九段の郭公【完結】

四葩

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8章

82【修羅場の果て】

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「──と、いうのが例の二次団体と璃弊リーパン出茂会いづもかいの顛末で、念の為に見回った吉原も現在、目立った被害はありませんでした」
「ふうん。で?」

 部長室にて。報告書を読み上げた丹生たんしょうは、デスク越しに対面する更科さらしなに視線を移した。

「……報告は以上です」
「それは分かった。で?」

 再び問われ、丹生は眉を上げて首をかしげる。でって言われても、もう何もないぞ、と思っていると、至極不愉快そうに更科が紫煙を吐く。

「他に言う事ねぇのかよ」
「えー……無いですね。調査結果はこれが全てです」
「違うだろうがよ。分かっててはぐらかしてるな、お前」

 丹生は口角をひきつらせる。確かに、知らぬ振りを通そうとしていたからだ。

(はぁ……やっぱりこうなるよな。大人な対応を期待してたんだけど、ダメだったか。この前ナナちゃんとやり合ったばっかだってのに、こう立て続けだとさすがに疲れる……。まぁ自分で蒔いた種だし、仕方ないか)

 丹生は報告書をデスクへ置き、ひとつ息を吐いて遠回しに答えた。

「何かお話があるんですか?」
「無いわけねぇだろ、ふざけてんのか。戻ってきてからこっち、なんの連絡もよこさずに無視しやがって。全部なかった事にするつもりか? なめるのも大概にしろよ」
「なめてませんよ。ただ、どう切り出せば良いか分からなかったもんで。部長もそんなふうに、俺の事ほったらかしてた時期あったじゃないですか。おあいこって事で、水に流しちゃくれませんかね」

 更科は眉間に深く皺を刻み、イラついた仕草で煙草を揉み消した。

「これのどこがおあいこなんだ、あ? 俺はあの時、他に相手は作ってねぇぞ。俺との決着も付けねぇままでよろしくやろうなんざ、虫が良すぎるだろうが」
「それは確かに、俺が悪かったです。言いにくくて逃げてました、すみません」

 丹生がぺこりと頭を下げると、更科は深々と溜め息をつき、オフィスチェアから立ち上がって丹生へ歩み寄った。

「本気なのか?」
「何がです?」
「真剣に朝夷あさひなと恋人になる気かって聞いてんだよ」
「なる気もなにも、もうなっちゃってますし。ていうか、だいぶ今更じゃないですか? アイツとの関係は、12年前に決まったも同然だったでしょ」
「そうじゃねぇだろ……。お前が恋人だと認めたら、どれだけ危ねぇ目に合うか分かってんのか? あいつの周りはワンルイより厄介な連中だらけだ。お前も必ずとばっちりをくう」

 丹生は首の後ろへ手を当て、苦笑した。

「それこそ今更ですね。俺は別に、いつ死のうが構わないんです。生に執着してないので」

 あっさり言ってのける丹生に、更科は腹の底から込み上げる怒りを感じた。
 なんて身勝手な言い分だ。見つけて拾って育ててやった恩を忘れ、愛し合った事すら水に流して、いつ死んでも良いとまで言う。
 更科の気持ちなどまったく無関係に話し、赤の他人を見るような目を向けてくる丹生に、憎悪で視界が明滅する。

「……お前って奴は、本当に……どこまで……」
「すいません。あ、でも部長には感謝してますよ。お世話になりましたし、ここでやってこられたのも部長のおかげですし──……」

 白々しく、空々しい台詞に吐き気がする。頭がガンガンと痛む。産まれて初めて味わう、本物の憎しみだ。
 何度も肌を合わせ、唇を重ね、好きだと言った口で、そんな誠意の無い言葉を吐かないでくれと願うが、丹生はまだ何か言っている。もう内容すら頭に入ってこない。
 本気で愛していた。自分でも判然としないが、きっと出会った頃から惹かれていた。しかし城戸きどの事件もあり、局内でいざこざを起こすのは避けねばと、この12年ひたすら考えないようにしてきた。
 朝夷に弄ばれ、無体を強いられても笑ってやり過ごす健気な姿に、ますます想いは募り、愛しているのだと自覚していった。
 ようやく手に入れたと思ったのに。守ってやれると思ったのに。同じ想いだと信じていたのに。何もかも嘘だったと、気まぐれのお遊びだったのだと、軽薄に笑う姿が物語っている。
 更科は憤怒と絶望と虚しさに呑まれ、足元から世界が崩れていくような気分だった。

「……いつ死んでも良いと言ったな……?」

 低く絞り出すような更科の問いに、丹生はきょとんと首をかたむける。

「はあ、言いましたね」
「……だったら、今すぐ死んでくれ」

 言うが早いか、更科の両手が丹生の細い首を掴んだ。



 その頃。たまたま部長室の近くを通りかかった朝夷は、手持ち無沙汰に壁にもたれる駮馬まだらめを見かけて足を止めた。

「お疲れ様です、駮馬さん。何してるんですか、そんな所で」
「お疲れ。報告が終わるのを待ってるんだ。済むまで入るなと言われていてな」
「へえ、珍しい。駮馬さんにも聞かせないなんて、よほどの機密なんですかね」

 駮馬は「いや」と眉を上げて答える。

「丹生が璃弊リーパンと出茂会の関係と顛末を報告しているだけだ。しかしやけに遅いな、後が詰まっているというのに……」

 朝夷は丹生と更科が2人きりになっていると聞き、血の気が失せた。

璃津りつが入ってからどれくらいですか!?」
「だいたい15分ほどだが……なんだ、そんなに血相を変えて」

 背筋に嫌な予感が駆け抜け、部長室のドアに手をかける。しかし中から施錠されており、朝夷はドアを激しく叩きながら「開けろ!」と叫んだ。
 驚いた駮馬は、訳も分からず止めに入った。

「おい、辞めろ朝夷! 一体どうしたっていうんだ? 何をそんなに焦ってる」
「まずい……まずいまずいまずい……! あの人は駄目だ、絶対に駄目だ……。駮馬さん、スペアキー持ってますよね!? はやく開けて下さい!」
「待て待て、少し落ち着け。まずいってなんだ。きちんと説明しろ」
「そんな時間は無い! 急げ! 璃津が殺される!」

 駮馬は状況が飲み込めないまま、朝夷の逼迫ひっぱくした様子に押し負けてドアを開けた。そして絶句した。朝夷が言った通り、更科が丹生の首を締め上げていたからだ。
 丹生の顔は赤黒く変色してやや膨れ、意識があるのか無いのか、白目を剥いて涎を垂らしている。朝夷が更科へ飛びつき、「辞めろ!」と怒鳴りながら必死で引き離そうとしているのを見て、ようやく状況を理解した駮馬も加勢する。

「何してるんですか部長! 辞めて下さい!」

 2人がかりで奮闘し、なんとか更科から丹生を解放した。床に倒れ込んだ丹生は激しく咳き込み、気管が押し潰されていたせいか、呼吸がすきま風のような音を立てている。

「璃津、璃津ッ! 大丈夫か!?」

 首を押さえながら『大丈夫だ』と合図する丹生を、朝夷は泣きそうな顔で抱きかかえる。
 更科を押さえ込んだ駮馬は、荒く息をつきながら愕然とした面持ちで呟いた。

「……部長……いったい何故こんな事を……」

 更科は駮馬の問いには答えず、虚ろな目で丹生たちのほうを見ると、「ハハッ」と乾いた笑声を漏らした。その拍子に更科の内ポケットから転がり出た指輪を見て、丹生はこの男も案外、凡庸だったなと思った。

「……お前ら2人とも、地獄に堕ちろ……」

 力無く囁かれた更科の言葉に、丹生を抱えて立ち上がった朝夷は、凍てつく視線と声音で答える。

「俺たちはとっくに地獄で生きてる。あんたはこれから堕ちるんだ。せいぜい楽しむことだな」

 さっさとオフィスを出て行く朝夷たちを見送り、駮馬は深く嘆息した。



 部長室を出た後、丹生と朝夷はイントレルームに来ていた。医務室へ行こうとする朝夷を制して、丹生がここを指定したのだ。
 そっとベッドへ降ろされ、丹生はまだ違和感の残る首をさすりながら深呼吸を繰り返した。

「大丈夫? ほら、水だよ」
「ん゙……あ゙、ぁ゙ー……声やば……」

 朝夷からミネラルウォーターを受け取り、半分ほど飲んでから幾度か発声して調子を取り戻す。まだ元通りとはいかず、ハスキーな掠れ声だ。軽く咳き込み、丹生は笑った。

「いやぁ、色々びっくりした。お前って凄いな、ピンチにいつも駆けつけてくれる。まるで俺専属のヒーローだ」

 朝夷は顔を手でおおい、首を振りながら重い溜め息をつく。

「全然凄くない、ギリギリだった……。もう駄目かと思った……」
「確かに、さっきのは割とやばかった。まさか部長があっち側だったなんて、予想もしてなかったわ」
「あの人は駄目だ……阿久里あぐりなつめなんて比べ物にならないくらい危険だ……。ちゃんと言っておくべきだったのに……また俺は失敗した……」

 顔をおおったままうなだれる朝夷に、わしゃわしゃと頭を撫でてやりながら優しく言う。

「お前のせいじゃない。これは俺の自業自得だ。あの人を見誤ってた俺が悪い。お前はちゃんと助けてくれたろ? そんなにしょげんなって」
「無理だ……。見てよ、まだ震えが止まらない……。今回救えたのはたまたまだ……。いつか取り返しのつかない事になって、お前を本当に失うかもしれない……。そう思うと怖くてたまらなくて……耐えられない……」

 朝夷の差し出す両手は確かにぶるぶると震えていて、声までわなないている。丹生はその手を自分の手で包みながら、確かになと思っていた。
 ここ最近、拉致されたり周防すおうに絞め殺されかけたりと、別離や死を身近に感じる事が立て続けに起こっている。危機察知能力の低い自分では、そのうち本当に死ぬかもしれない。
 そう考えると丹生は朝夷を優しく抱きしめ、頭を撫でながら囁いた。

「だったらお前が殺せ。俺はお前以外に殺されたくないし、お前は俺がいつ殺されるか怯え続けなきゃいけない。そんなのって、辛すぎるだろ」

 朝夷は弾かれたように体を起こし、丹生の両肩を掴んだ。眉根を寄せ、今にも涙を零しそうな目で首を横に振る。

「いや……いやだよ璃津……。俺はお前が居ないと、本当に生きていけないんだ……。ごめん……終わらせるって約束したのに……。でも、できない。もう殺してあげられない。変わってしまったんだ、俺は……」

 良い事だ、と丹生は思った。朝夷の言い分は至極、真っ当だ。出会った頃、どうしようもないほど壊れていた心が、人らしく真面まともになっているのだ。
 それは朝夷だけでなく、丹生も同じだった。かつてはさっさと死にたい、殺してほしいと願ってやまなかったが、今はあまり思わなくなっていた。

「大丈夫だよ、長門ながと。あの約束は反故にしよう。俺もお前と生きていきたいと思ってる、さっきのは、それがどうしても叶わない時の最終手段だ」

 朝夷の両目から涙が溢れるのを見て、丹生の視界もぼやりと滲む。目頭が熱くなり、自分も泣いているのだと自覚して、喜びが湧き上がる。

「俺たちが散らかした庭も、ようやく片付いてきたな……」
「うん……」

 2人が引っ掻き回し、撒き散らした悪意の種は、徐々に刈り取られているようだった。
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