戦国澄心伝

RyuChoukan

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第二百一十八話 豪雨前夜・二条城の研ぎ音

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 六月中旬、京都。

 梅雨が城を押さえる. 雨脚は強くない. だが止まない。

 壁際の苔は増え、衣は乾かず、街の言葉も減る. 湿気が肌に絡み、見えぬ網のようだ。

 二条城は静かだった。

 門は定刻に開閉し、奉行衆は出入りし、能の鼓が内庭からたまに二つ三つ鳴る. 夜の心臓が一度打って止まるように。

 信長は城に常駐しない. 岐阜と近江の間を往来し、鞘と手の間を出入りする刀のように動く。

 だが二条城には、彼の習いが残った。

 夜更け、研ぎ音がする。

 鍛冶の粗い研ぎではない. 細研ぎだ. 砥石が刃に触れ、長い砂の音を引く. 雨が砂へ落ちるような音。

 急かさない. 怒らない。

 それでも人は眠れない。

 公卿の贈り物は、さらに頻くなった。

 金銀、書画、名馬. 車に積まれて城へ入る。

 礼目録は受け取られるが、返答は乏しい. 面会は退けられ、密札は跡形なく消える. 存在しなかったかのように。

 沈黙は井戸だ. 覗くほど深くなる。

 澄心楼。

 柳澈涵が廊下に座る. 庇から滴が線になり、青石を細かく叩く。

 庭には澄心衛士一〇〇が装いを改め、黒の軽甲が雨霧の中で冷く光る. 新たに補充された四十も列に立つ. 背は張り、眼から“熱”が消えている。

 八重美が外套を手に来て、彼の肩へ掛ける. 指先が頸の脇を掠める. 薄い甲を重ねるように。

 彼女が小さく言う。

「雨が……長すぎますね」

 柳澈涵は掌を差し出す. 雨粒が落ち、冷さが皮へ染みる。

 雨線は、まだ落ち切らぬ血線にも見えた。

「長すぎる」

 彼は手を引き、視線を庇の外へ――北東へ投げる. そこは一城ではない. 戦が集まる方角だ。

 振り向き、雷霆峨保と弥助に告げる。

「火薬は包み直せ. 銃身はさらに油布で巻け」

「綱は油を差せ. 刃は雨に触れさせるな」

 雷霆峨保が応じる. 声は低い. 雨を驚かせたくない声だ。

 柳澈涵の眼は静かだった。

「晴れる日が、本当の雨季だ」

 庇の下、滴は止まらない。

 二条城の奥、研ぎ音も止まらない. 二つの音が絡み合い、京の夜を薄く、硬く研いでいく。

 まるで、いずれ裂かれる獣皮のように。
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