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6章
55【海老で鯛を釣る】
しおりを挟む内調、入管、外務省、防衛省との合同捜査が始まり、薄氷を履むような緊張感が官界を取り巻いていた。
それもそのはず、自国の優秀な調査官が、他国の犯罪組織に拉致されたのだ。目的は報復なのか、機密情報なのか、相手の明確な行動理由が分からず、下手をすると国の面子が丸潰れになりかねない。
情報機関が手がける事案は、普段から公表される物ではないが、今回は更に情報規制が徹底されているため、各省庁でもこの非常事態を知る者は少ない。
神前は新宿駅前の巨大スクリーンを見上げ、次々と写し出される映像に眉をひそめた。芸能人の結婚、出産、不倫、離婚など、下らないゴシップばかりが流れている。街頭スピーカーからは、嘘くさいラブソングと路上勧誘禁止のアナウンスが、壊れたラジオのように繰り返されていた。
安っぽいネオン管に照らされる猥雑な人混みの中、神前は小さく溜め息をついた。
「平和ボケした馬鹿どもが……」
スクリーンの画面が切り替わり、近日公開予定の映画予告が流れる。
(あれ、璃津が見たがってたよな。一緒に行こうと約束したのに……なんでこうなったんだろう。どうしてあいつが、こんな目に合わなきゃならないんだ。俺が妬んだからか? 嫉んだからか? でも俺は……あいつに消えて欲しいなんて思ったことはない……)
神前は、目に見えぬ宿痾を感じて歯噛みした。思考が逸れていた耳に、椎奈の通信が飛び込んでくる。
【神前君、どうした? 急に立ち止まって。何かあったか】
「……いや、なんでもない。現場へ向かう」
【了解。棗君は既に店中で待機中。先ほど、逢坂が来店した】
「分かった」
本日、神前は丹生が潜入していたサパー・クラブ『AL』にて、足取りを追うことになっている。
この数日、各調査官たちはそれこそ地を這い、草の根を分けるような捜索を続けていたが、手掛かりは皆無だった。そこで、リスクを承知で神前が逢坂へ接触し、情報を得る作戦が立てられたのだ。
猥雑とした通りを抜け、歌舞伎町にしてはシックな外観の建物へ入る。中は薄暗く、広いホールにボックス席がいくつも並んでおり、奥には洒落たバーカウンターがある。棗が別席で談笑しているのが視認できた。
神前が店内へ足を踏み入れると、すかさず黒服が近付いてくる。
「いらっしゃいませ。当店は会員制となっております。どなたのご紹介でしょうか」
「待ち合わせです。逢坂さんに〝リツ〟とお伝え頂けますか」
「承知致しました。少々お待ち下さい」
少ししてから、薄いカーテンに仕切られた奥まった席へ通される。1人でグラスを傾け、鷹揚に座っていた逢坂は、神前を見ると探るように目を細めた。神前はきりっと背筋を伸ばしたまま、やや冷たい声を上げた。
「初めまして。私は璃津の友人です。少し、お話しよろしいですか?」
「……なるほど。どうぞ、座って下さい」
「失礼します」
神前は、テーブルを挟んだ対面の椅子へ浅く腰掛けた。逢坂は事情を察したように薄く笑い、煙草へ火をつける。
「正直、肩透かしを食らった気分ですよ。アイツは昔っから、ふらっと居なくなっちゃあ、何も無かったみたいにふらっと現れる。今日もそうかと思ったんですがね」
「騙すような形になったことは、お詫びします。なるべく目立たず、お伺いしたかったもので」
逢坂は、一見、人が良さそうな笑声を立てた。
「構いませんよ。それで、お話とは?」
「貴方と食事へ出掛けた夜から、彼の消息が途絶えました。以降の足取りが、まったく掴めません」
単刀直入に切り出した神前の言葉に、それまで余裕をたたえていた逢坂の目が、鈍く光った。神前は、制するように静かに話を続ける。
「貴方を疑っているわけではありません。彼の古いご友人として、ご協力頂きたいだけです」
「……その言葉を鵜呑みにしろと?」
「はい。今は少しでも彼に繋がる情報が必要ですから。行方不明者の生存率は、時間と共に低くなる。一刻の猶予も無い状況なのです」
逢坂は紫煙を吐き、推し量るように神前を見ていたが、やがて納得したように目を伏せた。
「分かりました。職業柄、疑ってかかるのは癖のようなものでね」
「承知しております。差し支え無い範囲で構いません、何かご存知ありませんか?」
「お力になりたいのは山々ですが、私にも分かり兼ねるんですよ。行方不明になっていることすら、貴方から聞いて知ったくらいだ」
神前はやっぱりか、と嘆息した。丹生の拉致に逢坂が絡んでいないことは、ほぼ裏が取れている。
(この男から得られる情報は、もともと多くない。目的の撒き餌はできたから、後は上手く掛かるのを待つだけだな)
神前はふっと息を吐き、軽く目礼した。
「お時間を頂き、有難うございました」
静かに席を立った神前の背に、逢坂の低い声がかかった。
「……これは私の独り言ですが、アイツのことは、これでも結構、気に入っていましてね。腐れ縁も、14年続けば情も湧くというもので。アレに何かあれば、私も面白くありませんな」
「そうですか。では、失礼します」
神前は薄く口角を上げ、振り返らずに店を出た。即座に本部の椎奈へ連絡を入れる。
「こちら神前、任務完了」
【了解。棗君も、折を見て撤収してくれ】
【了解だ】
「向こうは餌に食いついた。恐らくすぐに動くだろう」
【ああ。麻薬取締部に、協力を要請してある。逢坂を含む出茂会の動向は、そちらに任せよう】
椎奈の言葉に、神前は怪訝な声で返す。
「マトリだと? なぜヤツらが出張るんだ。出茂会は表向き、違法薬物は扱っていないはずでは?」
【出茂会本部はそうだが、例の二次団体の資金源は、違法薬物だ。そこから渡りを付けた。彼らには、丹生君も郡司君も多大な貸しがあるので、ここで返してもらう】
「そうか、了解」
神前は通信を切ると、すぐさま社用携帯を取り出した。
「お疲れ様です、部長」
【お疲れ。で、どうだった】
「食いつきました」
【そうか。よくやった】
「あの……」
【なんだ】
「……いえ、なんでもありません」
【今は余計なことを考えるな。仕事に集中しろ】
「はい。失礼します」
短いやり取りを終え、神前は眉をひそめた。
更科は丹生が行方不明になってからも、皆の前ではなんら変わらない。動揺も焦燥もまったく見せず、いつも通りの顔をしている。思えば、朝夷もそうだ。
しかし、神前は彼らの胸中を推しはからずにはいられない。誰よりつらい思いをしているのは、更科たちのはずだ。
加えて更科と丹生は、付き合い初めてまだ数日も経っていない。ようやく手に入れた大切な相手が危機に陥った恐怖たるや、想像も及ばない。
丹生は燦然と輝く太陽で、更科はさながら月のように表裏一体で、そんな2人を見ているのが大嫌いで、大好きだった。羨ましくて堪らず、一時は憎みさえした。やがて、自分には手の届かない関係に憧憬を抱いた。大事な仲間と尊敬する師、どちらが欠けても、あの美しい構図は成り立たない。
もしこのまま丹生が見つからなければ、もし生きて戻らなかったら、もし心が壊れてしまっていたら、と嫌な想像に身震いする。そんな最悪の可能性が、少しでも低いうちに見つけてやらねば、と神前は雑踏をすり抜け、歩を速めるのだった。
◇
神前との通話を終え、携帯を内ポケットにしまいながら、更科は小さく息を吐いた。
内閣情報調査室、小会議室にて。更科は眼前の男へ向き直って短く詫びた。
「失礼」
「いえいえ、お気になさらず。こう事件が多くては、調査部長殿に置かれましても、ご心労が耐えないことでしょうねぇ」
「いかにも」
粘着質な笑みを含む声音で言う男は、煉瓦色のパーマヘアを指に巻き付け、片方の眉を上げている。この男こそ、G社の件で公安調査庁をいぶり出した張本人、朝夷 周防。長門の異母兄である。
通った鼻筋に垂れ気味の二重で、毒気の滲み出る微笑が、整った顔立ちと相まって、食わせ者の感を強調している。
周防は長い指を組んで顎を乗せ、やや首を傾けて言った。
「えぇと、合同捜査の件でしたねぇ。喜んでご協力致しますとも。なにせ、彼は我ら朝夷家にとっても、大変、重要な人物ですからねぇ」
更科は、いちいち癪に障る物言いに苛つきつつ、表情にはまったく出さずに「有難うございます」と応えた。
「しかし、面白いものですねぇ。ミイラ取りがミイラとは、正にこのことで。璃弊の尾を掴んだ調査官が捕まってしまうとは、まるで御伽噺のようじゃありませんか。私も少々、心の痛い事態ですよぉ」
更科の眉がぴくりと動く。
「心が痛むとは?」
「いやぁ、彼ならきっと成果を上げてくれるだろうと進言したのは、この私なんですよぉ。ハハハッ」
薄々、分かっていたとはいえ、こうも真っ向から挑発されるとは、思ってもみなかった。更科は机の下で両手を握り締め、怒りを抑え込む。
(この卑劣な下衆野郎が。最初から仕組んでやがったな。義弟を貶めるためなら、どんな犠牲も眼中にねぇってか。カイン・コンプレックスも、ここまで来ると憐れなもんだ。コイツと比べりゃ、うちの坊ちゃんのほうがまだマシだな)
ぐつぐつと腹の中で鬱憤を滾らせながら、更科は片方の口角を上げて答えた。
「そうでしたか。では、ご期待に添った調査官の奪取にも、当然、ご尽力頂けますね?」
「ええ、もちろんですよぉ。情報が入り次第、いの一番にお知らせ致しますよぉ」
周防は嘘くさい笑顔で両手を合わせ、こくこくと頷いて見せる。これ以上、この男と話していたら反吐が出そうだ、と更科はさっと立ち上がった。
「宜しく頼みます。では、失礼」
「ああ、そうそう。長門にも、気を落とさないようにとお伝え下さいねぇ」
更科はちらりと周防を一瞥し、会議室を後にした。どっと気疲れを起こして溜め息が出る。
(駄目だな、ありゃ。もし何か掴んでも、すぐアイツに握りつぶされちまう。中央センターが使えりゃ、だいぶ楽になるってのに……。こうなったら内調はスルーして、他を見つくろうしかねぇか)
朝夷一族の確執は、思っていたより随分、根深いと痛感した内調訪問であった。
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