戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百一十七話 寺町連歌・幽斎記名

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 入梅を過ぎた京の町では、雨はいつも急に降り出し、またすぐにあっさりと上がる。

 この日の黄昏、寺町あたりの石畳にはまだ雨の湿りが残り、軒先の水玉が一粒ずつ落ちては、提灯の紙を叩き、ごく細かな音を立てていた。

 里村紹巴が、古びた油紙傘を一本さして寺町口で彼を待っていた。

「澄原殿。」

 柳澄原は傘をたたみ、軽く一礼した。

この日は、いつもよりさらに地味な浅灰の直綿に着替えている。小袖はきっちりと締められ、腰の刀はいつも通り衣の内に隠されているが、寺町を行き交う僧俗の人波の中に立ってみると、ただの儒者にも見え、どこか得体の知れぬ気配も帯びていた。

「わざわざお越しくださり、かたじけない。」

紹巴は笑みを浮かべ、身を引いて中へと導いた。

「今宵は大仰な会ではござらぬ。ただ句を好む者どもが幾人か集まりましてな。澄原殿も肩の力を抜いてくだされ。」

寺町の奥の小寺の方丈は、何枚かの障子がはずされ、一方には古い経巻がいくつか積まれ、もう一方には長い座が敷かれている。十数名が左右に分かれて座し、それぞれの前には硯と紙が置かれていた。

灯は多くはないが、室内の空気は不思議と澄んでいる。

上座にいるひとりは、質素な衣をまといながらも、背筋をまっすぐに伸ばして座っていた。眉目はさほど鋭くはないのに、「風雨を見慣れた」者に特有の静けさがある。

紹巴が深々と頭を下げる。

「細川殿。」

その男は、ほんのわずかに顎を引いて応じた。

「湖東よりおいでの澄原殿。」

紹巴が紹介する。

「近ごろ東山に醫房を開かれ、堺の者も、吉岡の者も、その名を耳にするようで。」

細川藤孝――人呼んで「幽斎」は、柳澄原をひと目だけ見た。

その目は、礼を過ごすでもなく、かといって軽んじるでもない。

「東山は眺めがよい。」

幽斎は淡々と口を開いた。

「そこに住めば、城の様子を眺めるにも都合がよかろう。」

柳澄原は一礼する。

「里村殿に取り次いでいただいただけのこと。拙は句を借りて城を見る身にすぎませぬ。城そのものを見ることは、諸先達の役目にございましょう。」

座中の作法はさほど煩わしくはないが、しかとした序列がある。

最初の一句が発句となり、その後に「興」「転」「付」と続く。連なる句は互いに結びつきながらも、くっつき過ぎてもいけないし、離れ過ぎてもならない。

宗匠は幽斎自らが務める。

発句も彼自身が詠み、その一句で全体の気が決まる。

幽斎は筆を執り、わずかに間を置いてから書きつけた。

「焼け残る 塔影の上に 夏の雲」

墨がまだ乾かぬ紙面から、すでに「火の後の重さ」が静かに立ち上る。

第二句は紹巴。

雲を受けつつ、あえて火を直に詠まず、「鐘の声」から迂回してゆく。

第三、第四句は二人の公家が続けた。

句は婉麗で、どこか「上の者」を喜ばせようとする色がうっすらと差している。

やがて順が回り、柳澄原の番となると、長座の上にふっと小さな静けさが落ちた。

「澄原殿は今宵初お目見え。」

幽斎が口を開く。

「どうぞ気楽に。さほどの厳しさは申さぬ。」

柳澄原は筆をとり、ふと窓の外へ視線をやる。

寺町の軒先には、もう雨は止み、空には暗い藍がひとかけ残っている。

遠く焼けた家々の棟木が、黒い木肌を半分覗かせており、それはまだ閉じきらぬ傷口のようだった。

彼は筆を紙に落とした。

「誰のため 残りし石に 苔あおく」

堂の中から、音が消える。

真っ先に笑いを漏らしたのは紹巴だった。

扇を揺らしながら、軽く嘆息する。

「いやはや、『誰のため』とは。」

この一句は、焼け残った塔影をそのまま受けながら、「誰のために焼けたか」を問わない。

むしろ「誰のために残ったか」を問い直している――句中に置かれた「苔青き石」は、寺前の石であると同時に、焼け残った京の骨にも見える。

幽斎の指先が、机の上をひとつ、軽く叩いた。

彼は急いで褒めもせず、解き明かしもせず、ただ後に続く者たちが、この「苔」と「残り」をどう受けてゆくかを見守った。

ある文士は「苔衣の僧の履」を書き、ある若公子は「青苔が傷を覆う」と詠んだ。

いずれも慎重な筆である。

幾巡も句が重なり、やがて三十六句の巻が連なった。

火、雨、鐘声、苔の色、夏雲、夜風――

どの折り返しにも、かすかに「焼けた後の都」の影が滲んでいる。

席が散る頃には、すでに子の刻が近かった。

人々は残る者、帰る者と分かれ、寺の灯は次々と落とされてゆく。最後に一つだけ、経架の下で揺れる残り灯が残った。

幽斎は先ほどの連歌の巻を少しひらき、その目を「誰のため 残りし石に 苔あおく」の一句の上に留めた。

傍らで紹巴が低く問う。

「細川殿は、どう御覧に?」

幽斎はまず、別のことを問うた。

「この澄原殿、本当に湖東の者か?」

「名刺にはそう記してござる。」

紹巴は笑う。

「されど城を見る目つきは、どこか別の場所に立っておられるようで。」

幽斎は、それ以上は言わなかった。

彼は袖から一冊の小さな手帳を取り出した。

頁はどれも読み返された跡があり、そこにはさまざまな日の名前が記されていた――

武者、僧、歌人、商人。

その一頁の余白に、彼は新たに四文字を書き添える。

「東山・澄原」

さらにその横に、ごく小さく一文字だけ記した。

「観」

紹巴はちらと覗き見て、胸のうちでわずかにざわつく。

「何を観る、と?」

幽斎は小冊子を閉じた。

「焼けた後の京を。」

彼は静かに言う。

「そして、いつの日か、この『残った石』の行く末を、誰が引き受けるのかを。」

「尾張」という二字を、彼は最後まで口にはしなかった。

ただ、巻き上げた連歌を丁寧に箱に納め、机の脇に置く。

寺町の外から、風が鴨川の方から吹き上がる。

焼け残った塔影の黒木と、石灯籠の苔の痕を撫でてゆく。

今夜を境に、「東山澄原」という名は、もう一つ別の風の流れの中にも、そっと書き込まれることになったのだった。
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