九段の郭公【完結】

四葩

文字の大きさ
79 / 87
8章

77【長門と陸奥】

しおりを挟む

 広々とした座敷には、品の良い調度品が並び、衣桁いこうに掛かる羽織りから文机ふづくえすずり、筆の1本に至るまで、見ただけで高級品だと分かる。
 東雲しののめが用意してくれた茶をすすりつつ、丹生たんしょうは部屋を見回して感嘆した。

「さすが陸奥むつさんの座敷。高そうなモンばっかりなのに、上品にまとまってる。なんとなく、お前んちに似てるな」
「あいつは、物を見る目も一流だからね。できない事なんて、無いんじゃないかな」
「その割に、陸奥さんはお前のこと羨ましがるじゃん。お前も陸奥さん羨むし、お前らの関係って何なの?」

 朝夷あさひなは、少し困ったように笑って答える。

「あいつが10年片思いしてるって話、覚えてる?」
「ああ。この前、局に来た時に言ってたな。ライバルが居るとかなんとか」
「その片恋相手が、例の吉原一の太夫で、ライバルはさっきの遣手やりてなんだよ」
「まじ!? 言われてみればあの人、初見のインパクトやばいけど、よく見たらすげぇ美人だし、めっちゃ色気あったもんなぁ」

 納得しつつも、丹生は首をかしげた。

「あれ? でも従業員と娼妓って、そういう関係になっちゃダメじゃなかったか?」
「まぁそうなんだけど、人の心は理屈や掟で縛れる物じゃないからね。陸奥いわく、付け入る余地も無いほど、深く愛し合ってるんだそうだよ」
「へーえ、さすが吉原。何から何まで、劇的な話の宝庫だな」

 胡座あぐらをかいて後ろ手に畳へ手を付き、何となく羨ましいような気になった。
 余計な事を考えず、素直に愛し、愛されるのが、どれほど幸せかは知っている。そっと朝夷を見やり、自分たちもいずれそうなれるのだろうか、と思った。

「なんでも出来る天才は愛されず、愛を怖がる男は天才になれないってか。正に、天は二物を与えずだな」
「皮肉な話だよね。分かってるんだ、俺も陸奥も。自分たちがどれほど恵まれていて、どれほど愚かな高望みをしているか。それでもやっぱり、心というのは上手く動かせないのさ」

 寂しげに、物憂げに言う朝夷の横顔を見て、それが人だと丹生は思った。

「でもお前、陸奥さんをねたんだり憎んだり、してないよな。普通、羨むよりそっちに傾くと思うんだけど。周防すおうさんみたいにさぁ」
「ああ……そう言えば会ったんだったね。何もされなかった?」

 丹生は、絞め殺されそうになった事を思い出したが、言うのは辞めておこうと首を横に振った。

「いや。ただお前も俺も、想像以上に憎まれてるって事は分かった。それで、なんでお前は陸奥さんに対して、そういう気持ちにならなかったんだ?」
「そうだね……。次元が違うと思ったからかな」

 朝夷は窓の外へ顔を向けると、静かに己の幼少期を語り始めた。



 長門ながとは、郊外にある本家で産まれ育った。広大な敷地内には、母屋の他に茶室や離れ家がいくつかある。
 元は、兄弟筋や使用人の住居として使われていたが、大和やまと武蔵むさしも一粒種だった事に加え、大和がほとんどの使用人を解雇したため、空き家となっていた。
 そこを改築し、武蔵が抱える2人の愛人と子どもたち、残った使用人らの住まいとしたのだ。
 待ち望んだ正当な血筋の男児、長門の誕生に、大和は喜ぶと共に深く安堵した。
 しかし、面白くないのは、最も早く子を産んだ愛人、柊子とうこである。跡を継ぐのは周防ではなく、後に産まれた長門なのだ。
 柊子は非常に負けん気が強く、野心に満ちた高慢な女性だった。自分が長男を産めば、妻の座を得られると固く信じていた。
 大和が柊子の実家に持ち掛けた話は、「柊子が男児を産み、現在の妻、稜香りょうかとの間に男児が産まれなかった場合、柊子を妻として迎え、その子を跡取りとする」というものだったのだ。
 だからこそ、良家の子女でありながら、愛人という不名誉な立場にあまんじ、長年耐えてきたのに、と激怒した。
 長門が産まれてからというもの、武蔵は毎日のように柊子に責められ、なじられ、妻にしろと詰め寄られていた。
 稜香は長門に付きっきりで、まったく武蔵を顧みず、娘さえ乳母に預けきりの有様だ。
 政界で名を轟かせていた大和へのコンプレックスと、柊子による執拗なプレッシャー、妻の無関心に耐え切れず、武蔵は2人目の愛人、寧々ねねの元へ逃げ込んだ。
 寧々は、公家の血筋の箱入り娘で、朗らかでやや天然な所がある、おっとりした女性だった。疲弊しきっていた武蔵は、唯一の拠り所となった寧々を溺愛し、通い詰めた。そうして産まれたのが、陸奥むつである。
 長門と陸奥は2歳差だったが、陸奥の知能指数が異様に高かったため、共に過ごす時間が多かった。
 朝夷家では3歳から家庭教師がつき、学問はもちろん、武道、芸道などの情操教育をほどこし、大学までは学校に通わず、自宅学習という措置を取っている。
 長門より2年後からこれを受け始めた陸奥は、到底3歳とは思えぬ早さで習得していき、4歳になる頃には、6歳の長門と同等の学習を受けるほどになっていた。
 共に教育を受け始めてから、長門は何においても陸奥にまさった事は無かった。それは長門だけでなく、兄弟姉妹の誰ひとりとして、陸奥に敵う者は居なかった。
 学問も武道も芸道も、陸奥は並外れた才知であっさりと完璧にこなし、周囲は神童と持てはやした。
 長門も常人以上の成績をおさめていたが、やはり陸奥には及ばず、あるとき気付いたのだ。大和が、惜しいものを見るような視線を、陸奥へ向けている事に。
 長門は子どもながらに、その胸中を悟った。陸奥が跡取りなら良かったのだろうと。
 物心ついた頃から突っかかってきた周防と違い、長門は陸奥に、嫉妬や怒りを抱いた事は無かった。それは、自分が跡取りだからではなく、次元の違いを痛感していたからだ。
 更に、陸奥は紛うことなき天才でありながら、それを鼻にかけず、長門を兄と慕っていた。
 陸奥は、母親の寧々と共に離れ家で暮らしていたが、中庭の池のほとりに1人で佇んでいる姿を、よく見かけた。陸奥は、長門を見ると必ず上品に笑って手を振り、挨拶をしてきた。
 ある日の夜もそうだった。ぼんやりと灯りに照らされた池のほとりから、陸奥が手を振る。

「長門兄さん、こんばんは」
「やあ、陸奥。こんな時間に何をしてるんだ?」
「鯉を見ています」
「好きなのか?」
「いいえ。ただ、何もする事が無いので」
「寧々さんはどうしたんだ」
「父上のお相手をしています」

 縁側から降り、陸奥の隣に立って共に水面を眺める。餌を貰えると思った錦鯉たちが寄ってきて、口をぱくぱくさせていた。

「なんでお前が外に出なきゃいけないんだ? 家族なんだから、一緒に居れば良いだろう」
「いえ、僕はお邪魔になるので。父上がいらっしゃると、いつも自分から出て行くんです」

 長門は首をかしげる。

「なぜそんな事を? 自分の息子を邪魔だなんて、思う訳ないじゃないか」

 純粋に言う長門に、陸奥は困ったような笑みを向けた。

「父上は、母上と交わりにいらっしゃるんですよ。だから、僕が居てはいけないんです」

 長門は絶句した。この時、長門は14歳、陸奥は12歳だった。長門はまだしも、陸奥はそんなことを知らなくてもいい歳だ。
 息子に気を遣わせる父も父だが、大人び過ぎている陸奥も大概だな、と長門は額に手をやり、深く溜め息をついた。
 この頃には、すっかり陸奥の規格外に慣れていた長門は、苦笑しながら言った。

「あんな父を持って、お前も苦労するね」
「これくらい、なんて事はありません。長門兄さんに比べたら、僕なんて気楽なものです」
「そうかもね。俺はお前ほど賢くないからな」
「いいえ、兄さんは凄いですよ。僕の何倍も賢明で、聡明な方です」

 嫌味に聞こえるな、と思いながらも問い返す。

「なぜそう思うんだ? お前は俺より成績が良いのに」
「数字の話じゃありませんよ。兄さんは、いつも辛い思いをしているのに、誰にも当たらず、馬鹿な真似もせず、等しく優しく、正しい。僕には、とても真似できません」
「それは……面倒なだけだよ。周防兄さんみたいな情熱も無いし、身内でかどを立てたって、良い事は無いからね」

 陸奥は黙って水面を見つめ、おもむろに足元の小石を拾うと、1匹の鯉めがけてそれを投げつけた。驚いた鯉たちは、水しぶきを上げて散り散りに逃げて行く。

「何してる、生き物をいじめるなよ。趣味が良くないぞ」
「ほら、やっぱり長門兄さんは正しい。例えるなら、あの鯉は周防兄さんです。もし僕が長門兄さんの立場なら、必ずこうしています。きっと、アレが死ぬまで石を投げ続けるでしょうね」

 綺麗な笑顔でそんな事を言う陸奥に、長門はぞっとした。その冷酷さが、祖父にそっくりだったからだ。陸奥はまさしく、先祖返りそのものだった。

「……お前が跡取りなら良かったのにと、俺はずっと思ってるよ。きっと、お爺様も同じだ」
「僕には当主なんて無理ですよ。長門兄さんじゃなきゃ駄目なんです。その優しさと忍耐強さ、冷静さは、当主として完璧な資質です。僕は貴方こそふさわしいと、心から思っていますよ」

 何もかも完璧な陸奥に、完璧だと言われる。なんとも居心地の悪い矛盾を感じ、長門は苦く笑った。



「家を出るまで、陸奥とは始終、そんな感じだったよ。あまりに人知を超えていて、神や仏に嫉妬しないのと同じ、と言えば近いかな」
「なるほどね。つくづく、お前ん家は大変だな」
「本当に厄介だよ。朝夷家の男は、みんなどこかおかしいんだ。そのぶん、女性は立派なものだと思うね」
「ああ、お姉さんにも会ったけど、格好良かったもんなぁ。いっそ、女系にしちまえば良いのに。直系にこだわるのはまだ分かるけど、家父長制はさすがに時代遅れだろ」
「そうかもしれないね。まあ、お爺様がご存命のうちは、あの方の意向に従うしかないのさ」

 実家から逃げ出した自分とは正反対な朝夷の強さは、確かに陸奥の言う通り、次期当主に相応しいのだろうな、と丹生は思った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【創作BL】溺愛攻め短編集

めめもっち
BL
基本名無し。多くがクール受け。各章独立した世界観です。単発投稿まとめ。

【完結】取り柄は顔が良い事だけです

pino
BL
昔から顔だけは良い夏川伊吹は、高級デートクラブでバイトをするフリーター。25歳で美しい顔だけを頼りに様々な女性と仕事でデートを繰り返して何とか生計を立てている伊吹はたまに同性からもデートを申し込まれていた。お小遣い欲しさにいつも年上だけを相手にしていたけど、たまには若い子と触れ合って、ターゲット層を広げようと20歳の大学生とデートをする事に。 そこで出会った男に気に入られ、高額なプレゼントをされていい気になる伊吹だったが、相手は年下だしまだ学生だしと罪悪感を抱く。 そんな中もう一人の20歳の大学生の男からもデートを申し込まれ、更に同業でただの同僚だと思っていた23歳の男からも言い寄られて? ノンケの伊吹と伊吹を落とそうと奮闘する三人の若者が巻き起こすラブコメディ! BLです。 性的表現有り。 伊吹視点のお話になります。 題名に※が付いてるお話は他の登場人物の視点になります。 表紙は伊吹です。

【完結】極貧イケメン学生は体を売らない。【番外編あります】

紫紺
BL
貧乏学生をスパダリが救済!?代償は『恋人のフリ』だった。 相模原涼(さがみはらりょう)は法学部の大学2年生。 超がつく貧乏学生なのに、突然居酒屋のバイトをクビになってしまった。 失意に沈む涼の前に現れたのは、ブランドスーツに身を包んだイケメン、大手法律事務所の副所長 城南晄矢(じょうなんみつや)。 彼は涼にバイトしないかと誘うのだが……。 ※番外編を公開しました(2024.10.21) 生活に追われて恋とは無縁の極貧イケメンの涼と、何もかもに恵まれた晄矢のラブコメBL。二人の気持ちはどっちに向いていくのか。 ※本作品中の公判、判例、事件等は全て架空のものです。完全なフィクションであり、参考にした事件等もございません。拙い表現や現実との乖離はどうぞご容赦ください。

義兄が溺愛してきます

ゆう
BL
桜木恋(16)は交通事故に遭う。 その翌日からだ。 義兄である桜木翔(17)が過保護になったのは。 翔は恋に好意を寄せているのだった。 本人はその事を知るよしもない。 その様子を見ていた友人の凛から告白され、戸惑う恋。 成り行きで惚れさせる宣言をした凛と一週間付き合う(仮)になった。 翔は色々と思う所があり、距離を置こうと彼女(偽)をつくる。 すれ違う思いは交わるのか─────。

僕の恋人は、超イケメン!!

八乙女 忍
BL
僕は、普通の高校2年生。そんな僕にある日恋人ができた!それは超イケメンのモテモテ男子、あまりにもモテるため女の子に嫌気をさして、偽者の恋人同士になってほしいとお願いされる。最初は、嘘から始まった恋人ごっこがだんだん本気になっていく。お互いに本気になっていくが・・・二人とも、どうすれば良いのかわからない。この後、僕たちはどうなって行くのかな?

【完結】少年王が望むは…

綾雅(りょうが)要らない悪役令嬢
BL
 シュミレ国―――北の山脈に背を守られ、南の海が恵みを運ぶ国。  15歳の少年王エリヤは即位したばかりだった。両親を暗殺された彼を支えるは、執政ウィリアム一人。他の誰も信頼しない少年王は、彼に心を寄せていく。  恋ほど薄情ではなく、愛と呼ぶには尊敬や崇拝の感情が強すぎる―――小さな我侭すら戸惑うエリヤを、ウィリアムは幸せに出来るのか? 【注意事項】BL、R15、キスシーンあり、性的描写なし 【重複投稿】エブリスタ、アルファポリス、小説家になろう、カクヨム

隣の席のイケメンに懐かれた

しょうがやき
BL
隣の席のイケメンに懐かれた平凡男子の話

エリート上司に完全に落とされるまで

琴音
BL
大手食品会社営業の楠木 智也(26)はある日会社の上司一ノ瀬 和樹(34)に告白されて付き合うことになった。 彼は会社ではよくわかんない、掴みどころのない不思議な人だった。スペックは申し分なく有能。いつもニコニコしててチームの空気はいい。俺はそんな彼が分からなくて距離を置いていたんだ。まあ、俺は問題児と会社では思われてるから、変にみんなと仲良くなりたいとも思ってはいなかった。その事情は一ノ瀬は知っている。なのに告白してくるとはいい度胸だと思う。 そんな彼と俺は上手くやれるのか不安の中スタート。俺は彼との付き合いの中で苦悩し、愛されて溺れていったんだ。 社会人同士の年の差カップルのお話です。智也は優柔不断で行き当たりばったり。自分の心すらよくわかってない。そんな智也を和樹は溺愛する。自分の男の本能をくすぐる智也が愛しくて堪らなくて、自分を知って欲しいが先行し過ぎていた。結果智也が不安に思っていることを見落とし、智也去ってしまう結果に。この後和樹は智也を取り戻せるのか。

処理中です...