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4章
42【ハングリー・アングリー】
しおりを挟む丹生が班長補佐に任命されて1週間。朝夷との訓練が、ようやく解禁となった。
「りっちゃん、はいコレ」
「え、なに?」
「訓練解禁記念でーす! りっちゃんの好きなベリータルトとアップルパイだよ」
丹生のオフィスを訪れた朝夷が、満面の笑みで小振りの花束とケーキの箱を差し出す。丹生は思わず吹き出した。
「お前って意外と乙女だよなぁ。そういうとこ嫌いじゃねぇわ。ありがとな」
「だってようやくだよ!? 1か月がこんなに長く感じたの、産まれて初めてだったぁ!」
「なんやかんやでバタバタしてたから、俺的にはあっという間だったけどな」
「うわぁ……りっちゃん、ドライに磨きがかかってない? 1か月の溝は深いぜ……」
ずんやりと落ち込む朝夷をよそに、ケーキを冷蔵庫に入れながら丹生は笑った。
「でも、普通に話せるのは良いな。2人きりの会話禁止ってのは、さすがに面倒くさかったわ」
「本当だよ。まったく、特別局の姫には恐れ入るね」
「オタサーの姫みたいに言うな。キングの通り名が泣いてるぞ」
「通り名じゃないから、勝手につけられたあだ名だから」
久々のバディ水入らずの軽口に、和やかな雰囲気が漂う。
「そう言えばクイーンが見当たらないな。普段、用がなくても一緒に居るイメージだったけど」
「ナナちゃんなら任務中だよ。上からも下からも頼られて、めちゃくちゃ忙しいみたい。次期部長補佐が椎奈さんかナナちゃんかの瀬戸際で、2人とも多忙を極めてるっぽい」
「ふうん。ね、りっちゃん」
「なに?」
朝夷は丹生とデスク越しに向かい合い、頬杖をついて首を傾げた。
「解禁記念に、ひとつだけお願い事していい?」
「内容によるぞ。とりあえず、聞くだけ聞いてやるから言ってみ」
「キスして」
一瞬、きょんとした後、丹生はまたもや吹き出した。朝夷のことだから、もっと奇想天外な無茶ぶりが来ると思っていたのだ。
「ほんっと思考回路が乙女だな、お前。良いよ、分かった。花とケーキの礼も兼ねて、特別に叶えてしんぜよう」
「やった!」
丹生は椅子から立ち上がり、デスクを挟んで朝夷の頬に手を添え、優しく口付けた。軽く触れ合わせ、啄むようにしてやると、朝夷から悦楽の吐息がこぼれた。
「……1か月ぶりの感触……。しかもりっちゃんからしてくれた……光栄の至りです」
「それはなにより」
「もう1回して?」
「えー、しょうがないなぁ。この欲張りさんめ」
再び唇を重ねると、朝夷の大きな手が肩を抱く。今度は合わせるだけでなく、緩やかに舌が侵入してきて歯列をなぞった。丹生もそれに応えて首をかたむけ、舌を絡める。
「んっ……ぁ、ふ……」
「……はァ……璃津、好き……大好き……」
互いに久々の口付けに没頭していた時、部屋に大きな咳払いが響いた。顔を離して戸口を見遣ると、そこにはいたく不機嫌そうな阿久里が立っていた。朝夷は愉快そうな笑みを浮かべ、丹生から離れずに声をかけた。
「よお、阿久里。お疲れ」
「……お疲れ様です。お取り込み中すみませんが、丹生班長補佐に用があるので、ご退室頂けますか、朝夷調査官」
「ハハ、あからさまだなぁ。そんなに嬉しいか? 璃津が補佐になって」
「ええ、なんせ雑用が多いんでね。とても助かってますよ」
「雑用、ね。ついでに欲求も補佐殿に満たしてもらってるのかな?」
阿久里は額にビキッと血管が浮きそうなほど殺気立ち、朝夷はますます笑みを深くした。
(やれやれ、うちのユーバはどいつもこいつも血気盛んだな。ま、ほとんど俺たちの所為だけど)
「やめろ長門。阿久里には恋人が居るんだから、失礼なこと言うなよな。まったく、そうやってすぐ煽る悪癖どうにかしろよ」
2人の間に丹生が割って入った。恋人、と聞いた阿久里の表情が強ばり、朝夷が追い討ちをかけるようにとぼけて見せる。
「えー。だって、突っかかってきたのはあっちでしょ? 俺は敵意を向けられたら敵意を持って返す主義なの」
「同僚にハンムラビ法典適用しないで。仮にも年上なんだし、チームメイトとは仲良くしてくれよ」
「りっちゃんが言うならそうするよ。そもそも、俺は敵だとすら思ってないしな」
「……どういう意味ですか、それ」
嘲りを含む言葉が決定打となり、阿久里から低い声が絞り出された。そろそろ引き際だと判断し、丹生が宥める。
「はいはい、阿久里もそんなに興奮しないで。ほら、仕事するから長門は出てって」
「しょうがないなぁ。ま、りっちゃんからキスして貰えたし、今日のところは班長様に譲るよ。解禁祝いは後でたっぷり、ね」
丹生へ色っぽくウィンクしてドアへ向かう朝夷は、すれ違い様に阿久里へ耳打ちした。
「精々、椎奈にバレないようにな」
歯を噛みしめる阿久里の拳は、爪が食い込むほど強く握られていた。片手で顔をおおったまま動かない阿久里に、丹生が歩み寄りながら声をかける。
「ごめんな阿久里。あいつ、今日ちょっと浮かれて──」
言い終わらないうちに勢いよく腕を引かれ、ガチ、と丹生の唇に阿久里の歯がぶつかって鈍い痛みが走った。顔を歪める丹生に構わず、食いちぎらんばかりに荒々しく貪られる。口腔に鉄臭さが広がり、どこか切れたのだと分かった。
しばらくして解放されると、丹生は痺れる唇へ手をやった。
「いってぇ……」
「ッ……ごめん、ちょっと頭に血がのぼって……。大丈夫か?」
丹生は切れた下唇の内側に指を当て、困ったように笑った。
「んー、大丈夫。まぁ、そうなるよね。こっちこそ不快にさせてごめん」
「いや……完全に俺が悪い……。本当、ごめんね……。ちょっと待ってて、氷で冷やそう」
阿久里は滲む血を見ると我に返り、慌てて冷凍庫から氷を出して氷嚢を作った。
「はい、これ当てて」
「ありがと」
「ごめん……。なにしてんだ、俺……。これじゃ、あの人と同じだよな……」
「そんなに何度も謝らなくていいよ。俺って人をキレさせる才能あるみたいだから、気にしないで」
「違う……璃津のせいじゃないんだ。嫉妬なんて出来る立場じゃないのに……。俺が狭量すぎるんだ……」
「もー、暗くならないでよ。脱臼に比べれば大したことないから、まじで。大丈夫、大丈夫」
努めて明るく振舞いながら、丹生は内心、帰るまでに腫れが引かないと、また更科さんに怒られるな、と苦い思いをしていた。仕事柄、当然ながら顔への怪我はご法度で、説教は確実なのだ。
ソファでうなだれていた阿久里が、漏らすように呟く。
「あの人の余裕が、どうしても我慢ならないんだ……。俺たちの関係にも気づいてるくせに、なんであんな態度が取れるのか……。俺にはとても理解できない」
「なんか言われてたね。アイツがおかしいのは知ってるだろ? あんま気にするなよ」
「でも……さっきキスしてるの見た時、お前さえすごく遠く感じた……。まるで、2人の間には誰も入る隙なんて無いって、見せつけられた気がして……。俺は途方もない敗北を感じたよ」
「そんなこと……」
無い、とは言えなかった。事実そのとおりだ。恐らくこの世の誰1人、丹生と朝夷の仲を割くことはできない。
「俺はお前が補佐になって、すごく嬉しかったんだ。天からの贈り物だと狂喜した。でも、璃津は違うのか? 正直に言ってくれ。お前、本当は……」
「違う」
阿久里の言葉を遮って、短く、そして強く言いきった。その目は真剣そのもので、阿久里を納得させるに足るものだった。
「俺たちはそんなんじゃない。阿久里、誤解させたのは悪かったよ。でも本当に違うんだ」
「……そうか。ごめん。女々しいよな、俺。どうか嫌いにならないでくれ」
ふっ、と丹生は微笑んで頷く。
「大丈夫だよ。阿久里はいつも優しいから」
その言葉が、表情が、阿久里の胸を強く締め付ける。阿久里は丹生の体を掻き抱いた。
「璃津……俺は本気でお前が好きだ。愛してる。自分でも気付かなかったけど、俺は随分、お前にイカレてるみたいだ……」
「嬉しいよ、阿久里」
丹生は平然と心にもない台詞を吐き、阿久里が落ち着くまでその背を撫でてやった。
◇
その夜。
「ただいまー」
「お帰り。メシ出来てるぞ」
「んー、いい匂い。今夜はなに?」
「今日は朝ビーフシチュー仕込んどいた。温めたらすぐ食べられる」
「すごっ。更科さんって本当にマメだよね。手ぇ洗ってくるわ」
「おい、いつもの忘れてるぞ」
「あ、ああ……」
丹生はギクリとした。恋人よろしく、『いってきます』と『ただいま』のキスが、いつの間にか慣例となっているのだ。しかし、今日は忘れたフリで通すつもりだった。阿久里に付けられた傷は目立つほどではないが、至近距離だと確実にバレる。
「なんだ? いつも普通にしてるのに」
「う、ううん、なんでもないよ」
丹生は素早く、かすめるように口付けた。
「じゃあ、手洗って……」
「ちょっと待て」
そそくさと顔を逸らせた丹生の腕が、がっしり掴まれる。
「お前、それどうした?」
「い、いやー、ちょっとぶつけちゃって……」
「ぶつけただぁ? どこに?」
「……車の、ドア……」
目敏く唇の腫れを見咎めた更科が、眉間に深くシワを寄せる。
「そうか、そうか。解禁日に早速コレか。いい度胸してるよな、アイツもお前も」
「ちょっと待って! 違うんだって! 長門はまったく関係なくて、本当に事故で……」
あわあわと言い訳する丹生に、更科は深く嘆息する。
「お前、どれだけ俺の寿命を縮ませれば気が済むんだ? 顔に傷とかふざけんな」
「うう……すみません……。気を付けます……」
「もーいい。早く手洗ってこい、メシの準備するから」
「うん!」
にっこり笑って洗面室へ向かう丹生を見送り、更科は二度目の溜め息を吐いた。
朝夷と妙な駆け引きをしていることは、薄々、知っている。しかし、そこに口を出す権利は無い。今のところ、大した怪我はしていないことだけが救いである。
しかしそのうち、命に関わる事態に陥るかもしれないと、更科は傷や痕を見るたびに不安に襲われるのだ。
丹生は酷く危なっかしい。そこが魅力であると同時に、恐怖させる原因だ。
「お前に何かあったらなんて、考えたくもねぇってのに……」
更科の小さな独語は届くはずもなく。無邪気にテーブルへつく丹生を、なんとも言えない心持ちで見つめるのだった。
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