戦国澄心伝

RyuChoukan

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第一百九十四話 御前演武・弥助の門

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 東山の朝。門前に“不意の客”が来た。帖もない。供もない。

 榊。吉岡道場の高弟。粗布を纏い、長い布包みを提げている。

 弥助が門を開ける。手が無意識に柄へ行く。榊は弥助を見ない。視線は弥助の肩を越え、院で楓を眺める柳澈涵へ突き刺さる。

「柳様。」榊は身を屈める。

「主より品を預かりました。」

 布包みを解く。折れた木刀が一本。

「主は申しました。当年、八坂の一手を三年考えた。先日ようやく、この木刀を斬り折った、と。」

 柳澈涵は折れ木刀を見る。顔は動かない。

「吉岡清十郎の太刀は、やはり速い。」

 榊は声を落とす。

「主はさらに申しました。刀は折れても、胸の中の“線”は折れぬ。吉岡道場の門前に、ここ数日、浪人が増えています。眼に火がある。主は問います――その看板は、今、どこへ掛けるべきか。」

 柳澈涵の返事は冷たい。

「鞘の中に掛けろ。」

 目を上げる。

「清十郎に伝えよ. 織田の大軍は掃除に来た。埃が立つ。吉岡が埃を被りたくないなら、門を固く閉ざせ。」

 榊は息を呑み、礼して退いた。

――数日後、十月中。清水寺。

 義昭将軍が功臣をもてなす宴。酒が三巡した頃、義昭近侍の“雅を気取る”京の剣客が囃し立て、試合を求めた。彼らが欲しいのは勝敗ではない。面子だ。

“京は京である”という看板だ。尾張の馬屋に成り下がってなどいない、と全員に見せたい。

 前田利家が出ようとする。柳澈涵が押さえた。

「血を見せるな. 奴らは台が欲しいだけだ。」

 柳澈涵は視線を上げる。

「弥助。」

「はい。」

「出ろ。」

 そして判決のように付け足す。

「殺すな。血を出すな。“門の守り方”を教えてやれ。」

 弥助は木刀を提げて上がる。相手の剣客は刀花が美しい。だが虚ろだ。紙のように美しい。

 弥助は動かない。刃風が迫った、その瞬間だけ踏み込む。

 一歩で間合いを封じ、一挑みで手首を断ち、一圧しで関節を解く。

 剣客は衣の端にも触れられぬまま、膝をついた。門檻に躓いて尊厳が折れたように。

 義昭の顔色が沈む。

「……これは、何という太刀筋だ。」

 柳澈涵は立ち上がり、淡い声で答える。だが背筋を凍らせる淡さ。

「公方様. これは“門番の太刀筋”にございます。門が堅ければ、花架子は入れませぬ。」

 信長は理解している。仰向けに笑い、酒は平然と進む。光秀も理解している。目を伏せ、何も言わない。“守門”の二字が、喉を押さえつけたのだ。

 宴の後、東山へ帰る。月光は刀背のように冷たい。

 八重美が小声で言う。

「夫君、今日の芝居は見事でした。ただ……義昭公の顔色が良くありません。」

 柳澈涵は月を見た。

「顔色など、どうでもいい。一拍。大事なのは――京の門を、今、誰が守っているかを、彼が知ることだ。」

 東山を風が抜け、楓がさわさわ鳴った。京の夜は、まだ長い。
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