九段の郭公

四葩

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2章

14【仕事と私事】

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 しとしとと小雨の降る6月中旬。局内には、珍しく肌を刺すような緊張感が漂っていた。
 来たる来月初日、華国の大手造船会社であるG社が、新たに企画された客船のプレゼンパーティを日本で催すことになった。その際、パーティに参加する各国の有力者とG社が、不法な武器取引を行う予定であるとの情報が入ったのだ。
 アグリ班には販売される武器のデータ、および顧客リストの奪取が命じられた。任務自体の難易度は低いが、皆が気を張っているのはパーティの会場である。
 東都湾沖へ3時間ほど出航するG社所有の豪華客船〝凛風リンファ〟が今回の現場なのだ。
 現地調査が最低限しかできないうえ、不足の事態に陥った場合、海上では的確な対処が取りづらい。公安調査庁にはヘリコプターや船などの専用機が無いのだ。
 地上現場の数倍は注意を払わなければならず、携わる職員の危険度も跳ね上がるわけである。
 本日、当該案件を担当するチームメンバーが開示され、作戦会議が行われた。統括指揮官は更科さらしな、司令官は椎奈しいなが務める。
 ターゲットは社長のチェン、副社長のリー、筆頭社長秘書のヤン、そして社長の愛人女性3名だ。
 男性ターゲットへ接触するのは神前かんざき丹生たんしょう羽咲うさき。女性ターゲットへは郡司ぐんじ阿久里あぐり朝夷あさひなが指名された。
 主要ターゲット以外にも、幹部陣と客たちの監視になつめ小鳥遊たかなしが会場へ出る。
 バックアップは駮馬まだらめつじ相模さがみ土岐とき生駒いこまが担う。正に特別局の精鋭メンバー総勢で取り組む、珍しい大規模任務だ。
 チェンは慎重な男で、密売関係のデータはひと所にまとめず、筆頭秘書と愛人達に分けて持たせているらしい。それを指定の時間に各人から集め、リーが現場へ運ぶ。
 取引は必ず1人ずつ行い、客ごとに部屋を変える念の入れようだという。加えて警備には軍隊上がりの傭兵を付けているため、取引現場へ潜入するのはまず不可能だ。
 作戦は、取引用とは別に取られているバックアップデータをコピーすること。バックアップはチェンのみが所持しており、そこから任務遂行を図るものである。
 目標は海上であり、現場からの撤退が容易ではないため、統括官が任務遂行不可と判断した場合は即時、作戦中止も許可される。

「以上が本作戦の概要だ。言うまでもないが、本件はトップシークレット。例え家族やバディであろうと、関係者以外への情報開示は一切、禁止。これを破れば査問委員会にかけられ、懲戒免職の上、禁固刑に処される場合がある。では本日の会議は終了。手元の資料を返却後、退席するように」

 椎奈の宣言とともに各々立ち上がり、伸びをしたり資料を集めたりと、会議室は喧騒を取り戻した。

「毎回思うけどさぁ、椎奈の説明って超怖くね? 威圧感っつーか、なんも悪いことしてねーのに説教されてるみたいな気分になる」
「言い方だろ、キツいからな。ま、機密漏らして禁固で済むなら、ぬるいほうじゃねぇの。情報部や公安警察じゃ、どさくさに紛れて仲間に背中から撃たれるからな」
「何それ、嫌すぎるし怖すぎる。マフィアかよ」
「マフィアもスパイも、大して変わんねぇよ。裏切り者は始末されて当然だろ。うちだってああは言ってるが、ムショん中で消される可能性は高いしな。そういう意味じゃ、表向きポンコツ装ってるここが1番、怖ぇとこかもしんねぇぜ」
「お前さぁ……そういう過激思想が恨み買う元なんじゃねーの? クライム映画の見すぎだろ、絶対」

 辻と棗の物騒な会話を聞き流していると、隣に座っていた朝夷が手を差し出してきた。

「りっちゃん、資料ちょうだい。持っていってあげる」
「お、さんきゅー長門ながと。あ、郡司とナナちゃんのも貰うよ」
「ああ、ありがと。しかし、こんな任務にうちが駆り出されるとは意外だね。ターゲット的には防衛省が適任だと思うけど。完全に海自のテリトリーだし。あとで難癖つけられたら嫌だなぁ」
「確かに。ヘリも船もあるし、あちらさんのほうが、絶対もっと楽にやれるはずだよね。カツカツの俺らに回すなんて嫌がらせかな。うちと情報部って、そんなに仲悪かったっけ?」
「いやぁ、表立って喧嘩売ってくるのは警備局くらいで、外務省や防衛省とは、それなりに持ちつ持たれつのはずなんだけどねぇ。まぁ、腹が読めないって点では、なんとも言えないかな」

 郡司と丹生がそんな話をしていると、資料を返して戻ってきた朝夷が微笑を浮かべて答えた。

「違うよ。防衛省は華国に別のターゲットが居るから、今はなるべく目立ちたくないのさ。情報部が動くと必ず勘づかれる。G社もそこそこデカいヤマだけど、あっちの本命に比べれば雑魚だからね」
「へー、さすが長門は情報通だな。ま、揉めないなら何でも良いけどさ」

 呑気な声を上げる丹生の後ろで、郡司は
 、情報部の本命なんて機密中の機密情報だろうに、なんで知ってるんだこの人、とぞっとしていた。そこへ羽咲が空いていた丹生の隣へ腰を下ろし、にかっと笑った。

「いやー、久々の国内任務がりっちゃんと一緒で嬉しいなー。俺らが組むことって、滅多にないもんね」
「ほんと良かったよ、慧斗けいとが帰っててくれて。異性装させたら、ナナちゃんとタメ張る美人さんだもん」
「よく言うわー。りっちゃんこそ色気ハンパないくせにー。なぁ、ナナまるー」
「次その呼び方したら、チーム全員にお前のことウサちゃんって呼ばせるからな。新人にもそう呼べと叩き込んでやる。バニーちゃんも良いな。お前にお似合いだ」
「嘘だろ、たかが愛称ごときで報復エグない? こいつ教官に選んだの誰だよ。完全に人選ミスじゃん。絶対、権力持たせたらダメなやつじゃん」
「あははは! バニーちゃんはさすがにきっつい! でも可愛い!」
「ちょ、辞めてよマジで。りっちゃんがノったらシャレになんなくなるから」

 丹生は電子タバコを咥えつつ、椎奈を目で指して言った。

「しかし、こんな大規模なのに椎奈さんが出ないのはもったいないよなー。なんで司令官なんだろ」
「そりゃ産まれ付きの仕切り屋だからだろ。ターゲット3人だし、神前が出てるとクールビューティ枠も被るしなー」
「俺は司令官なんて面倒なことすんの、絶対に御免だね。押し付けられなくてラッキーだったわ。研修指導だって本当はやりたくない」
「ナナちゃんは現場大好き人間だもんなぁ。仕切りたくないのは激しく同意。この前、代理教官やらされたの超しんどかった」

 神前が「ああ」と思い出したような声を上げる。

「でもお前、めちゃくちゃ好評だったらしいじゃないか。珍しく御舟みふねが興奮してたぞ。教官代わってくれ」
「嫌だよ、しんどいっつってんじゃん。特別なことは何もしてないし」
「あー、そういやぁ雪村ゆきむらも、朝夷さんってすっごく紳士的でカッコイイですぅー、つって目ぇキラキラさせてたな。本性知らないって幸せだよなー」
「慧斗はもう少し部下を大事にしてあげたほうが良いと思う、まじで。せっかくあんな可愛い子が直属なのに、可哀想じゃん」
「だったらりっちゃんにあげるわ。俺、あんま日本に居ないし、部下なんていらねーもん」
「いや、俺は指導とか向いてないから無理。放任より酷いことになりかねない」
「放任より酷いって、お前、部下に何するつもり?」
「いやいや、変な意味じゃなくて。研修なんて受けたことないしさぁ、なに教えてあげりゃいいのか、さっぱり分からん」
「ああ、お前は現場叩き上げだったもんな。確かに、アレやられるのは放任よりキツい」
「ナナちゃんだって似たようなモンじゃん」
「俺はお前ほどじゃない。一応、座学も受けたし」
「はー!? そんなんいつ受けてた!? ずるくね!?」
「狡くないわ。あんなもん、時間の無駄でしかないぞ」
「あー、それ分かるー。座学めっちゃダルかったよなー。たいした内容でもなかったし、受けずに済むならそっちのが良いって、マジで」
「もー、こういうのが嫌なんだよぉ。他校の同級生トークに混じってるみたいな。疎外感ハンパない」
「ハハッ! 相変わらず仲間はずれ恐怖症だよなー、りっちゃんはー」

 楽しげに談笑する丹生達を、更科は見るともなしに眺めていた。例の件からひと月、丹生とは一度もプライベートで会っていない。ほとぼりが冷めるのを待っている──と言うのは建前で、本当はこのこじれた関係をどう修復すれば良いか分からないのだ。倒れたと聞いていたが、久し振りに見た姿は元気そうで、取り敢えずは安堵した。
 しかし今、更科の最大の懸念事項は丹生との関係修復ではなく、今回の案件で最も危険なポジションに、彼が指名されていることである。
 G社と言えば華国の中でも1、2を争う大手で、真っ黒な噂の絶えない悪名高い会社だ。他国の土地買収、麻薬取引、人身売買、臓器密売、マネーロンダリング等々、組織犯罪の温床である。G社を調査していた各国のエージェントは、行方不明や不審な事故死が相次ぎ、本国の麻薬取締局の捜査官にも怪我人が出ている始末だ。
 なるべく危険に晒さないよう心を砕いてきたと言うのに、このような任務に引っ張り出されては、今までの苦労が水泡に帰すも同然である。
 今回の作戦は内閣情報調査室から直接、指示されたもので、その意図はすぐに分かった。特別局、ひいては丹生の実力を試したがっている輩がいる。裏で手を引いているのが誰にせよ、ろくな思惑でないことは確かだ。
 更科は内調と他機関の面々を思い浮かべ、小さく舌打ちした。

「狸どもが。今更ちょっかい出してくるなんて、一体なんのつもりだ。胸糞悪ぃ……」
「部長、何か気になることでも?」
「……いや、何でもない。オフィスへ戻る」
「はい」

 駮馬へ短く告げ、ふっ切るように部屋を出て行く後ろ姿を、丹生が複雑な面持ちで見ていたことに、更科は気づいていなかった。
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