九段の郭公

四葩

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5章

54【房事の果ての夢魘】※

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「……っはぁ……ッ、ゃ……もう、無理……、疲れた……っ」
「ふッ……まだだ……。まだ、私は満足していない……」

 ワンに抱かれ始めてどれくらい経ったか。まったく萎える気配のない欲望を、何度体内に吐き出されたか分からない。

(あー、まじかー……40代舐めてたわ……。ていうか、人間ってこんなに何度も射精できるモン? 絶対おかしいだろ。みょうな薬でもやってんじゃね? 俺なんてだいぶ前から空イキだし、前も後ろも痛えわもう。こんなん続けられたら、さすがに体が持たないぞ。脱出どころじゃなくないか?)

 精根尽き果てて息も絶え絶えな丹生たんしょうを、ワンは恍惚とした表情で見下ろす。

「ああ、抱き潰された君も綺麗だ……。それも、私の手でこんなに乱れているなんて。ますます昂ぶるよ……」

 ほとんど焦点の合わない目でガクガクと揺さぶられる。嬌声は徐々に悲鳴へ変わり、今やそれすら出なくなって、掠れた息が漏れるだけだ。合間に休息を懇願すると、ワンは上体を起こして息を吐いた。

「ふぅ……。あまりに嬉しくて、うっかり初日で壊してしまうところだった。そろそろ打ち止めにしなければな」

 ガツガツと音がしそうなほど激しく穿うがたれ、低い呻きとともに最奥へ押し込まれる。しばらく抱きしめられた後、とうに感覚の無くなった開口部からようやくワンのそれが抜かれた。散々、吐き出された白濁がどろりと流れ出る感覚に身震いする。

「うぅ……っ、ぁ……」
「加減ができなくてすまないね。すぐかき出してあげよう」

 ワンの長い指が中をまさぐり、出入りするたびにぐちゃぐちゃと卑猥な水音が鼓膜を叩く。執拗なほど長い時間をかけて後始末をするあいだ、ワンは満足そうな笑みをたたえていた。最後にティッシュで丁寧に拭き上げられ、やっとのことで丹生の体が解放される。
 全身に酷い倦怠感がのしかかり、指1本動かすのも億劫だ。ぐしゃぐしゃになった髪を梳かれ、低い声が落ちてくる。

「汗ですっかり濡れ鼠だ。風邪をひかないよう、風呂に入らなければいけないね」
「……む……むり……。うごけない……」
「大丈夫、私が洗ってあげるよ」
「え、なに……」

 ワンはにっこり微笑み、軽々と丹生を横抱きにして立ち上がった。丹生はあらがう力すら残っておらず、されるがままだ。鼻歌交じりにバスタブの中へ降ろされ、温かいシャワーをかけられる。

「湯加減はどうかな。熱くないかい?」
「うん……ちょうどいい……」

 泡立てたボディスポンジで丁寧に全身を洗われ、洗髪までしてもらった。丹生が好きなムスク調のソープの香りに包まれ、清潔になったことで若干、気が晴れる。
 向かいでワンがシャワーを浴びるのを、バスタブのへりに腕をかけてぼんやり眺める。色白でしなやかな筋肉の隆起が、水の流れで際立って逞しく美しい。背に梅か何かの刺青が彫られているようだが、長い黒髪に隠れてはっきり見えなかった。
 手早く済ませてローブを羽織ると、優しく丹生をバスタオルに包み、再びベッドへ運んだ。

「シーツはすぐに清潔なものに取り替えるから、少し我慢して」
「ありがと……」

 ワンの膝に乗せられ、わしゃわしゃと頭を拭かれる。ひと通り拭き上がると、丹生はタオルを片付けるワンへ声をかけた。

「煙草吸いたい。もうずっと吸ってないから限界」
「そういえば、君はヘビースモーカーだったな」

 苦笑しながらワンはナイトテーブルの引き出しを開け、丹生が愛飲していた紙タバコと灰皿を出してきた。それを見て丹生は「へえ」と片眉を上げた。

「俺の銘柄、知ってたんだ。最近これ吸ってないのに」
「もちろんだ。電子タバコもあるから、好きなほうを使いなさい」
「至れり尽くせりですな……」

 皮肉を込めて呟くと、ひとまず紙タバコに火をつけ、味わうように深く吸い込んだ。久し振りに吸うと強烈な臭いが鼻をつき、苦い煙とメンソールが喉を叩く。思い切り紫煙を吐き出すと、くらりと目眩がした。
 ふた口ほど吸った後、立てた膝の上に腕を置いてワンへ問う。

「今更だけど俺、どれくらい寝てたの?」
「1日くらいかな」
「そんなに……? どうりで頭痛もヤニクラもするわけだ……」
「ああ、そうだった。とりあえずこれを渡しておこう」
「痛み止めね。助かるよ」

 丹生は差し出された薬を受け取るや否や、すぐさまミネラルウォーターで飲み下した。

「あくまで応急処置だ、西洋薬は体に良くない。後で漢方を処方させるよ」
「なにそれ、華国ウン千年の歴史ってやつ? マフィアでもやっぱり東洋医学に傾倒してんのね」
「マフィアとは健全な精神と肉体を併せ持つ者を言う。健康に気を遣うのは当然だよ」
「ついでに寝る薬もお願い。貴方に盛られた薬はよく効いたからね」

 わざと意地悪く言うとワンは顎を引き、くつくつと喉の奥で笑った。

「眠るのに薬など必要ない。私が夢の世界へいざなってあげよう」
「いや、そういうのは良いから……。本当に体が持たない……」
「そうかな? 君はすでに回復しているように見えるがね」
「そんなワケないだろ! ボロボロだよ! どこもかしこも痛いし、洒落にならない。次もあんなにするなら、絶対ゴム使ってよね」
「君は本当に面白い。普通なら意識が飛んでもおかしくないほど追い詰められていたと言うのに、もう次の話をするなんて」

 丹生はぎょっとして顔を歪め、手と頭を同時に横へ振った。

「いやいや、待って、違う。してって言ってるんじゃないから。するならって話だから。第一、俺に拒否権なんてあるの?」
「抵抗される覚悟くらいはしていたよ」
「こんな状況で抵抗したって、意味ないでしょ。こっちだって無駄に痛い思いしたくないし、妙な薬とか使われたら嫌だし」

 ちくちくと刺す嫌味をものともせず、ワンは愉快でたまらないという笑い声を上げる。

「やはり君は手強いな。だからこそ落とし甲斐があると言うものだがね」
「なにそれ、怖。あれだけ抱いてまだ足りないの?」
「私は君のすべてが欲しいんだ。体はもちろん、何よりその高潔な精神が欲しい」
「身も心も捧げろって? うわー、ワガママだなぁ」
「ああ。私は貪欲な人間なんだよ」

 これほど異常な状況の中でさえ、初めて見た時の輝きを失わない丹生に、ワンは喜びと期待に打ち震えていた。
 多くの人間を見てきたつもりだったが、これほど強く、柔軟な人物がこの世に存在するとは思いもしなかった。いつまで輝き続けるのか、いつまで高邁であり続けるのか見てみたい気持ちと、その気高さをうち壊し、花のように散らせてしまいたくなる衝動とがせめぎ合う。

「ちょっとお兄さん、良からぬこと考えてるのが顔に出てますけど?」
「おや、バレてしまったか」

 ワンは丹生におおいかぶさり、口付けた。ついばむように何度も唇を擦り合わせ、甘噛みする。丹生も抵抗することなく、それを受け入れている。唇を重ねたままワンは呟いた。

「君の唇はとても気持ちがいい……。永遠にこうしていたいよ」
「変なの、そんな言い方」
「どうして?」
「まるで願望みたいに聞こえるから。拉致しておいて、なんでそんなふうに言うのかなって」
「やり方は少々、強引になってしまったが、私は君を服従させるつもりはないんだ。欲しいのは奴隷じゃない」

 気のない相槌を打ちながら丹生は考える。もしあと数日、ワンに再会するのが早ければどうなっていただろう。更科さらしなと恋人になる前だったら、案外、あっさりこの男に身も心も委ねていたかもしれない。
 思えば、この何日かで目まぐるしく状況が変わった。数週間前、12年も恋心を抱いていた相手に踏ん切りをつけ、つかず離れずの距離を保っていた上司と恋人になり、ひとときの幸せを甘受しようとしていたところで拉致され、今に至る。
 いくらなんでも展開が急すぎて、頭も心もついていかない。一体どうすれば良いのか、何が正しい判断なのか、分からなくなりそうだ。
 このまま閉じ込められてワンに抱かれ、優しく甘い言葉を囁かれ続けたら、そのうちワン以外の人間の顔も、声も、匂いも忘れてしまうのだろうか。あの約束も、あの願望も、何もかも反故にしてしまうのだろうか。
 そう考えるとにわかに恐怖が駆け抜けて体を強ばらせると、抱きしめられていた腕に力がこもった。

「寒いかい?」
「……いや、大丈夫……」
「やはり随分、無理をさせているな。私は君の人生を奪ってしまったが、これが私の愛し方だ。こんなふうにしか愛を表せない、不器用な人間なんだよ」

「許してくれ」と小さな呟きが聞こえた気がしたが、精神と肉体の疲労が一気に押し寄せ、丹生の意識は昏倒した。


──夢を見た。
 何も無い真っ暗な空間で、彼が泣いている。
 闇に膝をつき、胸を掻きむしり、顔をくしゃくしゃにして、大きく口を開けてぼろぼろと涙を流している。
 でも、何も聞こえない。見るからに大声で泣き叫んでいるのに、その号哭はひと声たりとも届かない。こちらを見ているようで、見ていないような、焦点の分からない視線を向けて、ただひたすらに泣いている。
 それが何とも哀しくて、切なくて、苦しくてたまらなくなり手を伸ばす。歩み寄ろうと足を動かす。必死にそちらへ向かっているのに、不思議と距離はまったく縮まらなかった。名前を呼ぶが、自分の声さえ響かない。
 近付けず、声もかけてやれず、一定の距離を保ったまま、彼の悲愴な泣き顔を見ている。
 ああ、可哀想に。やっぱり独りで泣いてるんだな。俺も悲しい。今すぐ駆け寄って、抱きしめて、泣かないでと言ってやりたい。
 そのたくましい腕で掴まえて、広い胸に抱きしめ返して、いつもの優しい声で大丈夫だと言って欲しい。嗅ぎ慣れた香水の匂いが恋しい。
 俺は眠って悪夢を見てるけど、彼は眠らずに悪夢を見ている。なんて不公平、なんて不条理、なんて不平等。泣く声さえ聞いてやれない日が来るなんて、思っていなかった。
 辛くて、申し訳なくて、見ていられない。でも目は逸らせない。これは夢であって夢じゃない。彼の心情投影だと分かるからだ。
 近寄れず、伝えられず、焦燥と寂寞が支配する真っ暗な闇の中、延々と物狂おしい慟哭を見ていた。
 そんな凶夢だった。──
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