戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百六十七話 第二柱折れる・安藤守就の背城

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    永禄十年の早春。雨は細く、針のように降っていた。針の雨は痛くない。それでも骨を一番すり減らす。

稲葉山城の中で、斎藤龍興の疑心もまた、この雨のようだった。何かを一気に打ち壊すのではなく、城のあらゆる木を、水気でふやけさせていく。

彼は賢くはない。だが自分では賢いと思っている。腰も据わってはいないのに、据わっているふりをする。だからやることは泥をつかむようになる。強くつかめばつかむほど、指の間から逃げていく。

城内で急な軍議が開かれた。龍興は席上で卓を叩きつける。

「墨俣など、ただの木の塊だろう! なぜ伸び続ける! なぜ光り続ける!」

誰かが迎合する。

「尾張の妖術にございます」

龍興はその言葉にすぐ乗った。

「妖術ならば試せばよい。誰が行く。誰がその木を焼き払ってくる!」

そのとき、安藤守就の眉が、ほんのわずかに寄った。

龍興の命令は、粗い斧で書かれた字のようだ。求めているのは戦果ではない。自分の「恐れ」を背負ってくれる誰かだ。

「安藤」

龍興は名指しし、目に乱暴な刃を宿す。

「お前が行け」

安藤守就は礼をとり、声を崩さない。

「かしこまりました」

だがその瞬間、心は冷たく沈んだ。これは命を受けたのではない。ヤスリ代わりに、外へ押し出されただけだ、と。

同じ日、城下町の一隅にある武家屋敷に、藤吉郎がまた姿を見せる。

安藤守就は屋敷の中へは通さず、軒先でだけ顔を合わせた。軒から垂れる雨筋が、薄い簾のように二人の間を区切る。

「猿よ」

安藤守就は淡々と言う。

「命知らずだな」

藤吉郎は笑う。

「命知らずでなければ、夜道の商いは務まりませんので」

「俺に裏切れと言いに来たか」

安藤守就の視線は鋭い。

藤吉郎は首を振る。

「生きていただきたいのです」

安藤守就は鼻で笑う。

「生きるには、名分がいる」

藤吉郎は袖から紙を差し出した。紙は相変わらず粗く、文も短い。「来たれ」とは一言も書かず、ただ「退路」だけが記されている。

――城とともに死にたくなければ、まず家臣たちを、死地に縛り付けるな。

読み終えた安藤守就の指先が、紙の端でぴくりと止まる。針に刺されたような反応だった。

「これは柳澈涵の言葉か」

問いはごく小さい声で発せられる。

藤吉郎は、正面からは答えない。

「清洲の眼は、熱い言葉を好みませぬ」

雨が廊下の板を叩き続ける。耳の奥で反響するほどの音だ。

やがて安藤守就が、不意に尋ねる。

「半兵衛は?」

藤吉郎は、さらに低く答えた。

「道中に。ですが、影はすでに城に入っております」

その瞬間、安藤守就の目に、裂け目が生じた。

彼が怖れているのは尾張ではない。龍興の「乱れ」だ。乱れる者は何をするか。老臣を火に投げ込み、それを「勝手に燃えた」と言い張る。

安藤守就は紙をゆっくりと畳み、袖に収める。声は袖の中へ沈めるように低い。

「どうしろと言う」

藤吉郎は四文字で返す。

「まずは命門を残せ」

安藤守就は雨を眺めながら、しばし沈黙したのち、静かに頷いた。

その夜、安藤守就は「辺境の巡視」を名目に、家中最精鋭の一隊を城から外へ出した。

それは叛旗でもなければ、挙兵でもない。ただ、自分の背骨を一部、先に移しておく行為だった。いざ刃が振り下ろされても、一撃で根元まで断ち切られぬように。

小さな一歩。しかし不可逆の一歩。

老臣が一度「命門」を城の外へ移したとき、城はもはや彼を縛り止めることができない。

翌日、半兵衛がついに姿を現した。

派手に城入りしたわけではない。一人の若侍が、雨合羽をまとい、安藤守就の屋敷の軒をまたいだだけだ。雨粒が斗篷を打ち、薄い刃の膜をまとわせているように見えた。

安藤守就は言葉もなく、深々と一礼した。

半兵衛は手を上げてそれを制し、淡い声で言う。

「戻った」

その短い一言が、稲葉山城の命運を一行に圧縮してしまう。

安藤守就の喉仏が上下する。

「お前が戻った時点で、美濃はもう滅んでいるさ」

半兵衛は、雨の帳を眺める。

「滅ぶかどうかは、俺が決めることじゃない。城主の手が決めることだ」

そう言ってから、彼は安藤守就を見据える。

「生きたいなら、あいつのために刀を握るな」

屋敷を出ると、藤吉郎が雨の中に立っていた。笑みは隠しきれない。

「半兵衛殿が戻ってくださるなら、この猿の命も、少しは値打ちが出ますな」

半兵衛は一瞥をくれ、その目は一本の釘を見るようだった。

「命の値打ちは、口の甘さで決まらん。釘を木に打ち込めるかどうかだ」

藤吉郎は笑みを深める。

「きっちり打ち込みましょう」

一方、稲葉山城の中では、龍興が安藤の兵の移動を聞きつけるや、その疑心を即座に噛み付かせた。

「逃げるつもりか!」

彼は「なぜ逃げようとするのか」を考えない。「誰を殺せば気が済むか」しか考えない。

誤った刃はすでに振り上げられた。

第三の柱は、その風を聞いた。
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