82 / 117
本編
82.冬天
しおりを挟む
日に日に寒くなっていく中で、花嫁は予定通り皇太后に誘われて静宜園に出かけた。久しぶりに表に出て満足したようである。ただ皇太后と一緒な時点で馬車は豪奢なものを用意されてしまい、それに侍女官やら侍女やら付いてくるものだから大所帯になったそうだ。楽しかったけど疲れたと花嫁は言っていた。
紅児は部屋付きなのでもちろん留守番だった。個人で別に行かせてもらっただけいいというものだ。
そろそろ返書を乗せた船はセレスト王国を出発しただろうか。
漠然とそんなことを考えてから、紅夏と話し合うことが格段に増えた。
「常に最悪を考えておくといいかもね」
という花嫁のアドバイスに従っていろいろなことを想定しておく。
例えば、母が亡くなり誰も紅児の引き取り手がいない可能性。
例えば、叔父夫婦に子供が産まれ、紅児がお払い箱になるかもしれない。
例えば、身内が全てなんらかの事情でいなくなっている。
例えば……。
それ以上にひどいことはないだろうということを予想しておけば、実際に返書の内容を聞かされてもショックはそれほど受けないだろうという考え方である。
例えば、母も叔父もいるのに紅児を引き取りたがらない場合は……。
「心置きなく我に嫁げばいい」
紅夏の言葉に苦笑する。
そう、今の紅児には逃げ道がある。それがひどく心強くて、つい笑みを浮かべてしまうほどだ。
それに紅児自身にも問題がある。船に乗ろうとするだけで発熱、悪寒、体の震え等心因性の症状が出ることだ。このままでは帰国できるという段になっても船に乗ることは難しいだろう。
ただこればかりは一朝一夕でどうにかなるものではないので、実際その時になってから考えるしかない。
楽観的な想像は、父がどうにかしてすでに帰国しているということ。ただ父が一人で帰国しているならば何度もこの国に問い合わせをしているはずだと思うのでそんなことはないのだろう。
例え記憶を失ってでも生きていてほしいと思うのは大好きな父だから。そしてそれを想定してくれたのは紅夏だった。
「お父上はどこかに流れついたが、記憶を失ってしまったと考えるのはどうか」
そう考えれば父が生きていたとしても消息がわからない理由になる。そこで幸せに暮らしているならば尚いい。
まるで言葉遊びのようだが、それに縋らなければ己一人だけ生き残った罪悪感に紅児は押しつぶされそうだった。
優しく甘く、時には厳しく接してくれた父。とても大事な父だったのに紅児は己が生きるのに精いっぱいで父を探そうなんて考えもしなかった。
セレスト王国に向こうからの問い合わせの返書を送ってから、紅児の話を元に人相書きを用意し父の捜索が行われている。もちろん人相書きを沿海側の都市に配っただけらしいが、それだけでもありがたいと紅児は花嫁に頭を下げた。
見つかるはずはない。
でも、もしかしたら……。
そんな儚い希望に縋って、紅児は四神宮で働いてきた。
当然のことながら父の消息は掴めていない。
それでもどこかで生きていると信じていることだけはできる。
例えそれがありえないと全ての人に一蹴されることであっても。
紅夏が「それでいい」と言ってくれたから、紅児は信じることに決めたのだった。
まだ日中は過ごしやすかった秋が終わりを告げ、晴れてはいるものの冷たい空気が世界を支配する冬がやってきた。
四神宮に一歩入れば一年中過ごしやすい気候だが、その周囲は違う。紅夏にくっついていれば快適であることは変わりない。しかし四六時中くっついているわけにもいかない。そんなわけで日中は暖石が必需品である。紅夏から以前もらった守り袋に暖石を入れて腰に下げている。それだけでかなり過ごしやすくなった。
暖石さまさまである。
村は王都より更に北にあるから、冷たい風が吹く度紅児は養父母のことを案じた。
暖石も棉袄(綿入れの防寒着)も紅夏に届けてもらった。それでも3年暮らした村の冬はとても、とても寒かったから。
そんな紅児を紅夏は「エリーザは優しい」と言う。
優しいわけではないと紅児は思う。親を思う気持ちに優しいも冷たいもない。血のつながった本当の親子ではないけれど、紅児にとって養父母もまた大事な親なのだ。
暖かいところで生まれ育った紅児にとって王都の冬もまた厳しい。けれど雲一つない青空はそれだけで彼女の心を高揚させてくれる。とても寒いことに変わりはないのだけど。
だがそんな穏やかな冬の日々を切り裂くように、ある知らせが四神宮に届けられた。
「紅児、船が戻ってきたそうよ」
改めて難しい顔をした花嫁に伝えられたそれは、紅児を戸惑わせるには十分だった。
花嫁が貿易商に与えた期間は半年である。
だが現時点ではまだあれから5か月が経ったばかりだった。
もちろん片道2か月の距離なので5か月で往復できてもおかしくはないが、返事をもらって準備をして……となると強行軍であることに間違いはなかった。
「いい? エリーザ、まず私が会ってくるわ。それで問題なければ貴方も会う、という形にさせてもらってもいいかしら?」
言い含めるような花嫁の科白に紅児はこくりと頷いた。
ただ返書を確認する、というだけなら紅児がいてもいなくても変わらない。セレスト王国へ問い合わせの返書を送ってくれたのは花嫁であり、紅児の後見人でもある。彼女の決めたことに従わないという選択肢はなかった。
どちらかといえば花嫁の方が紅児を気にしてくれていて、
「一度会ってくるから、次はエリーザも一緒に行きましょう」
そんな優しい言葉をかけてくれた。紅児はそれだけで十分だと素直に微笑んだ。
「行ってきます」
戦場に行くような面持ちで、花嫁は朱雀の腕に抱かれたまま出かけて行った。
紅児は部屋付きなのでもちろん留守番だった。個人で別に行かせてもらっただけいいというものだ。
そろそろ返書を乗せた船はセレスト王国を出発しただろうか。
漠然とそんなことを考えてから、紅夏と話し合うことが格段に増えた。
「常に最悪を考えておくといいかもね」
という花嫁のアドバイスに従っていろいろなことを想定しておく。
例えば、母が亡くなり誰も紅児の引き取り手がいない可能性。
例えば、叔父夫婦に子供が産まれ、紅児がお払い箱になるかもしれない。
例えば、身内が全てなんらかの事情でいなくなっている。
例えば……。
それ以上にひどいことはないだろうということを予想しておけば、実際に返書の内容を聞かされてもショックはそれほど受けないだろうという考え方である。
例えば、母も叔父もいるのに紅児を引き取りたがらない場合は……。
「心置きなく我に嫁げばいい」
紅夏の言葉に苦笑する。
そう、今の紅児には逃げ道がある。それがひどく心強くて、つい笑みを浮かべてしまうほどだ。
それに紅児自身にも問題がある。船に乗ろうとするだけで発熱、悪寒、体の震え等心因性の症状が出ることだ。このままでは帰国できるという段になっても船に乗ることは難しいだろう。
ただこればかりは一朝一夕でどうにかなるものではないので、実際その時になってから考えるしかない。
楽観的な想像は、父がどうにかしてすでに帰国しているということ。ただ父が一人で帰国しているならば何度もこの国に問い合わせをしているはずだと思うのでそんなことはないのだろう。
例え記憶を失ってでも生きていてほしいと思うのは大好きな父だから。そしてそれを想定してくれたのは紅夏だった。
「お父上はどこかに流れついたが、記憶を失ってしまったと考えるのはどうか」
そう考えれば父が生きていたとしても消息がわからない理由になる。そこで幸せに暮らしているならば尚いい。
まるで言葉遊びのようだが、それに縋らなければ己一人だけ生き残った罪悪感に紅児は押しつぶされそうだった。
優しく甘く、時には厳しく接してくれた父。とても大事な父だったのに紅児は己が生きるのに精いっぱいで父を探そうなんて考えもしなかった。
セレスト王国に向こうからの問い合わせの返書を送ってから、紅児の話を元に人相書きを用意し父の捜索が行われている。もちろん人相書きを沿海側の都市に配っただけらしいが、それだけでもありがたいと紅児は花嫁に頭を下げた。
見つかるはずはない。
でも、もしかしたら……。
そんな儚い希望に縋って、紅児は四神宮で働いてきた。
当然のことながら父の消息は掴めていない。
それでもどこかで生きていると信じていることだけはできる。
例えそれがありえないと全ての人に一蹴されることであっても。
紅夏が「それでいい」と言ってくれたから、紅児は信じることに決めたのだった。
まだ日中は過ごしやすかった秋が終わりを告げ、晴れてはいるものの冷たい空気が世界を支配する冬がやってきた。
四神宮に一歩入れば一年中過ごしやすい気候だが、その周囲は違う。紅夏にくっついていれば快適であることは変わりない。しかし四六時中くっついているわけにもいかない。そんなわけで日中は暖石が必需品である。紅夏から以前もらった守り袋に暖石を入れて腰に下げている。それだけでかなり過ごしやすくなった。
暖石さまさまである。
村は王都より更に北にあるから、冷たい風が吹く度紅児は養父母のことを案じた。
暖石も棉袄(綿入れの防寒着)も紅夏に届けてもらった。それでも3年暮らした村の冬はとても、とても寒かったから。
そんな紅児を紅夏は「エリーザは優しい」と言う。
優しいわけではないと紅児は思う。親を思う気持ちに優しいも冷たいもない。血のつながった本当の親子ではないけれど、紅児にとって養父母もまた大事な親なのだ。
暖かいところで生まれ育った紅児にとって王都の冬もまた厳しい。けれど雲一つない青空はそれだけで彼女の心を高揚させてくれる。とても寒いことに変わりはないのだけど。
だがそんな穏やかな冬の日々を切り裂くように、ある知らせが四神宮に届けられた。
「紅児、船が戻ってきたそうよ」
改めて難しい顔をした花嫁に伝えられたそれは、紅児を戸惑わせるには十分だった。
花嫁が貿易商に与えた期間は半年である。
だが現時点ではまだあれから5か月が経ったばかりだった。
もちろん片道2か月の距離なので5か月で往復できてもおかしくはないが、返事をもらって準備をして……となると強行軍であることに間違いはなかった。
「いい? エリーザ、まず私が会ってくるわ。それで問題なければ貴方も会う、という形にさせてもらってもいいかしら?」
言い含めるような花嫁の科白に紅児はこくりと頷いた。
ただ返書を確認する、というだけなら紅児がいてもいなくても変わらない。セレスト王国へ問い合わせの返書を送ってくれたのは花嫁であり、紅児の後見人でもある。彼女の決めたことに従わないという選択肢はなかった。
どちらかといえば花嫁の方が紅児を気にしてくれていて、
「一度会ってくるから、次はエリーザも一緒に行きましょう」
そんな優しい言葉をかけてくれた。紅児はそれだけで十分だと素直に微笑んだ。
「行ってきます」
戦場に行くような面持ちで、花嫁は朱雀の腕に抱かれたまま出かけて行った。
10
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
【R18】純粋無垢なプリンセスは、婚礼した冷徹と噂される美麗国王に三日三晩の初夜で蕩かされるほど溺愛される
奏音 美都
恋愛
数々の困難を乗り越えて、ようやく誓約の儀を交わしたグレートブルタン国のプリンセスであるルチアとシュタート王国、国王のクロード。
けれど、それぞれの執務に追われ、誓約の儀から二ヶ月経っても夫婦の時間を過ごせずにいた。
そんなある日、ルチアの元にクロードから別邸への招待状が届けられる。そこで三日三晩の甘い蕩かされるような初夜を過ごしながら、クロードの過去を知ることになる。
2人の出会いを描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスを野盗から助け出したのは、冷徹と噂される美麗国王でした」https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/443443630
2人の誓約の儀を描いた作品はこちら
「純粋無垢なプリンセスは、冷徹と噂される美麗国王と誓約の儀を結ぶ」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/702276663/183445041
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
【完結】異世界に転移しましたら、四人の夫に溺愛されることになりました(笑)
かのん
恋愛
気が付けば、喧騒など全く聞こえない、鳥のさえずりが穏やかに聞こえる森にいました。
わぁ、こんな静かなところ初めて~なんて、のんびりしていたら、目の前に麗しの美形達が現れて・・・
これは、女性が少ない世界に転移した二十九歳独身女性が、あれよあれよという間に精霊の愛し子として囲われ、いつのまにか四人の男性と結婚し、あれよあれよという間に溺愛される物語。
あっさりめのお話です。それでもよろしければどうぞ!
本日だけ、二話更新。毎日朝10時に更新します。
完結しておりますので、安心してお読みください。
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
【完結】乙女ゲーム開始前に消える病弱モブ令嬢に転生しました
佐倉穂波
恋愛
転生したルイシャは、自分が若くして死んでしまう乙女ゲームのモブ令嬢で事を知る。
確かに、まともに起き上がることすら困難なこの体は、いつ死んでもおかしくない状態だった。
(そんな……死にたくないっ!)
乙女ゲームの記憶が正しければ、あと数年で死んでしまうルイシャは、「生きる」ために努力することにした。
2023.9.3 投稿分の改稿終了。
2023.9.4 表紙を作ってみました。
2023.9.15 完結。
2023.9.23 後日談を投稿しました。
借金まみれで高級娼館で働くことになった子爵令嬢、密かに好きだった幼馴染に買われる
しおの
恋愛
乙女ゲームの世界に転生した主人公。しかしゲームにはほぼ登場しないモブだった。
いつの間にか父がこさえた借金を返すため、高級娼館で働くことに……
しかしそこに現れたのは幼馴染で……?
私は5歳で4人の許嫁になりました【完結】
Lynx🐈⬛
恋愛
ナターシャは公爵家の令嬢として産まれ、5歳の誕生日に、顔も名前も知らない、爵位も不明な男の許嫁にさせられた。
それからというものの、公爵令嬢として恥ずかしくないように育てられる。
14歳になった頃、お行儀見習いと称し、王宮に上がる事になったナターシャは、そこで4人の皇子と出会う。
皇太子リュカリオン【リュカ】、第二皇子トーマス、第三皇子タイタス、第四皇子コリン。
この4人の誰かと結婚をする事になったナターシャは誰と結婚するのか………。
※Hシーンは終盤しかありません。
※この話は4部作で予定しています。
【私が欲しいのはこの皇子】
【誰が叔父様の側室になんてなるもんか!】
【放浪の花嫁】
本編は99話迄です。
番外編1話アリ。
※全ての話を公開後、【私を奪いに来るんじゃない!】を一気公開する予定です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる