78 / 87
8章
76【憂国フラタニティ】
しおりを挟む「ところで、今日はどうされたんです? 親父の使いですか?」
「いや、違うよ。友達と遊びに来ただけ」
篁は、丹生の後ろに立つ朝夷を一瞥し、「ほう」と薄く笑った。
「お友達、ですか。そんな美丈夫を連れていると知ったら、親父が怒り狂いそうですね」
「嫌だなぁ、そんな意地悪言わないでよ。でも、会えて良かった。この前、逢坂さんに吉原も被害にあったって聞いたから、心配してたんだよ。内輪揉めだったって?」
「ええ、まあ……。璃弊の件で駆り出されていた時に、悪戯が過ぎた者がいましてね。娼妓が1人、亡くなりました。私の監督下でこのような醜態を晒すなど、親父に面目が立ちません」
篁は沈痛な面持ちで眉をひそめており、相変わらず情に厚い男だなと思った。丹生は、励ますように明るい声を掛ける。
「あらかた聞いてる。それは篁さんのせいじゃない。全部、横槍入れてきたバカ組長と、璃弊が悪いんだ。篁さんは頑張ってるんだから、あんまり自分を責めないで」
ぽんぽんと腕を叩かれて、篁は一瞬、驚いたように少し目を見開いたが、喉の奥で笑いながら煙草を咥えた。
「やはり貴方は素敵な方だ。親父が入れ込んでいなければ、私がそうなっていたかもしれません」
丹生は、朝夷が殺気立つのを後ろ手に制しつつ、からからと笑った。
「よく言うよ。聞いてるんだからね、2億も貢ぐほど、惚れ込んでる相手が居るって。逢坂さんも興味津々だったし、俺もどんな美人か、見てみたいな」
「やれやれ、璃津さんには何でも筒抜けですな。彼は、どことなく貴方に似ています。朗らかなようでいて、掴みどころがない。面白い男ですよ」
「ふうん、どこの太夫?」
「万華郷です。今や、吉原一の太夫でね。予約を取るのもひと苦労で、参ります」
「へえ……そりゃ凄いな……」
丹生は、思わず顔をひきつらせた。確か、橘財務副大臣を骨抜きにしたのも、万華郷の太夫ではなかったか。吉原随一の陰間茶屋と聞いてはいたが、名だたる傑物を何人も籠絡するなど、一体、どんな化け物たちを抱えているんだと、ぞっとする。
それから少し雑談を交わし、特に目立った異変は無い事を確認してから別れた。
電子タバコを咥えながら、丹生は苦く呟く。
「こっわ……。万華郷の太夫って、どうなってんの? いくら芸能界より生き残り厳しいからって、ここまで影響力あるもん?」
「まぁ、あの見世自体が規格外だからね。そこの太夫格ともなれば、正しく天上人って感じなんじゃない?」
「陸奥さんもハイスペお化けだし、あんなのがウヨウヨしてると思うと、鳥肌立つんだけど」
「エースエージェントのお前が言うの? それこそ、皮肉以外の何物でもないよ。もしうちに拾われていなければ、今ごろ、吉原一の太夫は璃津だったかもね」
「バカ言うな。吉原の上級娼妓は、男も女も、俺なんかより遥かに頭良いし、何でもできる天才揃いだぞ。うちも、吉原からスカウトすりゃ良いのにな」
「それは難しいだろうね。ここに居る人間は皆、それなりの事情を抱えているものさ。もちろん、売られてきた不運な人は出たいだろうけど、自ら望んで入る者も多い。吉原でしか生きて行けない人達も、居るんだよ」
逢坂の言っていた「業が深い」とは、そういう事なのかもしれない、と丹生は思った。
「じゃあ陸奥さんもそうなの? 確か、万華郷は売買じゃなくて、面接で取ってるんだろ?」
「それこそ、アレが典型だよ。何でもできるくせに、官界も会社勤めもお断り。カタにはまりたくないんだってさ。子どもみたいでしょ」
「まぁ、末っ子らしいっちゃらしいな。奔放で可愛げあるじゃん」
「全然さ。小憎たらしいだけだよ」
つらつらと、そんな話をしながら通りをぶらつく。時折、格子の奥から声を掛けてくる遊女らに片手を上げて応えつつ、様々な商品の並ぶ店先を冷やかした。
「さすがに歩き疲れたなー。茶でも飲みに行くか?」
「そうだね。奥に良さそうな茶屋があったけど、行ってみる?」
「おう」
大通りから少し外れた所にある、こじんまりした趣のある茶屋へ入ると、テーブル席は簡易的な個室になっていた。丹生は煎茶とカステラ、朝夷は抹茶と生チョコレートを注文し、ひと息つく。
「しかし、吉原も10年経つと変わるもんだなぁ。SM妓楼とか、熟女妓楼なんてのもあったし、古民家バーまでできてたのには驚いたぜ」
「着々と進化を遂げてるよね。さすが、時代の最先端と言われるだけはある。それだけ、情報も集まりやすいって事だ」
「そのくせほとんど独立国家化してて、政府の手出しは容易じゃないってか。なかなかどうして、この国はまとまりが無いと言うか、権力分散に必死だよな」
「そうだね。外からの攻撃よりも、内輪の利権争いのほうが過激だというのが、日本の悲しき現状さ」
運ばれてきたカステラを、菓子楊枝でひとくち大に切り分けながら、丹生は頬杖をつく。
「ずっと疑問だったんだよ。諸外国の諜報機関は、ほぼ一元化されてるのに、なんでここは5つもあるんだろうって。諜報と防諜を分ける意味は分かるけど、諜報機関だけこんなにいるか? 数が増えりゃあ仕事も被るし、縄張り争いで面倒になるしで、任務に集中できなくなるだろ」
朝夷は手癖で抹茶の椀を回しつつ、苦く笑って答えた。
「核心だね。それこそ、我が国最大の問題さ。先の戦争で浮き彫りになったのは、この国のインテリジェンスが、いかに脆弱かという事と、国家全体のまとまりの無さだ。実力や設備の問題じゃない。組織の上層部が、国の未来ではなく、己の利益を優先している現状が、組織間の情報共有を停滞させ、孤立させている。トップがそれじゃ、当然、国民の団結力も弱まる一方だ。このまま行けば、先進国から1番早く脱落するのは日本だろう」
「まさに憂国だな。まあ、この国が滅ぶとしても、お前がいるなら別に良いんだけどさ」
そんな事をさらりと言って笑う丹生に、朝夷は込み上げる歓喜と激情に、いつも抑えが効かなくなる。
テーブルから身を乗り出し、激しく唇を重ねて貪った。カチャカチャと食器がかち合う音と、丹生の漏らすような笑み混じりの吐息が、狭い個室に響く。
「……もう、本当に狡い……。陸奥なんてどうでも良いから、今すぐ帰りたいよ……」
「おいおい、可愛い弟に酷い言い草だな。お誘いも受けちゃったし、続きは夜のお楽しみにしとけ」
お預けをくらった大型犬のような朝夷に、丹生は己の内に湧く愛しさを自覚する。朝夷が激情に駆られるように、丹生の奥底に眠っていた純粋な愛情が、ゆっくりと浮上しているのだ。
幸福恐怖症の朝夷のため、拒み続ける事で応えてきた愛と、破滅願望の丹生のため、いつか汚し堕とすと約束した愛。歪みきった2人の愛が、徐々に美しき唯一無二になりつつある事を、互いにひしひしと感じている。
「そろそろだな。行こうぜ」
「うん」
丹生は腕時計が16時を示すのを見て朝夷を促し、揃って席を立った。
大通りをかなり奥まで進んだ所に、豪奢な門構えで、箱のような3階建ての妓楼が現れる。吉原一の高級陰間茶屋『万華郷』だ。
暖簾をくぐって大玄関へ入ると、正面の番頭台に座る中性的な美男と、右目と右手に黒い眼帯と手袋をした男が、こちらへ顔を向けた。
眼帯の男は、すたすたと丹生の前まで歩いてくると、腕を組んでずいと顔を寄せてきた。見た感じ、四十路そこそこで、確かさっきの道中に居たなと思いつつ、鋭い隻眼と隙の無い風采に気圧される。
「ほーお、やっぱり大層な美人だなぁ。陸奥が引っ掛けるだけはある」
男は口角を吊り上げて、面白そうに言った。
「で、あんたは客として来たのか? それともそいつの付き添いか?」
鷹揚に顎で指された朝夷は苦笑を漏らしつつ、丹生の肩を抱いて答える。
「仮にも、稼ぎ頭の身内に対して、そいつ呼ばわりはないでしょう、黒蔓さん。この子は俺の恋人です」
「初めまして、丹生です。休憩時間にお邪魔して、すみません」
黒蔓は恋人と聞き、なぜか愉快そうに笑った。
「立派なお兄様にゃあ、しこたま美人で、礼儀も弁えた恋人が居るのか。どうりで、吸い付けタバコなんて仕掛けたワケだわ。男の嫉妬はみっともねぇなぁ」
「まったくですね」
嫉妬と言うより、ただの悪ふざけでは、と丹生は思ったが、口には出さなかった。
番頭台に居た同い年ほどの美男が、「陸奥さんに御兄弟が!?」と身を乗り出して驚愕している。朝夷は男に会釈し、改めて挨拶した。
「どうも、陸奥の兄の長門です。いつも愚弟がご迷惑をおかけしております」
「番頭新造の東雲と申します。陸奥さんに会いに来られたんですか?」
「ええ、たまには顔を見て行こうかと」
2人のやり取りを眺めていた丹生に、黒蔓が思い出したように声を掛けてきた。
「ああ、自己紹介しとかねぇとな。遣手の黒蔓だ。今の仕事が嫌になったら、いつでも歓迎するぞ」
ふてぶてしくも優しげな声音で言われ、見た目より良い人そうだなと思った。
「光栄ですが、とても俺なんかに務まるお仕事じゃありませんよ」
「そんな事ねぇだろ。あんたの名前、政治家連中からよく聞くぞ。相当、腕の立つエージェントだってな。どいつもこいつも、あんたをモノにしたくて堪らねぇってツラで話してやがる」
「とんでもない。うちには、もっと優秀な者が大勢居ますから。俺はそそっかしいので、悪目立ちしているだけです」
「へーえ、さすがに返しも一流だ。ますます欲しいねぇ」
くいと顎を持ち上げられ、しげしげと眺められる。細められた隻眼と薄い唇が、なんとも艶めかしい。近くで見ると、黒蔓はかなりの美形で、匂い立つような色気がある事が分かった。
と、丹生の体が強く後ろへ引かれ、朝夷の腕にしっかりと閉じ込められた。
「その辺りにして下さいよ。この子は命より大事なんですから。と言うより、俺の命そのものです」
「くくっ、命そのものってか。そりゃまた、随分と惚れ込んでやがるな。幸せそうで何よりだ。陸奥はまだ戻ってねぇから、先に上がって待ってろ。おい東雲、案内してやれ」
「かしこまりました。お二方、こちらへどうぞ」
そうして、番頭台横の階段から2階へ案内され、いくつも並ぶ座敷のひとつへ通されたのだった。
42
あなたにおすすめの小説
僕の歓び
晴珂とく
BL
道弥と有一は、交際一年半。
深い関係になってからは、さらに円満なお付き合いに発展していた。
そんな折、道弥は、親に紹介したいと有一から打診される。
両親と疎遠になっている道弥は、有一の申し出に戸惑い、一度は断った。
だけど、有一の懐の深さを改めて思い知り、有一の親に会いたいと申し出る。
道弥が両親と疎遠になっているのは、小学校6年生のときの「事件」がきっかけだった。
祖母に引き取られ、親と離れて暮らすようになってからはほとんど会っていない。
ずっと仄暗い道を歩いていた道弥を、有一が救ってくれた。
有一の望むことは、なんでもしてあげたいくらいに感謝している。
有一の親との約束を翌日に控えた夜、突然訪ねてきたのは、
祖母の葬式以来会っていない道弥の母だったーー。
道弥の学生時代の、淡く苦い恋が明かされる。
甘くてしんどい、浄化ラブストーリー。
===
【登場人物】
都築 道弥(つづき みちや)、25歳、フリーランスデザイナー
白川 有一(しらかわ ゆういち)34歳、営業部社員
常盤 康太(ときわ こうた)道弥の同級生
===
【シリーズ展開】
前日譚『僕の痛み』
時系列
『僕の痛み』→『僕の歓び』
【完結】取り柄は顔が良い事だけです
pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。
そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。
そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて?
ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ!
BLです。
性的表現有り。
伊吹視点のお話になります。
題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。
表紙は伊吹です。
【8話完結】いじめられっ子だった俺が、覚醒したら騎士団長に求愛されました
キノア9g
BL
いじめられ続けた僕は、ある日突然、異世界に転移した。
けれど、勇者として歓迎されたのは、僕を苦しめてきた“あいつ”の方。僕は無能と決めつけられ、誰からも相手にされなかった。
そんな僕に手を差し伸べてくれたのは、冷酷と恐れられる騎士団長・ジグルドだった。
なのに、あいつの命令で、僕は彼に嘘の告白をしてしまう――「ジグルドさんのことが、好きなんです」
それが、すべての始まりだった。
あの日から彼は、僕だけをまっすぐ見つめてくる。
僕を守る手は、やさしく、強くて、どこまでも真剣だった。
だけど僕には、まだ知られていない“力”がある。
過去の傷も、偽りの言葉も超えて、彼の隣にいてもいいのだろうか。
これは、いじめられっ子の僕が“愛されること”を知っていく、嘘と覚醒の物語。
全8話。
エリート上司に完全に落とされるまで
琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。
彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。
そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。
社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。
うちの前に落ちてたかわいい男の子を拾ってみました。 【完結】
まつも☆きらら
BL
ある日、弟の海斗とマンションの前にダンボールに入れられ放置されていた傷だらけの美少年『瑞希』を拾った優斗。『1ヵ月だけ置いて』と言われ一緒に暮らし始めるが、どこか危うい雰囲気を漂わせた瑞希に翻弄される海斗と優斗。自分のことは何も聞かないでと言われるが、瑞希のことが気になって仕方ない2人は休みの日に瑞希の後を尾けることに。そこで見たのは、中年の男から金を受け取る瑞希の姿だった・・・・。
【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】
紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。
相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。
超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。
失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。
彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。
※番外編を公開しました(2024.10.21)
生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。
※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。
鬼上司と秘密の同居
なの
BL
恋人に裏切られ弱っていた会社員の小沢 海斗(おざわ かいと)25歳
幼馴染の悠人に助けられ馴染みのBARへ…
そのまま酔い潰れて目が覚めたら鬼上司と呼ばれている浅井 透(あさい とおる)32歳の部屋にいた…
いったい?…どうして?…こうなった?
「お前は俺のそばに居ろ。黙って愛されてればいい」
スパダリ、イケメン鬼上司×裏切られた傷心海斗は幸せを掴むことができるのか…
性描写には※を付けております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる
