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3章
28【未必の好意】
しおりを挟む午後。外から戻った朝夷はネクタイを緩めつつ、局の廊下をオフィスへ向かっていた。そんな朝夷に、事務部の数少ない女性職員が声を掛ける。
「お帰りなさい、朝夷さん。今日のスーツ、明るい色で素敵ですね」
「有難う。ちょっと私用でね」
「デートですか?」
「ハハ、違うよ。ちょっとした顔合わせ」
「またお見合いですか。今回のお相手はいかがでした?」
「何とかって議員のご令嬢。もう顔も覚えてない」
「まあ、冷たい」
「しかたないさ。俺の記憶装置は、ずいぶん前から故障中なんだ」
「本当、割り切ってますね。たまには私ともご一緒して下さいよ」
「そうだね」
笑顔で手を振って別れる。オフィスへ入る頃には、さっきの女性職員の顔も覚えていない。やれ見合いだの食事だのと、媚びた様相にうんざりして溜め息をついた。
「疲れた……。璃津に会いたい……。でも動きたくない……」
デスクに突っ伏し、珍しく弱音を吐く。
少し考えてから丹生へダイアルしてみた。どうせ出てくれないだろうと思い、耳に当てるのも面倒でスピーカーにしてコール音を聞く事、数回。
【はいはーい】
「……あ、繋がった。お疲れぇー……」
【お疲れ、長門。戻ってたのか】
「んー……。さっきオフィス着いたとこ……」
【すげぇテンションだな。また見合い?】
「ふふ……声聞いただけで分かるとか。やっぱり、りっちゃんは凄いね……」
【まーね。自分で思ってるより分かりやすいよ、お前】
「もう疲れた……。動けない……。何もしたくない……」
【ホント、見合いだ付き合いだの後って、びっくりするほど弱るよな。どんな任務にも愚痴ひとつ言わない、メンタルヘラクレスのくせに】
「そりゃ仕事だからさ……。プライベートでまで愛想ふりまけるほど器用じゃないんだよ、俺は……」
【分かってるよ。だから電話してくるんでしょ】
「そうだよー……。分かってるなら、たまには優しさを下さい……」
【電話に出てやった。どうよ、凄い優しさだろ】
「ハハ……手厳しいなぁ……」
【そこが好きなくせに】
「ごもっともです。今、何してるの?」
【仕事だよ。依頼書の仕分け】
「仕分け? なんで?」
【下らない依頼がどっと増えてさぁ。やる気起きないのとか、下心見え見えなのとか、断る用に分けてんの】
「へえ、そんなに多いんだ」
【うん。どうしたんだろうな、治安悪いぜ】
「治安ねぇ……。俺の精神も治安悪ーい。緊急依頼、朝夷 長門を癒して下さい」
【ははは。相変わらず面白いこと言うなー】
「本気だぞー。あーあ、どこぞのエースエージェント来てくれないかなー。待ってるんだけどなー」
【ナナちゃーん、長門が呼んでるー】
「え、なに、神前も居るの?」
【居るよ。すぐ行くってさ、溜まってる書類持って】
「ごめんなさい、嘘です。ちょっと休ませて下さい」
【気を付けろよ、ここにはエースエージェントしか居ないからな】
「いつも思うけどさぁ、りっちゃんのオフィスって溜まり場だよね。いつも誰か居るじゃん」
【言われてみれば、昔からそうかも。下宿してた時も、よく友達が入りびたってたな】
「羽咲が言ってた通り、まるでパワースポットだね」
【そういえば高校で停学になった時、担任が様子見に来るんだけどさ。お前んち落ち着くわー、って言って寝てたよ。人生相談とかされた】
「停学? 担任から人生相談? それ、どこから突っ込めば良いの?」
【俺、あんま真面目じゃなかったけど、先生とは仲良かったからな】
「お前の年上キラーは産まれつきだね」
【違うよ。意味もなく教師に喧嘩売るとか、下らないって思っただけ。そのぶん、同い年とはあんまり縁が無いんだよ。未だに連絡とってる同級生なんて、2人くらいだもん】
「そうなの? 友達多いイメージだったけど」
【全然。むしろ居ないな。長門は多いんだろ? バックグラウンド的にも】
「俺のは……そういう友達じゃないから。損得で寄ってくるんだよ、男も女もね」
【ははぁ、エリートは大変だな。だからお前、付き合いでそんなに窶れるのか。もしかして、人間不信ってやつ?】
「ああ……そうなのかもね」
【ふうん。ま、いいじゃん、俺がこうして聞いてやってるだろ】
「そうだね……助かってるよ、ホント」
【もれなくナナちゃんも聞いてるけどな。スピーカーだから】
「えっ!? いつから!?」
【最初から。仕事中だっつってんじゃん】
「マジかよぉ……せめてイヤホンにして欲しかった……。聞かれてた思うと、めちゃくちゃ恥ずかしいんだけど……」
【あはは! 元気出たろ、良かったな】
「ぜんぜん良くな……いや、良いのかな?」
【だってそのために電話して来たんだろ? ほれ、任務完了だ。そろそろお前も仕事しろよ】
「さすがエース。自分でも気付かないうちに元気になってたよ」
【依頼料払うの忘れんなよ。分かってると思うけど、俺の時間は安くないからな】
「嘘でしょ、バディから依頼料取るの?」
【ただの電話ならともかく、お前〝依頼〟っつったろ? ご利用、有難うございましたーってな】
「うわぁ、シビア……。そんなとこも可愛いけど。で、いくら払えばいいの?」
【そうだなぁ……『アルベリーニ』のディナーで手ぇ打ってやる】
「え……それって……」
【おみやのビスコッティも忘れんな。じゃ、残りの仕事頑張れよー】
デスクから跳ね起きた朝夷は、暗転した携帯の液晶を見て呆然とする。バディを組んで初めての、プライベートな約束である。
「やったぁあーっ!」
朝夷のオフィスから、廊下まで響く歓喜の叫びがこだましたのだった。
◇
その頃、丹生のオフィスでは神前が眉をひそめていた。
「ちょっと甘やかし過ぎじゃないのか?」
「ナナちゃんこそ、ここんとこ直帰増えてるじゃん。突然つき合い悪くなるとか、分かり易すぎ」
危うくコーヒーを吹き出しかけた神前が、じとりと丹生を睨む。なんでバレたんだ、と言わんばかりの顔に、丹生は爆笑だ。
「いいんじゃない? お互い、たまには相棒を甘やかすのもさ」
「まったく……日に日に部長そっくりになるな。っていうか、本気で金払う気だったな、朝夷さん」
「しまった、そうか! やっぱり現金にすれば良かったぜ。くそー、臨時収入ふいにした」
「さすがにそれは可哀想」
公安国際特別対策調査局、調査部は、本日もすこぶる仲良しである。
◇
「丹生君。少し良いか?」
「どうぞー」
ある日。未だ山積みの任務依頼書と格闘中の丹生のオフィスを、椎奈が訪ねてきた。
「借りていたデータだ。有難う、とても良い選曲だった」
「気に入ってもらえたなら良かった。保存できた?」
「ああ。君は音楽のセンスまで完璧だな」
「好きな曲を適当に入れてるだけだよ」
丹生がクラシック好きと知って以来、椎奈はたびたび丹生のオフィスへ遊びに来ては、趣味話に花を咲かせている。最近は丹生選曲のミックスリストを借りる事が、椎奈のマイブームだ。
「自分の知らなかった曲に出会えて、新しい発見をさせて貰っている。非常に有意義だ」
「食わず嫌いじゃないけど、作曲家のイメージってあるからね。意外とツボる曲も見つかったりして、楽しいでしょ」
「ああ。視野が広がるというのは素晴らしい事だな」
「賛歌とかニューエイジ・ミュージックも、なかなか面白いよ。興味があれば紹介するけど」
「是非。君は様々なジャンルに精通しているのか。その底知れぬ魅力は、知識の幅広さから滲み出るんだな」
(心開いた相手には素直なんだよなぁ、椎奈さんって。いつも気を張ってて、めちゃくちゃストレス溜めてるから爆発するんだわ)
目を輝かせて感動を伝えてくる椎奈に、そんな事を思った。
「ただの雑学だよ。メッキだからすぐ剥がれるけど、まあ、上辺だけの会話ならそこそこ使えるかな」
「謙遜はよしてくれ。君の話術は、研修官たちの教材にされるほどだ」
「今なんて? 教材ってなに?」
「君も知らなかったか。実は私も聞いたばかりなんだが、我々の任務時の記録映像が、研修資料として使われているらしい」
「くそ……ナナちゃんの仕業か。ったく、モラルどこに捨ててきたんだよ。あいつこそ、部長そっくりになってくじゃん」
「まったくだ。クロスのみならまだしも、ユーバまで使われると……私は恥の重ね塗りだ!」
「あ、あー……噂のシンデレラ映像ね……。それ何度も流されるのは、確かにしんどいわなぁ」
ぎり、と歯噛みする椎奈の頭を撫でながら、ひっそり同情する。
「はっ! 実習で思い出した! 君を訪ねたのは、頼みがあったからなんだ。君は嫌な顔をするだろうが……また講師をお願いしたく……」
「ぅえっ!? またぁ!?」
「ああ……。君を困らせるのは心苦しい。しかし、神前らがまた外せない任務で、どうしても君たちにと、部長に強く言われてしまってな」
「部長……? そっかそっか。椎奈さんはなんにも悪くないから。ちょっと待っててね」
苦い顔で言う椎奈の〝部長〟と言うワードに引っかかった丹生は、秒速でスマホをタップした。
「丹生君、どこに電話を……」
しーっ、と唇に人差し指を当てられてウインクされ、椎奈は真っ赤になって押し黙った。数コールの後、相手が電話口に出る。
「もしもしお疲れ様です今ちょっと良いですか?」
ひと息で言い放った丹生に、相手は事態を把握して笑った。
【ははっ、お前は怒り方まで可愛いな】
「うるさいな! 講師やれってなに? ただでさえ倍増した俺の仕事を、更に増やして楽しいの? 新手のハラスメント?」
【まぁそう興奮するな。俺の指示に無意味な物なんてないんだよ】
「だったらその意味とやらを聞かせてもらおうじゃないの」
【そのうち分かる。最優先は講師だからな。任務は断れ】
「断れって……あー、なるほど。分かりましたよ、女王様。仰せのままに」
【良い子だ、相変わらず理解が早くて助かるぜ。ところで、今日は遅くなるのか?】
「……いや、いつも通り」
【そうか。じゃ、晩飯作って待ってるな】
「分かった。じゃ、また」
通話を終えた丹生の顔を、椎奈が心配そうに覗き込む。
「大丈夫か? 顔が赤くなっているが」
「だッ、大丈夫! なんでもない! 講師の話、受けるよ」
「そうか、良かった。断られたら、また部長に脅され……ゴホッ……頼み込まれる所だった。君が広量で助かる」
「ねぇ今、脅されるって言いかけなかった?」
「い、いや! そんな事は、ない……っ」
「はぁ……まったくもう。椎奈さん、俺の事であの人に困らされたら、遠慮なく言ってね? 確かに無駄な事はしないけど、やり方に問題あるんだよなぁ、うちの部長サマは」
「君は凄いな。部長にも臆さない度胸は、さすがの愛弟子だと思う」
「ははは……。それで講師の件、長門にはもう言った?」
「朝夷さんにはここへ来る前に了承を得ている。君次第だと言っていた」
「分かった。じゃあ研修の詳細はまたメールして」
「ああ、宜しく頼む」
椎奈が退室し、思い切り伸びをして息を吐く。
突然増えた任務、局内の密かな騒めきと、外部からの連絡が途絶えた社用携帯。そこへ任務より優先させる代理講師。
流石の丹生も、己の置かれている状況を理解せざるを得なかった。
「ハイエナどもは鼻が効くな……」
そう呟くと、丹生はMP3プレーヤーからベートーベンの『テンペスト第三楽章』を選択し、音量を数段階上げたのだった。
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