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第三話 弟を救う手
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ある日の午後、屋敷は慌ただしい空気に包まれていた。
廊下を行き交う侍女や執事たちの顔には焦りが浮かび、何かを言いかけては口を閉ざす。
私は思わず声をかけた。
「……何か、あったのですか?」
マリアが言い淀んだ後、小さな声で答える。
「坊ちゃまが……また熱を出されたのです」
坊ちゃま――私の弟、アルノルト。
まだ十歳に満たない年で、体が弱く、しょっちゅう寝込んでいると聞いていた。
◇
私は急いで弟の部屋へ向かった。
大きなベッドの上で、アルノルトは顔を真っ赤にして苦しげに寝息を立てていた。
額には冷やした布が置かれているが、もう温まってしまい役目を果たしていない。
「お嬢様……」
侍女が私を見て、困ったように首を振った。
「医師は薬を処方なさっています。ですが、熱がなかなか下がらず……」
机の上には、銀の器に残された薬。苦いのか、あまり飲めていないようだ。
私はベッドの傍らに膝をつき、弟の顔をじっと見つめる。
――このままでは、衰弱してしまう。
ふと、奴隷時代の記憶がよみがえった。
荒れ果てた街外れで、同じ奴隷仲間が熱を出したとき。
医者など呼べるはずもなく、私たちは自分たちで森へ薬草を探しに行った。
そこで学んだのだ――「熱を和らげる葉」や「咳を鎮める花」の存在を。
◇
「マリア。屋敷の裏庭に、薬草園がありますか?」
「え? は、はい。昔の公爵夫人がお世話していたものが……今はほとんど手入れされていませんが」
「案内して」
マリアが慌てて私を連れて行くと、石垣に囲まれた庭に、雑草に混じって見覚えのある葉がいくつも茂っていた。
――セレン草。熱を下げる効果がある。
――月影の花。乾燥させて煎じれば咳を和らげる。
私は夢中で手を伸ばし、必要な草を摘み取った。
奴隷だった頃に必死で覚えた知識が、今この子を救えるかもしれない。
◇
部屋へ戻り、私は侍女たちの前で草を細かく刻み、湯に浸して即席の煎じ薬を作った。
湯気とともにほのかな青い香りが広がる。
匙ですくい、そっと弟の唇へ運ぶと、アルノルトは小さく咳き込みながらも飲み下した。
……数時間後。
再び様子を見に行くと、弟の顔の赤みは和らぎ、穏やかな寝息に変わっていた。
その姿に、侍女たちは驚きと安堵で声を上げる。
「まさか……本当に熱が下がって……!」
「お嬢様が……救われたのですね」
私は静かに頷いた。
「いえ、昔……聞きかじった知識を思い出しただけですわ」
けれど胸の奥は、温かなもので満ちていた。
奴隷として過ごした痛みが、今こうして家族を救う力に変わったのだ。
◇
夜。食堂に呼ばれると、父が席についていた。
いつもの厳しい表情……けれど、目の奥はわずかに柔らかい。
「エリシア。アルノルトのことを聞いた」
「……ご無礼をしました。お医者様の薬を差し置いて、勝手に」
「いいや。あれで息子の熱が下がった。礼を言わねばならん」
父は一呼吸置き、低い声で続けた。
「私は……娘を長く病に苦しめてしまったから、子に『強さ』ばかりを求めてしまったのだろう。
だが今日、お前は優しさで弟を救った。……それは私にはできぬことだ」
その言葉に胸が熱くなる。
父は確かに厳しい。けれど、その奥にあるものを私はもう見逃さない。
「ありがとうございます、お父様」
思わずそう言うと、父は驚いたように目を細め、照れ隠しのように咳払いした。
◇
弟の寝顔を見守りながら、私は心に誓う。
――この知識をもっと磨き、家族を、そしてこの家を守れるようになろう。
奴隷だった私にしかできないことが、きっとある。
新しい人生は、ますます輝きを増していく。
廊下を行き交う侍女や執事たちの顔には焦りが浮かび、何かを言いかけては口を閉ざす。
私は思わず声をかけた。
「……何か、あったのですか?」
マリアが言い淀んだ後、小さな声で答える。
「坊ちゃまが……また熱を出されたのです」
坊ちゃま――私の弟、アルノルト。
まだ十歳に満たない年で、体が弱く、しょっちゅう寝込んでいると聞いていた。
◇
私は急いで弟の部屋へ向かった。
大きなベッドの上で、アルノルトは顔を真っ赤にして苦しげに寝息を立てていた。
額には冷やした布が置かれているが、もう温まってしまい役目を果たしていない。
「お嬢様……」
侍女が私を見て、困ったように首を振った。
「医師は薬を処方なさっています。ですが、熱がなかなか下がらず……」
机の上には、銀の器に残された薬。苦いのか、あまり飲めていないようだ。
私はベッドの傍らに膝をつき、弟の顔をじっと見つめる。
――このままでは、衰弱してしまう。
ふと、奴隷時代の記憶がよみがえった。
荒れ果てた街外れで、同じ奴隷仲間が熱を出したとき。
医者など呼べるはずもなく、私たちは自分たちで森へ薬草を探しに行った。
そこで学んだのだ――「熱を和らげる葉」や「咳を鎮める花」の存在を。
◇
「マリア。屋敷の裏庭に、薬草園がありますか?」
「え? は、はい。昔の公爵夫人がお世話していたものが……今はほとんど手入れされていませんが」
「案内して」
マリアが慌てて私を連れて行くと、石垣に囲まれた庭に、雑草に混じって見覚えのある葉がいくつも茂っていた。
――セレン草。熱を下げる効果がある。
――月影の花。乾燥させて煎じれば咳を和らげる。
私は夢中で手を伸ばし、必要な草を摘み取った。
奴隷だった頃に必死で覚えた知識が、今この子を救えるかもしれない。
◇
部屋へ戻り、私は侍女たちの前で草を細かく刻み、湯に浸して即席の煎じ薬を作った。
湯気とともにほのかな青い香りが広がる。
匙ですくい、そっと弟の唇へ運ぶと、アルノルトは小さく咳き込みながらも飲み下した。
……数時間後。
再び様子を見に行くと、弟の顔の赤みは和らぎ、穏やかな寝息に変わっていた。
その姿に、侍女たちは驚きと安堵で声を上げる。
「まさか……本当に熱が下がって……!」
「お嬢様が……救われたのですね」
私は静かに頷いた。
「いえ、昔……聞きかじった知識を思い出しただけですわ」
けれど胸の奥は、温かなもので満ちていた。
奴隷として過ごした痛みが、今こうして家族を救う力に変わったのだ。
◇
夜。食堂に呼ばれると、父が席についていた。
いつもの厳しい表情……けれど、目の奥はわずかに柔らかい。
「エリシア。アルノルトのことを聞いた」
「……ご無礼をしました。お医者様の薬を差し置いて、勝手に」
「いいや。あれで息子の熱が下がった。礼を言わねばならん」
父は一呼吸置き、低い声で続けた。
「私は……娘を長く病に苦しめてしまったから、子に『強さ』ばかりを求めてしまったのだろう。
だが今日、お前は優しさで弟を救った。……それは私にはできぬことだ」
その言葉に胸が熱くなる。
父は確かに厳しい。けれど、その奥にあるものを私はもう見逃さない。
「ありがとうございます、お父様」
思わずそう言うと、父は驚いたように目を細め、照れ隠しのように咳払いした。
◇
弟の寝顔を見守りながら、私は心に誓う。
――この知識をもっと磨き、家族を、そしてこの家を守れるようになろう。
奴隷だった私にしかできないことが、きっとある。
新しい人生は、ますます輝きを増していく。
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