪くない。だから、そんなことを考えるのは辞めるんだ。お前が二度と見たくないと言うのなら、俺はお前の前から消えるから。自分を責めるのはよせ」
「……違う……そうじゃない……」

 朱理は消え入りそうに呟き、篁の広い背へしがみ付いた。

「……居なくならないで……。貴方まで、俺を置いて行かないでくれ……」
「ああ、行かないさ。お前が居ろと言ってくれる限り、俺はどこにも行きやしない」

 耳元に落とされる優しい声と温かさに安堵する。清濁併せ呑む、すがって余りある大きな体に救われる。朱理は、もし黒蔓くろづると出逢う前に篁と出逢っていたら、間違い無くこの男を愛していただろう、と思った。
 旧友の葬儀の準備中だというのに、こんなにも歓喜しているなど、不謹慎だと思いながらも辞められない。

──あいつの死を見てから今まで、誰にも縋れなかった。縋ってはいけないと思っていた。
 俺には帰る場所も、迎えてくれる人も居る。だからせめて、今ぐらい誰かを支えてやりたい。今ぐらい己の感情など殺すべきだと、自分に言い聞かせてきた。
 あいつを救えなかった己への罰のように、意固地になっていたのだ。
 心をおさえ続けた結果、あいつのために涙を流してやることすら、できなくなっていた。
 俺だって寂しい、哀しい、辛い、苦しいと叫びたかった。なりふり構わず、泣き喚きたかった。
 誰かに、お前は悪くないと言って欲しかった──

 何もかもを受け入れてくれる逞しい腕の中、ようやく、朱理の頬を涙がつっと流れて落ちた。
 それからしばらく、篁の腕に包まれていた朱理は、体を離して微笑んだ。

「有難う、篁さん……。俺、変な意地を張ってた。貴方のお陰で、馬鹿な考えから抜け出せたよ」
「そうか。少しでも力になれたのなら、良かった」

 朱理の濡れた頬を、優しく指でぬぐった篁は、困った顔でかすかに笑う。

「本当は、俺も怖かったんだ」
「なにが怖かったの?」
「こんなことになって、お前に恨まれたと思っていたからさ」
「どうして? 悪いのは篁さんじゃないでしょう」
「それがお前の、お前たる所以ゆえんだよ。屋城の顔を見ただろう? あれが普通の反応だ」
「……あの人は、仕方ないよ……。俺とは違う感情で、俺よりずっと近い所で瑠理を見ていたんだから……」
「そんなことは関係ない。皆が憎むのは、やはり親玉だからな。お前にも分かるはずだぞ、上に立つ者ほど、多く憎まれるということが」
「それは……」

 確かにそうだ。組織など、特に顕著にその傾向が現れる。有事の際、真っ先に叩かれるのは間違い無く、頂点に立つ者である。
 朱理はまだ苦い顔をしている篁へ、ほがらかに言った。

「俺は貴方を知ってるから。篁さんは道理に反したことはしない人だ。無闇に人を傷付けないし、悪いと思えば素直に頭を下げられる。とても極道とは思えない、お人好しだからね」
「おいおい、それは喜んで良いのか複雑だぞ」

 少し茶目っ気のある篁の言い方に、朱理は顔をほころばせた。

「強くてまっすぐな貴方が好きなんだよ、俺は」
「そうだったな。俺は、お前の純粋さゆえのもろさが、堪らなく愛おしいよ」
五月蝿うるさいなぁ。まぁ、脆いのは事実だけどさ」

 む、と口を尖らせる朱理に、篁も表情をやわらげる。ひとつ紫煙を吐いて、朱理は囁くように言った。

「落ち着いたら逢いに来てね。待ってるから」
「おや、いつの間にそんな可愛いことを言うようになったんだ? お前は少し目を離すと、すぐになりを変えるから、ヒヤヒヤさせられる」
「俺は、ヘリウムの入った風船みたいな物だと思ってよ。しっかり握ってないと、どこかへ飛んで行ってしまうかも」
「まったく、自分で言う辺りが悪質だな。近いうち、必ず逢いに行くよ。それまで独りで泣かずに、ちゃんと頼れる人の傍に居るんだぞ」
「うん、有難う。それじゃあまたね、篁さん」

 そうして、朱理は再び悲哀に包まれる会場へと戻って行った。間も無く、瑠理の葬儀が始まる。
 葬儀の間、朱理は桐屋の希望で屋城の隣へ立っていた。
 焼香に訪れる客へお辞儀を返しながら、時折、ひつぎの瑠理を見る。まるで眠っているみたいだと、誰かの歌のようなことを思った。

──どんなきざしも見逃さないように、もっとお前に寄り添っていれば良かった。
 長い間、お前は言葉にもできないほど、苦しみ続けていたんだな。
 俺の胸の痛みなど、きっとお前のささくれにも届かないのだろう──

 そんなことを思っていると、不意に瑠理の無邪気な笑顔が、頭に浮かんでぼやりと消える。
 いつも快活で、陽気で、破天荒だった。そのくせ、無駄に色々と抱え込んでは、進退ままならなくなって助け合う。2人は似た者同士で、互いに互いが大好きだった。
 瑠理と過ごした日々は、すべて眩しく美しい記憶となって、朱理の心に残るだろう。彼を忘れることなど、絶対に無いと言い切れるのだ。
 とどこおりなく葬儀は終了し、棺の蓋が閉じられて、霊柩車へ乗せられる。
 遺影を抱えた屋城がこちらを振り返り、清々しいほど綺麗に微笑わらった。それがどういう意味なのか、すべてを汲むことはできないまま、朱理も微笑って手を振る。
 1度、高らかにクラクションが鳴らされ、瑠理を乗せた車はおごそかに発車した。小さくなっていくそれを見送りながら、朱理は小さく「行ってらっしゃい」と呟いた。
 すっかり車が見えなくなった頃、隣から嗅ぎ慣れた匂いがした。見なくとも誰だか分かる。黒蔓くろづるだ。

「帰るぞ」
「うん」

 共に車へ乗り込み、いつものように手を繋ぐ。
 見世へ着くと黒蔓の部屋へ向かい、線香の臭いが染み付いた喪服を脱いで、煙草に火を点けた。
 黒蔓は何も言わず、静かに珈琲の支度をしている。煙草と珈琲豆の香りが日常を呼び戻すようで、酷く心が落ち着いた。
 やがて湯気の立つマグが文机ふづくえに置かれ、いつも通りそれに口をつけながら、窓の外を見遣る。
 あれだけ降りしきっていた秋雨は、いつの間にか止んでいて、薄雲の合間から柔らかな陽射しが差し込んでいた。
 隣に目を向けると、黒蔓が穏やかに微笑っている。蜂蜜が匂い立つカフェオレとその笑顔が、とても大切な宝物のように思えた。
 気付けば、朱理の両目から大粒の涙がこぼれていた。優しく、華奢な指が目元を拭ってくれる。その仕草は、もう心を隠すことも、抑えることもしなくて良いと言われている気がした。
 片手で口を覆うが、嗚咽おえつはとどまるすべを忘れたかのようにあふれ出る。
 優しく膝へいざなわれ、黒蔓の体にしがみ付いた。膝に顔をうずめ、瑠理が居なくなってから初めて、声を上げて泣いた。空が泣き止んだから、今度はちゃんと自分が泣く番なのだ、と頭の隅でぼんやり思った。

──さよなら、瑠理。
 もう頑張らなくて良いからね。俺がそっちへ行くまで、のんびりしててよ。
 お前の笑顔と綺麗な思い出を抱えて、俺はもう少しだけ生きて行くよ。
 此岸しがんの向こうでまた逢えたら、いつものように口付け合おう──
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

Take On Me

マン太
BL
 親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。  初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。  岳とも次第に打ち解ける様になり…。    軽いノリのお話しを目指しています。  ※BLに分類していますが軽めです。  ※他サイトへも掲載しています。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

おっさんにミューズはないだろ!~中年塗師は英国青年に純恋を捧ぐ~

天岸 あおい
BL
英国の若き青年×職人気質のおっさん塗師。 「カツミさん、アナタはワタシのミューズです!」 「おっさんにミューズはないだろ……っ!」 愛などいらぬ!が信条の中年塗師が英国青年と出会って仲を深めていくコメディBL。男前おっさん×伝統工芸×田舎ライフ物語。 第10回BL小説大賞エントリー作品。よろしくお願い致します!

旦那様と僕

三冬月マヨ
BL
旦那様と奉公人(の、つもり)の、のんびりとした話。 縁側で日向ぼっこしながらお茶を飲む感じで、のほほんとして頂けたら幸いです。 本編完結済。 『向日葵の庭で』は、残酷と云うか、覚悟が必要かな? と思いまして注意喚起の為『※』を付けています。

イケメンモデルと新人マネージャーが結ばれるまでの話

タタミ
BL
新坂真澄…27歳。トップモデル。端正な顔立ちと抜群のスタイルでブレイク中。瀬戸のことが好きだが、隠している。 瀬戸幸人…24歳。マネージャー。最近新坂の担当になった社会人2年目。新坂に仲良くしてもらって懐いているが、好意には気付いていない。 笹川尚也…27歳。チーフマネージャー。新坂とは学生時代からの友人関係。新坂のことは大抵なんでも分かる。

【完結】君を上手に振る方法

社菘
BL
「んー、じゃあ俺と付き合う?」 「………はいっ?」 ひょんなことから、入学して早々距離感バグな見知らぬ先輩にそう言われた。 スクールカーストの上位というより、もはや王座にいるような学園のアイドルは『告白を断る理由が面倒だから、付き合っている人がほしい』のだそう。 お互いに利害が一致していたので、付き合ってみたのだが―― 「……だめだ。僕、先輩のことを本気で……」 偽物の恋人から始まった不思議な関係。 デートはしたことないのに、キスだけが上手くなる。 この関係って、一体なに? 「……宇佐美くん。俺のこと、上手に振ってね」 年下うさぎ顔純粋男子(高1)×精神的優位美人男子(高3)の甘酸っぱくじれったい、少しだけ切ない恋の話。 ✧毎日2回更新中!ボーナスタイムに更新予定✧ ✧お気に入り登録・各話♡・エール📣作者大歓喜します✧

【完結】少年王が望むは…

綾雅(りょうが)今年は7冊!
BL
 シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。  15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。  恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか? 【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム

僕の恋人は、超イケメン!!

BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

処理中です...