192 / 268
第一百九十四話 御前演武・弥助の門
しおりを挟む
東山の朝。門前に“不意の客”が来た。帖もない。供もない。
榊。吉岡道場の高弟。粗布を纏い、長い布包みを提げている。
弥助が門を開ける。手が無意識に柄へ行く。榊は弥助を見ない。視線は弥助の肩を越え、院で楓を眺める柳澈涵へ突き刺さる。
「柳様。」榊は身を屈める。
「主より品を預かりました。」
布包みを解く。折れた木刀が一本。
「主は申しました。当年、八坂の一手を三年考えた。先日ようやく、この木刀を斬り折った、と。」
柳澈涵は折れ木刀を見る。顔は動かない。
「吉岡清十郎の太刀は、やはり速い。」
榊は声を落とす。
「主はさらに申しました。刀は折れても、胸の中の“線”は折れぬ。吉岡道場の門前に、ここ数日、浪人が増えています。眼に火がある。主は問います――その看板は、今、どこへ掛けるべきか。」
柳澈涵の返事は冷たい。
「鞘の中に掛けろ。」
目を上げる。
「清十郎に伝えよ. 織田の大軍は掃除に来た。埃が立つ。吉岡が埃を被りたくないなら、門を固く閉ざせ。」
榊は息を呑み、礼して退いた。
――数日後、十月中。清水寺。
義昭将軍が功臣をもてなす宴。酒が三巡した頃、義昭近侍の“雅を気取る”京の剣客が囃し立て、試合を求めた。彼らが欲しいのは勝敗ではない。面子だ。
“京は京である”という看板だ。尾張の馬屋に成り下がってなどいない、と全員に見せたい。
前田利家が出ようとする。柳澈涵が押さえた。
「血を見せるな. 奴らは台が欲しいだけだ。」
柳澈涵は視線を上げる。
「弥助。」
「はい。」
「出ろ。」
そして判決のように付け足す。
「殺すな。血を出すな。“門の守り方”を教えてやれ。」
弥助は木刀を提げて上がる。相手の剣客は刀花が美しい。だが虚ろだ。紙のように美しい。
弥助は動かない。刃風が迫った、その瞬間だけ踏み込む。
一歩で間合いを封じ、一挑みで手首を断ち、一圧しで関節を解く。
剣客は衣の端にも触れられぬまま、膝をついた。門檻に躓いて尊厳が折れたように。
義昭の顔色が沈む。
「……これは、何という太刀筋だ。」
柳澈涵は立ち上がり、淡い声で答える。だが背筋を凍らせる淡さ。
「公方様. これは“門番の太刀筋”にございます。門が堅ければ、花架子は入れませぬ。」
信長は理解している。仰向けに笑い、酒は平然と進む。光秀も理解している。目を伏せ、何も言わない。“守門”の二字が、喉を押さえつけたのだ。
宴の後、東山へ帰る。月光は刀背のように冷たい。
八重美が小声で言う。
「夫君、今日の芝居は見事でした。ただ……義昭公の顔色が良くありません。」
柳澈涵は月を見た。
「顔色など、どうでもいい。一拍。大事なのは――京の門を、今、誰が守っているかを、彼が知ることだ。」
東山を風が抜け、楓がさわさわ鳴った。京の夜は、まだ長い。
榊。吉岡道場の高弟。粗布を纏い、長い布包みを提げている。
弥助が門を開ける。手が無意識に柄へ行く。榊は弥助を見ない。視線は弥助の肩を越え、院で楓を眺める柳澈涵へ突き刺さる。
「柳様。」榊は身を屈める。
「主より品を預かりました。」
布包みを解く。折れた木刀が一本。
「主は申しました。当年、八坂の一手を三年考えた。先日ようやく、この木刀を斬り折った、と。」
柳澈涵は折れ木刀を見る。顔は動かない。
「吉岡清十郎の太刀は、やはり速い。」
榊は声を落とす。
「主はさらに申しました。刀は折れても、胸の中の“線”は折れぬ。吉岡道場の門前に、ここ数日、浪人が増えています。眼に火がある。主は問います――その看板は、今、どこへ掛けるべきか。」
柳澈涵の返事は冷たい。
「鞘の中に掛けろ。」
目を上げる。
「清十郎に伝えよ. 織田の大軍は掃除に来た。埃が立つ。吉岡が埃を被りたくないなら、門を固く閉ざせ。」
榊は息を呑み、礼して退いた。
――数日後、十月中。清水寺。
義昭将軍が功臣をもてなす宴。酒が三巡した頃、義昭近侍の“雅を気取る”京の剣客が囃し立て、試合を求めた。彼らが欲しいのは勝敗ではない。面子だ。
“京は京である”という看板だ。尾張の馬屋に成り下がってなどいない、と全員に見せたい。
前田利家が出ようとする。柳澈涵が押さえた。
「血を見せるな. 奴らは台が欲しいだけだ。」
柳澈涵は視線を上げる。
「弥助。」
「はい。」
「出ろ。」
そして判決のように付け足す。
「殺すな。血を出すな。“門の守り方”を教えてやれ。」
弥助は木刀を提げて上がる。相手の剣客は刀花が美しい。だが虚ろだ。紙のように美しい。
弥助は動かない。刃風が迫った、その瞬間だけ踏み込む。
一歩で間合いを封じ、一挑みで手首を断ち、一圧しで関節を解く。
剣客は衣の端にも触れられぬまま、膝をついた。門檻に躓いて尊厳が折れたように。
義昭の顔色が沈む。
「……これは、何という太刀筋だ。」
柳澈涵は立ち上がり、淡い声で答える。だが背筋を凍らせる淡さ。
「公方様. これは“門番の太刀筋”にございます。門が堅ければ、花架子は入れませぬ。」
信長は理解している。仰向けに笑い、酒は平然と進む。光秀も理解している。目を伏せ、何も言わない。“守門”の二字が、喉を押さえつけたのだ。
宴の後、東山へ帰る。月光は刀背のように冷たい。
八重美が小声で言う。
「夫君、今日の芝居は見事でした。ただ……義昭公の顔色が良くありません。」
柳澈涵は月を見た。
「顔色など、どうでもいい。一拍。大事なのは――京の門を、今、誰が守っているかを、彼が知ることだ。」
東山を風が抜け、楓がさわさわ鳴った。京の夜は、まだ長い。
0
あなたにおすすめの小説
四代目 豊臣秀勝
克全
歴史・時代
アルファポリス第5回歴史時代小説大賞参加作です。
読者賞を狙っていますので、アルファポリスで投票とお気に入り登録してくださると助かります。
史実で三木城合戦前後で夭折した木下与一郎が生き延びた。
秀吉の最年長の甥であり、秀長の嫡男・与一郎が生き延びた豊臣家が辿る歴史はどう言うモノになるのか。
小牧長久手で秀吉は勝てるのか?
朝日姫は徳川家康の嫁ぐのか?
朝鮮征伐は行われるのか?
秀頼は生まれるのか。
秀次が後継者に指名され切腹させられるのか?
強いられる賭け~脇坂安治軍記~
恩地玖
歴史・時代
浅井家の配下である脇坂家は、永禄11年に勃発した観音寺合戦に、織田・浅井連合軍の一隊として参戦する。この戦を何とか生き延びた安治は、浅井家を見限り、織田方につくことを決めた。そんな折、羽柴秀吉が人を集めているという話を聞きつけ、早速、秀吉の元に向かい、秀吉から温かく迎えられる。
こうして、秀吉の家臣となった安治は、幾多の困難を乗り越えて、ついには淡路三万石の大名にまで出世する。
しかし、秀吉亡き後、石田三成と徳川家康の対立が決定的となった。秀吉からの恩に報い、石田方につくか、秀吉子飼いの武将が従った徳川方につくか、安治は決断を迫られることになる。
不屈の葵
ヌマサン
歴史・時代
戦国乱世、不屈の魂が未来を掴む!
これは三河の弱小国主から天下人へ、不屈の精神で戦国を駆け抜けた男の壮大な物語。
幾多の戦乱を生き抜き、不屈の精神で三河の弱小国衆から天下統一を成し遂げた男、徳川家康。
本作は家康の幼少期から晩年までを壮大なスケールで描き、戦国時代の激動と一人の男の成長物語を鮮やかに描く。
家康の苦悩、決断、そして成功と失敗。様々な人間ドラマを通して、人生とは何かを問いかける。
今川義元、織田信長、羽柴秀吉、武田信玄――家康の波乱万丈な人生を彩る個性豊かな名将たちも続々と登場。
家康との関わりを通して、彼らの生き様も鮮やかに描かれる。
笑いあり、涙ありの壮大なスケールで描く、単なる英雄譚ではなく、一人の人間として苦悩し、成長していく家康の姿を描いた壮大な歴史小説。
戦国時代の風雲児たちの活躍、人間ドラマ、そして家康の不屈の精神が、読者を戦国時代に誘う。
愛、友情、そして裏切り…戦国時代に渦巻く人間ドラマにも要注目!
歴史ファン必読の感動と興奮が止まらない歴史小説『不屈の葵』
ぜひ、手に取って、戦国時代の熱き息吹を感じてください!
世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記
颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。
ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。
また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。
その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。
この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。
またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。
この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず…
大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。
【重要】
不定期更新。超絶不定期更新です。
マルチバース豊臣家の人々
かまぼこのもと
歴史・時代
1600年9月
後に天下人となる予定だった徳川家康は焦っていた。
ーーこんなはずちゃうやろ?
それもそのはず、ある人物が生きていたことで時代は大きく変わるのであった。
果たして、この世界でも家康の天下となるのか!?
そして、豊臣家は生き残ることができるのか!?
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる