九段の郭公

四葩

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1章

1【公安国際特別対策調査局】

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 公安調査庁。通称、公安庁は法務省の外局で、日本帝国五大情報機関のひとつだ。俗に秘密警察と呼ばれ、ターゲットの監視、資料の調査や分析、協力者の獲得などの諜報活動を行うインテリジェンス組織である──と言えば聞こえは良いが、その実は「昼行灯ひるあんどんの万年リストラ候補庁」と陰口を叩かれる、官界のお荷物庁なのだ。
 警察庁警備局のような捜査権や逮捕権は無く、防衛省情報本部のような装備も武力も持たず、外務省国際情報統括官組織のように豊富な予算と人材も無い。
 無い無い尽くしの公安庁に、いよいよ解体の話が持ち上がった時、当時の法務大臣政務官がこんな試案を大臣に持ちかけた。

「経歴や年齢を問わず、実力と結果のみを重視した〝裏口〟を作ってみませんか」

 要するに、おおやけには存在しない調査班を組んで試験運用し、成果を上げれば庁の存続に繋がり、法務省の株も上がるだろう、ということだ。一般にはもちろんのこと、政界内でも限られた者しか存在を知らない隠密組織は、他省庁にいくつもある。
 その提案から数十年。秘密裏に新設された『公安国際特別対策調査局』は着実に成果を上げ、今も昼行灯庁と共に存続している。



 公安庁は通常、国内情報は調査第一部、国外情報は調査第二部の受け持ちで、収集された情報を分析する一課と、現場調査を主とする二課とに別れている。それら全てを一元化したのが、この特別局だ。
 特別局には総務部、事務部、調査部があり、情報収集をおこなう特別調査官は調査部が一括管理している。
 特別調査官の任務は、国内外への人的情報収集ヒューミント公開情報収集オシント通信傍受シギント暗号解読コミントなどの諜報、防諜活動だ。それによって収集された情報の精査、分析、評価、報告までの全てを局内で処理している。
 表向き存在しない機関のため、調査官のほとんどは長官や局長、部長による引き抜きやスカウトで構成される。
 調査官が携帯し、身分を証明するための証票には調査第二部、第二課所属とされているが、その性質はまったく異なり、職務は完全に切り離されている。
 人事課へ提出する氏名、年齢、学歴から戸籍謄本に至るまでの全てが偽造で、局内でも互いの本名は知らない。公安庁そのものが、既に彼らの偽装カバーなのだ。

 そしてこれは特別局に限らず、公安庁全体に言えることだが、男女比が9:1と圧倒的に女性職員が少ない。そうなると色仕掛け任務セクシャル・エントラップメントも男性調査官によるものとなり、求められるスキルと任務の難易度は非常に高くなる。
 様々な業務を少数精鋭で行わねばならないため、特別調査官は常人離れした容姿や頭脳などの個性に加え、強靭なメンタル、柔軟なセクシャリティを持ちあわせていなければならない。結果的に、癖の強い者たちが集まるのは致し方ないと言えよう。

 そんな変人の吹き溜まりたる特別局にも、特に異彩を放つ者がいる。
 丹生たんしょう 璃津りつ。入庁12年目の中堅調査官。この人物の存在は、特別局の中でもかなり異例である。
 いくら学歴、経歴を問わないと言えど即戦力を求めるため、ある程度の語学力と知識は必須だ。登用される者のほとんどは大学卒業以上か、語学検定で高い判定基準に達している。研修期間はひと月程度しか無く、直属の上司について実務を覚えていく仕組みだ。
 丹生の場合、二流大学を中退し、20歳にして特別局入りを果たした猛者もさである。当時の部長補佐が巡回中に立ち寄ったサパー・クラブで店員をしていた丹生に目をつけ、スカウトしたのだ。
 際立っていたのは彼の浮世離れした容姿と、酔客相手の対応力だった。
 中性的で冱え冱えとした美しさに加えてスタイルも良く、謎めいた婀娜あだやかな色気を醸し出している。そこに居るだけで目を惹く存在感があり、放っておけない気持ちにさせる達人だ。
 入れ代わり立ち代わり絡んでくる酔っ払いにも、相手に合わせた完璧な接客であしらい、上機嫌で帰らせていく。まさに異性装クロスドレス調査官にうってつけの人材だったのだ。女性になりすまして潜入するには、何よりも容姿が最優先される。次いで演技力だ。
 色んな意味で一目置かれる彼の人となりについて、簡単に説明しておこう。
 基本的に明るく無邪気だが、酷い気分屋でもあり、機嫌の悪いときには誰かれ構わず八つ当たりし、周囲をハラハラさせている。
 そんな人物に調査官など務まるのかと同期を含め、局内の誰もが思っていたが、いざ異性装クロス任務へ出してみたところ、思いもよらぬ成果を叩き出したのだ。
 彼は『ここへ就職していなかったら俳優か詐欺師になっていたのではないか』と思わせるほど、人格から別人になる天才だった。更に人心掌握、操作術はベテランエージェントを遥かに上回る技量で、彼が手掛けた任務は確実に目標以上の結果が出た。
 任務成績は常にSクラス、上司のウケもすこぶる良い。しかし総合評価はトップではない。なぜなら、丹生の任務は国内に限られているからだ。彼には国外任務をこなすための語学力が、決定的に足りないのだ。
 それでも丹生の評判が良いのは、国内任務成績で比肩ひけんする者が居ないことと、コリントが非常に巧みだからである。
 コリントとは、他省庁や外部機関と情報交換を行い、足りない部分を補い合う手法だ。これが実に厄介で、協力関係を装った腹の探り合い、騙し合いなのだ。こちらの情報は最低限にし、相手の情報は最大限に引き出したいのが互いの思惑である。丹生は同じインテリジェンスのプロや、腹の読めない政治家たちを相手に、必ずこちらが得をする情報を持ち帰る。
 結果至上主義の情報機関において、彼は欠点に目をつぶってもお釣りが出るほど貴重な人材という訳だ。

 そしてもう1人、丹生とは全く違う種類の曲者が居る。
 朝夷あさひな 長門ながと、入庁14年目。長身ちょうしん痩躯そうくのほどよい筋肉質で、面立ちは彫りが深く、非常に端麗で上品な美男だ。
 どんな仕事も嫌な顔ひとつせず完遂し、愚痴も溢さず己の責務をまっとうする。完璧に整った容姿と優雅な物腰で、女性相手の色仕掛け任務成績は傑出している。入庁直後から総合評価もトップクラスを誇り、数字だけ見れば文句の付けようがない調査官だ。
 しかし、人格に決定的な破綻があった。はがねのメンタルと徹底した合理主義ゆえに、人の気持ちに寄り添うことができないのだ。慰める、思いやる、といった感情が、彼には欠如していた。
 そのせいで、誘惑技術を高める目的で設けられている性交渉訓練インターコース・トレーニングをおこなうためのバディが、2年間で13人も交代するという異例の事態を引き起こした。本人は何が原因か理解できていないうえに、「相手が無能だからだ」とのたまう始末だった。
 非常に有能なために調査官から外すこともできず、新たなバディをあてがっても先は見えている。局内中が頭を抱えていたところへ、ちょうど丹生が入庁してきた。
 駄目で元々、と2人を組ませてみたところ、朝夷はそれまでの取っかえ引っ変えが嘘のように丹生を溺愛し、業務に支障をきたすほどイントレにのめり込んだのだ。
 周囲が引くほどの耽溺ぶりに振り回されまくった丹生も、何故かバディの解消は申し出ず、皆が心労を重ねつつ見守っているうちに、気づけば12年が過ぎていた。

「おはよう、りっちゃん! 今日も可愛いね、大好き!」
「おはよ。長門は今日も無駄に元気だな」
「そりゃもう、朝からりっちゃんの顔が見られるんだから、毎日がハッピーデイだよ」
「ア、ソウ」

 都内某所。立ち並ぶ高層ビルのひとつが公安国際特別対策調査局である。外観はよくある複合事業系オフィスビルだ。
 朝からテンションの高い朝夷を横目に、丹生は深い溜め息をついた。
 イントレを積極的に行うバディは恋人同士か、それに近い関係であることが多い。しかし、この偏人へんじんバディに一般論は適応されない。
 朝夷が「好き好き、大好き、付き合って」と12年間、毎日欠かさず言い続けているのに対し、丹生は一切、耳を貸さず、にべもなく断り続けているのだ。

「おはよう。いつもながら、朝から大変だな」
「おはよ、ナナちゃん。もう慣れた……っていうか諦めたわ」

 オフィスラウンジでコーヒーをいれていた丹生に、同班の神前かんざき 那々緒ななおが声をかけた。丹生と同じくクロスを担当する調査官で、くびれた腰に細く長い手足、女性的と言えるほど柳顔やなぎがおの佳人だ。

「あーあ、ナナちゃんとこは良いよねぇ。わきまえてるイケメンで」
「まぁな。そうしつけてある」
「さすがです、ブリーダー。1回、バディ交換してくんない?」
「断る。あんな野生の大型獣は手に負えない」

 苦笑を漏らす丹生の両肩に、ずっしりと重みがかかった。

「りっちゃん酷いよぉ。お前以外と組むなんて、絶対に無理だからね。言っとくけど、お前が俺以外と組むのも許さないから」
「うるさい、重い。いつまでくっついてんだよ、いい加減離れろ」
「おはよーのハグとチューしてくれるまで離れません」
「うぜぇ!」

 朝夷の鳩尾みぞおちに、キレのあるボディーブローが決まる。それでも幸せそうな朝夷に、神前は眉をひそめて呆れ顔だ。

「りっちゃん、イントレしよ!」
「お前、本当に脈絡無いよな。嫌だよ。出勤したばっかりだぞ」
「だってもう2日もしてないんだよ!? ねー、そろそろ良いでしょ?」
「2日しか、の間違いだろ。溜まって乾いて干からびろ」
「もぉー、素直じゃないりっちゃんも可愛いっ!」

 心底、嫌そうに朝夷を押し退けながら、丹生は本日、何度目か分からない溜め息をついたのだった。
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