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最終章
第百五夜 【眠らぬ匣】
しおりを挟む「ぅゔぁー……つっかれたー……」
「ああ、本当に疲れたな」
23時。客達の出て行った座敷の真ん中で、足を伸ばして煙草を吹かす朱理と和泉。
周りでは新造や妓夫達が忙しなく宴席の片付けをしているが、2人は全く意に介していない。
そこへ鶴城、棕櫚、陸奥が加わった。
「お疲れー」
「お疲れさーん」
「いやー、終わった終わったー」
棕櫚と陸奥が煙草に火を点け、どかりと座敷へ胡座をかく。
「やっぱ政治家って気ぃ遣うわー」
「だな。まぁ取り敢えず、無事に終わって良かったじゃない」
「無事じゃなかった奴も居るけどな」
嫌味っぽく言う和泉に、朱理は顔を顰めた。
「五月蝿いな。あれは不可抗力だろ。俺の所為じゃないぞ」
「お前って本当に毎回、何かしら起こすよなぁ。何事も無く終わった試しがないじゃないか」
「まさか財務省の副大臣を号泣させるとは、恐れ入るよ。一体なにやらかしたの?」
「だから向こうが勝手に泣き出したんだって! 俺は何もしてねぇよ。ただの泣上戸か、ストレス溜まってたんじゃねぇの?」
鶴城と棕櫚へうんざりと答える朱理に、陸奥がひらひらと端末を振りながら声を掛ける。
「橘副大臣もこっち側に付きそうだって、相良さんから連絡きた。相当、お前の事が気に入ったらしいよ」
「は? アレで? 意味分からなすぎて、いっそ怖ぇわ」
「色恋じゃなく、我が子みたいにって意味だろ、多分」
「いや、初対面の男に我が子もねぇだろ」
「あんなに健気な子が楽しそうに働いているのなら、吉原もそう悪い所ではない、とさ」
「あっそ……。まぁ、結果オーライなら何でも良いけどな……」
「やっぱり凄いよ、朱理は」
眉を顰める朱理を、陸奥は笑みを浮かべて見つめている。
と、畳へ後ろ手をつきながら朱理が問うた。
「今日はみんなこれで上がり?」
「俺は相良さんが戻って来るから仕事だ」
「俺も0時から朝まで客入ってるよ」
「鶴城と同じく、俺も仕事ー。朱理は?」
「みんな大変だな。俺は何も無いよ」
「まぁ、1番厄介で重要な接待させられたからなぁ」
「陸奥も仕事?」
「いや、俺も今日は上がり。久し振りに被ったし、一緒に映画でもどう?」
「おー、良いね」
「うわ、ずるっ! 仕事組を目の前にして、そんな楽しそうな話しますか?」
「どこが楽しそうだ。あんな化物と2人きりとか、ぞっとするわ。朱理は危機管理能力が足りなさ過ぎる」
「ちょっと奈央、どうしたの突然……」
「和泉よぉ、デリカシーって言葉、知ってる?」
「勿論。最も貴方から縁遠い言葉だと理解してますが」
「おいおい、辞めろって2人とも。ついさっき大仕事乗り切ったばっかりなんだから、せめて今くらい仲良くしようぜ……」
「ここんとこ、陸奥さんに対して容赦無いよなぁ、和泉」
「なんかあったのかね、あの2人……。陸奥さんの黒い笑顔も怖い……」
ひそひそと訝しむ鶴城と棕櫚に、朱理が苦笑を漏らしていると、不意に黒蔓が座敷へ顔を出した。
「朱理、ちょっと来い」
「はぁい」
「お前らもこんな所でうだうだしてないで、さっさと仕事の支度しろ。片付けの邪魔だ」
「はいはい。んじゃ、先に部屋戻ってるから。終わったら連絡ちょうだいね、朱理」
「分かったー」
「くぁーあ……眠いー」
「棕櫚が眠くない時ってあるのか?」
「いやもうホント、年中眠いのよ俺……。また寝落ちる、怒られる、行きたくない……」
「さっさと客寝かしつけちゃえば良いんだよ」
「それな」
そうして朱理は黒蔓の元へ、太夫らは3階へと向かって行った。
────────────────
黒蔓について執務室へ入ると、途端に強く抱き締められる。
既に辰巳は退勤しており、電気も点いていない部屋は月明かりのみで真っ暗だ。
肩口から切ない声音が囁く。
「良かった……。お前に何事も無くて、本当に良かった……」
「うん、俺は大丈夫だよ。まぁ……何事も無かったと言って良いかは、微妙だけどね」
「確かに、あれには俺も吃驚したわ。それでも結局、あっさり堕としちまったじゃねぇか」
「まぐれだよ」
黒蔓は腕の力を弛めると身体を離し、朱理の頬を両手で掬う様にして口付けた。角度を変え、深くなるそれに応えて舌を絡ませる。
「ん……はァ……っ」
「……急いで仕事終わらせるから……。はやく、お前と抱き合いたい」
「俺も。黒蔓さんが帰って来るまで、陸奥と映画でも見ながら待ってるよ」
「は!? お前、よく彼奴と2人きりになろうとか思うな。危機管理能力、どこに捨ててきた?」
「おおぅ……奈央と全く同じ事を言われた……。大丈夫だってば。もし何かしてきても、俺が本気で厭がったら辞めるよ、多分」
「多分て……。ったく、それじゃ益々急がねぇと、俺の心臓が持たねーわ」
「もー、ほんと心配性なんだから。誰に何をされようと、この愛情は絶対に変わらないよ」
「それは分かってる……。でも厭なモンは厭なんだよ。仕方ねぇだろ、愛してんだから」
「あーもー、くそ可愛い、愛してる。早く仕事終わらせて、2人でゆっくりしよ」
「ああ」
むくれる黒蔓の頭を撫でて笑い、再び唇を重ねてから2人は別れた。
3階への階段を上りながら、朱理は袂から携帯を取り出して耳に当てる。数コールもしないうちに相手が出た。
「もしもーし」
『はいはーい。遣手との話、終わった?』
「終わったー。今、階段上ってるとこ」
『風呂はどうする? 先に入る?』
「あー、後で良いや。2時過ぎには寝たいし。映画見たら丁度、それくらいだろ」
『そっか、分かった。なに見たい?』
「うーん……配信してるやつの中から適当に選ぼうぜ。ポイントも結構貯まってるし。もう直ぐ部屋着くから、こっち来いよ」
『了解ー。適当につまめる物でも持ってくよ』
「おー、頼むわ。んじゃ」
通話が終わると丁度、自室へ到着した。
間接照明を点けてテレビの電源を入れる。座敷衣装を脱ぎながら、さて、何を見ようかな、等と平和な思考を巡らせる。
久々にゆっくりと時間の流れる夜であった。
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