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3章
30【アンファニーゲーム】※
しおりを挟む「あー、ダメだ。ぜんっぜん頭に入ってこねー」
「本当にりっちゃんは人の顔と名前、覚えるの苦手だよね」
丹生は研修官の名簿を放り投げ、喚いていた。それを拾いながら笑うのは朝夷だ。
因みに、丹生が発狂するのは、この1時間で5回目である。
「っていうかさ、こいつらとっくに研修期間終わってるはずだよな? なんでまだやってんの?」
「改定で研修期間が1年に伸びたからだよ」
さらりと言ってのけられ、丹生は子どもじみた非難の声を上げる。
「俺、そんなの知らねーもん! どーせ座学も受けたことないですよ! 世間知らずですいませんね!」
「わあ、清々しいまでの八つ当たり。ま、俺の責任でもある訳だけど。だから手取り足取り腰取り、丁寧に教えてあげたでしょ?」
「うるさい、黙れ。しかし、今年のユーバは逞しいのが多いなぁ。酒梨と設楽ってあんまり話したことないけど、さすが郡司の部下だわ。土岐も棗に似て、ちょいワル感あるし……」
酒梨と設楽は武道の有段者で、郡司と共にアンダーグラウンドな潜入へ回る事が多いため、普段から髭やピアスなどで無法者の外見を偽装している。
土岐は2人ほど筋骨隆々ではないが、したたかなずる賢さを滲ませる顔つきだ。
「りっちゃん? 研修官の顔写真見ながら、なにをニヤニヤしてるのかな?」
「え? あー……いや、ほら! 単なる感想だよ、感想!」
「俺がりっちゃんの好みのタイプ、知らないとでも?」
柔らかくも重たい威圧感に、丹生は引きつった笑みを漏らす。
「た、確かに好みではあるけど、俺、年下は苦手だからなー……」
「そう。じゃあ、もう覚えたみたいだから、コレは要らないよね」
にっこりと綺麗な笑みで写真を握りつぶし、ダストボックスへ投げ入れる朝夷に、丹生は心底ぞっとした。
朝夷は溜め息をつきながら、綺麗な長い指で顎をさする。
「はぁ……俺も髭、伸ばそうかな……」
「絶対、やめて」
即答され、朝夷は驚いて眉を上げた。
「なんで? りっちゃん、髭好きでしょ?」
「似合ってる人を見るのはね。でも、接触するのはイヤ。体毛が濃いのも嫌い。胸毛とかほんと無理」
「おおう……。意外と細かい好みがあったんだね」
「まぁね。長門はツルツルだから、言う必要もなかったけど」
「なるほど。そう考えると、まだまだ知らない事も多いのかな」
「そうかもしれないけど、関係ないじゃん。お前はそのままで完璧なんだから」
何の気なしに放たれた言葉に、朝夷はぞわりと欲情した。
「っ……りっちゃん、それ反則……」
床にバサバサと書類が落ちる。朝夷が丹生の胸倉を掴んでデスク上へ引き倒し、噛み付くようにキスをしたのだ。
(びっくりしたぁ……。急にスイッチ入るんだもんなぁ、こいつ。しかもフルスロットル。何がそんなにツボったんだろ)
荒々しく絡められる舌と、性急にシャツをまくり上げる熱い手に、丹生もぞくりと快楽を期待する。後ろ髪を掴まれ、仰け反った喉に歯が立てられて鈍い痛みが走った。
手首を頭上で押さえつけられ、空いた手で乱暴にスラックスのベルトを外された時、はたと丹生は我に返った。
ここは丹生のオフィスであり、人の出入りが多いため、常に解錠されている。いつでも、誰でも入って来られるのだ。そのせいで以前、更科とのあれやこれやを神前に見られたのである。
それを思い出した丹生は、激しい口付けから顔を逸らせて朝夷を制した。
「ッ……ちょっと……待て! 待って、長門!」
「……ハっ、ハァ……なに?」
「イントレルーム、行こ」
「無理。もう止まんない」
「やっ……ダメだって……ッ!」
必死の抵抗で背を向けるが、そのまま後ろ手に押さえつけられ、背中までシャツを引き下ろされる。
「ハハ……暴れるなら縛るよ? ハァ……ッ、くそ……ほんとエロいな……。たまんない……」
「ちょ……マジで……ッ、やめろって! 人が来るから……っ!」
「良いぜ、見られても。むしろ見せつけたいね。嫌なら本気で抵抗しろよ。そういうのはやった事ないもんな?」
まずい、と思った。朝夷の口調がガラリと変わったという事は、完全にドSスイッチが入ったのだ。
「やだって、長門! 本当にやめて!」
「んー? 本物の強姦なら、そんな可愛い抵抗じゃやめてくれないぜ? エースだろ、脱出しなよ」
「ばっか……こうならないための……っ、イ゙ァッ!! ぐ、ぅゔッ……!」
背中で腕を捻られ、痛みに呻き声が漏れる。
「そんな悠長なこと言ってられないぞ。強姦はもう始まってるんだから。ほら、早く逃げてみろ」
「いやッ、嫌だ! 離せ! も、本当に……ッ!」
やおら本気で抵抗する丹生は、激しくデスクを蹴った。反動で体勢を変えようと試みるが、上から押さえつけられてはそれも叶わない。
そうこうしていると、朝夷は慣らしもせずに指を後孔へ突き立てた。裂かれるような激痛に体が跳ね、悲鳴が上がる。
「ハハ、痛いか? 本気の悲鳴だな。最高だぜ、璃津」
「お……まぇ……あたま、おかし……っ」
「なにを今更」
ふっと微笑む朝夷は、鳥肌が立つほど壮絶な色気と加虐性を醸し出している。本物のサディストはこういうものなんだな、と丹生はぼんやり思った。
「ほーらー。早くなんとかしないと、無理矢理でも押し込むよ? きっともの凄く痛いぜ。たぶん裂けるし、もしかしたら一生、使い物にならなくなるかもな。でも大丈夫、俺がいつまでも可愛がってあげるから」
「──……ッ! やだやだ、いやだ!! やめろ!!」
ぞっとするほど冷たい声音に総毛立ち、一層、激しく抵抗する。丹生が蹴り飛ばした椅子が、派手な音を立てて倒れた。
「長門っ……頼むから……もうやめてくれよぉ……っ」
「泣き落としは無駄だって言ってるだろ? 脱出に失敗した璃津は、今からレイプされるんだ。優しくなんてしてやらないから、覚悟しろ」
いよいよスラックスを下ろされ、朝夷のいきり立った物があてがわれた。
これから味わうだろう地獄を想像し、丹生が血の気を失ったその時、勢いよくオフィスのドアが開かれた。
息を切らせて飛び込んで来た阿久里、神前、郡司、棗は、惨状に息を飲んだ。
床には書類が散らばってぐしゃぐしゃに踏みつけられ、椅子は蹴り飛ばされて部屋の隅に転がっていた。丹生は後ろ手にシャツごと腕を捻り上げられ、上半身をデスクに押し付けられて、朝夷がのしかかっている。
棗の瞳孔は一気に縮み、腹の底から憤激が込み上げた。
「……なに、を……やってんだてめぇッ!!」
空気をビリビリと震わせる怒号と殺気でもって、棗が朝夷へ殴りかかった。避けるのがワンテンポ遅れた朝夷の左頬に、重い拳が叩き込まれる。
床へ倒れ込んだ朝夷に、棗が馬乗りになった。阿久里と郡司が慌てて押さえにかかり、神前が丹生の元へ駆け寄る。
「璃津! 大丈夫か!? なんでこんな……いったい何があったんだ!?」
「いたたッ……。くそ、脱臼したわ」
「なに!? とにかく医務室へ急ぐぞ!」
焦る神前を手で制して、まだもつれ合っている朝夷たちを見る。棗の激怒ぶりからして、しばらくは落ち着きそうもない。
「ふざけんじゃねぇぞてめぇコラ!! ぶっ殺してやる!! くそったれ!!」
「やめろ! 落ち着け棗!」
「とにかく一旦、離れろ。事情を聞かないと……」
「事情!? なめてんのか郡司! これが暴行以外の何に見えるっつーんだよ!」
まだ殴ろうと暴れる棗を抑える阿久里と、さりげなく朝夷を牽制しつつ側に着く郡司。朝夷は切れた唇を親指で拭い、血の混じった唾を吐き捨てた。
「チッ……顔殴りやがって。あとが面倒になったじゃねぇか」
「そんなツラ、二度と見られなくしてやるよ!」
「ハッ! やれるもんならやってみろ、狂犬病が」
「やめろ棗! 朝夷さんも、ちょっと黙れ!」
挑発を繰り返す朝夷に、阿久里の口調が荒くなる。朝夷は嘲るように大きく溜め息を吐いた。
「ったく、どいつもこいつもうるせぇなぁ。ちょっと遊んでただけで大騒ぎしやがって。璃津ー、お前からも言ってやれよぉ。こいつら、見て分かんねぇってさ」
阿久里が奥歯を噛み締め、心火を滾らせているのが分かる。
(長門のやつ、急にどうしたんだ? 建前だけは残してたくせに。もしかして、これが初手なのか? また大きく出たなぁ)
首を傾げながら、丹生は朝夷を見つめる。その場の誰もが朝夷を見ている。
朝夷だけが自分を見ていると分かった上で、丹生は口角を吊り上げ、声を出さずに言った。
〝おもしろい〟
それを見た朝夷も同じように口角を上げ、素早いウィンクで応えた。
丹生は再び困惑した表情に戻し、低く平坦な調子で問う。
「長門……どうしちゃったの、お前」
「どうもこうも、いつも通りだろ?」
「いやいや、そんな訳ないだろ。これ、肩脱臼しちゃったよ?」
「あー、ちょっとやり過ぎたな」
「ちょっとじゃないだろ……。あんた、バディに怪我させてタダで済むと思ってんのか? 勘違いしてんじゃねぇぞ……」
「阿久里、堪えろよ。朝夷さんも、ここまでしちゃアウトだよ」
とぼけた調子の朝夷に、阿久里が今にも怒りを爆発させそうに体を震わせているのが見て取れた。
郡司は阿久里と棗の両方に気を配り、なんとか宥めようとしている。
棗は憤怒を通り越し、ただ黙って冷えた殺意を向けていた。
丹生は肩の痛みを堪えながらデスクから降り、棗にそっと寄り添った。目では朝夷を捉えたまま棗の耳元へ口を寄せ、切なげな声音で囁く。
「あちこち痛くて、ちょっと歩けそうにないんだ。医務室まで運んでくれない?」
「……分かった」
「阿久里、悪いけど報告は医務室の後で良い?」
「ああ……。お前はしばらく休んでろ」
最後に唯一、冷静な郡司に顔を向ける。困った顔で微笑みかけ、小さく「ごめんね」と伝えると、郡司も薄く笑って首を振った。
棗に抱えられ、その胸に頭を預けて朝夷を見下ろす。朝夷は満足そうな、恍惚とした表情でこちらを見上げていた。
なんて面白い事をしてくれたんだ、やっぱり最高だな、と丹生は思う。
朝夷にだけ見える角度で、丹生も歪に嗤った。
「俺も付き添う」
「大した事ないから大丈夫だよ、ナナちゃん。ごめんね、迷惑かけて」
「迷惑なんて……。じゃあ部屋の片付けをしておくから、ちゃんと診てもらえよ」
棗にしっかり抱えられ、緩い振動を感じながら目を閉じる。
実の所、脱臼など大した事は無いのだ。多少は痛むが、普通に動ける程度である。なんなら、すぐに自分で戻す事さえ出来る。
大袈裟に装って棗に介助を頼んだのは、2人きりに持ち込むためだった。読み通りならば、きっとこの男は処置の後も付き添うだろう。
朝夷が初手を打ったゲームは、丹生の番である。
これは2人にとって、互いの人生を盤上にしたギャンブルなのだ。
いかに多く手駒を獲得し、思い通りに動かせるか、いかに互いを楽しませるかが勝敗を決める。より巧く手を進めた勝者はスリルと快感を得る。敗者はその時々によって相応のリスクをおう。
これが初めてではなく、今まで10年以上もの間、ひっそり続けられてきた。関わる人間全てを駒にする、残酷で無意味な、壊れた2人の暇つぶしだ。
丹生は次の一手を棗に決めたのだった。
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