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第二百一十七話 暗流の網・山門下の鉄
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六月上旬、京都郊外。
夜は深い. 月は雲に押され、薄い光が屋根へ貼りつく程度。
寺の額は端正に掛かり、「清浄」とある. 香炉の灰は新しいのに、香の匂いがしない. 代わりに、油を含んだ鉄の匂いが風に混じる。
雷霆峨保が屋根に伏す. 瓦が冷たい。
新参三人が後ろに付き、呼吸を極限まで抑える. 息もまた何かを驚かせると知っている。
院内に牛車が出入りする. 轍は深く、泥に角が立つ。
脚夫は箱を担いでも喋らない. 歩調が揃う. 香燭を運ぶ足ではない. 兵糧を運ぶ足だ。
箱が地へ置かれた瞬間、鈍い音がした。
木と木の空音ではない. 木の中で金属がぶつかった実音だ。
僧が腰を折り、手慣れた指示を飛ばす. 袖が捲れ、手首の繭が見える. 古縄を巻いたような厚さ。
蓋が少しこじ開けられ、月の筋が差し込む。
新参が寒光を見た。
仏具の光じゃない. 槍先の光だ. 錆止め油が塗られ、濡れた漆のように光る。
傍らには粗布の袈裟を着ながら、武士の帯を締めた者がいる. 歩き方が違う. つま先が外へ、歩幅は小さく安定し、甲具の重さに慣れた足だ。
ふと身を翻すと、衣の隙間に短刀の柄が閃く. 古い巻布は黒ずみ、血を拭き、また拭いた色をしていた。
新参は喉が締まり、冷気を吸って声を出しかけた。
雷霆峨保が手を伸ばし、後頸を押さえる. 指腹は硬い. 力は強くない. だが身体が動かない。
耳元で、地底を擦るような声。
「見ろ」
新参の眼が怯える。
「……こ、ここは、寺……」
雷霆峨保は“寺”の二字を言わせない。
「袈裟はただの布だ」
院の“僧”たちの背を睨む. 眼は夜より黒い。
「ここでは、布が刀も隠す」
「血も隠す」
屋根の風がさらに冷える. 新参の手の汗が瓦へ貼りつき、音のない水痕になる。
また一箱. 牛車の輪が地を軋ませる. 低い轟きは、闇で誰かが歯を磨る音に似ていた。
雷霆峨保は轍を見つめ、ゆっくり息を吐いた。
「寺じゃねえ」
「……兵営だ」
夜は深い. 月は雲に押され、薄い光が屋根へ貼りつく程度。
寺の額は端正に掛かり、「清浄」とある. 香炉の灰は新しいのに、香の匂いがしない. 代わりに、油を含んだ鉄の匂いが風に混じる。
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新参三人が後ろに付き、呼吸を極限まで抑える. 息もまた何かを驚かせると知っている。
院内に牛車が出入りする. 轍は深く、泥に角が立つ。
脚夫は箱を担いでも喋らない. 歩調が揃う. 香燭を運ぶ足ではない. 兵糧を運ぶ足だ。
箱が地へ置かれた瞬間、鈍い音がした。
木と木の空音ではない. 木の中で金属がぶつかった実音だ。
僧が腰を折り、手慣れた指示を飛ばす. 袖が捲れ、手首の繭が見える. 古縄を巻いたような厚さ。
蓋が少しこじ開けられ、月の筋が差し込む。
新参が寒光を見た。
仏具の光じゃない. 槍先の光だ. 錆止め油が塗られ、濡れた漆のように光る。
傍らには粗布の袈裟を着ながら、武士の帯を締めた者がいる. 歩き方が違う. つま先が外へ、歩幅は小さく安定し、甲具の重さに慣れた足だ。
ふと身を翻すと、衣の隙間に短刀の柄が閃く. 古い巻布は黒ずみ、血を拭き、また拭いた色をしていた。
新参は喉が締まり、冷気を吸って声を出しかけた。
雷霆峨保が手を伸ばし、後頸を押さえる. 指腹は硬い. 力は強くない. だが身体が動かない。
耳元で、地底を擦るような声。
「見ろ」
新参の眼が怯える。
「……こ、ここは、寺……」
雷霆峨保は“寺”の二字を言わせない。
「袈裟はただの布だ」
院の“僧”たちの背を睨む. 眼は夜より黒い。
「ここでは、布が刀も隠す」
「血も隠す」
屋根の風がさらに冷える. 新参の手の汗が瓦へ貼りつき、音のない水痕になる。
また一箱. 牛車の輪が地を軋ませる. 低い轟きは、闇で誰かが歯を磨る音に似ていた。
雷霆峨保は轍を見つめ、ゆっくり息を吐いた。
「寺じゃねえ」
「……兵営だ」
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