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5章
53【第一級特務秘匿事案】
しおりを挟む公安調査庁、国際特別対策調査局。第一会議室には、アグリ班の調査官が雁首を揃えていた。異様なほど静まり返った室内に、議長の椎奈から緊迫した声が響く。
「丹生班長補佐が消息を絶ってから、38時間が経過した。内閣情報調査室により、本案件は第一級特務秘匿事案と認定。これより内調、入管、国防省、外務省との合同捜索となる」
一同が息を飲む空気が伝わる中、感情を押し殺すように椎奈が続ける。
「丹生班長補佐は、新宿を拠点とする指定暴力団、出茂会本部長、逢坂 吉平に接触し、二次団体による武器購入ルートの調査に当たっていた。失踪当夜、逢坂と共に料亭『葉隠』で取引相手と接触したと思われ、店を出た22時前後から消息を絶っている。現状、生死不明ではあるが、状況から見て拉致、監禁されている可能性が高い。情報漏えいには最新の注意を払うように。我々の行動が丹生班長補佐の生命に直結しているということを、くれぐれも忘れるな」
すっと棗が手を挙げた。
「逢坂の動きは?」
「逢坂は店を出てすぐ、部下と共に自家用車で帰宅している。見送りを行った『葉隠』の従業員によると、もう1台の黒いセダンへ男性が3名、乗り込んだのを目撃。その中に丹生班長補佐が含まれてると考えて間違いない」
「他の2人は誰だ」
「1名は運転手のようだが、もう1名は……」
椎奈は声が震えて言葉に詰まり、代わりに阿久里が続けた。
「〝璃弊〟の首領、王睿だ」
一気に室内が騒つく。棗は奥歯を噛み締め、絞り出すように問うた。
「……それは確かか?」
「ああ。従業員に顔写真を見せて確認済みだ」
「くそが! でかいヤマでもねぇのに、なんでわざわざ首領が出張ってくるんだよ! おかしいだろ!」
怒声を上げる棗に、郡司が宥めるように声をかけた。
「いや、おかしくないよ。もともと出茂会と璃弊が繋がっていた、もしくは最近、繋がりを持ったなら、逢坂と璃津に交流があることはすぐに分かったはずだ」
「例のパーティ以来、王睿が璃津に執着していたのは、みんな承知だろう。すでに公安庁勤務だと掴まれていた以上、動向が監視されていたとしても不思議じゃない」
「璃津が逢坂と懇意にしていると分かって機を伺い、取引に乗じて引きずり出したってところか」
冷静に分析する郡司と神前の言葉に、棗はアームレストを拳で殴りつけた。
「ふざけるな! そこまで分かってたんなら、どうしてアイツを1人で任務に当たらせてた!?」
「気持ちは分かるが、落ち着け。明確な情報が得られたのは事後だぞ。相手は大物マフィアだ。簡単に尻尾を出すワケないだろ」
「遺憾だが、辻の言う通りだ。長期潜入の結果、ようやく取引先が大陸系組織だという所まで目星を付けた矢先の事態だ。大陸系なんて星の数ほどある。当日の任務は取引相手の特定のみで、それ以上の接触は無いはずだった」
「はずだっただぁ!? そんな言い訳が通ると思ってんのか!? これは班長の責任問題だよな、阿久里!」
棗は怒りに任せて責め立て、阿久里は苦く「すまない」と呟いて眉根を寄せている。
すると、それまで静かに座っていた朝夷が立ち上がり、棗の胸ぐらを掴み上げた。
「吠えるしか能の無い馬鹿は出て行け。浪費する時間は1秒も無いんだよ。今、責任問題を追求している場合か?」
「──……ッ」
朝夷は刺し貫くような殺気を放ち、低い地鳴りのような声が空気を震わせた。誰も見たことのない鬼気迫る凄みに、棗のみならず、騒ついていた室内も波を打ったように静まり返った。
ややあって、椎奈が悲愴の滲む声を上げた。
「はやる気持ちは充分、理解している……私も同じだ。しかし、どうか今こそ冷静な判断と行動を願う。一刻も早く、丹生班長補佐を助け出すために……」
「そうだな。回りくどい手口と、相手が王睿だということを合わせると、殺害が目的じゃないことは確かだろう。それに、璃津は立ち回りが巧い。相手を刺激するような真似は、しないはずだ」
椎奈に続き、神前も落ち着いた声で意見を述べた。
「俺らの持つ情報が目的とも考えにくいな。あくまで臆測の域を出ないけど、苛烈な拷問の可能性も低いんじゃないか」
「要はあいつの体が目当てってことだろうが。逆を言えば、モノにするためならどんな手を使ってもおかしくねぇよ」
「それはそうだな。事態が長引けば、薬物を使用される可能性も出てくる。誘いに乗ったフリで誤魔化すにも、限界があるからな」
辻、棗、阿久里がそれぞれ意見を交わし、すぐさま生命の危機に陥る可能性の低さに、皆の憤りや焦燥も、ほんの僅かに和らいだ。
「各人、些細な情報でも掴み次第、報告してくれ。繰り返しになるが、くれぐれも目立った行動はしないように。独断専行、単独行動も固く禁じる。他機関からの情報が入ればすぐに通達する。それでは解散」
椎奈の号令の後、それぞれが神妙な面持ちで会議室を後にする。人の流れを横切って椎奈が朝夷へ歩み寄った。
「朝夷さん、少しお話が」
「ああ」
人の居ない別室へ移ると、椎奈は沈痛な声音で切り出した。
「今回のことは、心から申し訳なく思っています。いくら謝っても取り返しがつかないのは分かっていますが、こちらの配慮が足らず、本当にすみませんでした……」
「椎奈が謝ることはないさ。誰も悪くない。強いて言うなら俺の責任だな。あの時、バックアップに回るべきだったのに……。まぁ、今更どうこう言っても仕方ない。それで、俺に頼みたいことがあるんだろ?」
「ええ。合同捜索に当たって、朝夷さんには各機関との橋渡しを担って頂きたい。残念ながら、情報共有に多くの問題を抱えていることは、貴方もよくご存知でしょう」
「分かった。それなら一任してもらって構わない。ここで行使せずして、なんのための家名か分からないからな。ちょうど妹の担当が華国なのも、都合が良かった。外務省と国防省は問題ない。入管は俺が出るまでもないだろう。ただし、内調は難しいぞ。俺が表に立つと、逆に妨害される可能性がある」
「承知しています。入管と内調には部長が働きかけているので、安心して下さい」
「了解だ。愚問だろうが、GPSの結果はどうなってる?」
「……申し訳ありません。新宿界隈で途絶えていて、追跡も不可能でした……」
「だろうな、聞いただけだ。当然、所持品の一切は処分されただろう」
椎奈はうなだれ、苦しげに眉根を寄せている。朝夷はその肩を軽く叩いて微笑んだ。
「あまり思い詰めるなよ。大丈夫だ、まったく手が無いわけじゃない。修羅兄弟にも当たって、まずは監視カメラと逢坂の線から進める」
「……朝夷さんはお強いですね。それに比べて私は……彼に何かあったらと思うと恐ろしくて、何も出来ない自分が歯痒くて……不甲斐ない……」
椎奈の体は小刻みに震えている。自責の念と、丹生の安否の不安に苛まれているのだろう。以前の椎奈であれば、同じ状況でもこんな姿は誰にも見せず、いつものように毅然と対応していたはずだ。
しかし最近、椎奈と丹生は共通の趣味によって急速に距離を縮め、友情を深めている最中だった。椎奈は友人を作るということに殊更、向かない性格をしている。自分にも他人にも厳しく、高圧的で尊大な態度は周囲から敬遠され、本人もそれで良いと思っていた。そんな心の壁をものともせず、親しんでくれていた丹生に、椎奈は深く感謝しているのだ。
「椎奈は本当に璃津を大事に思ってるんだな、バディとして嬉しいよ。必ず助け出してやろうな」
「……はい! この命に代えても!」
「命に代えちゃ駄目だろ」
椎奈の目に闘志が燃え、朝夷が苦笑していた頃。出入国在留管理庁では、更科と城戸が対峙していた。
「対応が遅すぎる。相手は璃弊の首領だぞ。上は事態の深刻さを理解してねぇのか?」
「分かってるさ、俺だって手は尽くしてる。しかし、人も変われば変わるものだな。こんなところでお前の必死な顔を見ることになるとは、思ってもみなかったよ」
「ふざけるな、旧交を温めに来たんじゃねぇんだ。居場所の特定もGPSの追跡も不可能で、ただでさえ情報がない巨大マフィア相手に、何を悠長に構えてんだよ」
「そうだな。その一角を明らかにした功労者が毒牙にかかるとは、因果なものだな」
「くそったれ! てめぇじゃ埒が明かねぇ!」
更科はギリ、と奥歯を噛み締めた。いつか、こんな日が来るような気がしていた。丹生がどうしようもなく遠く、手の届かない所へ行ってしまうような、己の元から離れていってしまうような、嫌な予感だ。
ようやく恋人という関係に至り、絶対に離さないと抱きしめてから、数日も経たないうちにこんな展開が待っているなど、一体、誰が予想できただろう。
強く拳を握りしめる更科に、城戸が穏やかな声をかける。
「丹生はお前が1番大事にしてる子だもんな。取り乱すのは仕方がない。だが、部長がそんなことでどうする。こんな時こそ冷静になって、賢く立ち回るべきだろう」
「うるさい、黙れ! なにが賢い立ち回りだ! てめぇにそれを言う資格があると思ってんのか!? 誰に向かって講釈たれてんだ!」
激昂する更科に、城戸は眉根を寄せて苦く笑った。
「……だからこそさ。お前に俺と同じ轍を踏ませたくない。幸い、今回は確実に相手国が不利になる状況だ。多少、無理をしても、国交に影響は出ないだろう。その上、被害者は官界に名を馳せる優秀な調査官だ。上も全面的に協力すると言っている」
「で? 出入国の記録はおろか、空港その他の出入りさえ確認できてないってか? 全力を尽くしてその結果とは、笑わせる。名ばかり立派で、さっぱり当てにならねぇな!」
ひとしきり怒鳴った後、城戸の胸ぐらを掴んでいた手を離して深く嘆息する。
「……もういい。何か掴めたら連絡しろ」
「もちろんだ。お前も、あまり無茶をするなよ」
踵を返した更科の背に心配そうな声がかけられたが、二度と振り返ることは無かった。
「お前を駆り立てるのが恋だったとは……。本当に、どこまでも因果な話だ……」
城戸の独語は、虚しく無人の室内に溶けていった。
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