戦国澄心伝

RyuChoukan

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第二百話 雪後の君臣・壁の中の死棋

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 永禄十二年正月六日、暁。

 雪は止んだ。

 白い光が京を覆い、一夜の血腥を無理に蓋する。

 本圀寺の外には屍が散る。

 雪は血に染まり、暗紅となり、目を背けたくなるほど冷たい。

 織田信長は血のついた長槍を携え、門を出た。

 身に灰はほとんど付かぬ。

 ただ、その眼だけが、雪後の陽より鋭い。

 屍を見ない。

 視線を向けるのは二街ほど先、

 一夜まるで死んだように沈黙していた将軍御所。

 閉じ続けた門が、ようやくゆっくり開いた。

 足利義昭が侍従を連れ、駆け出して来る。

 笑みを貼り付け、片方の草履さえ落としている。

「信長殿! 父上! ご無事で何より!」

「昨夜は火が強うて……わ、我ら兵微将寡、軽々に動けませなんだ!」

 信長は黙って見た。

 その目は盟友を見る目ではない。傀儡を見る目でもない。

 角に落ち、二度と拾われぬ“死に石”を見る目だ。

「将軍、驚かれたでしょう。」

 信長が遮る。声は恐ろしいほど平坦。

「京は危のうございます。」

 工事の話でもするように続ける。

「新たな御所をお造り申す。」

「誰も入れぬ。」

「誰も出られぬ城を。」

 義昭の笑みが固まり、背が冷えた。

 信長は踵を返し、側の細巷へ歩く。

 そこに雷霆峨保が、血まみれで刀を握ったまま立っている。

 澄心軍団の百は、釘のように整列し、呼吸は沈んで揺れない。

 柳澈涵は『驚雷』を拭っていた。

 銃身は冷たく、雪中から抜いた骨のよう。

 信長は柳澈涵の前で足を止め、笑みが少しだけ“本物”になる。

「柳。」

「光秀は面目を守った。お前は中身を守った。」

「この戦、首功はお前だ。」

 声を落とし、より危うい鍵を差し出すように言う。

「京の夜路、地下の掟――お前に預ける。」

「この都の“夜の将軍”になれ。」

 空気が凍る。

 視線が一斉に柳澈涵へ落ちる。

 柳澈涵は一歩退き、深く礼をした。

「信長公。私は影見。見る役であって、治める役ではございません。」

「刀を握り過ぎれば、脈を取る手がぶれます。」

「夜路は、京奉行にお任せを。」

 そして目を上げ、淡く言葉を転じる。

「ただ一つ……澄心楼の酒銭、免税に。」

 信長はしばらく睨むように見た。

 その警戒がやがて薄れ、納得の笑みになる。

「よい。」

「よい“見るだけで治めぬ”だ。」

 肩を叩く。

「澄心軍団は特に残すことを許す。」

「雷霆峨保――よい名だ。」

 二条新御所の普請が始まる。

 急げの令が下り、石材が四方から徴発され、石仏までも工事へ運ばれた。

 柳澈涵は、首を落とされた地蔵が壁の基へ埋められるのを見て、つい一歩出る。

「信長公……仏を壊せば、人心に恐れが生まれましょう。」

 信長は多くを語らない。

 刀を抜く。

 刃が落ち、仏の首が砕けた。

「石にすぎぬ。」

 見もしない。

「埋めろ。」

 柳澈涵は言葉を止めた。

 東山へ戻り、廊下に立つ。

 八重美が熱い酒を差し出す。指先の温もりは揺れない。

 柳澈涵は遠く、積み上がっていく石垣を見た。

 雪光の下、その壁は冷たく硬い背骨のように立ち上がる。

 心の中で、「足利義昭」という名を線で消す。

 ――将軍の死期は、すでにこの壁の中へ書き込まれた。

 東山を風が抜け、千堆の雪が舞い上がる。

 乱世の火は、まだ燃え始めたばかりだ。
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