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【一ノ瀬⠀棕櫚】
しおりを挟む上手太夫、一ノ瀬 棕櫚は苦悩していた。
万華郷では上手トップスリー。番付でも必ずトップテンに入る超売れっ子。身長は190センチを超え、日本人離れした高身長に、ほど良く筋肉の付いた抜群のスタイル。
シルバーアッシュに染めたツーブロックヘア。口、舌、耳に複数ピアスのちょいワル風だが、性格は温厚でフェミニスト。やや天然で初心で照れ屋、というギャップ萌えの塊で、熱狂的な人気を誇っている。
仕事ぶりは完璧で職場の対人関係にも問題は無く、何事も角を立てず、器用に受け流す。気の強い姉の尻に敷かれつつも、子どもの頃から現在まで、安泰な人生を送ってきた。
そんな棕櫚がここ最近、抱えている悩みとは──
「なぁ棕櫚、ちょっと根元伸びてきたんじゃない? 染めないの?」
「嗚呼、そうだね。そろそろ、髪結い呼ばなきゃいけない頃かなぁ」
ある休日。珍しく誰も居ない控え所のソファでタブレットを眺めていた棕櫚を、背後から朱理が覗き込んできた。覗き込むというより、肩にしなだれ掛かると言ったほうが正確な密着ぶりだ。
髪結いとは美容師のことで、吉原では美容院へ行くのではなく、髪結いが娼妓らの居る見世へ赴くのだ。花魁たちは、メイクやヘアスタイル等の流行を先取るファッションリーダーであるため、化粧師や髪結いは年中無休で呼び出しを受け、あらゆる我儘を聞かねばならない。
「今度は何色にすんの? またシルバー? 気分変えて、暖色系とかも良くね? ラベンダーアッシュとか、もうちょい暗めのモーヴとか、どお?」
(うぅ……近い! なんでこの子、いつもめちゃくちゃ良い匂いするの!?)
そう、棕櫚はこの最凶の人誑し、朱理に恋をしているのだ。共に万華郷で働き始めて八年。自覚したのはつい最近、朱理の花魁道中の後だった。
以前から、その圧倒的な存在感と掴み所の無い色気には、興味を惹かれていた。朱理が太夫に格上げされ、関わりが増えて知った様々な内面に、ただの興味が明確な恋心へ変わった。
それを自覚してからというもの、棕櫚は順風満帆だった人生で初めて、心労の耐えない日々を過ごしている。何故なら朱理は、そびえ立つ鉄壁の要塞と、屈曲な戦士らでがっつり固められているからだ。
朱理を依怙贔屓してやまない遣手、黒蔓。ひと目惚れしてから執念し続けている陸奥と冠次。熱心に通い詰める客たち等々。「中ボスが冠次の時点で、無理ゲーじゃん」と棕櫚は思った。運良く冠次に勝てたとして、大ボスの陸奥に続いて、ラスボスが黒蔓では、きっと陸奥辺りでライフはゼロになるだろう。スタートボタンを押した瞬間から詰んでいる。押すのが遅すぎたのだ。
棕櫚は陸奥らと違い、至って真面で常識的な思考回路を持っているため、早々に諦める道を選んだ。が、恋心はそうあっさり消える物ではない。
同じ職場、同じ階で寝起きしている以上、物理的な距離を取ることはほぼ不可能。更に悪いことに、どうやら棕櫚は朱理のお気に入りに認定されているらしい。
そうなると、どうなるのか──
「ねーえー! 聞いてる? どおかって聞いてんだよ! 無視すんな!」
「っ……き、聞いてる! 聞いてるよ! だから……ちょっ、近いってぇ……っ」
──パーソナルスペースを、完全に無視されるのだ。
いつの間に正面へ回り込んだのか、朱理は棕櫚の膝の上にまたがり、着流しの合わせを掴んで前後に揺さぶっている。こっちの気も知らないで、と思いながら、朱理が転げ落ちないよう腰に手を添える。
手の中にすっぽり収まりそうな細さに内心、驚きつつ、棕櫚はいつもの人好きする笑みで朱理を見上げた。
「良いね、モーヴ。俺、紫系の衣装多いし、もう寒くなってきたから、トーン落としたいと思ってたんだ」
「だろ? 俺もそろそろ色変えたいから、髪結い呼ぶ時は教えて」
「分かった、二人予約しとくよ。朱理は何色にするの?」
「んー、ボルドーにしようと思ってたけど、俺もモーヴにしようかな。お前とお揃いで」
無邪気にそんなことを言って笑う朱理に、堪らなくなる。純粋、無垢、無自覚というのは、時として鋭利な刃物のように心を切り付けるのだと、最近知った。
ふと、朱理はくるくると棕櫚の髪を指で弄びながら、なんとも今更なことを問う。
「棕櫚ってさぁ、明らかに王子気質なのに、なんでこんな個性派スタイルなの? めちゃくちゃ似合ってるけどさ」
「嗚呼、それは──」
それは入楼当初に遡る。棕櫚は上手格子太夫、冬賀へ付くことになった。その名の通り、銀雪のようなプラチナブロンドに染めたミディアムロングが特徴的で、切れ長の吊り目がシャープな印象を与える。冬がよく似合う、浮世離れした美丈夫だった。
棕櫚は当時、ナチュラルな黒髪をさっぱり整え、アクセサリーもほぼ付けておらず、辛うじて耳にピアス程度の飾り気しか無かった。そんな棕櫚を眺めて、冬賀は悩ましげな溜め息をついて首をかしげた。
「うーん、もったいないねぇ。折角、顔にもスタイルにも恵まれてるってのに、見事な没個性だ」
「す、すみません。俺、ファッションとか疎くて……。姉にもよく怒られてました」
「嗚呼、君のお姉さんって、ミス・ワールドだったっけ。世界一の美人に認定されるなんて、凄いことだよねぇ」
「ええ、まぁ……。お前も勉強してこいって、勝手に履歴書送られちゃって……」
「そりゃまた、勝気なお姉さんだ。ま、その顔と身長がありゃあ、ここでも充分やって行けるだろうけど。ただ、今年の新造には、似たようなのがいっぱい居るんだよねぇ……」
王道イケメン枠は陸奥、鶴城、一茶、軟派枠は荘紫、俺様枠は冠次、硬派枠は景虎で埋まっている。冬賀はしばし悩んだ後、にっこり笑って言った。
「よし、まずは髪から初めようか」
「え……?」
そうして冬賀プロデュース、棕櫚改造計画が始まった。髪結い、化粧師、仕立て屋が呼び出され、ああだこうだと話し合った結果、ツーブロックの派手な髪色にされ、ピアスを足され、衣装の系統も細かく指導されて、ワイルド枠の誕生となったのである。
「あの、冬賀さん……折角、格好良くして頂きましたけど、俺、オラつくなんて出来ませんよ?」
「良いんだよ、性格はそのままで。見た目も中身もオラオラじゃあ、つまらないからね。戦略的懸隔というヤツさ」
結果は言わずもがな。万人受けするのは当然、王道イケメンだが、必ず好みのツボがあるものなのだ。
「──ってことがあって、このスタイルになったワケ」
「ははぁ、なるほど。すげーな、お前の姉さんと冬賀さん。俺が来た頃にはもう今の棕櫚だったから、昔どんなだったか、想像つかねぇわ」
「いたって普通だったよー。その頃に出会ってたら、きっと朱理は歯牙にもかけなかったろうなぁ」
自虐めいた台詞に、朱理は棕櫚の頬をむい、と摘んで片眉を上げた。
「人をただの面食いみたいに言うんじゃないよ。そりゃ、見た目の好みくらいあるけど、結局は中身だろ。俺は、お前の優しくて天然で照れ屋な所が好きなんだよ、ばーか」
棕櫚が耳まで赤くして言葉に詰まると、朱理は「それそれ」と言ってまた破顔する。
あっさり口にされる好意にも、香水が移るほどの触れ合いにも、親愛以上は無いのだと分かっている。そして彼がそんな風に接してくれるのは、決してこの関係が崩れないと、信じているからだ。
(買いかぶりだ、と言ってしまいたい。今にも抱き締めてしまいそうな腕を、溶岩みたいに沸騰する激情を、必死で押し止めていると知らせたい。でも、出来ない。結果がどうなるかなんて、考えるまでもない。好き。そのたったひと言を我慢するのが、こんなに辛いなんて知らなかった。出来れば知りたくなかった。苦しくて、切なくて、悲しくて、ともすれば恨んでしまいそうで、とても怖い。彼から学んだのは、恋とは恐ろしい物だということだった。否、恐ろしいのは朱理そのものか……)
棕櫚は腰から片方の手を離し、そっと朱理の頬へ掌を当てた。ほとんど手と同じ大きさの小顔が、また愛くるしく、こみ上げる気持ちを押し殺しながら、艶と張りのある唇へ、親指の腹をそっと滑らせる。
朱理の目は見られない。どんな表情をしているのか、知るのが怖いからだ。
数度、唇をなぞっていると、ちゅっと音を立てて朱理が指へ口付けた。驚きに固まっていると、赤く熱い舌がちろりと棕櫚の指を舐めた。ぞわっと欲情が背筋を駆け抜ける。
「ちょッ、な、なにして……!? だ、駄目だよ、迂闊にそんなことしちゃ……」
「なんで? お前だって俺の口、ずっと触ってるじゃん」
「そ、れは……ごめん、もう辞めるから……」
たじたじと朱理から顔を逸らせ、距離を取ろうとした棕櫚の耳もとへ、艶やかな声が降ってきた。
「キス、したいんじゃないの?」
この人誑しは、本当に最凶で最悪だ、と棕櫚は吹き飛びそうな理性の中で思った。ぐっと奥歯を噛み締め、棕櫚は再び両手で朱理の腰を掴んで座り直させた。
「しないよ、絶対。……したいけど、しない」
「ふぅん。ま、いーけど。お前は真面目だから、しちゃうと色々壊れるーとか思ってんだろ。そういう繊細なとこ、ほんと可愛くてたまんないわ」
「うぅ……的確な分析……。なんで分かるの? 怖いよぉ」
「ははっ! もうお前の全部が可愛い、大好き」
朱理はそう言って、棕櫚の額に優しくキスを落とした。棕櫚は真っ赤になった顔で俯き、「俺もだよ」と声を出さずに呟いた。
しばし、まったり時間が流れた後、気を取り直した棕櫚が人好きのする笑みで問う。
「ねえ、朱理」
「ん?」
「みたらし団子、食べに行こうか。約束してたでしょ」
「行く! 前と同じ店?」
「今日はたっぷり時間あるし、食べ比べとかしてみない? 朱理のイチオシ店、決めてみてよ」
「おお! ナイスアイディア! あ、でもお前、ちゃんと変装しろよ。また騒がれちゃ、折角のデートが台無しになるからな」
デートという言葉に思わず頬が緩むのを誤魔化すため、棕櫚は朱理の腰を掴んだままソファから立ち上がった。ちょっとした〝たかいたかい〟状態に、朱理から歓声が上がる。
「じゃ、変装のコーディネートしてくれる?」
「おうよ、まかしとけ! めっちゃ没個性にしてやるぜ」
「あははっ! 朱理の感覚じゃ、むしろ目立ちそー」
(間違った相手にした恋だった。でも、恋をしたのは間違ってない。何故なら、こんなに近くで、誰より素敵に笑う人を見ていられるんだから。伝えられなくても、実らなくても、この想い出は美しいまま、永遠に残り続ける。それだけで充分、幸せだ)
終
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