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第十一話・三十三間堂・終わらない稽古の自分(四)
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「勝手に彼女たちの姿勢をいじるのね。」
本物の弓を握っている女が、ようやく視線を彼に戻した。
その目には、かすかな苛立ちが浮かんでいる。
――自分の組んだ教案を、勝手に書き換えられた教師のような顔だ。
彼女はつま先で床を軽く蹴り、回廊の木目に沿ってすべるように移動し、別の柱のそばへと立ち位置を変えた。
彼女が動くと、その背後の影たちもそろって一団ごと滑る。
弓を構える。
今度、弦は彼女ひとりの指先だけにあるのではなかった。
背後の残形たちから無数の細い線が引き出され、一本の太い力へと束ねられている。
「あなたにも、避けきれない一本があるでしょう。」
女は冷たく言った。
彼女の手の中の弓は、今やほとんど生き物のようだった。
龍脈の裂け目から無数の細い線がのびてきて、彼女の腕や肩、背中に絡みつき、「教本通りの弓道姿勢」に彼女を固定する。
その姿は、端正であることにおいては、ほとんど荘厳ですらある。
同時に、近づけば切り傷を負いそうなほど、危うい。
彼女が一歩、前へ踏み出す。
足が落ちた瞬間、龍脈の裂け目がかすかに鳴った――長い木材が、さらにもう一段強く踏みしめられたような音だ。
矢が続けざまに放たれる。
どの一本も、彼自身の急所ではなく、彼の足もとの「折れ線」を狙って飛んでくる。
この世界にあるはずの「別の選択肢」という折れ目を、片っ端から真っ直ぐに撃ち抜こうとする矢。
彼は逃げ続けるわけにはいかない。
彼が下がれば下がるほど、その折れ線は元通りの一本線に戻されてしまう。
息を吸い込む。
彼は剣先をふっと下ろし、二枚の石畳の継ぎ目に差し込んだ。
「拈罡一線――骨を借りて脈を引く。」
そう小さく唱える。
その瞬間、剣は単なる金属ではなくなった。
一時的な「鎮め」として働き、龍脈の裂け目から噴き上がる苛立ちの力を一拍ぶんせき止める。
その隙に、彼は右足を前へ、左足をわずかに斜めへと運び、身体を斜に構えた。
戦場での正面の斬り結びではない。
何かの祭礼で、中心から少し外れた位置を回り込む者の歩き方――
前にも後ろにも出ない。ただ「本来、人が立つはずのなかった一マス」に身を置く姿勢。
「廊罡・挪位歩。」
これは、「誰かにあらかじめ設計された立ち位置の外側」に立つための歩法だ。
彼女と「どちらが一番正しく立っているか」を争わず、その争いごと全体から半歩ずれる。
そうして初めて、彼女の矢は認めざるをえない。
自分の設計図にない座標にも、人が立ちうるのだと。
女は眉を寄せた。
「あなたみたいな人が、一番やっかい。」
歯を噛みしめるように言うと、彼女はふいに弓を低く構え、弓身を横に倒した。
次の瞬間、それを木杖のように振り抜き、彼の膝を一気にはね上げようとする。
速い。
長年繰り返してきた身体の記憶が、その一撃に凝縮されている。
普通の人間なら、そのまま派手に吹っ飛ばされるだろう。
だが彼は、その一瞬、逆に一歩前へ踏み込んだ。
ほとんど弓身に自分の身体を沿わせるようにして、滑り抜ける。
背後で弓の木が風を裂く。紙一重だ。
空いている左手の二本指が、弓弦が本来あるはずの空間を軽くつついた。
「断弦指。」
ごく小さな力だが、残形が力を借りている一点だけを正確に外す。
背後の影たちの弓弦が、何本か一度にゆるんだ。
「完璧な姿勢」を支えていた緊張が数か所、ぷつりと切れる。
何人かの構えが、とたんに崩れた。
肩は教本の図よりわずかに低くなり、背筋もこれまでほど反っていない。中には、足もとの位置が教科書の定位置からほんの少し外れてしまう者もいた。
「え?」
スーツの女の影が、自分の足もとを見つめる。
「……こうやって立ってもいいんだ?」
その言葉がこぼれた瞬間、残形の力にひとつ、綻びができた。
弓の上に張りつめていた、「すべての結果の責任を一人で背負う」力が、わずかに削がれていく。
本物の弓を握っている女が、ようやく視線を彼に戻した。
その目には、かすかな苛立ちが浮かんでいる。
――自分の組んだ教案を、勝手に書き換えられた教師のような顔だ。
彼女はつま先で床を軽く蹴り、回廊の木目に沿ってすべるように移動し、別の柱のそばへと立ち位置を変えた。
彼女が動くと、その背後の影たちもそろって一団ごと滑る。
弓を構える。
今度、弦は彼女ひとりの指先だけにあるのではなかった。
背後の残形たちから無数の細い線が引き出され、一本の太い力へと束ねられている。
「あなたにも、避けきれない一本があるでしょう。」
女は冷たく言った。
彼女の手の中の弓は、今やほとんど生き物のようだった。
龍脈の裂け目から無数の細い線がのびてきて、彼女の腕や肩、背中に絡みつき、「教本通りの弓道姿勢」に彼女を固定する。
その姿は、端正であることにおいては、ほとんど荘厳ですらある。
同時に、近づけば切り傷を負いそうなほど、危うい。
彼女が一歩、前へ踏み出す。
足が落ちた瞬間、龍脈の裂け目がかすかに鳴った――長い木材が、さらにもう一段強く踏みしめられたような音だ。
矢が続けざまに放たれる。
どの一本も、彼自身の急所ではなく、彼の足もとの「折れ線」を狙って飛んでくる。
この世界にあるはずの「別の選択肢」という折れ目を、片っ端から真っ直ぐに撃ち抜こうとする矢。
彼は逃げ続けるわけにはいかない。
彼が下がれば下がるほど、その折れ線は元通りの一本線に戻されてしまう。
息を吸い込む。
彼は剣先をふっと下ろし、二枚の石畳の継ぎ目に差し込んだ。
「拈罡一線――骨を借りて脈を引く。」
そう小さく唱える。
その瞬間、剣は単なる金属ではなくなった。
一時的な「鎮め」として働き、龍脈の裂け目から噴き上がる苛立ちの力を一拍ぶんせき止める。
その隙に、彼は右足を前へ、左足をわずかに斜めへと運び、身体を斜に構えた。
戦場での正面の斬り結びではない。
何かの祭礼で、中心から少し外れた位置を回り込む者の歩き方――
前にも後ろにも出ない。ただ「本来、人が立つはずのなかった一マス」に身を置く姿勢。
「廊罡・挪位歩。」
これは、「誰かにあらかじめ設計された立ち位置の外側」に立つための歩法だ。
彼女と「どちらが一番正しく立っているか」を争わず、その争いごと全体から半歩ずれる。
そうして初めて、彼女の矢は認めざるをえない。
自分の設計図にない座標にも、人が立ちうるのだと。
女は眉を寄せた。
「あなたみたいな人が、一番やっかい。」
歯を噛みしめるように言うと、彼女はふいに弓を低く構え、弓身を横に倒した。
次の瞬間、それを木杖のように振り抜き、彼の膝を一気にはね上げようとする。
速い。
長年繰り返してきた身体の記憶が、その一撃に凝縮されている。
普通の人間なら、そのまま派手に吹っ飛ばされるだろう。
だが彼は、その一瞬、逆に一歩前へ踏み込んだ。
ほとんど弓身に自分の身体を沿わせるようにして、滑り抜ける。
背後で弓の木が風を裂く。紙一重だ。
空いている左手の二本指が、弓弦が本来あるはずの空間を軽くつついた。
「断弦指。」
ごく小さな力だが、残形が力を借りている一点だけを正確に外す。
背後の影たちの弓弦が、何本か一度にゆるんだ。
「完璧な姿勢」を支えていた緊張が数か所、ぷつりと切れる。
何人かの構えが、とたんに崩れた。
肩は教本の図よりわずかに低くなり、背筋もこれまでほど反っていない。中には、足もとの位置が教科書の定位置からほんの少し外れてしまう者もいた。
「え?」
スーツの女の影が、自分の足もとを見つめる。
「……こうやって立ってもいいんだ?」
その言葉がこぼれた瞬間、残形の力にひとつ、綻びができた。
弓の上に張りつめていた、「すべての結果の責任を一人で背負う」力が、わずかに削がれていく。
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