万華の咲く郷【完結】

四葩

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第八章

第八十五夜 【昼下がりの心中立て】

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「よぉ、久し振り」

 14時。揚屋あげやの座敷で盃を傾けていた蘆名あしなが、片手を上げる。朱理しゅりは隣へ座しつつ、笑って答えた。

「ご無沙汰。元気そうだね」
「まぁな。お前も顔色良くて安心したわ。最近、またごたついてたろ」
「もう落ち着いたよ。真面まともに話すの、どれくらい振りだろう」
「2、3ヶ月くらいか。葬儀の時に見かけたのが、随分、久しかったし」
「来てたの? 気付かなかった」
「だろうな。卯田うたさんと、稲本いなもとの野郎も来てたぜ」
「楼主だもんな、そりゃ来るか。参列者まで見る余裕なかったから、誰が来てたとか、全然、知らないわ」
屋城やしろに張り付かれてたもんな。つくづく、お前は怖ぇ遣手に好かれるから、吃驚びっくりするわ」

 朱理は愉快そうに笑声を立てた。

「やっぱり、大聖たいせいはあの人も苦手なんだな」
「別に、苦手ってわけじゃねぇよ、大して関わりもねぇし。けど、あの男があそこまで憔悴するとはな。ちょっと意外だった」

 屋城に泣いて縋られた夜を思い出し、胸がじくりと痛む。今頃、どうしているのか、知りたいようで知りたくない、複雑な心持ちになった。

「……そうだね。まあ、屋城さんも人の子だったってことさ」
「ふん。参列者は、喪服のお前が美人だったと、後から大騒ぎしてたぜ。ったく、人の葬儀でなに考えてんだか。色惚けじじい共め」
「喪服美人とはよく聞くけど、俺らの場合、ただ黒いだけの着物なのにな」

 ぷかりと紫煙を吐きながら微笑わらった朱理に、蘆名は眉をひそめる。

「大変だったな、友達があんな目に合っちまって。かける言葉もねぇよ」
「有難う。でも、もう大丈夫だよ。ちゃんと受け入れてるから」
「そうか……。それにしても、本当にお前の周りは色々起こるよな。見てて肝が冷えるぜ」
「そうだねぇ。怒濤のトラブル続きだなと、我ながら思ってる。流石に疲れるわ」
「今日はゆっくりしろよ。俺の時は休憩だと思えば良い」
「相変わらず優しいねぇ。どうせなら、夜見世よみせに来てくれりゃ良いのに。忙しいの?」
「……いや……そうじゃねぇけど……」

 珍しく歯切れの悪い蘆名に顔を向けると、困ったような気不味いような、妙な表情をしていた。

「なに、その表情かお
「べ、別に……なんでもねぇよ……ッ」
「はー? あからさまに何かあるようなふりして、よくそんなことが言えるな」
五月蝿うるせぇな! もともとこんな顔だわ!」

 やれやれ、と朱理は嘆息しつつ紫煙を吐いた。脇息きょうそくに肘を付きながら、じとりと蘆名を見遣る。

「で? なんなの」
「だから、なんでもねぇって……」
「いいから早く言え。俺が短気なの、知ってるよな?」
「ぅぐ……ッ」

 冷たい声音と吊り上がった双眸そうぼうわらいかけられ、蘆名は冷や汗を滲ませてうつむき、もごもごと呟いた。

「……お前を休ませてぇから……敢えて昼を選んでんだよ……っ」
「それはさっき聞いた。どうせ休ませてくれるんなら、最後の時間にしようとか思わない? 昼の2時間より、夜のほうが長く休めるだろ、普通に考えて」
「だからッ……そんなにてめぇと居たら、休ませるどころか襲いかねないっつってんだよッ! 言わせんな、馬鹿!」

 真っ赤になってまくし立てる蘆名に、呆気に取られる朱理。数秒の間の後、座敷にけたたましい笑い声が響いた。

「あはははっ! まさかそんな青い理由だったとは、予想の斜め上過ぎたわ! ひー、笑いすぎて腹痛ぇー」
「笑うなッ! あー、くそ……だから言うの厭だったんだよ、みっともねぇ……」

 腹を抱えてひとしきり笑った後、目尻の涙を指で拭いながら、蘆名に撓垂しなだれ掛かる。

「ほんともー、くそ可愛い。久し振りに会うくせに随分おとなしいと思ったら、そういう魂胆だったのね」
「魂胆ってお前……もう少し言い方ってモンがあるだろうがよ。人の好意と我慢を笑い飛ばしやがって、ちくしょう……」
「んー? 誰がそんなことしてくれって言った? 馬鹿だねぇ。我慢されるより、毎日でも通い詰めて、朝までお前に独占されてたいんだぜ」

 真っ赤になっている耳元へ口を寄せて囁くと、蘆名の体がぐっと熱をはらむのが分かった。

「……っ、煽るなよ……。今だってぎりぎりなんだ……」
「だって事実だし。信じないだろうけど、お前と添い寝がしてみたいと思うくらいには、離れがたいのさ」
「ふん……また王道な都々逸どどいつだな」

 ごろりと膝へ仰向けになりながら、朱理は蘆名の頬へ手を添える。

「三千世界のからすを殺し、ぬしと添い寝がしてみたい……か。ねぇ大聖、心中とかしてみる?」
「良いぜ、お前となら」
「即答かよ」
「当然だろ」

 ふふ、と朱理は微笑った。

「……そんなに愛してるなら、いっそ殺してくれよ」
「心中じゃなかったのか」
「お前の手で終わらせて欲しいのさ」
「厭だね」
「えー、なんで? さっき即答で良いって言ったくせにー」
「心中はな。お前を殺して俺だけ生きるなんて、絶対に御免だね。生きてお前と幸せになるのが、一番だからな」

 ああ、真っ当な男だ、と朱理は思った。揺らぐことなく見下ろしてくる瞳には、迷いも曇りも無い。過ぎるほどの一途さは、どことなく陸奥むつに似ている気がしたが、やはり目の奥に宿る光が決定的に違うのだ。
 それで良いのだと思う。蘆名にはそのまま、何も変わらず生き抜いて欲しい。この吉原で生まれ育ち、強く、まっすぐに己の道を行く。穢れなき高邁こうまいな精神は、尊敬にあたいする。

「……本当に良い男だよ、お前は」
「なんだよ、突然」
「頭良くて、イケメンで、金持ちで、性格良いとかずるくね? どっか欠落してないと、バランス取れねぇくらい完璧だわ」
「あるだろ、欠落してる所」
「はー? どこ?」
「お前に惚れ抜いてる」

 朱理は一瞬、目を見開き、ふっと眉根を寄せて微笑った。

「……嗚呼、そいつぁ、どうしようもない欠陥だ」
「責任取れよな」
「だから殺せっつってんだろ。俺の最期の男になれるんだ。一生、独占できるぜ?」
「厭だっての。俺が求めてんのは、そういうことじゃねぇ。前から思ってたが、お前のそれはただの死にたがりだ」
「……五月蝿ぇよ……」

 朱理はそれきり黙り、蘆名の膝に頭を預けたまま紫煙を吐く。気紛れに煙管きせるを蘆名の口元へ運ぶと、素直に吹かしておいて苦々しく顔をしかめるのは、いつものことだ。

「お前の煙草、メンソールがキツくて喉が痛ぇ。よくずっと吸ってられんな」
「俺はメンソじゃなきゃ駄目なの。逆にレギュラー吸ってるほうが信じらんねーわ」
「吸ってりゃ慣れんじゃねぇの」
「慣れなくて結構。つか、大聖っていつからパーラメントなの?」
「……まぁ……何年か前からだな……」
「ふぅん。前はなんだった?」
「赤マル」
「あー、ぽいぽい。なんか似合うー」
「お前は? 最初からそれだったワケじゃねぇんだろ」
「最初はマルメン。そっから色々試して、二十歳はたちくらいん時にパラメンに落ち着いたな」
「ああ、なるほど」
「ってことは、俺らの煙草遍歴って、メンソかどうか抜きにしたら同じだな。マルボロからパーラメント」
「そうだな」
「もしかしてパーラメントにしたのって、俺がそうだからだったりして。なんつって……」
「…………」

 何気なく発したひと言で、またしても赤面して黙り込んだ蘆名に、朱理も再び呆気に取られる。

「え? 嘘だろ、まじで?」
「あー、もう! なんでそういうとこ妙にさといんだよ! 今日こんなんばっかじゃねぇか、俺……」
「うわぁ……煙草の銘柄揃えるって、乙女かよ……。なんか俺まで恥ずかしくなってきたわ……」
「辞めろ、辞めろ! 煙草なんてどこのも同じだ! 吸えりゃ良いんだよ、吸えりゃ!」
「照れ隠しが雑だよ、お前……。更に事故ってるし」
「五月蝿ぇな! 犯すぞ!」
「お? やれるモンならやってみろよ」
「この……ッ、くすぐりの刑だ!」
「あははっ! ぜんぜん擽ったくねーんだよ、ばーか。お返しだ!」
「ぃっ!? アハハハ! くすぐってぇってッ! やめっ……しぬっ! しぬ──ッ!」
「やめてやんないよー」

 そうして、昼下がりの揚屋には、2人の無邪気で楽しげな笑い声が響くのだった。



 後日、朱理と陸奥の煙草談義。

「なぁ、陸奥っていつからパーラメントだっけ?」
「もう随分、前だよ。大学の頃くらいだったかな」
「あー……じゃあ違うか」
「なに、もしかして、朱理がパラメンだからだって思った?」
「ちょっとな。この前、そういう話になったからさ」
「いくら愛してても、流石にそこまで子どもじみたことはしないなぁ」
「やっぱそうだよなー」
「まぁでも、自然と同じ銘柄ってほうが、なんか運命感じない?」
「ない。ただの偶然。なんの意味も感じねぇ」
「相変わらずバッサリ言うよねー。ちょっと寂しいぜ」
「じゃあお前、遣手にも運命感じるってのか? あの人もパラメンだぞ」
「……へー! そんなことってあるんだぁ! すっごい偶然だね! まったく驚きだ!」
「だろ」
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